※①〔目録DB〕〔国書DB〕:「日本古典籍総合目録データベース」「国書データベース」〔国文学研究資料館〕
⑩〔中本型読本〕:「中本型読本書目年表稿」
☆ 文化四年(1807)
◯「読本年表」(文化四年刊)
優遊斎桃川画
『奴の小万』前編「優々斎桃川画」柳亭種彦作 文化四年自序 山崎平八板 ①
☆ 文化五年(1808)
◯「読本年表」(文化五年刊)
優遊斎桃川画
『奴の小まん』後編「画人 遊遊斎桃川」柳亭種彦作 山崎平八板他 ⑩①
『総角物語』 前編「画 優遊斎桃川」 柳亭種彦作 越前屋長右衛門他板 ⑩①
☆ 文化六年(1809)
◯『柳亭種彦日記』文化六年(1809)
◇六月一日 p120
〝夜てふ/\がり訪ふ、桃川浚吉にあふ〟
〈てふ/\は俳諧の蝶々庵百花であろうか。桃川は優遊斎桃川。文化四年序・種彦作・読本『奴の小万』、文化五年刊
・種彦作・読本『総角物語』の画工を担当していた。桃川画の版本は国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」に
よれば、上記二点を含め合計三点確認されているが、全て種彦作の読本である。浚吉は未詳〉
◇六月二日 p120
〝桃川来る、来栖御隠居来ル
飯塚長三郎様 是はちかづきでない故、さまをつけ申候、りうけい橋
幸助様 小川町
此頃桃川子ちかづきにつれてまいられ候よしゆへ、先姓名をしるしおき候〟〈来栖御隠居、飯塚ともに未詳〉
◇十二月十日 p131
〝昨夜亭に集る人、金星 桃川 玉豕 北嵩四人、けふは曇て寒し〟
〈金星は未詳。桃川は種彦作の読本『総角物語』(文化五年刊)の画工・優遊斎桃川。玉豕は読本『霜夜星』(種彦作
・かつしか北斎画・文化三年成、文化五年刊)に序を寄せた柏菴玉豕。文政元年(1818)の『江戸方角分』に、下谷住
〝柏庵(一号)玉豕(御徒町)宮村永琢〟とある。但し合い印はなし。蘭斎北嵩は『江戸方角分』によると、合い印
は「画家」で神田明神前に居住。この年出板された種彦作の読本『浅間嶽面影草紙』の画工を担当した〉
◇十二月廿二日 p132
〝蝶々許一寸訪ひ、桃川子訪にゆき、雪ふり出せしまゝ傘かり来る(中略)北斎歳暮にきたるよしあわず〟
〈蝶々は蝶々庵百花か〉
☆ 文化七年(1810)
◯『柳亭種彦日記』文化七年(1810)
◇正月十九日 p139
〝善兵衛桃川玉豕子来ル〟
◇二月五日 p141
〝青砥一ノ巻五丁目北嵩方へ遣ス、石原ぇ行
種彦一駒人桃川北嵩壺竜右四君子許へいたる。夜四ッ過かへる。桃川子より句草子かへる、順次文次来
ル〟〈石原は筆耕石原知道か。駒人、順次、文次は未詳〉
☆ 文化八年(1811)
◯「読本年表」〔目録DB〕(文化八年)
優遊斎桃川画
『江戸紫三人同胞』桃川画 柳亭種彦作 河内屋茂兵衞?他板 ①〈「書目年表」は「初編より四編まで文化八年完結」とする〉
☆ 没後資料
◯『浮世絵師便覧』p209(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝桃川(トウセン)大坂の人、優遊斎と号す、◯享和〟
◯『浮世絵師伝』p126(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝桃川
【生】 【歿】 【画系】 【作画期】享和
大阪の人、優遊斎と号す〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
作品数:3点
画号他:桃川・優遊斎
分 類:読本3
成立年:文化4~5年(2点)
『奴の小万』読本 柳亭種彦作 優遊斎桃川画 文化四年(1807)序
『総角物語』読本 柳亭種彦作 優遊斎桃川画 文化五年(1808)刊
〈『総角物語』後編(文化六年刊)は葛飾北斎画〉
『江戸紫三人同胞』読本 柳亭種広作 桃川画 刊年記載なし