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浮世絵文献資料館
浮世絵師総覧
☆ せいとく ぎおん 祇園 井特
浮世絵師名一覧
〔宝暦5年(1755) ~ 文化12年(1815)以降没〕
☆ 文化七年(1810)
◯「読本年表」
(文化七年刊)
祇山井特画
『茶店墨絵艸紙』浅山蘆洲画 栗杖亭鬼卵作 吉野屋仁兵衛板
〔国書DB〕
口絵「葛飾北斎画・法橋玉山・東都北川此麿・皇都祇山井特写・皇都有慶・皇都文敬画 蘭央筆・法橋周南画 東都一陽斎豊国画」
〈下掲井上和雄著『浮世絵師伝』には「文政十年版『墨絵草紙』」とあるが、〔国書DB〕の書誌によれば、刊年は文 化7年の由〉
☆ 享和三年(1803) ◯『摂陽奇観』巻四十三 浜松歌国編(『浪速叢書』第五 所収) 〝新町東口虎屋の看板に婦女の半身、洛祇園町
井特
画にて生るがごとし、其頃市中の噂に、右の画眼の玉 働(ママ)くといふ、其後所々に半身のおやま画流行す〟 ☆ 嘉永三年(1850) ◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」中p1416(朝岡興禎編・嘉永三年四月十七日起筆) 〝(補)
井特
、字伯立、風俗画ヲ能クス、京都人 [署名]「東山画奴井特寫」[印章]「(一字未詳)日伯立」(白文方印)「せいどく」(朱文)〟 ☆ 明治以降(1868~) ◯『近古浮世絵師小伝便覧』(谷口正太郎著・明治二十二年(1889)刊) 〝平安美人画師 上龍 真龍 せいとく 大空 其鳳 春貞〟
〈「せいとく」は祇園井徳〉
◯『時代品展覧会出品目録』第一~六 京都版(大沢敬之編 村上勘兵衛 明治二十八年(1895)六~九月)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〈「時代品展覧会」3月25日~7月17日 御苑内博覧会館〉
〝「第六」浮世画(305/310コマ) 一 天保年間風俗京美人図 一幅 井徳(ママ) 同上〟
〈井特〉
◯『浮世絵画集』第一~三輯(田中増蔵編 聚精堂 明治44年(1911)~大正2年(1913)刊) 「徳川時代婦人風俗及服飾器具展覧会」目録〔4月3日~4月30日 東京帝室博物館〕
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇『浮世絵画集』第二輯(明治四十五年(1912)五月刊) (絵師)井特(画題)「芸妓」(制作年代)文化文政頃(所蔵者)東京帝室博物館〟 ◇『浮世絵画集』第三輯(大正二年(1913)五月刊) 〝井特 「矢」 文化文政頃 男爵 都筑馨六〟 ◯『罹災美術品目録』(大正十二年九月一日の関東大地震に滅亡したる美術品の記録)
(国華倶楽部遍 吉川忠志 昭和八年八月刊)
祇園井特画
(◇は所蔵者)
◇小菅孝次郎「五美人花見図」二曲屏風 一隻 絹本極彩色
(尺八の画を一扇に貼し、一扇には紙本清水浜臣が「うつらふは花のならへとしりながら色にはそまぬ人そまれなる」 の歌書を張りたり)
◯『浮世絵師伝』p109(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝井特(セイトク) 【生】 【歿】 【画系】 【作画期】文政 京都祇園町南側に住し、淫薬、淫具類を鬻ぎて渡世したりき。一説に俗称を井筒屋特右衛門といひ、青 楼の主人なりしと、されど未だ確証あるには非ず、たゞ字を伯立と云ひし事は、印文によりて明かなり。 肉筆美人画及び秘戯図を能くし、画風円山派より出でしが如けれども、亦彼れ独特の筆致を有す、落款 には「皇都祇山井特写」、「東山画奴井特写」、「鴨川祇山井特写」などゝしたる例あり、こゝを以て 世人鴨川井特とも呼び做せり。文政十年版『墨絵草紙』に口絵を画きたれば、其の頃までは生存せしも の歟〟 △『増訂浮世絵』p194(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊) 〝祇園井特 京都の女を写して、特色のある表現をなし、頗る深刻味のあるものである。一種の写実描写で、半身に 相貌の写実をしたものもある。もとは円山派の画風から出たのであるが、それを自己の一流となしたも のである。版画は極めて稀であるが、肉筆画の作例は相当に多く遺存してゐる。肉筆画家として立つた ものである。伝ふる所によると、祇園の妓楼井筒屋の主人で、特右衛門といふたので、井特といふたの で、井特と署名したのであるといふ。字を伯立と称したことは、印文によつてわかる。 なほ好んで用ひた印に、不規則な楕円形の内に、平仮名で「せいとく」と書したものがある。落款には 「皇都祇山井特写」「鴨川東祇山井特写」「東山画奴井特写」などゝ記してゐる。この故に人呼んで、 祇園井特、鴨川井特などゝ称したといふことである。その製作期は寛政から文政年間に亘つてゐる。井 特は全く独特の画風を以てしたので、その画の後継者はいないやうである〟