☆ 明治十九年(1886)頃
◯『明治東京逸聞史』②p182「羽子板」明治三十八年(1905)(森銑三著・昭和44年(1969)刊)
〝羽子板〈東京朝日新聞三八・一二・二五〉
「羽子板の市況」という記事を載せているが、羽子板の押絵にも、時代の変遷がある。明治十六七年ま
では、押絵も平たく板に附いたのが喜ばれたが、十九年頃から次第に変って、盛上ったのが歓迎せられ
るようになった。顔絵師も、国周が去って、周政(後に国延)となったなどとしてある。国周、周延等
の浮世絵師は、錦絵の外に、羽子板の顔をも画いたのである〟