◯『近世逸人画史』(無帛散人(岡田老樗軒)著・文政七年(1824)以前成稿・『日本画論大観』中)
〝赤猫斎 平安の人、名は全暇、画法光琳を宗とす、また自己の狂画絶妙なり〟
◯『古画備考』二十六「名画十四 自享保」中p1055(朝岡興禎編・嘉永四年三月廿八日起筆)
〝全暇 号赤猫斎、平安人、画法光琳と宗とす、又自己ノ狂画絶妙、逸人画史
全暇 古澗門人、正田五郎四郎、
游生百六十七歳、杉雨菴写、全暇
全暇画大黒、賛正親町公通卿【八月廿日、於日音院、展覧会、催主藐庵】
〔印章〕「破墨」(朱文長方印)「壽」(朱文丸印)〟
☆ 明治以降(1868~)
◯『浮世絵師便覧』p240(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝全暇(ゼンカ) 京師の人、赤猫斎、一説に鳥羽絵の祖、◯宝永〟
◯『浮世絵備考』(梅山塵山編・東陽堂・明治三十一年(1898)刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(23/103コマ)
〝正田全暇【宝永元~七年 1704-1710】
赤猫斎と号す、京都の人、戯画の妙手なり、世に此の人をもて、鳥羽絵中興の祖とす〟
◯『浮世絵師伝』p115(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝全暇
【生】 【歿】 【画系】鳥羽絵中興の祖 【作画期】
京都の人、正田氏、赤猫斎・皇都山人と号す。因みに『古画備考』に「佐野金藏、京に住し鳥羽絵をか
きはじむ、昌連門人」とあるは、何時頃の人なるや未詳〟
◯『浮世絵年表』p67(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)
「宝永年間」(1704~1711)
〝京都に赤猫斎全暇なる者ありて鳥羽絵を画く。(赤猫斎俗名佐野金蔵歟、昌運門人なりといへり)〟
△『増訂浮世絵』p71(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝京都の人、鳥羽絵をよくすといふ。宝永頃の人〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
作品数:1点
画号他:京全暇斎
分 類:俳諧絵巻1
成立年:宝永6年
〈一点は『俳諧六歌仙絵巻』(祇空詞書の絵巻)〉