◯「集古会」第五十五回 明治三十八年(1905)十一月 於青柳亭(『集古会誌』丙午巻之一 明治39年1月)
〝村田幸吉(出品者)歌麿門蕉鹿画 奥女中・遊女・芸妓之図 三幅対
蜀山人狂歌賛 奥女中 たれ人かゐて落すらんあつさ弓矢の字に結ぶ帯の結目
遊女 中の町植たる花のかたはらに深山木などは一本もなし
芸妓 色糸の柳橋からむかふ島上下のものをやとひこしもと〟
◯『浮世絵師伝』p99(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝蕉鹿
【生】 【歿】 【画系】 【作画期】寛政~文化
高尾氏、酔夢亭と号す、肉筆美人画あり、画風栄之などに似たり、蜀山人の画賛せしもの多し。朝倉無
声氏の説に、蕉鹿は神田小川町辺に住し、狂歌を蜀山人に学ぶ、恐らくは幕府の徒士なりしならむ、と
云へり。(『此花』第二十一枝参照)〟
◯『今西コレクション名品展Ⅰ 肉筆浮世絵』熊本県立美術館 平成三年刊
38「花魁立姿図」絹本着色 落款「蕉鹿筆」長方印〔印文不明〕
解説〝蕉鹿は姓を高尾、名を信保といい、酔夢亭・葆巷斎とも号した寛政から文化頃の画家である。本
来幕臣(旗本)であり、画は栄之、狂歌は蜀山人を師とした〟