☆ 天保六年(1835)
◯『街能噂(ちまたのうわさ)』平亭銀鶏作 歌川貞広画 天保六年刊
(霞亭文庫 東京大学附属図書館)※半角カッコ(かな)は原文の読み仮名
〝〔万松〕大坂の錦絵も近年は強気(がうき)に能(よ)くなりやしたぜい。江戸と格別今では違わぬ絵が何
程(いくら)もござりヤスぜい。〔鶴人〕さやうさ、浮世絵師に名大人(めいたいじん)が出来やしたから、
結構でこざりヤス。〔千長〕大坂では何といふのが上手でござりヤスネ。〔鶴人〕似顔を能書やすのは
国貞の弟子の歌川貞升といふのがござりヤス、殊に成田屋の似顔は分て手に入つた物でござりヤス。又
長崎の人でありヤスが、柳斎重春といふのがしばらく大坂に居りヤスが、誠にきやうな画(ゑ)で何でも
出来ヤス、笑印(わじるし)などは心(しん)にせまる処をかきやす、其外にも春梅斎北英、菊川竹渓、天
満屋国広、数おほいことでござりヤス、今度銀鶏さんの「街のうわさ」の口画を書やした歌川貞広とい
ひやすのが、まだ廿ばかりでござりヤスが、強気なものでござりヤスぜい、実に後世(ママ)恐るべしだ、
今に彫刻(ほり)上つたら御覧(らふ)じやし。〔万松〕なるほど貞広といふのを聞きやした、慥(たしか)
布袋町に居る人でありやしょう。〔鶴人〕さやう/\能くごぞんじだ、其の人でござりヤス〟
〈江戸の平亭銀鶏が大坂滞在中に見聞したことがらを記事にしたもの。鶴人は江戸人、万松と千長は大坂人〉