Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ またへい とさの 土佐 又平浮世絵師名一覧
〔未詳〕
 ☆ 文政八年(1825)  ◯ 文政八年五月三日 屋代弘賢宛(『馬琴書翰集成』第六巻・書翰番号-附12)⑥191   〝「屋代氏より、今朝古画美女の図三幅、箱書付ニ土佐又平画とあるを、使を以て被差越、此三幅御一覧    可被下候。とても又平よりはおくれ可申候。如此帯はゞ広きは、いつ頃よりの事に候や、示教希候と申    来り候に付、右の使またせ置、あらまし返書申遣す事左の通り」〟    〈屋代弘賢が土佐又平画の箱書を有する三幅を遣わして、又平より後の作ではないかと疑問を呈し、また幅広帯が使わ     れた時代を考証して欲しいと、馬琴に依頼したのである。この質問は(第六巻・書翰番号-来35)⑥253にもある〉       〝(返書・前略)図は天正中の京師の遊女にて、筆者は天正後にても可有之候。三幅の内、蔦模様有之方、    出来よろしく見え申候〟    〈この土佐又平画については『兎園小説別集』「帯被考」(『新燕石十種』第六巻所収)にもあり、そこには〝げに又     平が筆にはあらず。さばれ、画中の人物は天正中の妓女なるべく、画者は天正後にやあらん〟としている。また幅広     帯と見えたのは実は帯ではなく「帯被(オビカケ)」というものであると考証している。ところで、この土佐又平の箱書     付き「古画美女の図」三幅は現存するのであろうか〉    ◯『著作堂雑記』250/275(曲亭馬琴・文政八年(1825)五月三日記)   〝屋代氏より、今朝古画美女の図三幅、箱書付に土佐又平画とあるを、使を以て被差越、此三幅御一覧可    被下候、とても又平よりはおくれ可申候、如此帯はゞ広きはいつ頃よりの事に候や、示教希候と申来り    候に付、右の使またせ置、あらまし返書申遣す事左の通如仰箱書付はあてになり不申候得ども、図は天    正中の人物にて、慶長已来に画きしものにや、よろしき画とは見え不申候へども、土佐の筆意は少しづ    ゝ有之様に思ひ候、是は天正中の遊女歟、市井の婦人の図なるべく候、この頃かやうに幅広き帯あるべ    きやうなし、是は真の帯にては無之、帯ばさみにて可有之候、むあしは婦人出行の節、帯ばさみといふ    ものを致し候よし及承候、此帯ばさみは、紅染の布或は染絹など、人の好みにまかせ、二尺あまりに切    りて、一幅のまゝ帯のうへより、右の脇にて結びし由に御座候、これは古代の鞸の遺製にて可有之候、    鞸の和名ウハモ也、此鞸より今の前だれは出来しと申節あれ共、愚案は鞸より帯ばさみとなり、帯ばさ    みより今の前だれになり候哉と存候、今も佐渡越後の村落の婦人、他行の節は、紅染の木綿を二尺あま    りに切たるを三つに折、帯にはさみ候よし、只今は田舎といへ共帯の幅広き故、かくるに不及、依之折    り候てはさみ候よし、田舎者律儀なるもの故に、古風も遺り候、帯ばさみの図説は、所蔵いたし候得ど    も、只今急にとり出しかね候、ゆる/\尋出候はゞ、御目にかけ可申候、かゝればこの画の帯はからく    み紐などにて可有之候得ども、帯ばさみにて、真の帯は見えぬなり、又遊女のすり箔を着る事、うたが    ひあれども、遊女にすり箔禁制は、慶長已来の事故、その事なしとは云ひがたく候、かゝれば、図は天    正中の京師の遊女にて、筆者は天正後にても可有之候、三幅の内蔦模様有之方、出来よろしく見え申候、    愚案これにのみ不限候ことも、御使またせ即時に認候故、つくしがたく奉存候、早々已上、五月三日    かくのごとく申遣したり、但帯ばさみは、本名帯かけなるべし【文政八年乙酉仲夏初三】〟    〈幕府の表右筆・屋代弘賢が土佐又平画の箱書を持つ美人画三幅を馬琴のもとに送り、そこに画かれている幅広帯の時     代考証を依頼したのである。馬琴の見立ては「図は天正中の京師の遊女にて、筆者は天正後にても可有之候」という     ものであった。この土佐又平画については『兎園小説別集』「帯被考」(『新燕石十種』第六巻所収)にもあり、そ     こには〝げに又平が筆にはあらず。さばれ、画中の人物は天正中の妓女なるべく、画者は天正後にやあらん〟として     いる。また幅広帯と見えたのは実は帯ではなく「帯被(オビカケ)」というものであると考証している。下掲参照〉    ◯『兎園小説別集』〔新燕石〕⑥311(滝沢解(馬琴)編・文政八年五月四日記)   (「帯被考」の項目)   〝一日、輪池翁(屋代弘賢)、古画の美人三幅を予(馬琴)によせて、問て云、この箱書付には、土佐又    平とあれども、その時代より猶すこしおくれたるものなるべし、しかるに、画図の美婦人の帯のはゞ甚    広し、抑婦人の帯の幅の、かくのごとく広くなりしは、いつ頃よりの事なるや、聞まほし、といはれた    り、予、このこころを得てその画を観るに、げに又平が筆にはあらず。さばれ、画中の人物は天正中の    妓女なるべく、画者は天正後にやあらん〟  ☆ 明治十四年(1881)  ◯『第二回観古美術会出品目録』(竜池会編 有隣堂 明治14年刊)   (第二回 観古美術会 5月1日~6月30日 浅草海禅寺)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇第四号(明治十四年五月序)   〝土佐又平筆 六枚(出品者)高橋為勝〟