◯『狂歌人名辞書』p169(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)
〝磯野信春、通称大和屋由平、長崎の人、東都に出で浮世絵を英泉に学ぶ、傍ら狂歌を詠じて文斎万陀伎
と云ふ、晩年長崎に帰り書肆を営めり。(万陀伎を看よ)〟
◯『浮世絵師伝』p146(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝信春 磯野文斎の名〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
作品数:4
画号他:文斎万陀伎・磯野・信春・磯野信春・文斎
分 類:狂歌3・地誌1
成立年:文化13年跋(1点)
文政1・4年(2点)
弘化4年 (1点)
〈狂歌本三点のうち二点は魚屋北渓と合作、一点は文斎編・北渓画。北渓とは狂歌を通して親密な関係にあるようだ〉
(信春名の作品)
作品数:1
画号他:磯野信春
分 類:地誌1
成立年:弘化4年
〈地誌は『長崎土産』で磯野信春著・画とある〉
(文斎名の作品)
作品数:3
画号他:文斎・文斎万陀伎
分 類:狂歌3
成立年:文化13年跋(1点)
文政1・4年(2点)
〈文化十三年(1816)の跋をもつ『狂歌御国ふり』と文政四年(1821)刊の『狂歌長嬴集』は文斎の署名で作画。文政元
年(1818)の『狂歌鄙鴬集』は文斎万陀伎名で編者、作画は北渓が担当した〉