☆ 文化七年(1810)
◯「合巻年表」(文化七年刊)
西川東子画
『復讐大山二筋道』前編「西川東子画」後編「蘭斎島北嵩画」梅暮里谷峨作 丸文板
〝ぜんへん四冊は西川東子画にて出来仕おり ゆえあつて後へん四さつは蘭斎北嵩をたのみ 画かへ候
へども くさざうしはつぶたいのぎにこざり升れば わるい所も よし/\と御ひようばん被下 ゆ
く/\は大たてものと成升やう御ひゐき御とりたてのほど ひとへに奉願升(後略)〟
〈どんな支障が生じたか分からないが、西川東子の合巻はこの前編のみのようだ〉
◯『浮世絵師伝』p125(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝東子
【生】 【歿】 【画系】 【作画期】文化
西川氏、文化六年版の草双紙『復讐大山二筋道』(谷峨作)の前編を画く、後編は北嵩画とあり〟