☆ 文化四年(1807)
 
 ◯『市川白猿追善数珠親玉』(立川談州楼序・文化四年正月刊)
   〈白猿追悼の肖像画。早稲田大学図書館「古典籍総合データベース」所収の画像より〉
 
   (成田屋七右衛門としての肖像画)署名「笑艸筆」
    
   (他に豊国画・鳥居清長筆・六十四歳春好左筆 菱川宗理画・政奴画・辰斎画・北鵞画・
    向島隠居之像葛飾北斎写之)
 
   〈追悼詠〉
   〝鳴神のをとに涙の大雨は此世の注連のきれてゆく雲 歌川豊国〟
   〝いにしへ一切経を取得たるハ三蔵法師 今台遊法子と戒名もいとたふとし
     念仏の百首をよみて西遊記孫悟空にもまさる白猿 かつしか北斎〟
   〝写してもうつりてかなし氷面鏡 春好〟
   〝はつ雪やきゆるものとハ知ながら 菱川宗理〟
   〝我みちの筆も涙のこほりかな 清長〟
   〝秀鶴が身まかりし比の句をおもひいでゝ 今又念仏百首
    よまれて極楽の舞台に同座せらるゝ御仏にゑかう申て
     仲蔵がましじやとおもふ暑哉といひしましらも南無阿弥陀仏 尚左堂俊満〟
   〈笑艸の追悼詠はないようである〉