☆ 文久元年(万延二年・1861) :『日本木版挿絵本年代順目録』
◯「読本年表」(文久元年刊)
西川祐春画『太平記図会』三編「画図 平安 西川祐春画」堀経信作 勝村治右衞門板 ①
☆ 慶応二年(1866)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(慶応二年刊)
西川祐春画『京みやげ』二冊 画図浪華松川半山 京師西川祐春 井上治兵衛板
☆ 刊年未詳
◯「往来物年表」(本HP・Top)(刊年未詳)
西川祐春画『江戸往来』「西川祐春画」菊屋七良兵衛版 刊年未詳 京〔目録DB〕
◯「百人一首年表」(本HP・Top)(刊年未詳)
西川祐春画『都百人一首』「口画 西川祐春画」弘簡堂(須磨勘兵衛)版 刊年未詳 京〔目録DB〕
☆ 没後資料
◯『浮世絵師便覧』p241(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝祐春(ハル) 京師の人、読本あり、◯慶応〟
◯『浮世絵備考』(梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年(1898)六月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(84/103コマ)
〝西川祐春【慶応元年~三年 1865-1867】京都の人、読本を画けり〟
◯「西川祐信画譜」(宮武外骨編 雅俗文庫 明治四十四年(1911)九月刊)
(『浮世絵鑑』第三巻所収・国立国会図書館デジタルコレクション)
◇西川祐春(40/53コマ)
〝安政四年京阪の『都のにぎはひ』に西川祐春写と署して四條河原新橋の図を描けり、又俗謡の横小本
数冊あり、其一に「嘉永壬子仲春、西川祐春写」とありて、印章に「紀氏」と記せり、『浮世絵師系
伝』に「西川祐春、京師の人なり、上手にて文久頃の人なり、按ずるに此人祐信の裔なるべし、其絵
本南北太平記」とあり、祐信の筆意は毫も存せず、円山派の画を学びしが如き人なれども、自ら西川
祐春と名乗るは其縁なきにあらざるべし、慶応二年発行の『京みやげ』二冊は松川半山と共画なり、
明治の始め頃まで存命せし人ならんか〟
◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)
◇「文久元年(二月二十八日改元)辛酉」(1861)p240
〝此年、京都の浮世絵師西川祐春の画ける『南北太平記図会』三編出版せり〟
◇「慶応二年 丙寅」(1866)p243
〝十二月、松川半山と西川祐春の画ける『京みやげ』東山の部出版〟
△『増訂浮世絵』p78(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝西川祐春
幕末の西川祐春といふ末葉もある。嘉永頃の挿絵に筆を執つて居る。画風は円山風で祐信の風はない
けれども、西川といひ祐春といふのをみれば、その後のものであるらしい〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
作品数:4点
画号他;西川祐春
分 類:読本1・地誌1・交通2
成立年:安政4年(2点)
文久1年(1点)
慶応2年(1点)
〈交通とあるのは「大日本行程大絵図」と「日本全国交通版画絵巻」。共に安政四年(1857)刊〉