Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ せんじ まつもと 松本 洗耳浮世絵師名一覧
〔? ~ 明治39年5月28日没・38歳〕
 ※「近代書誌・近代画像データベース」(国文学研究資料館)  ☆ 明治二十七年(1894)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治二十七年刊)    洗耳画『幼年立志編』挿絵 秀湖 桂舟 華仙 藻斎永洗 洗耳 丹陵 花舟 坂下亀太郎 博文館(2月)  ☆ 明治二十八年(1895)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治二十八年刊)    洗耳画『朝日桜』上巻 口絵・表紙 洗耳 弦斎居士 春陽堂(12月)〈2ページ大折込口絵・下巻口絵は華邨〉  ☆ 明治二十九年(1896)    ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治二十九年刊)    洗耳画    『侠芸者』挿絵・表紙 麗陽生洗耳 鈴木金輔 大川屋(上下 9月)〈2ページ大折込挿絵〉    『大悪僧』口絵・挿絵・表紙 洗耳 鈴木金輔 大川屋(11月)〈2ページ大折込口絵〉  ☆ 明治三十年(1897)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治三十年刊)    洗耳画『天保怪鼠伝』口絵・表紙 洗耳「麗陽」印 松林伯円 大川屋(上 9月)〈2ページ大折込口絵〉  ☆ 明治三十一年(1898)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治三十一年刊)    洗耳画『平賀武勇伝』口絵・表紙 洗耳 西尾麟慶 朗月堂(12月)  ◯『浮世絵備考』(梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年六月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(93/103コマ)   〝蓬斎春汀 章斎洗玉 洗耳【明治元年~三十年 1868-1898】    以上三人、富岡永洗の門弟〟  ◯『明治期美術展覧会出品目録』   (第五回 日本絵画協会展 明治三十一年十月開催 谷中初音町日本美術院)    松本洗耳 美人弾琴  ☆ 明治三十二年(1899)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治三十二年刊)    洗耳画    『梁川庄八義勇伝』口絵・表紙 洗耳 放牛舎桃湖 朗月堂(2月)    『大内十杉勇士伝』口絵・表紙 洗耳 邑井一   朗月堂(2月)    『磐若のお作』  口絵・表紙 洗耳 松林知山  朗月堂(12月)  ◯『明治期美術展覧会出品目録』   (第七回 日本絵画協会展 明治三十二年三月開催 於上野公園旧博覧会跡第五号館)    松本洗耳 幼稚園 一等褒状  ◯『東京専門書画大家一覧表』番付 東京(市橋安吉編集・出版 明治三十二年六月刊)   (東京文化財研究所・明治大正期書画家番付データベース)   〝詩文和歌書画篆刻 松本洗石(ママ) 糀丁区◎三番丁ノ三〟〈洗耳の誤植か。◎は判読できなかった文字〉  ☆ 明治三十三年(1900)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治三十三年刊)    洗耳画『曽我誉仇討』口絵・表紙 洗耳 伊東潮花 朗月堂(4月)(復讐文庫9)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治三十三年刊)    洗耳画    『染井一郎』 口絵・表紙 洗耳    無名氏  金槙堂 (5・6月)前後編(毎日新聞掲載)〈表紙のみ色摺〉    『江戸さくら』口絵・挿絵・表紙 洗耳 渡辺黙禅 金槙堂 (6月)前編(都新聞掲載)〈表紙のみ色摺。後編未見〉    『剃刀おきん』口絵・挿絵・表紙 洗耳 無名氏  金槙堂他(上 12月)(都新聞掲載「剃刀=アタリヤ」)  ☆ 明治三十四年(1901)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治三十四年刊)    洗耳画    『剃刀おきん』口絵・挿絵 洗耳    無名氏   金槙堂他(中 1月)(都新聞掲載、剃刀=アタリヤ」)    『決死の少年』口絵・表紙 洗耳    しのぶ   金槙堂 (前後編 2月)(報知新聞掲載)    『欝金しごき』口絵・挿絵 洗耳    伊原青々園 金槙堂 (上下 5・6月)(人民新聞掲載)    『真土村騒動』口絵・表紙 洗耳    無名氏   金槙堂 (後編 5月) (毎日新聞掲載)〈前編未見〉    『吹雪巴』  口絵・挿絵・表紙 洗耳 麗水    金槙堂 (8月)   ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治三十四年刊)    洗耳画    『剃刀おきん』口絵・挿絵 洗耳・表紙 鳳斎 無名氏  金槙堂(3編 3月)    『大福帳』  口絵・表紙「◎陽 洗耳[麗陽]」弦斎居士 春陽堂(5月)〈2ページ大折込口絵〉     〈◎は「麗」の字の下の「鹿」を省いた字、これで「麗」の略字としたか〉    『剃刀おきん』口絵・挿絵 洗耳・表紙 鳳斎 無名氏  金槙堂(4編 6月)  ☆ 明治三十五年(1902)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治三十五年刊)    洗耳画    『強盗士官』  口絵 中巻 洗耳 上下巻 未詳 伊原青々園 金槙堂(3・9・10月)〈2ページ大折込口絵〉    『為朝重太郎』 口絵・表紙 麗陽生洗耳     伊原青々園 駸々堂(4月)〈2ページ大折込口絵〉    『高木折右衛門』口絵 洗耳・表紙 鳳斎     神田伯麟  錦耕堂(5月)    『四ツ谷二人斬』口絵・表紙 洗耳        無名氏   島鮮堂(5月)    『後の為朝』  口絵・表紙 洗耳        伊原青々園 駸々堂(上巻 10月)〈下巻36年12月刊 2ページ大折込口絵〉  ☆ 明治三十六年(1903)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治三十六年刊)    洗耳画    『夫婦心中』 口絵・表紙 ◎陽生洗耳 向井藻浦 駸々堂(9月)〈2ページ大折込口絵〉    『恋が罪』  口絵・挿絵・表紙 洗耳 無名氏  金槙堂(前後編 11・12月)    『碇の五郎吉』口絵・表紙 洗耳    黙禅   金槙堂(前編12月)〈後編37年6月刊〉    『悪縁』   口絵 ◎陽生洗耳    奴之助  駸々堂(12月)(◎は「麗」から「鹿」と取った字)  ☆ 明治三十七年(1904)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治年刊)    洗耳画    『桜木芳雄』 口絵・表紙 洗耳?   安岡夢郷 金槙堂(1月)    『福村中佐』 口絵・表紙 洗耳 蝸堂 無名氏  金槙堂(後編 1月)〈前編前年36年12月刊〉    『智光坊』  口絵・表紙 洗耳    わかば  金槙堂(1月)    『碇の五郎吉』口絵・表紙 洗耳    黙禅   金槙堂(後編 6月)〈前編は明治36年12月刊〉    ☆ 明治三十九年(1906)(五月二十八日没・三十八歳)    ◯『東京掃苔録』(藤波和子著・昭和十五年(1840)四月序 八木書店 昭和48年版)   〝下谷区 覚性寺(池の端七軒町一二)日蓮宗    松本洗耳(画家)名経富 通称政吉。富岡永洗につき、新聞雑誌に挿画を描きて名あり。明治三十九年    五月二十八日没 年三十八。松風院麗陽軒洗耳日政居士〟  ☆ 没後資料  ◯『明治百話』「明治のいろ/\話」上p235(篠田鉱造著・原本昭和六年刊・底本1996年岩波文庫本)   〝待合オタコに絵具皿    (新橋の芸者屋三浦屋の記事、上略)     永濯一門は申すまでもない。永洗洗耳といった連中で、都新聞の挿画画家でした。永濯画伯はことに    絵馬の妙手で、堀の内に『加藤清正』と『日蓮虚空像』が献(アガ)っています。その門下の永洗君が洒    脱の人でした。市松模様が好きでした。この人は華村さんに道楽を仕込まれて、よく遊んだ人ですが、    芸妓は物を言わぬ妓(コ)という注文で、待合の女将(オカミ)もこれには閉口して、「唖の芸妓はありませ    んよ」とよく言っていました。芸妓に饒舌(シヤベ)られると、口が聞けない、世間話をしらないから、相    槌が打てない。世辞気のない、ムッツリの芸妓がいいという注文でした。性来酒を呑まない、シラフの    芸妓買い、コレには一番困るでしょう〟    ◯『こしかたの記』(鏑木清方著・原本昭和三十六年刊・底本昭和五十二年〔中公文庫〕)   「口絵華やかなりし頃(一)」p186   〝(「都新聞」では)昔「やまと新聞」に芳年と年方が並んで挿絵を画いたように、一面を永洗、三面を    弟子の洗耳が画いた。洗耳はこの新聞の初めて試みた探偵実話風なものに連続執筆をして、「蝮(マムシ)    のお政」「法衣(コロモ)屋お熊」「五寸釘寅吉」などで、暗に咲く悪の華の体臭を伝えるまでの描写を見    せた。この特色ある挿絵画家は惜しいことに盛り短く世を去った。その後井川洗崖が入社して、永洗歿    後長く「都」に挿絵を画いた「大菩薩峠」の机竜之介の放れ駒の紋どころが目に残る〟