※①〔目録DB〕〔国書DB〕:「日本古典籍総合目録データベース」「国書データベース」〔国文学研究資料館〕
⑩〔中本型読本〕 :「中本型読本書目年表稿」 ⑬〔人情本〕:『人情本事典』
〔早大・古典籍DB〕:「古典藉総合データベース」
☆ 文政八年(1825)乙酉
◯「人情本年表」(文政八年刊)
菱川政信画『契情肝粒志』初編 菱川政信画 鼻山人作 ⑬
〈〔目録DB〕は渓斎英泉画とする〉
☆ 文政九年(1826)丙戌
◯「人情本年表」(文政九年刊)
陽斎信丸画『契情肝粒志』三編下 陽斎信丸画 鼻山人作 ⑬
☆ 文政十年(1827)丁亥
◯「人情本年表」〔人情本〕(文政十年刊)
菱川政信画
『傾城胸中極秘伝』三冊 菱川政信画 鼻山人作 〔目録DB〕〈〔人情本〕になし〉
『契情肝粒志』 四五編「目白亭菱川政信画」鼻山人作〔早大・古典籍DB〕
『珍説豹之巻』 前後編 菱川政信画 鼻山人作 〔人情本〕
署名「三うら 菱川政信画〔◯に「信」〕印」〔目録DB画像〕
☆ 文政十一年(1828)
◯「読本年表」(文政十一年刊)
菱川政信画
『圓席竒聞武陵埜夜話』菱川政信画 南仙樵作 ⑩〈書誌による〉
『金言録』 「画工師 菱川政信」東里山人作 中村屋幸蔵他板 ①〈東里山人は鼻山人〉
☆ 文政十二年(1829)
◯「日本古典籍総合目録」(文政十二年刊)
◇滑稽本
菱川政信画『巨慶三笑』三冊 菱川政信画 文東陳人(昇亭岐山)作 長門屋嘉七板
☆ 文政年間(1818~1829)
◯「日本古典籍総合目録」(文政年間刊)
◇人情本
菱川政信画『傾城腹の巻』菱川政信画 東里山人作
☆ 天保五年(1834)
◯「日本古典籍総合目録」(天保五年刊)
◇人情本
菱川政信画『古今妙塵記』政信・国平・貞秀画 鼻山人作
☆ 没後資料
◯『菱川師宣画譜』(宮武外骨編 雅俗文庫 明治四十二年(1909)七月刊)
(『浮世絵鑑』第一巻所収・国立国会図書館デジタルコレクション)
△は他書の引用文 〔~〕は引用元
菱川政信(44/50コマ)
〝△師宣の門人なり 字は守節 よく師の画風を似せたり〔浮世絵師系伝〕
(編者(宮武外骨)曰く)文政頃の浮世絵師にも同氏名の菱川政信あり、鼻山人の著はせる『珍説豹の巻』
等の挿画を描けり〟
〈『珍説豹之巻』は文政十年刊の人情本。画工の署名「三うら 菱川政信画〔◯に「信」〕印」〉
◯『浮世絵』第十五号 (酒井庄吉編 浮世絵社 大正五年(1916)八月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇「偽の菱川氏」宮武外骨(18/26)
〝 菱川政信
文政九年発行、東里山人著作の人情本『傾城胸中極秘伝』及び同十年発行の同作『珍説豹の巻』の挿絵
者として「江戸画工師菱川政信」(印文は「信」の一字)と書してある、画祖師宣の門人に菱川政信(字
(あざな)は主節)があるに、其氏名をソツクリ名乗るのは何故であるか、甚だ曖昧の者と云はねばなら
ぬ〟
◯『浮世絵師伝』p187(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝政信
【生】 【歿】 【画系】 【作画期】文政~天保
菱川を称す、三浦氏、初め信丸といふ。文政十一年版『傾城豹の巻』(東里山人作)の挿画に「信丸改
菱川政信」とせるもの即ち是れなり。其後天保年間の筆と思はるゝ或る肖像画(肉筆)に「従四位下土
佐守光貞葉、菱川政信謹画」と落款せり、蓋し同一人なるべし〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
作品数:9点
画号他:菱川政信・まさのぶ
分 類:人情本5・黄表紙1・洒落本1・読本1・滑稽本1
成立年:文政8~12年(7点)
天保1・5年 (2点)