※①〔目録DB〕〔国書DB〕:「日本古典籍総合目録データベース」「国書データベース」〔国文学研究資料館〕
〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』
〔白倉〕 ;『絵入春画艶本目録』
『噺本大系』(武藤禎夫編)
☆ 文化八年(1811)
◯「艶本年表」〔白倉〕(文化八年刊)
有楽斎長秀画『洛東風流姿競』墨摺 半紙本 一冊 文化八年頃
☆ 文化十四年(1817)
◯「読本年表」(文化十四年刊)
中邑長秀画『竹の伏見』「画図 花洛 中邑長秀」佐藤魚丸著 天満屋安兵衛他板 ①
☆ 文政四年(1821)
◯「咄本年表」(文政四年刊)
中邑長秀画『新噺臍西国』長秀画 ①
☆ 文政六年(1823)
◯「絵暦年表」(本HP・Top)(文政六年)
⑧「長秀画」Ⅱ-3「美人画と大黒天」(千両箱上で「花魁絵」を掲げる大黒天)綿喜板
「未の新板 おごりでござるだいどころ」
〈この12文字のうち濁点の字が2・4・5・6・8・10に位置し小の月を表す。奇妙なのは左手に団扇をもっ〉
ているかに見える女の図。団扇を男の後頭部とみれば、小袖の模様も別々だし膝頭が出ているよ
うにも見える。ここには男女二人が居るのではないか〉
☆ 文政八年(1825)
◯「読本年表」(文政八年刊)
有楽斎長秀画『鬼神退治平均録』「有楽斎長秀画」岡本要人重信編 麩屋源右衛門他板 ①
(奥付「文政八年乙酉金秋日再板出来」)
◯「日本古典籍総合目録」(文政八年刊)
◇往来物
中邑長秀画『人道二十四ケ条掟書』一冊 長秀画 荒井玉泉堂作
☆ 文政九年(1826)
◯『噺本大系』巻十五「所収書目解題」(文政九年刊)
有楽斎長秀画『落噺顋懸鎖』奥付「花洛 有楽斎画」和来山人作 山城屋板
☆ 天保元年(文政十三年・1830)
◯『噺本大系』巻十五「所収書目解題」(文政十三年刊)
有楽斎長秀画『噺栗毛』奥付「有楽斎長秀画」都喜蝶作 伏見屋板
〈奥付「有楽斎長秀画」に続く瓢箪図の中に「うらく」とあり。「有楽」の読みである〉
◯「日本古典籍総合目録」(天保元年刊)
◇分類なし
中邑長秀画『御影道の粧』二冊 長秀画
◯「天下随一之御奇瑞」(お陰参り)
「長秀画」「文政十三年庚寅五月新刻 書林 京なはて古門前 叶屋喜太郎」
(早稲田大学・古典籍総合データベース 馬琴旧蔵「受通流茂鴛鴦別集」所収)
☆ 天保二年(1831)
◯「日本古典籍総合目録」(天保二年刊)
◇地誌
中邑長秀画『京都順覧記』三冊 中村有楽画 池田東籬亭編 竹原好兵衛板
☆ 天保八年(1837)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(天保八年刊)
歌川長秀画『花魁莟八總』後編 二冊 長秀画 山田案山子作 菱屋治兵衛板
☆ 刊年未詳
◯「双六年表」〔本HP・Top〕(刊年未詳)
有楽斎長秀画
「新板商売往来諸職大宝会飛廻双六」「有楽斎長秀画」平井清兵衛 ⑤ 京都
(しょしょく の にぎわい とびまわり)
「新版日本名所名物飛廻双六」「有楽斎長秀画」板元未詳 ⑧ 墨摺
「大新板釜淵双級巴飛廻双六」「長秀画」 板元未詳 ⑧
「新板無辺山嘉留多廻大双六」「長秀画」 金屋新兵衛 ②⑤ 京都
(むべやま かるた)
「ちらし書恋文章飛廻双六」 有楽斎長秀 越後屋吉次郎 ② 京都
(「卯之年新板」)〈卯年:安政2年・慶応3年〉
「新板八陳守護城飛廻双六」 「長秀画」 美濃屋平兵衛 ②
「七之勢上戸飛廻双六」 「長秀画」 板元未詳 ⑧ 墨摺
「一谷嫩軍記飛廻双六」 「長秀画」 美濃屋平兵衛 ⑧ 墨摺
(「辰の年大新板」)
◯「日本古典籍総合目録」(刊年未詳)
◇絵本・絵画
中邑長秀画『忠孝貞女鑑』一冊 長秀画
☆ 没後資料
◯『日本美術画家人名詳伝』補遺(樋口文山編 赤志忠雅堂 明治二十七年(1894)一月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝有楽斎長秀 安永頃の草双紙役者絵を画く〟
◯『浮世絵備考』(梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年(1898)六月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(33/103コマ)
〝有楽斎長秀【明和元~八年 1764-1771】其の伝詳ならず、俳優の似顔絵、草双紙を画けり〟
◯『浮世絵師伝』p142(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝長秀
【生】 【歿】 【画系】 【作画期】文化~弘化
京都の人、中村氏、名は有慎、有楽斎と号す、合羽摺彩色の細絵にて「祇園神輿洗ねり物姿」及び「大
阪新町ねり物姿」と題する美人画を数多描き、また京阪の役者舞台姿を画きたるもの甚だ多し。黒田源
次氏著『上方絵一覧』に拠れば、彼は合羽摺絵の作品の数に於て、京阪の第一人者なりと云ふ。尚ほ同
書に引用せる天保初年頃の一枚摺『浪華画人名家案内』に「版行下主之部」として「ほり江旅宿、京、
有楽斎長秀」と載せたる由。然るに、文政七年版の『浪華商人買物独案内』には「京都祇園 浮世絵師、
太左衛門橋北話北入、ならや伊八」と云へる者あり、或は長秀と同一人ならむやも知れず。いづれにし
ても、彼が当時京阪に著名なる版画家の一人なりし事は明かなり、而して其が別号を有楽斎と云ひしは、
恐らく彼が住所の祇園のほとり、織田有楽斎が遺邸の近傍なりしに因みしものなるべし〟
◯「集古会」第百八十六回 昭和七年五月(『集古』壬申第四号 昭和7年9月刊)
〝出口斎吉 伊勢(出品者)
有楽斎長秀画 おかげ道噺栗毛 袋付 一冊 京 都喜蝶作 文政十三年四月板〟
△『増訂浮世絵』p199(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝長秀
中村氏、有楽斎と号す。普通に長秀画と署名してゐるが、有楽之図として、下に長秀の印を押したもの
がある。合羽摺の役者絵を多く作り、又祇園神輿洗ねり物姿、大坂しん町ねり物姿等の揃物で、美人画
を多く作つてゐる。極めて多作の人で、合羽摺の作者として、第一人者である。また錦絵の作もある。
従つて作画期も長く、文化の初めから、天保弘化の頃に及んでゐる。挿図にした役者絵嵐吉三郎の猿廻
によつて、合羽摺の作風を知ることを得、上方絵に於ては優秀なる人である〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
作品数:19点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)
画号他:中邑長秀・有楽斎・有楽斎長秀・中村有楽・中村有楽斎・長秀
分 類:咄本11・読本2・地図2・地誌1・祭祀1
成立年:文化14年 (1点)
文政4・8~9・13年(4点)
天保2・7年 (2点)
『噺栗毛』咄本・都喜蝶作・東籬亭主人校・有楽斎長秀画・文政十三年刊
〈上記『噺栗毛』は「蓬左尾崎」本にある「記載著者名」だが、なぜかこの画工名・長秀が統一書名『噺栗毛』には
載っていない。したがって上掲の「作品数」にこの『噺栗毛』は入っていない〉