Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ くにつな うたがわ 歌川 国綱浮世絵師名一覧
〔生没年未詳〕
   ☆ 文政十一年(1828)    ◯『増補浮世絵類考』(斎藤月岑編・天保十五年序)
   「豊国筆塚碑」(豊国初代門人? 文政十一年八月記の「歌川総社中碑」に名を連ねる)    ☆ 天保十五年(1844)    ◯『増補浮世絵類考』(斎藤月岑編・天保十五年序)
   「一雄斎国貞系譜」〝(国貞門人)国綱 一草斎〟    〈初代豊国門人の国綱は初代か。また初代国貞(三代豊国)門人の国綱は二代目か。なお二代国綱は二代国輝とされる〉    ◯『筆禍史』「当代全盛高名附」(嘉永六年・1853)p160(宮武外骨著・明治四十四年刊)   〝吉原細見に擬して、当時名高き江戸市内の儒者和学者俳諧師狂歌師等をはじめ諸芸人に至るまで数百人    名を列配し、其名の上に娼妓の如き位印を附けたる一小冊なり、末尾に「嘉永六年癸丑之義、玉屋面四    郎蔵板」とあり    これは吉原の細見に擬して、嘉永六年に出版した『当代全盛高名附』の一葉を原版のまゝ模刻したので    ある、曲亭馬琴、山東京伝、式亭三馬、柳亭種彦、初代歌川豊国、葛飾北斎、渓斎英泉等の如き大家没    後の文壇が、如何に寂寞たりしかを知るに足るであろう。    因みにいふ、右『当代全盛高名附』の作者及び版元は、吉原細見の版元より故障を申込まれ「細見株を    持てる我々に無断で、細見まがひの書冊を出版するとは、不埒至極である」との厳談を受け、結局あや    まり証文を入れて、書冊は絶版とする事で、漸く示談が附いたとの伝説がある、今日は他人の出版物に    擬した滑稽的の著作は勿論、其正真物に似せたイカサマ物を出版しても、咎められない事になつて居る    が、旧幕時代には右の伝説の如き事実があつたらしい(此花)        【吾妻】錦   浮世屋画工部     豊国 にかほ     国芳 むしや   国貞  国麿  かむろ     広重 めいしよ  国盛  清重   やく者     清満 かんばん  国綱  芳員   にがを     春亭 花てふ   芳宗  芳雪   むしや     貞秀 つうらん  芳艶  広近   めい処     国輝 むしや   清亢  春徳   けしき     芳虎       芳藤  春草   をんな               芳玉  房種   草そうし              直政  芳豊   うちわゑ                       かわりゑ                       すごろく                       かんばん                      やりて                        ◎◎〟      〈「日本古典籍総合目録」はこの『当代全盛高名附』の統一書名を『江戸細撰記』としている〉
   『当代全盛高名附』〔『筆禍史』所収〕     ☆ 没後資料    ◯『浮世絵師伝』p51(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝国綱    【生】  【歿】  【画系】初代豊国門人 【作画期】文政    歌川を称す〟    ◯『浮世絵師歌川列伝』付録「歌川系図」(玉林晴朗編・昭和十六年(1941)刊)
   「歌川系図」〝豊国(一世)門人 国綱〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔歌川国綱画版本〕    作品数:17点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)    画号他:一蘭斎・国綱・一蘭斎国綱・歌川国綱〈一蘭斎は二代目国綱の号〉    分 類:合巻14・人情本1・歌舞伎1    成立年:安政2・4~7年(7点)        万延2年    (1点)        文久1・3年  (3点)(文久年間合計4点)        慶応1~3年  (3点)        〈文久年間以降の国綱は二代目と思われる〉