※〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』
☆ 嘉永六年(1853)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(嘉永六年刊)
川俣重光画『武者略伝記』川俣重光図 柳下亭種員門人 柳雨亭種安誌
〈〔目録DB〕本の刊記「嘉永六丑年 陽春新板 川俣重光図」見返し「東京 山本平吉板」とあり。「嘉永」と
「東京」との整合性に難あり〉
☆ 安政二年(1855)
◯『時雨廼袖』(畑銀鶏著・安政二年(1855)記)〔『江戸叢書』巻の十 p34〕
〝友人重光は浮世絵を以て其名天下に鳴、故有て余と交る事いと深し、いかなる過去の因縁にや、去年猿
若町焼失の時、浅草矢大臣門外まんだら堂の裏長屋にて類焼に及び、其後門跡の後ろ町へ引移りけるが、
此度の地震に老母を初、重光並妹三人諸ともに梁に打れ死亡せる由、哀といふも余り有、己一方ならぬ
友人なれば此事を聞しより、食に向て旨からず、寝につけども眠られず、只欝々として四五日は其事の
み胸に浮めり、かゝる薄命なる事を聞につけても此度の変事を免かれ古稀の坂へ登り掛りし事は、実に
産神の御すくひなるべしと心魂に徹し有難ぞ思ひ侍りぬ〟
〈上掲川俣重光と同人か分からないが、参考のため引用した。畑銀鶏(明治三年(1870)没・八十一歳)は上野国七日
市藩の藩医。戯作者で狂歌師。『時雨廼袖』は安政二年十月二日、江戸を襲った大地震の被害状況等の記録したも
の。銀鶏の友人であるという重光は前年の安政元年十一月五日、浅草及び猿若町の火事で焼け出され、一年ほどし
て今度は地震のために死亡したのである〉