☆ 安永九年(1780)
◯『黄表紙總覧』前編(安永九年刊)
菱川春童画『大通山入』署名「菱川春童画」「作者当世」序 板元不明
〈備考、菱川春童は蘭徳斎の別号か、あるいは蘭徳斎と同門の別人かとす〉
(〔国書DB〕の書誌は書名を『大江山大通山入』とし画工を蘭徳斎(勝川春童)とする)
☆ 天明元年(安永十年・1781)
◯「絵本年表」(天明元年刊)
菱川春童画『見た京物語』一巻 菱川春童画 伊勢屋治助板
◯「日本古典籍総合目録」(元明元年刊)
◇見聞記
菱川春童画『見た京物語』「菱川春童画」二鐘亭半山(白鯉館卯雲)作 花屋久次郎板 ①
◯『見た京物語』〔大成Ⅲ〕⑧18(二鐘亭半山(木室卯雲)著・天明元年序)
(木室卯雲の京都見聞記)
挿絵署名「菱川春童画」
☆ 天明五年(1785)
◯『通詩選諺解』〔南畝〕①491(天明五年成)
〈『通詩選諺解』も『唐詩選』のパロディ狂詩。王昌齢の七言絶句「青楼曲」を踏まえたパロディ「蒸籠曲」を諺解する
という趣向。「蒸籠曲」を神田明神の祭礼山車「頼光山入」に取材した詩と解釈し、大江山の頼光伝説を趣向とした黄
表紙として唐来三和・朋誠堂喜三二・菱川春童画の作品を引く〉
〝唐来三和があらはす所の頼光邪魔入、菱川春童が大通山入、喜三二丈の鬼窟大通話など(以下略)〟
〈三和の黄表紙『頼光邪魔入』(北尾政美画)は天明五年刊(1785)。喜三二作『鬼崛大通話』(喜多川行麿画)の天
明五年刊。菱川春童の『大通山入』の刊年は、上出『黄表紙總覧』が安永九年(1780)で『改訂日本小説年表』は天
明四年。なお『改訂日本小説年表』は『大通山入』の画工名を蘭徳斎としている。菱川春童を蘭徳斎春童子と同人視
しているようだ〉
☆ 没後資料
◯『浮世絵』第十五号 (酒井庄吉編 浮世絵社 大正五年(1916)八月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇「偽の菱川氏」宮武外骨(18/26)
〝菱川春童
天明元年の『見た京物語』に菱川春童画があつて勝川派の画風に似て居る、同三年の『通詩選諺解』に
は「菱川春童が『大通山入』云々」とある、勝川春章の門人蘭徳斎春童が、初め偽の菱川氏を冒して居
たらしく想像する〟
◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)
「天明元年(四月十三日改元)辛丑」(1781) p137
〝八月、菱川春童の挿画に成れる『見た京物語』出版〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
作品数:1 画号他:菱川春童 分 類:見聞記 成立年:天明1年
(一点は上掲『見た京物語』)