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浮世絵文献資料館
浮世絵師総覧
☆ じょうせん かいげつどう 懐月堂 常仙(安度)
浮世絵師名一覧
常仙〔延宝5年(1677) ~ 宝暦2年(1752)・76歳〕
(参考資料)
「懐月堂派と俳諧に関する一試論」門脇むつみ著(『浮世絵芸術』145巻 2003年刊)
〈生没年は上記論文による。門脇むつみ氏は懐月堂常仙と懐月堂安度とを同人とする〉
☆ 享保十五年(1730)
◯「日本古典籍総合目録」
(享保十五年刊)
◇俳諧
『二子山』豊島弥右衛門(露月)撰 須原屋茂兵衛板「享保十五中冬」(画像) (画)財峨 瑞英青瓐 白鳳雪岑〔福王〕音雪
懐月堂常仙自画
蘭卜 休真 素後 似川 石中子 露月 政信 英一蜒 古信 左龍隣松雨自画 沾峩自画 長川 花江 常辰 枝燕
〈青瓐は岡田米仲〉
(句)常仙・
南燭堂指水
など
懐月堂常仙自画
『二子山』の署名 ☆ 享保十七年(1732)壬子
◯「日本古典籍総合目録」
(享保十七年刊)
◇俳諧
『倉の衆』露月編 湖十跋 万屋清兵衛板「享保十七中夏」(画像) (画)
懐月堂指水
英一蝶 白鳳雪岑[福王] 音雪 休真 青瓐 財峨 秀圃 など (句)露月 才牛 青瓐の句あり
懐月堂指水画
『倉の衆』の署名
〈指水、句を読むときは南燭堂、作画するときは懐月堂と称していたか。気になるのは指水・常仙ともに花押が同じである こと〉
『綾錦』沾涼編「享保壬子夏」自序「志村常仙」の句あり 内藤露沾公門人→水間沾徳門人→貴志沾洲門人→常仙 志村孤鶴汀
〈常仙の姓は志村。内藤露沾の門流で貴志沾洲の門人〉
☆ 享保十八年(1733)
◯「日本古典籍総合目録」
(享保十八年刊)
◇俳諧
〈常仙の作画はなし〉
『江戸名所』貞山編 享保十八年編 常仙の句あり 他に 青峨 湖十 超波など 『東のつと』鶴銭編 常仙の句あり 他に乾什 沾洲 湖十 青峨 超波など 『名物鹿子』露月編
常仙・南燭堂指水
の句あり 他に乾什 来川 湖十 超波など 謙亭の句に「長鶴画」
長鶴画
『名物鹿子』の署名
〈長鶴もまた懐月堂常仙・懐月堂指水画と同じ花押を使っている。元文元年刊『鳥山彦』の記事によれば、常仙と長鶴は父 子の由、してみると、指水は長鶴同様家族あるいは血族のひとりではなかろうか〉
☆ 享保十九年(1734) ◯『本朝世事談綺』〔大成Ⅱ〕⑫521(菊岡沾凉著・享保十九年刊) 〝浮世絵 江戸菱川吉兵衛と云人書はじむ。其後古山新九郎、此流を学ぶ。現在は懐月堂、奥村正信等な り。是を京都にては江戸絵と云〟
◯「早稲田大学 古典籍総合データベース」
(享保十九年刊)
『二重染 下』露月編 貞麻呂跋 升屋五郎右衞門板「享保庚寅六月」跋(画像) 常仙の句あり 他に湖十 莎雞 露月 ☆ 享保二十年(1735)
◯「日本古典籍総合目録」
(享保二十年)
◇俳諧
〈常仙の作画はなし〉
『誹諧句選』祇徳編 享保二十年春 「題宗祇」常仙の句あり 他に沾山 湖十などの句あり 『親うぐひす』沾洲編 享保二十年三月跋(写本画像) 常仙の句あり 他に壺月 乾什 沾洲などの句あり 『絵具皿』曲肱斎芦鶴編 享保二十年五月序(画像) 常仙の句あり 他に青瓐 青峩 乾汁 莎雞 才牛 訥子 財峩 指月 『続花摘』巽湖十撰 享保二十年上秋跋(画像) 常仙の句あり 他に青峩 訥子 沾洲 素丸 莎雞 才牛 乾汁 米仲 超波など 『かなあぶら(諸公画賛)』米仲(青瓐)画・編 享保二十年九月序(画像) 素堂 沾洲 逸志 常仙 乾什などの肖像あり(俳人)米仲 青峨 超波 莎雞 午寂 存義など 『俳諧玄々前集』雪明扆羊素編 享保二十年序 常仙の句あり 他に 乾什 存義 素丸など 『身ほとの笠』丈国 享保二十年跋 常仙の句あり 他に沾洲 乾什 存義など ☆ 元文元年(享保二十一年・1736)丙辰
◯「日本古典籍総合目録」
(享保二十一年)
◇俳諧
〈常仙の作画はなし〉
『歳旦(享保二十一丙辰正月)』常仙編 「
ゑんしゆ庵常仙
」素丸 沾洲 麦阿 湖十 常仙娘芳女など
〈「ゑんしゆ」は「槐」〉
『新句兄弟』天池斎魚貫編 常仙の句あり 他に 宗瑞 素丸 沾洲 祇徳 為邦 乾什 湖十など 『鳥山彦』 菊岡沾凉編 常仙の句あり 他に 乾什 百洲 尾谷 羊素
「常仙息 志村長鶴 享保廿一辰初夏披露 居同父ニ 神田明神下」
〈常仙と長鶴は父子。この四月、長鶴の宗匠披露あり〉
『三盃酢』 平砂編 元文丙辰九月序 常仙・長鶴の句あり 他に 湖十 麦阿 『雪月花』 湖鏡楼見竜編 元文元年序 常仙・長鶴の句あり 他に 乾什 沾洲 青峩 存義 米仲など 『毫の秋』 百庵編 元文元年序 常仙の句あり 他に 来川 超波 湖十 羊素 ☆ 元文二年(1737)丁巳
◯「日本古典籍総合目録」
(享保二十一年)
◇俳諧
『つきみがさき』立国編 丁巳年三月 平砂跋 常仙・長寉(鶴)の句あり 他に乾什 百洲 存義 超波 湖十 ☆ 元文三年(1738)戊午
◯「日本古典籍総合目録」
(元文三年)
◇俳諧
『卯月庭訓』露月編 戊午黄梅(五月)時節 午寂跋 沾澄の句に「常仙画」他に米仲 財峨 風和など
常仙画
『卯月庭訓』の署名 『俳諧合歓の花道』(沾徳十三回忌追善)沾山編 常仙の句あり ☆ 元文四年(1739)己未
◯「日本古典籍総合目録」
(元文四年)
◇俳諧
『跡農錦(あとのにしき)』露月編 序「元文四年長月中の四日 尊俳露沾居士 第七回忌(云々) (句)常仙 他に 玉沾 立圃 馬光 宗瑞 紀逸 財峩 など (画)音雪 橘沾 米仲 少長 風和
英一舟 東窗
など 『角文字』巽窓湖十編「英一蜂画」午寂己未春序 常仙の句あり 他に 老鼠など ☆ 元文五年(1740)己未
◯「日本古典籍総合目録」
(元文五年跋)
◇俳諧
『若俵』時々庵渭北編 元文五年仲冬跋 常仙・長鶴の句あり 他に 青峨 楼川 存義 乾什 ☆ 寛保元年(元文六年・1741)
◯「日本古典籍総合目録」
(寛保元年)
◇俳諧
『千々の秋』常仙編 青麦堂長鶴の寛保元年九月跋(句)他に 宗瑞 寥和 紀逸 暁雨 祇徳 ☆ 寛保二年(1742)
◯「日本古典籍総合目録」
(寛保二年)
◇俳諧
『玄湖集』吐糸編 寛保二年序 長鶴の句あり 『庭の巻』桃源上雪斎亀毛編 寛保二年正月刊 長鶴の句あり 他に乾什 楼川 ☆ 寛保三年(1743)
◯「日本古典籍総合目録」
(寛保三年刊)
◇俳諧
『藻塩袋』沾涼編 五之巻「星祭
志村長寉
」「不断桜
志村常仙
」共に沾涼の句解あり「寛保三癸亥正月」刊 『あしの角』貞鶴編 常仙・長鶴の句あり 他に 乾什 存義 米仲 楼川「寛保三癸亥春」序 (画工)「卯観子笠翁行年八十二図」「秋空画讃」 『置土産(沢村訥子送別句集)』常仙・長鶴の句あり 他に乾什 存義 米仲 湖十「寛保三歳十月」刊 『庭柏』三峡亭水巴編 常仙の句あり 他に 紀逸 露月 湖十など「寛保三癸亥孟冬」跋 『古すたれ』深巽窓湖十編(芭蕉五十回忌追善)常仙・長鶴 他に米仲 乾什 存義 紀逸 露月「寛保三年十月」刊 ☆ 延享二年(1745)乙丑
◯「日本古典籍総合目録」
(延享二年刊)
◇俳諧
『俳諧時津風』尾雨亭果然編 時々庵「延享二春三月」跋 指水の句に「七十翁画」「常仙」「
故長鶴
」他に紀逸 乾什 少長
〈長鶴は故人、寛保四年(延享元年)頃死亡か〉
『江戸二十歌仙』巽窓湖十等編「
七十翁 常仙
」句「延享丑の長月」跋 ☆ 延享四年(1747)
◯「日本古典籍総合目録」
(延享四年刊)
◇俳諧
『梅の牛』一浮斎盛永編「延享四年」序跋 常仙の句あり ☆ 寛延三年(1750)
◯「日本古典籍総合目録」
(寛延三年稿)
◇俳諧
『時津風(稿本)』丹鳳楼主人雨夕編 挿絵に「槐常仙七十四翁自画」の署名あり
〈上掲「懐月堂派と俳諧に関する一試論」による〉 〈「槐」の読みは「えんじゅ」享保二十一年の『歳旦』参照〉
☆ 宝暦元年(寛延四年・1751)辛未
◯「日本古典籍総合目録」
(寛延四年)
◇俳諧
『辛未歳旦』楼川編 見返「七十五翁 常仙」他に「指水」「青麦堂長鶴」の句あり
☆ 没後資料
◯『浮世絵類考追考』(山東京伝編・享和二年十月記・文政元年六月写)
(本ホームページ・Top「浮世絵類考」の項参照)
懐月堂
享保中人、世事談の内、姓名つばらならず。今おり/\その絵を見るに、懐月堂とのみあり ◯『耽奇漫録』下133(「耽奇会」第十一集・文政八年二月一日) (「古画美人十五幅」の項) 〝古画美人十五幅【今こゝにその落款のみを模写す】 日本戯画 懐月堂図之(印)〟
〈松羅館・西原梭江の出品〉
◯『増補浮世絵類考』
(ケンブリッジ本)
(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)
(( )は割註・〈 〉は書入れ・〔 〕は見せ消ち)
〝懐月堂 浅草諏訪町に居住す 俗称〈岡崎〉源七 号 安慶 〈曳尾庵云、我衣に、懐月堂末葉度秀〈イ慶秀か〉あり。月岑蔵懐 月堂末葉安知の女絵あり〉 宝永正徳の頃の人、世事談に見ゆ。姓名詳かならず。いまおほく其絵を見るに、懐月堂とのみあり(以 上類考ノ追考)〟
〈『無名翁随筆』(渓斎英泉著。別名『続浮世絵類考』)にはあった江島生島の記事を削除。江島は大奥の女中なので、 町名主・斎藤月岑はお上を憚って削除したのだろう〉
☆ 明治以降(1868~) ◯『近古浮世絵師小伝便覧』(谷口正太郎著・明治二十二年(1889)刊) 〝享保 懐月堂 享保の頃、紅彩色、一枚摺の絵を画て京阪諸国に出す、此を始めて江戸絵と称す〟 ◯『浮世絵師便覧』p213(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊) 〝懐月堂(クワイゲツドウ) 一説に名は安慶、俗称岡沢源七、宝永正徳頃の人、又花街浸(ママ漫)録に、元和中浅草に住ける人、御府 浮世画師の祖とあり、又古画備考には元禄より、少し古しといへり、何れか是なるを知らず、日本戯画、 懐月堂安度図之、又日本戯画、懐月堂末流度繁図など、落款せる美人画あり〟 ◯『新撰日本書画人名辞書』下 画家門(青蓋居士編 松栄堂 明治三十二年三月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
(146/218コマ)
〝懐月堂 姓氏詳(つまびらか)ならず 通称源七といふ 又安慶と号す 享保年間の人なり 浮世絵を能くして 世に名あり(扶桑画人伝)〟 ◯『日本帝国美術略史稿』(帝国博物館編 農商務省 明治三十四年(1901)七月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝第三章 徳川氏幕政時代 第三節 絵画 浮世絵派(167/225コマ) 懐月堂 正徳享保頃の人にして、江戸に住し、一種勇健なる線を以て美人画を作る。其の彩色模様亦単純にして 雅致あり。但図様は常に一人又は数人の美人にして変化を見ず。其の伝記は詳ならずして、落款には度 繁又は安知と記するを見る。別人とすれば着色等、度繁の方勝れたるが如し〟 ◯「懐月堂の流罪」兼子伴雨著(『錦絵』第十一号所収 大正七年二月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
懐月堂の流罪
兼子伴雨著 ◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)
(国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)
〝懐月堂 安度、度種、度辰、度秀、度茂共に之を称すれども、単に懐月堂と落款するは、安度なり〟 ◯『浮世絵師伝』p62(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝懐月堂 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】宝永~正徳 岡沢(一に岡崎とす)氏、名は安度(安慶とせるは誤)、俗称源七、別号を翰運子といふ、浅草諏訪町 に住す。画系未だ詳ならざれども、鳥居清信・奥村政信等の画風を参酌して、新たに一派を開きしもの ゝ如し。描く所の婦女の風俗によりて、作画年代は宝永乃至正徳年間を超えざるものなる事を知るに足 るべく、また彼は正徳四年春奥女中江島の一件に連座し、同年四月蔵前の豪商梅屋善六等と共に伊豆大 島に流謫されし由なれば、其の時を以て一旦作画を中止せしものと見るを得べし。 世に流布せる版画及び肉筆物中に、安知・度繁・度辰・度種・度秀等の落款を有し、いづれも「日本戯 画懐月末葉」の八手を冠したるものあり、画風の特徴、落款の書体等に類似の点多く、遊女のみ描きし 故、或は一人の懐月堂安度が、自家広告の爲に斯く別号を用ゐしものならむとの説あれども、恐らくは 然らず、乃ち一般に伝ふるが如く安度の門人なるべしと思はる。(口絵第八図参照)〟
〈『浮世絵師伝』は「歴史的仮名遣い」による表記のため、「懐月堂」は「カ」ではなく「ク」の項目に入っている〉
◯『浮世絵と板画の研究』(樋口二葉著・昭和六年七月~七年四月(1931~32)) ◇第一部「浮世絵の盛衰」「明和の彩色摺から錦絵の出るまで」p20 〝享保十七年板『近世百談』に「浮世絵は菱川師宣が書出し、現在は
懐月堂
、奥村政信等なり、富川吟雪 房信と云ふ人、丹絵の彩色を紅にて始めたるを珍らしく鮮かなりとて評判云々」とある〟
〈「日本古典籍総合目録」に『近世百談』は見当たらない〉
◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊) ◇「元和年間」(1615~24)p9 〝『花街漫録』下の巻に懐月堂安慶の画ける遊女の図を載せ、説明して、このうつし絵は寛文の頃、茗荷 屋奥州といへる遊女のすがたにて懐月堂といふ人の筆なりといひ、又懐月堂を註して、元和中浅草に住 ゐける人にて御府内浮世絵師のはじめなりいへり。 天童按ずるに懐月堂の伝諸説区々にして詳ならず。固より一人にあらずして代々懐月堂と称して、懐月 堂末葉などと署せる者さへあり、其内に安度・安慶など最も秀でたる者の如きも、『花街漫録』にいへ る如く、果して元和頃に懐月堂ありしや否やは疑あり。余は宝永・正徳頃の懐月堂の肉筆を見、下りて 享保の俳署に懐月堂と署せるを見たれども、元和頃に溯りての者は未だ見ず〟 ◇「正徳三年 癸巳」(1713)p69 〝六段本にて近藤清信と署せる挿画にて『源平両輪后』又懐月堂風の挿画にて『たるいおせん江戸物ぐる い』あり〟 ◇「享保八年 癸卯」(1723)p77 〝此年懐月堂歿せりといふ説あり〟 △『増訂浮世絵』p63(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊) 〝懐月堂流の版画 懐月堂流には版画が少い。始祖の安度は版画を作らなかつたが、その末葉を名乗る度繁、度辰、度秀、 安知等は版画を作つてゐる。その画の幅員は、後の版画より大きい。墨一色摺で、版画の効果を覘つた ものであり、その作は何れも優秀である。元来図様が単純で、表現の手法が簡素であるから、版画によ く適したのであらう。(中略)懐月堂流の特色たる太く強い線と、銀杏の葉を黒と白との対照によつて あらはした文様で、版画の効果を最もよくあらはしてゐる。要するに、懐月堂流の版画の特色は概ねか やうな風趣である。 なほこゝに注意すべきは、この流の版画は安度の直門のものゝみ作つたのであつて、この画系を引く他 の作家は皆肉筆画のみ作つて、版画に及んでゐない〟