☆ 文政九年(1826)
◯『洒落本大成』二十七巻
◇洒落本(文政九年刊)
歌川貞晴画『色深猍睡夢』奥付「歌川貞晴図」葦廼屋高振作
〈第五冊目、花笠文京の歌川貞晴改名披露の口上。※ 原文の「ムる」は「ござる」「升」は「ます」に改めた〉
〝高ふはござりますれど、御免のかふむりまして、是より口上をもつて申上ます。是に扣へましたるはお
江戸御ひいきの歌川国貞が門人歌川貞春と申まする者にござりまする。いまだ若輩にござりますれど、
絵の道至つて執心にござりまして、相改めまして五渡亭へ門入いたし、歌川の苗字をゆづられ、則五蕉
亭といふ号をおくりくれましたるやふにござります。私事も御当地へのぼり居りますれば貞春御引合せ
の口上を頼みまするゆへ、いまだうい/\敷私さし出がましく、いかゞと差ひかへましたれど、朋友の
中にても別懇の国貞が弟子に儀にござりますれば、貞春が改名の御披露を申上たてまつります。末々は
御取立を持まして、浮世絵師似顔画工の数にも入まするやう、何卒御贔屓のほどをお願に申上まする。
先は歌川貞春が御目見へ口上さやうに思召下されませふ
なには津の梅の莟のかうばしく 花笠文京
春のめぐみに名をやひらかん
御ひいきをたのもにすだく青蛙(アヲカハヅ) 歌川貞春
両手つくしの筆のとりぞめ〟
〈奥付は「江戸 歌川貞晴図」、口上での表記は「歌川貞春」。何か使い分ける理由があるのだろうか。『色深猍睡夢』
は文政九年の三月刊、そしてこの改名披露の口上は、ちょうど大坂に滞在していた花笠文京が述べたもので、同年の
正月のものである。そうすると、江戸に下って国貞門人となっていた貞春が、修行を終え五蕉亭の号を贈られて、大
坂に戻ったのは文政八年末のことか〉
☆ 没後資料
◯『浮世絵師伝』p75(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝貞晴
【生】 【歿】 【画系】 【作画期】文政
歌川を称す〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
作品数:1
画号他:歌川貞晴
分 類:洒落本1
成立年:文政9年
〈一点は、葦廼舎高振と柳園種春の合作『色深猍睡夢』〉