◯『玉川砂利』〔南畝〕⑨297(文化六年二月五日記)
〝森嵩樹が画賛 峯村漁峯翁
【夕立に馬士明俵/をかぶりて行】 いたゞくも菩薩をこめの明俵ぬれ仏にはまさる夕立
【薪おへる山人ほとヽぎすをきく】きのふまで花に薪をおろせしがけふ肩かへて山郭公
【ふじの山に紅葉あり】 蜀紅の錦にまさる紅葉々をふじの高ねにつけてこそみれ
【蜂房が遊客の画に】 あゝまゝのかはたれ時にたちいでゝ帰りはいつもおそのたはれお
【芸者のゑ】 ねがはくは身をもち菓子の一包三線箱の中にかくれん〟
〈南畝、公務の玉川巡視中、峰村にて一見。この「森嵩樹」が『原色浮世絵大百科事典』「浮世絵師人名」にいう「高
嵩樹」と同一人か未詳。狂歌は〝峯村漁翁〟の作だが、南畝の仮名であろう。「蜂房が遊客の画に」と「芸者のゑ」
とある二首の画賛は崇樹のものではなく、蜂房の画賛と思われる〉
◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪183(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)
「英一蝶系譜」〝(高嵩谷門人)嵩樹 字尚康〟
◯『浮世絵師便覧』p241(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝嵩樹(ジュ) 字は尚康〟
◯『浮世絵師伝』p106(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝嵩樹
【生】 【歿】 【画系】初代嵩谷門人 【作画期】文化
高氏、名は尚康〟