☆ 文化十四年(1817)
◯「合巻年表」(文化十四年刊)
初代歌川国重画『福徳三助妬心話』「豊国門人喜舞改歌川国重画」古今亭三鳥作 西宮新板〔国書DB〕
〈喜舞から国重への改名は文化十三年頃と考えられる〉
「豊国門人喜舞改歌川国重画」『福徳三助妬心話』巻末(国書データベース)
☆ 没後資料
◯『浮世絵師便覧』p221(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝国重(シゲ)歌川、◯喜斎と号す、一世豊国門人、◯文化〟
◯『浮世絵備考』(梅山塵山編・東陽堂・明治三十一年(1898)刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(60/103コマ)
〝歌川国重【文化元~十四年 1804-1817】喜斎と号す、初代豊国の門弟、其の伝詳ならず〟
◯『浮世絵師伝』p50(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝国重
【生】 【歿】 【画系】初代豊国門人 【作画期】文化~文政
歌川を称す〟
☆ 昭和以降(1926~)
◯「梅ヶ枝漫録(一)」伊川梅子(『江戸時代文化』第一巻第六号 昭和二年七月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝私の祖母は、初代の後妻だつたらうと思ひます。直次郎とかいふ息子があつた由ですが、放蕩のため行
方が知れないといふ話がありますが、母は何とも申しませんでしたから、知りません。「豊重」と云つ
てゐますが、国虎などは「国重」と云つてゐました〟
〈伊川梅子は初代豊国の孫〉
◯『浮世絵師歌川列伝』付録「歌川系図」(玉林晴朗編・昭和十六年(1941)刊)
「歌川系図」〝豊国(一世)門人 国重〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
作品数:2点
画号他:歌川国重
分 類:浮世絵1・合巻1
成立年:文化14年(1点)
「浮世絵」「江戸名所・両国橋眺望料理屋」
「合巻」『福徳三助妬心話』古今亭三鳥作