☆ 文化六年(1809)
◯『洒落本大成』第二十五巻(文化六年刊)
清谷画『青楼千字文』署名「清谷画」〈解題、見返しを新調した後印本とする〉
☆ 没後資料
◯『浮世絵師伝』p109(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝清谷
【生】 【歿】 【画系】 【作画期】文化~文政
京都の人、茶楽斎と号す、合羽摺の役者絵あり、画風堀田春鳥などに近し〟
△『増訂浮世絵』p199(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝清谷
京都の画人であらう。半身大首の役者絵を画き、他の合羽摺の作家と、特色を異にするものがある。文
化文政の人であらう。恐らく茶楽斎と号した人と同一人であらうと黒田源次博士はいふておられる。長
秀が上品な絵を作るに対して、放漫洒脱な絵を作り、長秀の有楽斎の名に対立して茶楽斎といふたので
あらうと。穿ち得た説である。然しその絵をみると、半身大首で写楽に似た所がある。或は写楽斎に通
はせてゐるかも知れない〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
収録なし