※①〔目録DB〕〔国書DB〕:「日本古典籍総合目録データベース」「国書データベース」〔国文学研究資料館〕
  ⑦〔狂歌書目〕:『狂歌書目集成』  ⑮〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』  
 ☆ 安永九年(1780)
 ◯「国書データベース」(安永九年刊)
  ◇歌舞伎 耳鳥斎画『絵本水や空』「浪華耳鳥斎(にてうさい)画〔耳鳥斎〕〔酒中仙〕篆刻印」
            八文字屋八左衛門板「安永九年霜月」
  参考『得手勝手』浪華散人魯仏序 安永九年春刊〔国書DB〕
   序に〝既に耳鳥斎が画扇に顕(あらはれ)たり〟〈安永九年以前に耳鳥斎の「画扇」なるものが出版されたらしい〉
 ☆ 天明二年(1782)
 ◯「絵本年表」(天明二年刊)
   耳鳥斎画
   『画話耳鳥斎』四巻 筆工作者 松屋平左衛門板 八文字屋八右衛門板 ⑮
   『歌系図』  一巻 浪華流石庵明積選 大野木市兵衛他板 ⑮
    法眼周圭 周峯画 銕笛道人 流光斎 かつら 秀隣斎 関月 嘯川法橋画 法橋白桃図 耳鳥斎
    慶子画  五岳写
 
 ☆ 天明三年(1783)
 ◯『洒落本大成』第十二巻(天明三年刊)
   耳鳥斎画『徒然睟か川』「浪華耳鳥斎写」睟川子(西村定雅)作
 
 ☆ 天明四年(1784)
 ◯「絵本年表」(天明四年刊)
   耳鳥斎画『万物角力合』五冊 耳鳥斎風画 和泉屋一兵衛板 ⑮
 
 ☆ 天明五年(1785)
 ◯「集古会」第六十回 明治三十九年(1906)十一月 於青柳亭(『集古会誌』丁未巻之一 明治40年4月刊)
  〝村田幸吉(出品者)耳鳥斎筆 鴻門会 横幅 一幅 款曰「于時天明五秋八月浪華西成耳鳥斎写」〟
 ☆ 天明六年(1786)
 ◯「国書データベース」(天明六年刊)
  ◇滑稽本 耳鳥斎画『つべこべ草(好言草)』盧橘庵作 平野屋半右衛門他板「天明六年正月」(画像)
    巻一「桃渓画」「〔宗信〕印」巻二「戯蝶庵南卜図」「慶子自画章」
    巻三「古柳斎」「鈴木秀隣画」巻四「春禽図」「〔師二〕印」
    巻五「耳鳥斎画」「みき女画」「白桃生題」
 
 ☆ 寛政三年(1791)
 ◯『音曲鼻けぬき』耳鳥斎著作 寛政九年版刊(宮武外骨出版「雅俗文庫」『歳時滅法戒』(明治44年刊)の「首書」)
  『浄瑠璃早合点』別書名『音曲鼻けぬき』太瓶楽居編 寛政三刊 〔国書DB〕
 ☆ 寛政五年(1792)
 ◯「絵本年表」(寛政五年刊)
   耳鳥斎画
   『軽筆鳥羽車』 三冊 耳鳥斎画 大野木市兵衛板 ⑮
   『鳥羽絵三国志』三冊 耳鳥斎画 ⑮(享保五年原版にして耳鳥斎の画にはあらざるべし)
 
 ☆ 寛政六年(1894)
 ◯「滑稽本年表」(寛政六年刊)
   耳鳥斎画『戯動大丈夫』「耳鳥図」浪花鉄格子作 ①
 ◯『虚実柳巷方言』上(香具屋主人著・寛政六年刊)
  (『浪速叢書』巻14「風俗」所収)
  〝粋株並名人株 名人   耳鳥斎
   諸芸諸道名人 がこう絵 耳鳥斎〟
 ☆ 寛政七年(1895)
 ◯「滑稽本年表」(寛政七年刊)
   耳鳥斎画『通者茶話太郎』「耳鳥図」浪華の野史鉄格子作 ①
 ☆ 寛政八年(1796)
 ◯『歌舞伎年表』⑤213(伊原敏郎著・昭和三十五年刊)
  (「寛政八年(1796)」の項。嵐小六の死亡記事(三月廿九日没・五十六歳)に続いて)
  〝小六が死についての耳鳥斎戯作の浄るりに「首々(嶋の内クビ信の事)といふ芸子になじみ、互いにお
   ろしおろされず、強欲くらべはなぜしたぞ」「赦すに赦されぬハ、千二百両の給金取、又その上に五月、
   六月、旅かせぎして大金取り、それでも足らぬといふ事ハ、存外の奢者」云々〟
 
 ☆ 寛政九年(1797)
 ◯「絵本年表」(寛政九年刊)
   耳鳥斎画
   『浄瑠璃早合点』一冊 耳鳥斎主人 太瓶楽居序 ⑮〈〔目録DB〕収録なし〉
   『過去物語』三巻 浪華耳鳥斎戯作并画 文隣軒序 綿屋善兵衛板 ⑮
   〈〔目録DB〕は『嵐小六過去物語』蝙蝠軒序とする〉
 ◯『【摂陽見聞】筆拍子』〔新燕石〕⑧263(浜松歌国編・成立年未詳)
  〝芙雀、眠子中違の事
   寛政九年八月十五日初日、北新地芝居「恋女房」差出し候所、嵐雛助、尾上新七中違にて初日一日にて
   相休、一座替りて、九月九日より同廿二日迄「恋女房」に切狂言「嫗山姥」相勤る。丸平より「天上天
   下貴縁千金」と自筆の幟を遣す。同廿三日より晦日迄、切狂言、
    寄源平実記【布引三の切/東鑑鶴岡】
   右狂言に、堂島かじ林より大幕遣す。耳鳥斎の画にて、雛助朝比奈の姿にて、新七と首引に勝たる図お
   かし〟
 
 ☆ 寛政十一年(1799)
 ◯『洒落本大成』第十八巻(寛政十一年刊)
   耳鳥斎画『野暮枝折』「耳鳥陳人題」「耳鳥斎画」若井時成作
 
 ☆ 享和三年(1803)
 ◯「絵本年表」(享和三年刊)
   耳鳥斎画
   『かつらかさね』一冊 耳鳥斎画 ⑮
   『歳時滅法戒』 一巻 耳鳥斎画 塩屋忠兵衛板 ⑮
   『耳鳥斎画譜』 一冊 耳鳥斎画 享和三序 ①
 
 ☆ 刊年未詳
 ◯「日本古典籍総合目録」(刊年未詳)
  ◇絵本・絵画
   耳鳥斎画『鳥羽画手本』二冊 耳鳥斎(注:絵本の研究による)
 
 ☆ 没後資料
 ☆ 文化二年(1805)
 ◯「絵本年表」(文化二年刊)
   耳鳥斎画『古鳥図画比』三冊 耳鳥斎筆 減窓撰 今津屋辰三郎他板 ⑮
    〈〔目録DB〕『絵本古鳥賀比』一冊・前田梅吉板・河内屋喜兵衛他板〉
 
 ☆ 文化十一年(1814)
 ◯『我おもしろ』〔江戸狂歌・第十巻〕平沢太寄編・蜀山人序(文化十一年)
  (手柄岡持(朋誠堂喜三二・文化十年没)の狂歌集)
  〝耳鳥斎か角力場を画し扇 
     勝すまひ客はなをやりつるか目と口はかり見ゆる見物
         (「花」と「鼻」の添え書き)〟
 
 ☆ 文化十四年(1817)
 ◯『浪花見物雑話』〔百花苑〕⑦31(著者未詳・文化十四年秋成立)
  〝耳鳥斎
   安永年中に、伏見堀に、松屋平三郎とて船碇り帆を渡世とす。此人、商賈の傍には絵を好みて、絵は鳥
   羽風を寄所として一家をなしたり。一代書残す絵本、
     画話耳鳥斎 水屋空 古鳥つかい  其余三五品有
   生得器用人にて浄瑠璃を能語る。素人浄瑠璃にては松平と呼。豆大の時分、北組二番目語り人也〟
   〈『水や空』安永九年(1780)刊『画話耳鳥斎』天明二年(1782)刊『絵本古鳥図賀比』文化二年(1805)刊〉
 
 ☆ 嘉永七年(1854)
 ◯『扶桑名画伝』写本(堀直格著 嘉永七年序)
  (国立国会図書館デジタルコレクション)
  ◇耳鳥斎([36]巻十之六 雑家 135/148コマ)
  〝二鳥斎 姓氏系伝ともにしられず 二鳥斎と号す 大坂の人
   「知己詩囊」初編地巻【画部十六左】云 関羽 二鳥斎【大坂】 〟 
   〈〔目録DB〕の書誌によると『知己詩囊』(如禅道人編)は、享和元年序と文政四年跋とを有する天地二巻本で、文政
    三年刊の由〉 
 ☆ 安政三年(1856)
 ◯『蒹葭堂雑録』〔大成Ⅰ〕⑭103(暁晴翁撰・安政三年序) 
  〝狂画師耳鳥斎は浪花の産にて、京町堀三丁目に住し、俗称松屋平三郎と云。其始酒造家なりしが、後骨
   董舗を業とす。狂画を得て世に名高し。就中俳優角觝の姿を画くに、あらぬ様にうつせども、その情態
   をよく模して頗る雅致なり。又滑稽の才ありて戯作をもなせり。義太夫浄瑠璃に達し、松平と称せらる。
   浪華一畸の人物といふべし〟
 ◯『京摂戯作者考』〔続燕石〕①228(木村黙老著・成立年未詳)
  (「浮世絵師」の項)
  〝耳鳥斎
   大坂の産にて、明和、安永年間の人、江戸堀に住せり、俗称松や平兵衛、骨董舗を業とす、狂画の達人
   にて、好んで、俳優、角觝の姿を画くに、あらぬ様にうつせども、其情態をよく模して、大に雅致あり、
   又滑稽の才ありて、戯作もなせり、義太夫のチヤリ浄瑠璃上手にて、松ゥ平ィと諸人称して用ひしゆえ、
   浄瑠璃の為に、その画名と滑稽の才名を覆はれしは、最おしむべし、其朋友なる摩迦羅菴幸録といふ人
   のものがたりなり(「銅脈先生」作の狂詩賛のある耳鳥斎画の模写あり)〟
   〈木村黙老は安政三年(1856)没〉
 ◯『雲錦随筆』〔大成Ⅰ〕③88(暁鐘成著・文久元年序)
  (赤穂義士に関する記事。模写あり)
  〝耳鳥齋筆 忠臣蔵画巻物摸〟
 
 ☆ 明治年間(1868~1911)
 ◯『新撰書画一覧』(伴源平編 赤志忠雅堂 明治十四年(1881)五月刊)
  (国立国会図書館デジタルコレクション)
  〝耳鳥斎 通称松屋平三、浪花ノ人、鳥羽僧正、僧古礀等ノ画風ヲ折衷シテ、自ラ戯画一家ヲ成ス、寛政
       中ニ没ス〟
 ◯『古今名家書画景況一覧』番付 大阪(広瀬藤助編 真部武助出版 明治二十一年(1888)一月刊)
  (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)
  ※( )はグループを代表する絵師。◎は判読できなかった文字
  〝雅俗遊戯錯雑序位混淆 
   (岩佐又兵衛) 小川破笠 友禅山人 浮世又平 雛屋立甫 俵屋宗理 耳鳥斎 英一蝶 鳥山名(ママ)燕
    縫箔師珉江〟
 ◯『古今名家新撰書画一覧』番付 大阪(吉川重俊編集・出版 明治二十二年(1889)二月刊)
  (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)
  ※( )はグループの左右筆頭
  〝雅俗遊戯
   (近松門左衛門)曲亭馬琴 浮世又平 式亭三馬 十返舎一九 太(ママ)田蜀山人 
    英一蝶斎   耳鳥斎  宿屋飯盛 市川白猿 浅草菴 暁鐘成(岩佐又兵衛)〟
 ◯『日本美術画家人名詳伝』上p55(樋口文山編・赤志忠雅堂・明治二十五年(1892)刊)
  〝耳鳥斎
   通称松屋平三郎、大坂ノ人、鳥羽僧正古礀等ノ画風ヲ折衷シテ、自ラ戯画ノ一家ヲ成ス、当時名声高シ
   寛政中ノ人(新撰書画一覧)〟
 ◯『浮世絵師便覧』p234(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
  〝耳鳥斎(ジテウサイ) 大坂の人、狂画をよくす、◯安永頃〟
 ◯『浮世絵師歌川列伝』「歌川国芳伝」p194(飯島虚心著・明治二十七年(1894)、新聞「小日本」に寄稿)
  〝耳鳥斎は安永年間の人なり。蒹葭堂雑録に、狂画師耳鳥斎は浪花の産にて、京町堀三丁目に住し、俗称
   松屋平三郎という。其始酒造家なりしが、後骨董舗を業とす。狂画を得て世に名高し、就中俳優角力の
   姿を画くに、あらぬさまを写せども、其情態をよく摸して、頗雅致あり。又滑稽の才ありて、戯作をも
   なせり。義太夫の道外浄るりに達し、松平と称せらる。浪華一畸の人物というべしとあり〟
 ◯『浮世絵備考』(梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年(1898)六月刊)
  (国立国会図書館デジタルコレクション)(35/103コマ)
  〝耳鳥斎【安永元年~九年 1772-1780】大阪の人にて狂画を善くせり〟
 ◯『新撰日本書画人名辞書』下 画家門(青蓋居士編 松栄堂 明治三十二年(1899)三月刊)
  (国立国会図書館デジタルコレクション)27/218コマ
  〝耳鳥斎
   通称を松屋平三郞といふ 大阪の人なり 此の人鳥羽僧正及び古澗和尚等の蹟を慕ひ 其の画風を折衷
   して戯画を描く 遂に之を以て一家を為し 名声当代に鳴る 寛政中の人なり(新撰書画一覧)〟
 ◯『浪華名家墓所記』(宮武外骨編 雅俗文庫 明治四十四年(1911)三月刊)
  〝耳鳥斎(画工)寛政五年(月日・享年・墓所記載なし)
   浪花の人、京町堀に住す、俗称松屋平三郞といふ、初酒造家、後骨董舗を業とす、鳥羽僧正、古澗の間
   を学びて狂画に達し大に雅致あり一家をなす、且滑稽の才ありて戯作をもなし、義太夫のちやり浄瑠璃
   の名人なり〟
 ◯「耳鳥斎略伝」宮武外骨著(雅俗文庫『歳時滅法戒』所収 明治四十四年三月刊)
  〝 狂画師耳鳥斎は浪花の産にて京町掘三丁目に住し、俗称松屋平三郎と云、其の始め酒造家なりしが後
   骨董舗を業とす、狂画を得て世に名高し、就中俳優角觝の姿を画くに、あらぬ様をうつせども其の情態
   をよく模して頗る雅致あり、又滑稽の才ありて戯作をもなせり、義太夫の道外浄瑠璃に達し松平と称せ
   らる、浪花の一畸の人物といふべし 安政三年暁鐘成著『蒹葭堂雑録』
   (外骨曰く) 
    同鐘成著の『浪華名家墓所集』附録には、右記事の外
    「鳥羽僧正 古澗の間を学んで狂画に達し 寛政五年卒す」とあり
    耳鳥斎 大阪の産にて明和安永年間の人、江戸掘に住せり、俗称松屋平兵衛 骨董舗を業とす、狂画
   の達人にて、好んで俳優角觝の姿を画くに、あらぬ様をうつせども、其の情態を燃して大に雅致あり、
   又滑稽の才ありて戯作もなせり、義太夫のチャリ浄瑠璃上手にて松平と諸人称して用ひしゆへ、浄瑠璃
   の為に、その書名と滑稽の才名を覆はれしは最もおしむべし、其の朋友なる◎迦雑葊幸録といふ人のも
   のがたりなり 安政頃 烏有山人著『京摂戯作者考』
   (外骨曰く) 
    『蒹葭堂雑録』には京町掘三丁目に住しとあり、『戯作者考』には江戸掘に住せりとあり、いづれが
    真なるやと云ひに、『鳥羽画手本』の画賛に「堂島或は江戸掘辺にて専ら用る画工耳鳥斎が宅は京町
    掘り難波橋北詰なれば、橋詰へちよと出しかけた扇の絵¥、北一まいにはやり始めた」とあり、難波
    橋北詰は京町掘三丁目なり、此方是なるべし、『画話耳鳥斎』の奥書には
       天明二年寅正月吉日   画工作者 大阪京町掘四丁目  松屋平太左衛門
                   平安書肆 京東洞院二條上ル町 八文字屋八左衛門作
    とあれど、此「平太左衛門」は出版書肆の八左衛門に似せたる「下手左衛門」の洒落にして、画作自
   自遜の意ならんか。
    又耳鳥斎が役者絵にて好評を得しことは『鳥羽画手本』の画賛に「当世の当り役者を当流の絵で当て
   たのもきつい当りじや」とあるにて知らる、又其の役者絵を扇に描きて販売せしことは、前記の「橋詰
   へちよと出しかけた扇の絵」といへると、同書の「梅枝に寄せて耳鳥斎を羨む」といふ文句に「浪花津
   に梅がへならで耳鳥斎、降る金銀を扇にて取る」といへるにて知らるゝなり〟
 ☆ 昭和年間(1926~1987)
 ◯「集古会」第百六十七回 昭和三年九月(『集古』戊辰第五号 昭和3年10月刊)
  〝浅田澱橋(出品者)耳鳥斎 蛸で天狗を釣る図 一幅〟
 ◯『狂歌人名辞書』p91(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)
  〝通称松屋平三郎、大坂の画家、鳥羽僧正の筆意を折衷して戯画を創む、又文才ありて戯作を為し、滑稽
   浄瑠璃の著あり、寛政五年歿す〟
 
 ◯『浮世絵師伝』p144(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
  〝耳鳥斎 【生】  【歿】享和二年(1802)頃  【画系】小柴隼人門人  【作画期】安政~寛政
   大阪の人、俗称松屋平三郎、京町堀三丁目に住し、初め酒造家なりしが、後ち骨董商となる。狂画に妙
   を得て、筆致甚だ雅趣あり、又滑稽の才ありて戯作をも能くし、義太夫の道外浄瑠璃に熟達したりしと
   云ふ。画く所のもの『絵本水也空』(安永九年版)・『画話耳鳥斎(ジチヨウサイ)』(天明二年版)・
   『嵐小六過去物語』(寛政九年版)・『歳時滅法戒』(享和三年版)・『絵本古鳥図加比』(文化二年
   版)其他数種あり。
   彼の歿年に就て『浪華名家墓所集』に「寛政五年卒す」とあれど、そは誤りにして、恐らくは享和二年
   又は同三年春頃なるべしと、宮武外骨氏の『此花』凋落号に考証されたり〟
 ◯『浮世絵師伝』p103(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
  〝耳鳥斎(ニの部にあり)〟
 ◯「集古会」第百八十四回 昭和七年一月(『集古』壬申第二号 昭和7年3月刊)
  〝三村清三郞(出品者)耳鳥斎画 船饅頭画扇 一柄 骨付〟
 ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)
  ◇「安永九年 庚子」(1780)p136
  〝十一月、大阪の耳鳥斎の『絵本水や空』出版〟
  ◇「天明二年(壬寅)」(1782)p138
  〝耳鳥斎の『画話耳鳥斎』出版〟
  ◇「天明三年(癸卯)」(1783)p139
  〝正月、耳鳥斎『徒然睟か川』出版〟
  ◇「天明六年 丙午」(1786)p143
  〝正月、桂宗信・耳鳥斎・瀬川慶子の挿画に成れる浮世読本『つべこべ草』出版〟
  ◇「寛政五年 癸丑」(1793)p155
  〝此年、耳鳥斎歿せりといふ。(耳鳥斎は大阪の人にして俗称松屋平三郎といひ劇道に通じ、又浄瑠璃を
   語るに堪能にして、家産を蕩尽してより骨董商となれり、絵はいはゆる鳥羽絵にして、長谷川光信の流
   を汲めるが如し)〟
  ◇「享和三年 癸亥」(1803)p169
  〝十一月、大阪の耳鳥斎の『かつらかさね』出版〟
 ◯『今は昔のこと』(三村竹清著「書物展望」5-2・昭和十年(1935)二月)
  (『三村竹清集三』日本書誌学大系23-(3)・青裳堂・昭和57年刊)
  ◇「長枕」
  〝(四日市にて、竹清、田南岳璋・青瓢子と連れだって)とある古道具屋に行きしに、『江戸繁盛記』の
   大揃、耳鳥斎がかきし夷三郞が大なる河豚釣りし図の幅などありて求めぬ〟
 △『増訂浮世絵』p193(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
  〝耳鳥斎
   本名は松屋平三郎、大坂の人で、酒造家であつたが、家産を蕩尽して、骨董商を営んだといふことであ
   る。漫画狂画をよくし、滑稽の才に富み、筆は極めて軽妙であり、粗画でよくその意を表はすに妙を得
   た。絵本類にその特技を発揮したものがある。浪華名家墓所集には、寛政五年に没すとあるけれども、
   享和年間の絵本のあるによるとその二三年頃まで生存してゐたのであらう〟 
 
 ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
   作品数:13点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)
   画号他:平三・耳鳥斎・松屋耳鳥斎・松平・松屋平三郎・松屋平太左衛門
   分 野:絵画(絵本・画譜)5・滑稽本2・洒落本1・俳諧1・歌舞伎1・風俗1・歌謡1
   成立年:安永9年(1点)天明2~3年(3点)寛政6・9・11年(4点)
       享和3年(3点)文化2年(1点)