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☆ もろしげ ふるやま 古山 師重浮世絵師名一覧
〔生没年未詳〕
 ※〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』 〔目録DB〕;「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔白倉〕  :『絵入春画艶本目録』  ☆ 寛文年間(1661~1672)    ◯「艶本年表」〔目録DB〕(寛文年間刊)    古山師重画『春雨草紙』一冊 古山師重画 明暦・寛文頃(注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    ☆ 延宝六年(1678)     ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(延宝六年刊)    古山師重画『女かゝみ』大本二巻 有疑 古山師重     ☆ 貞享三年(1686)     ◯『好色本目録』柳亭種彦著(『新群書類従』巻七・p165)   〝好色江戸紫 半紙本五冊 作者石川氏 中に画人古山師重の名あり。    〔補註〕葩雪曰、巻尾に、貞享三年 八月吉日とあり〟    〈作者「石川氏」は石川流宣〉     ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(貞享三年刊)   ◇咄本    古山師重画『鹿農まきふで』半紙本 五巻 古山師重画 鹿野武左衛門            元禄七年にいたりて絶版せらる     ◯『初期浮世草子年表』(野間光辰著・昭和五十九年(1984)刊)   ◇浮世草子   『【新板】好色江戸むらさき』本紙本 五冊 貞享三年(1686)三月刊     奥付「作者石川氏」 画工 古山師重画     〈作者は石川流宣〉     ◯『噺本大系』第五巻(武藤禎夫、岡雅彦編・東京堂出版・昭和五〇年刊)   ◇咄本(貞享三年刊)    古山師重画『鹿の巻筆』     刊記「貞享三年丙寅二月吉日 作者 鹿野武左衛門作 絵師 古山太郎兵衛 江戸道油町 南青物町開板」     序に「大和絵師古山師重、ふうりうのゑそらごと」とあり    ◯「艶本年表」〔白倉〕(貞享三年刊)    古山師重画    『好色江戸むらさき』墨摺 半紙本 五冊「古山師重画」石川流宣作・板 貞享三年     (白倉注「本書と流宣の自画作という『好色俗むらさき』(元禄十一年・1698)とはどういう関係か、師重が関係してい      るかどうかは判らない。いずれも浮世草子」)    『はるさめごと』  墨摺 大本 一冊 貞享三年     ☆ 元禄二年(1689)     ◯『江戸図鑑綱目』乾(石川流宣俊之編作・元禄二年(1689)刊)   〝廿五 浮世絵師       橘 町  菱川吉兵衛師宣       同 所  同 吉左衞門師房    廿六 板木下絵師       長谷川町 古山太郎兵衛師重       浅 草  石川伊左衞門俊之       通油町  杦村治兵衛正高       橘 町  菱川作之丞師永〟    〈『石川流宣画作集』吉田幸一編・近世文芸資料24・古典文庫刊。「板木下絵師」は板下絵師と同義であろう。それに     しても、現在なら浮世絵師として一括するものを、編者石川流宣はなぜ浮世絵師と板木下絵師とに分けたのであろう     か〉     ☆ 元禄四年(1691)     ◯「日本古典籍総合目録」(元禄四年刊)   ◇浮世草子    古山師重画『好色染下地』五巻五冊 古山師重画 立羽不角作     ☆ 元禄五年(1692)     ◯『万買物調方記』(『諸国買物調方記』所収。花咲一男編・渡辺書店 昭和47年刊)   (別書名『買物調方三合集覧』・元禄五年刊)   〝京ニテ  当世絵書     丸太町西洞院  古 又兵衛     四条通御たびの後  半兵衛    江戸ニテ 浮世絵師     橘町 菱川 吉兵衛        同 吉左衛門        同 太郎兵衛〟    〈京都では浮世絵師と呼ばず、当世絵書と称したようである。「古」は故人の意味であろう。この又兵衛を山東京伝は     浮世絵又兵衛と呼び、斎藤月岑は当世又兵衛と呼んでいる。(本HP「浮世絵又兵衛」及び「当世又兵衛」参照)。     また半兵衛の方は斎藤月岑が吉田半兵衛かとする。(本HP「吉田半兵衛」参照)江戸の浮世絵師では菱川吉兵衛が     師宣、吉左衛門が師房、太郎兵衛が師重〉     ☆ 元禄七年(1694)     ◯『筆禍史』「鹿の巻筆」(元禄七年・1694)p35(宮武外骨著・明治四十四年刊)   〝此の書は落語家鹿野武左衛門の著作にして古山師重の挿画あり。貞享三年出版なりしが、其九年後即ち    元禄七年に至り、版木焼棄の上、著者武左衛門は伊豆の大島に流刑となりしなり。其事件の顛末は諸書    旧記に散見するところなれども、関根正直氏の記されたる『落語源流談』及び『徳川政府出版法規抄録』       には、諸記を総括して簡明に記述しあり、乃ち左の如し     元禄六年四月下旬、或所の馬もの語りしには、本年ソロリコロリと呼べる悪疫流行す、之を除けんに     は南天の実と梅干を煎じて呑めよと、且「病除の方書」とて一小冊を発兌せし者あり、奇を好むは人     情の習、一犬虚を吠え万犬が実を伝えて、江戸の人々大に驚怖し、南天の実と梅干を買ふほどに、其     価常よりも二十倍し、唯此事のみかまびすく(*「かまびすしく」の誤記か)、世業の手につかず、     これに依て六月十八日、月番の町奉行能勢出雲守より布告に曰く      一、頃日馬物言候由申触候、個様の儀申出し不届に候、何者申出候や、一町切に順々話し次者先々      段々書上げべく候、初めて申出候者有之候はゞ何方の馬物言候や書付致し早々可申出、殊に薬の方      組迄申触候由、何れの医書に有之候や、一町切に人別探偵書付可差出候、隠し置候はゞ曲事たるべ      く候間、有体に可申出もの也     斯く厳重に触しかば、各町に於て探索せしに、此事の起りは、俳優見習の齋藤甚五兵衛といふ者、堺     町市村座にて市川団十郎の乗りし馬となりしに、甚五兵衛贔屓の者見物に来りしかば、甚五兵衛馬の     まゝにて応答せりといふ落語を、当時の落語家鹿野武左衛門といへる者作りて、鹿の巻筆と名(づ)     けし書に筆しに基き、神田須田町八百屋総右衛門并に浪人筑紫園右衛門申し合せ付会の説をなし、梅     干呪方の書物等を以て、金銀を欺き取りし事ども露顕せしかば、関係の数人入牢の末、翌元禄七年三     月、筑紫園右衛門は首謀なれば、江戸中引廻しの上斬罪となり、八百屋総右衛門は流罪のところ牢死     せり、落語家武左衛門は右の妖言及び詐欺一件に毫も関係あるにあらねど、畢竟するに、妖言の種と     なるべき、由なし事を版行し、それがため人心を狂惑せしめし科によりて、同年三月二十六日、伊豆     の大島へ流され、板木元弥吉といへるは追放となり、刻板は焼捨となる、武左衛門は大島にて六ヶ年     謫居せしが、元禄十二年四月赦免になりて江戸に帰れり、然れども身体疲労のため同年八月歿す、歳     五十一    予が曩日『鹿の巻筆』全部を翻刻発行せし時、其例言中にも右の顛末を摘記し、且つ最後に左の如き評    言を附せり     詐欺漢が落語本を見て、奸策を案出したりと云ひしとて、其奸策に何等の関係なき滑稽落語の作者及     び版元をも罰するは、古来法典の一原則とせる「遠因は罰せず」と云ふに背反したる愚盲の苛虐と云     ふべきなり
  〔頭注〕馬がものいふ物語    『鹿の巻筆』にある馬がものいふ落語といへるは、左の如き事なり       堺町馬の顔見せ     市村芝居へ去る霜月いり出る齋藤甚五兵衛といふ役者、前方は米がしにて刻煙草売なり、とつと軽口     器量もよき男なれば、とかく役者よかるべしと人もいふ我も思ふなれば、竹之丞太夫元へつてを頼み     出けり、明日より顔見せに出るといふて、米がしの若き者共頼み申けるは、初めてなるに、何卒花を     出して下されかしと頼みける、目をかけし人々二三十人言合てせいろう四十、また一間の台に唐辛を     積みて上に三尺程の造り物のたこ載せ、甚五兵衛殿へとはり紙して芝居の前に積みけるぞおびたゞし、     甚五兵衛大きに喜び、さて/\おそらくは伊藤庄太夫とわたくし花が一番なり、とてもの事に見物に     御出と申ければ、大勢見物にまいりける、されども初めての役者なれば、人らしき芸はならず、切狂     言の馬になりて、それも頭は働くなれば、尻の方になり、かの馬出るより此馬が甚五兵衛といふほど     に、芝居一とうに、いよ馬殿/\と暫くは鳴も静まらずほめけり、甚五兵衛すこ/\ともならずおも     ひ、いゝん/\と云ながら舞台中を跳ね廻つたといふ一笑語なり、これにて流刑六年とは、時代の罪     ともいへず、実に気の毒の事なりける〟
    『鹿の巻筆』「馬がものいふ落語」 鹿野武左衛門作・古山師重画     (早稲田大学図書館・古典籍総合データベース)     ☆ 元禄八年(1695)     ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(元禄八年刊)    菱川師重画    『役者絵尽し』四巻 大和絵師 菱川某師重図 刊年不明 元禄八年以前ナリト云フ(稀書複製会本)    ◯『初期浮世草子年表』(野間光辰著・昭和五十九年(1984)刊)   ◇浮世草子   『好色旅枕』横本 一冊 元禄八年(1695)三月刊     序 「武江錦城下 踊鴬軒好色軒在原業平自序」     奥付「元禄八年亥三月中旬 大和絵師古山太郎兵衛」     版元 江戸利兵衛板     (「年表」は序者踊鴬軒を石川流宣、画工古山太郎兵衛を師重、また本書を「貞享板『好色旅枕』の      江戸板とする)     ◯「日本古典籍総合目録」(元禄八年刊)   ◇浮世草子    古山師重画『好色旅枕』古山師重画 踊鴬軒(石川流宣)作    ◯「艶本年表」〔白倉〕(元禄八年刊)    古山師重画    『好色旅枕』墨摺 横小本 一冊「大和絵師古山太郎兵衛」利兵衛板 元禄八年          踊鴬軒好色軒在原業平(石川流宣)自序     (白倉注「『好色旅枕』(吉田半兵衛画・作)京都板の江戸板。江戸板の作者は石川流宣」)      ☆ 元禄年間刊(1688~1703)      ◯『好色本目録』柳亭種彦著(『新群書類従』巻七・p165)   〝八助飛烏川    未見ども好色本なるよしは、『弁疑書目録』及び元禄五の『書日』に見えたり、『弁疑』には一冊物、    『日録』には二冊とあり〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は、古山師重画・元禄年間の刊行とする〉     ◯『増訂武江年表』1p105(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「元禄年間記事」)   〝浮世絵師 橘町菱川吉兵衛、同吉左衛門、古山太郎兵衛、石川伊左衛門、杉村治兵衛、石川流宣、鳥井    (ママ)清信、菱川作之条〟    〈「太郎兵衛」が師重〉     ◯「艶本年表」〔目録DB〕(元禄年間刊)    古山師重画『はるさめこと』一帖 古山太郎兵衛画(注記「日本艶本目録(未定稿)による」)     ◯「日本古典籍総合目録」(元禄年間刊)   ◇浮世草子    古山師重画『八助飛鳥川』一冊 古山師重画   ◇演劇絵画    古山師重画『役者絵尽し』三冊 古山師重画    ☆ 刊年未詳    ◯「日本古典籍総合目録」(刊年未詳)   ◇演劇絵本    古山師重画『四座役者絵尽』一冊 菱川師重画     ☆ 没後資料     ◯『浮世草子考証年表-宝永以降』(長谷川強著・昭和五十九年(1984)刊)   ◇浮世草子   『江戸紫』半紙本 五巻五冊 推定石川流宣作 正徳六年(1716)正月刊     刊記「正徳六甲申年正月吉日 武州芝神明前 山田屋三四郎版行」     画工 古山師重画     (「年表」は「貞享三年八月刊『好色江戸紫』の改題本」とする)     ◯『浮世絵考証(浮世絵類考)』〔南畝〕⑱439(寛政十二年(1800)五月以前記)   〝元禄二巳年板の江戸図鑑に、浮世絵師  長谷川丁 古山太郎兵衛師重〟    (上掲元禄二年の項参照)     ◯『古今大和絵浮世絵始系』(笹屋邦教編・寛政十二年五月写)    (本ホームページ・Top「浮世絵類考」の項参照)
   「菱川系図」     ◯『浮世絵類考追考』(山東京伝編・享和二年(1802)十月記・文政元年六月写)    (本ホームページ・Top「浮世絵類考」の項参照)
   「菱川系図」     ◯『骨董集 上編上中巻』〔大成Ⅰ〕⑮376(山東京伝著・文化十年(1813)序)   (「臙脂絵売(べにゑうり)」の考証)   〝板行の一枚絵は延宝天和の比始れる歟。朝比奈と鬼の首引土佐浄瑠璃の絵、鼠の嫁入の絵の類なり。芝    居の絵は坊主小兵衛をゑがけるなど、其始なるべし。当時は丹緑青などにてまだらに彩色したり。菱川    師宣、古山師重等これを画けり〟    ◯『無名翁随筆』〔燕石〕(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年(1833)成立)   ◇「菱川師宣」の項「菱川氏系図」師宣門人 ③281
   「菱川師宣系譜」      〝古山太郎兵衛師重【江戸長谷川町ニ住ス 元禄ノ人 図鑑ニ見ユ、三合集覧ニ、菱川太郎兵衛トアリ、    古山ハ本姓ナルベシ】〟    〈「図鑑」「三合集覧」とは、それぞれ次項にいう『江戸図鑑』と『買物調方三合集覧』〉
  ◇③282・3   〝元禄二巳年板江戸図鑑に    浮世絵師【長谷川町】 古山太郎兵衛師重〟
〝元禄五年板買物調方集覧【横切本一冊】    江戸浮世絵師菱川吉兵衛 同吉左衛門 同太郎兵衛〟     ◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)
   「菱川師宣系譜」(師宣門人)     〝古山太郎兵衛師重 江戸長谷川町住ス 元禄中ノ人ニシテ江戸図鑑ニ見ユ 三合集覧ニ菱川太郎兵衛ト    有リ 古山ハ本姓ナルベシ〟     ◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」中p1376(朝岡興禎編・嘉永三年(1850)四月十七日起筆)   〝古山師重 【師宣門人、太郎兵衛、元禄二年江戸図鑑、住長谷川町、三合集覧ニ、菱川太郎兵衛トアリ、          後又改メシナリ、貞享三年印本、鹿の巻筆五冊、鹿野武左衛門撰に、菱川門人、古山師重          をかく図あり、問屋の所あり、番頭居所低し、大福帳かけてあり】    (師重)門人       師政 【享保中人、米沢町住、古山新九郎、称文志、江市屋表屋】      此人ニ至テ、菱川ノ画風を失フ、世事談ニ出      寛保頃、市川海老蔵、其外似顔書出始、銘人〟     ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪179(竜田舎秋錦編・慶応四年(1868)成立)
   「菱川師宣系譜」(師宣門人)     〝古山太良兵衛師重【三合集覧ニ、菱川太郎兵衛トアリ。古山ハ本姓ナルベシ】〟    ☆ 明治以降(1868~)     ☆ 明治十七年(1884)  ◯『扶桑画人伝』巻之四(古筆了仲編 阪昌員・明治十七年八月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝師重    古山氏、名ハ師宣、通称ハ太郎兵衛ト云フ。画法ヲ師宣ニ学ブ、元禄年中ノ人ナリ。江戸長谷川町ニ住    セリ。明治十六年迄凡百九十六年〟  ☆ 明治二十一年(1888)  ◯『古今名家書画景況一覧』番付 大阪(広瀬藤助編 真部武助出版 明治二十一年一月刊)   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   ※( )はグループを代表する絵師。◎は判読できなかった文字   (番付冒頭に「無論時代 不判優劣」とあり)   〝大日本絵師     (西川祐信)勝川春章 菱川師房  西村重長 鈴木春信  勝川春好 竹原春朝 菱川友房 古山師重     宮川春水 勝川薪水 石川豊信  窪俊満    (葛飾北斎 川枝豊信 角田国貞  歌川豊広 五渡亭国政 菱川師永 古山師政 倉橋豊国 北川歌麿     勝川春水 宮川長春 磯田湖龍斎 富川房信    (菱川師宣)〟  ☆ 明治二十二年(1889)  ◯『古今名家新撰書画一覧』番付 大阪(吉川重俊編集・出版 明治二十二年二月刊)   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   ※( )はグループの左右筆頭   〝日本絵師    (葛飾北斎)西川祐信 勝川春章 菱川師房 西村重長 鈴木春信 川枝豊信  角田国貞 勝川春好     竹原春朝 歌川豊広 倉橋豊国 石川豊信 勝川薪水 古山師重 五渡亭国政 菱川師永(菱川師宣)  ◯『近古浮世絵師小伝便覧』(谷口正太郎著・明治二十二年刊)   〝宝永 古山師重    通称太郎兵衛、師宣を師として浮世絵を学び、其筆する所、師に粗々相似たり、男新九郎師政、父に嗣    ぎて画く〟  ☆ 明治二十五年(1892)    ◯『日本美術画家人名詳伝』下p365(樋口文山編・赤志忠雅堂・明治二十五年刊)   〝古山師重    通称太郎兵衛、画法ヲ菱川師宣ニ学ンデ、大和絵ヲ能クス、元禄年間ノ人、江戸長谷川町ニ住ス(画類    考)〟  ☆ 明治二十六年(1893)    ◯『古代浮世絵買入必携』p14(酒井松之助編・明治二十六年刊)   〝古山師重    本名 太郎兵衛  号〔空欄〕   師匠の名〔空欄〕   年代 凡百八九十年迄    女絵髪の結ひ方 第三図・第四図 (国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)    絵の種類 漆絵、一枚絵、絵本、肉筆    備考  〔空欄〕〟     ◯『浮世絵師便覧』p238(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年刊)   〝師重(シゲ) 古山氏、俗称太郎兵衛、師宣門人、◯元禄〟  ☆ 明治三十二年(1899)     ◯『新撰日本書画人名辞書』下(画家門 青蓋居士編 松栄堂 明治三十二年三月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(163/218コマ)   〝古山師重    通称太郎兵衛といふ 江戸長谷川町に住せり 菱川師宣に師事して 浮世絵を工(たくみ)にす 元禄年    中の人なり(扶桑画人伝 浮世絵類考)〟  ◯『浮世画人伝』p8(関根黙庵著・明治三十二年五月刊)
     「菱川師宣系譜」〝師重 本姓古山太郎兵衛、元禄中の人、江戸長谷川町に住す〟  ☆ 明治四十二年(1909)  ◯『菱川師宣画譜』(宮武外骨編 雅俗文庫 明治四十二年七月刊)   (『浮世絵鑑』第一巻所収・国立国会図書館デジタルコレクション)    △は他書の引用文 〔~〕は引用元    古山師重(42/50コマ)   〝△師宣の門人なり 俗称太郎兵衛といふ 江戸長谷川町に住す 元禄年中の人 三合集覧に菱川太郎    兵衛とあれども 古山は本姓なり 四座役者絵尽 吉原源氏〔浮世絵師系伝〕    △古山師重は師宣逸足の門人にして 出板に於ても頗る多作に 元禄年間師宣の死して後、最も力め    て菱川風を鼓吹したり〔板画考〕    △師宣の門人中 其技芸最も勝れたるは 師重なりしものゝ如し 師重本姓は古山 通称太郎兵衛に    して画名には師家の姓菱川を冒せり 元禄二年版の江戸図鑑綱目にも其名を録せり 当時世に聞こえ    たりし事を知るに足る〔浮世絵派画集〕   (編者(宮武外骨)曰く)師重画の版本は多かるべしと思へども 前記『四座役者絵尽』の外 編者の所    有又は実見せしものは左の五種なり 前記の『吉原源氏』とは『吉原源氏五十四君』のことなるべし     鹿野巻筆   大本五冊 貞享三年版  好色江戸紫  中本五冊 貞享三年版     吉原源氏五十四君 一冊 貞享四年版  はるさめこと 大本一冊 刊年不詳     八助飛鳥川  中本一冊 刊年不詳    右の中『鹿野巻筆』の著者鹿野武左衛門は 該記事に付詐欺漢のため奇禍を得て 元禄七年伊豆大島    に流謫せられたれども 画者師重は無事なりしなり      女かゝ見  大本二冊 延宝六年版  いくさ論 中本一冊 刊年不詳     武道色八景(二の巻のみ実見)      右の三種も師重の画ならんと思はるれど断言し難師〟    〈〔目録DB〕は『はるさめごと』・『八助飛鳥川』の刊年を元禄頃・元禄年間とし、『武道色八景』の画工を鳥居     清信として宝永二年序ありとする。『女かゝ見』『いくさ論』は未詳〉  ◯『罹災美術品目録』(大正十二年九月一日の関東大地震に滅亡したる美術品の記録)   (国華倶楽部遍 吉川忠志 昭和八年八月刊)   ◇小林亮一所蔵 古山師重「伽羅留図」〈小林文七嗣子〉  ☆ 昭和以降(1926~)     ◯『狂歌人名辞書』p234(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝菱川師重、通称古山太郎兵衛、師宜の高弟にて江戸長谷川町に住す、貞享元禄年間の人〟     ◯『浮世絵師伝』p196(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝師重     【生】  【歿】  【画系】師宣門人  【作画期】貞享~元禄    菱川を称す、古山氏、俗称太郎兵衛、長谷川町に居りしを以て長谷川太郎兵衛とも称す。挿画する所    『鹿の巻筆』(貞享三年版)・『好色江戸紫』(貞享三年版)・『吉原源氏五十四君』(貞享四年版)・    『役者絵づくし』(元禄版)其他にも尚ほあるべし。彼は、版下絵の外に肉筆美人画の作もあり、其の    技倆は師宜門下中に於て最も出色の者たり〟
    菱川派系譜     ◯『浮世絵年表』p71(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   「正徳年間」(1711~1716)   〝此頃古山師重歿す。(俗称太郎兵衛、菱川師宣の門人にして始め菱川姓を冒せるも、後本姓古山と称せ    り。門人に同姓師政。)〟    ◯『増訂浮世絵』p31(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)   〝古山師重    (菱川師宣)門人中でも最も優れて居るのは古山師重である。古山は本氏で太郎兵衛と称し、初めは菱    川を名乗って居たが、後には落款にも古山師重或は古山太郎兵衛師重と署名して居る。要するに菱川の    流ではあるけれども、自分は既に一流を立て古山を称したのである。その門下にも古山を名乗って居る    ものがあるのを見れば、菱川から別れた一流と見るべきである。師重は実に師宣門中の俊才で、この人    の力によつて師宣の歿後菱川の流風が世に行はれたといふべきである〟    〈古山師重の門人として次の三人を挙げる〉   〝古山師政・古山師胤(菱川ともいふ)・師継〟     ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔古山師重画版本〕    作品数:12点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)    画号他:菱川・太郎兵衛・菱川師重・古山師重・古山太郎兵衛    分 類:浮世草子5・咄本1・艶本2・演劇絵画1・演劇絵本1・和歌1    成立年:明暦・寛文頃(1点)        貞享3年  (2点)        元禄4・8年(3点)(元禄年間合計7点)        正徳6年  (1点)    〈明暦漢文頃とあるのは艶本『春雨草紙』。演劇絵画は『役者絵尽し』(元禄頃)。演劇絵本は『四座役者絵尽』(成     立年記載なし)〉   (菱川師重名の作品)    作品数:1    画号他:菱川師重    分 類:演劇絵本    成立年:記載なし    〈『四座役者絵尽』菱川師重画〉   (古山太郎兵衛名の作品)    作品数:1    画号他:古山太郎兵衛    分 類:艶本1    成立年:元禄頃    〈『はるさめこと』古山太郎兵衛画〉