◯『浮世絵師伝』(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
◇p52
〝国照
【生】文化五年(1808) 【歿】明治九年(1876)-六十九
【画系】初代豊国門人(初め国直に学ぶ)【作画期】文政~慶応
歌川を称す、山下氏、俗称彦三郎(一に惣右衛門)、下総古河藩士、浮世絵の傍ら文晁の風を学び、晩
庵・琴松と号せり〟
◇p143
〝直照 後に国照と改む。(国照の項参照)〟
◯『浮世絵師歌川列伝』付録「歌川系図」(玉林晴朗編・昭和十六年(1941)刊)
「歌川系図」〝豊国(一世)門人 国照〟
△『増訂浮世絵』p262(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝歌川国照
山下氏、下総古河の人、通称は彦五郎、初め古河藩の岡野梅老に学び、四君子、山水花鳥を画き、琴松、
東渓、晩庵等と号したが、後豊国に学び、名を直照と号し、後に香梅楼国照に改めた。肉筆画の風俗画
を善くし、版画を作らない。明治九年一月二十三日、六十三で没した。古河町大聖院に葬る〟
〈版画なしとする〉
〝直照
一楽斎直照画と署名した紙本美人の雪中の傘をさして下駄をはいて歩む図がある。歌川派の場人である〟
〈この一楽斎直照が、上記の国照の前名である直照と同人かどうか、分からない〉
◯「幕末明治の浮世絵師伝」『幕末明治の浮世絵師集成』p87(樋口弘著・昭和37年改訂増補版)
〝国照(くにてる)
歌川を称す。山下彦三郎。下総古河藩士、初代豊国の門人、浮世絵の傍ら文晁の風を学び、晩庵、琴松
と号した。幕末期に多少の浮世絵版画がある〟
〈版画ありとする〉