Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ くにまろ うたがわ 歌川 国麿 二代浮世絵師名一覧
〔生没年未詳〕
 別称 一円斎二世 菊武 俗称 横山近二  ☆ 明治初期    ◯「おもちゃ絵年表」〔本HP・Top〕    歌川国麿画「志ん板ばけものよめいり」「国麿」板元未詳 明治初期 ⑥    〈⑥の解説は二代国麿とする〉  ☆ 明治十四年(1881)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治十四年刊)    国麿画〈五丁仕立、見開き絵に短文、定価一銭五厘〉    『化物嫁入咄』挿絵・表紙「国麿画」宮田伊助編集・出版(9月)  ☆ 明治十六年(1883)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治十六年刊)    国麿画〈五~六丁仕立、見開き絵に短文、定価一銭〉    『浦島一代記』  挿絵・表紙 国麿 島村吉松編集・出版(8月)    『白井権八一代記』挿絵・表紙 国麿 島村吉松編集・出版(9月)    『頼光一代記』  挿絵・表紙 国麿 島村吉松編集・出版(10月)    『八犬伝』    挿絵・表紙 国麿 島村吉松編集・出版(10月)  ☆ 明治十七年(1884)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治十七年刊)    国麿画〈島村版は六丁仕立、見開き絵に短文、定価一銭〉    『なぞつくし』  挿絵・表紙 国麿 島村吉松編・出版(1月)     (10/4コマ「歌川国麻呂染近(うたかわくにまろよも)」)〈「染近」の判読およびルビの「よも」心許なし〉    『えんむすび』  挿絵・表紙 国麿 島村吉松編・出版(3月)    『仮名手本忠臣蔵』挿絵・表紙 国麿 島村吉松編・出版(上中下 4月)    『いろはたとへ』 挿絵・表紙 国麿 島村吉松編・出版(1-2 4月)    『絵本太閤記』  口絵 国麿・挿絵 竹斎 岡田玉山 楽成舎(上下 12月)  ☆ 明治十八年(1885)    ◯「おもちゃ絵年表」〔本HP・Top〕    近二画「新ぱんかげ絵尽し」「茶◎近二画」佐脇金次郎 明治18年 ⑧    〈近二は二代目国麿の俗称〉  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治十八年刊)   ◇合巻    国麿画『三ツ葵赤松源氏』挿絵・表紙 歌川国麿 長谷川忠兵衛 長谷堂(1-2編 3月)  ☆ 明治十九年(1886)    ◯「おもちゃ絵年表」〔本HP・Top〕    近二画「新版一口噺」「茶越?近二」奥井忠兵衛? 明治19年3月 ⑦  ☆ 明治二十四年(1891)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治二十四年刊)    国麿画『新説絵本太閤記』口絵 国麿・挿絵 清親 竹斎 夢南野史 銀花堂(10月)  ☆ 明治二十五年(1892)  ◯「読売新聞」(明治25年12月19日記事)〈原文は漢字に振り仮名付、()はその一部分〉   〝歌川派の十元祖    此程歌川派の画工が三代目豊国の建碑に付て集会せし折、同派の画工中、世に元祖と称せらるゝものを    数(かぞへ)て、碑の裏に彫まんとし、いろ/\取調べて左の十人を得たり。尤も此十人ハ強ち発明者と    いふにハあらねど、其人の世に於て盛大となりたれバ斯くハ定めしなりと云ふ     凧絵の元祖  歌川国次    猪口(ちよこ)絵 元祖 歌川国得     刺子半纏同  同 国麿    はめ絵  同 同 国清     びら絵 同  同 国幸    輸出扇面絵同 同 国久・国孝     新聞挿絵同  同 芳幾    かはり絵 同 同 芳ふじ     さがし絵同  同 国益    道具絵  同 同 国利    以上十人の内、芳幾・国利を除くの外、何れも故人をなりたるが中にも、国久・国孝両人が合同して絵    がける扇面絵の如きハ扇一面に人物五十乃至五百を列ねしものにして、頻りに欧米人の賞賛を受け、今    尚其遺物の花鳥絵行はるゝも、前者に比すれバ其出来雲泥の相違なりとて、海外の商売する者ハ太(い    た)く夫(か)の両人を尊び居れる由〟    〈絵刺子半纏。刺子半纏に錦絵を施した元祖が国麿ということらしい。炎に映えて浮かび上がる錦絵には異様な美しさ     があったに違いない。国麿は勇み肌の火消しにぴったり合った絵柄を工夫することに秀でていたのだろう。入れ墨に     似た隠微な美しさを江戸の人々は感じ取っていたのかもしれない。この国麿は初代か二代か定かではない〉  ☆ 明治二十六年(1893)    ◯『浮世絵師便覧』p223(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)   〝国麿(マロ) 歌川、◯三世豊国門人、二世一円斎、又菊武と号す、横山氏、俗称近二、錦画、◯明治〟    〈この国麿は二代目か〉  ◯「歌川豊国翁之碑」(亀井戸天神境内 明治二十六年十一月建立)   (碑文全体と出典は本HP「浮世絵師総覧【う】」の「歌川派」明治26年の項参照)   〝(裏面 下段)     飯島光峨   中島亨斎 鬼仏一豊 一笠斎国年 三世五湖亭貞景     二世歌川国鶴 同 国松 同 国光 三世同国輝 同 国晴     二世同 国麿 守川周重 楊洲周延 梅堂国秀  梅堂国臣 梅堂酔名      幹事 野口久敬   歌川うた 同 むめ 同 国峰  梅堂国政 梅翁国利 豊原国周      三世香朝楼国貞建之〟  ☆ 昭和以降(1926~)    ◯『狂歌人名辞書』p68(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝歌川国丸(二代)、通称横山近二、三代豊国門人にして二世一円斎、又、菊翁と号す、安政頃の人、歿    年末詳〟    〈国丸は国麿の誤記と思われる〉    ◯『浮世絵師伝』p58(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝国麿 二代    【生】  【歿】  【画系】初代国麿門人か  【作画期】明治    歌川を称す、横山氏、俗称近二、一円斎・菊哉等の号あり〟    ◯「幕末明治の浮世絵師伝」『幕末明治の浮世絵師集成』p88(樋口弘著・昭和37年改訂増補版)   〝国麿 二代(くにまろ)    歌川を称す。横山二代、二代一円斎菊哉と号した。初代国麿の門人らしい。明治十、二十代に諷刺画が    ある〟