◯『増補浮世絵類考』(斎藤月岑編・天保十五年序)
(文政十一年八月記の「歌川総社中碑」に名を連ねる)
「豊国筆塚碑」〝国信社中 信徳 信房 信与喜 信貞〟〈「信徳」とあるが、信清の誤記か〉
◯『浮世絵備考』(梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年(1898)六月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(77/103コマ)
〝歌川信一 歌川信清 歌川信秀 歌川信与喜【天保元~十四年 1830-1843】
以上四人、歌川国信の門弟、其の伝詳ならず〟
◯『浮世絵師伝』p145(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝信清
【生】 【歿】 【画系】国信門人 【作画期】天保
歌川を称す〟
◯『浮世絵師歌川列伝』付録「歌川系図」(玉林晴朗編・昭和十六年(1941)刊)
「歌川系図」歌川国信門人 信清〟
△『増訂浮世絵』p262(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝歌川信清
一人立美人を六曲一双に六人画いたものがある。紙本極彩色で、泥絵具を以てし、地を藍墨色に塗り、
一種の画風をなすもので、泥絵の美人画として面白い。胡粉で瓢簞の内に雲澗と書し、朱で信清の二字
を角の内に書いてゐる。天保頃の風俗のもので、歌川流に属するものである〟