Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ くにはる うたがわ 歌川 国春浮世絵師名一覧
〔享和3年(1803) ~ 天保10年(1839)10月26日・37歳〕
   ☆ 文政十一年(1828)  ◯ 歌舞伎役者二代目嵐徳三郎、歌川国春を襲名(文政十一年春)   (嵐徳三郎は前年の文政十年五月引退)    〈襲名披露の摺物(後素亭豊国画 伊賀勘板)は下掲「役者から絵師となつた歌川国春」参照〉    ◯『増補浮世絵類考』(斎藤月岑編・天保十五年序)
   「豊国筆塚碑」(文政十一年八月記の「歌川総社中碑」に名を連ねる)     〝二代目豊国社中 国富 国朝 国久女 国春 国弘 国重 国盛 国靏 国道 国一 国與〟    〈二代豊国門人〉    ☆ 没後資料  ◯『俳優世々の接木』俳優堂夢遊著 好遊堂 刊年未詳   (国立国会図書館デジタルコレクション)(41/110コマ)   〝嵐冠十郎 実子 嵐冠之助    病身ニ付 役者を止 江戸の浮世絵師豊国門人と成 歌川国春といふて早々世をさる〟  ◯『浮世絵師便覧』p221(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)   〝国春(ハル)歌川〟    ◯『浮世絵備考』(梅山塵山編・東陽堂・明治三十一年(1898)刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(60/103コマ)   〝歌川国春【文化元~十四年 1804-1817】初代豊国の門弟にて、大阪の人なり〟  ◯「役者から絵師となつた歌川国春」斎藤ひろ麿著   (『浮世絵』第四号 酒井庄吉編 浮世絵社 大正四年(1915)九月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(13/24コマ)    享和三年(1803) 江戸に出生(父初代嵐冠十郎・母葺屋町茶屋某家の娘)称冠之助    文化六年(1809) 父と大坂行き    文政三年(1820) 嵐徳三郎(後の璃寛)と父と江戸に下る    文政七年(1824) 市村座の顔見世において、冠之助改め二代目嵐徳三郎を襲名    この頃 父冠十郎、人形町通長谷川町に錦絵店を開業、屋号は具足屋嘉兵衛    〈この記事では国春の父嵐冠十郎が具足屋嘉兵衛を名乗ったという。すると国春の具足屋は二代ということなのだろ     うか〉    文政十年(1827)五月 狂言「狭間合戦」の義照公一役を最後に引退    文政十一年春  歌川国春を襲名    天保十年(1839)十月二十六日没 享年三十七      法名:聞妙院歌声日慶信士・俗名:具足屋佐兵衛 芝三田三丁目聖坂下 蓮乗寺葬   〈以下、襲名を祝う奉書の摺物、後素亭豊国画・大伝馬町二丁目伊賀勘板の記事〉   〝「道かへて分け入るもよしはるの山」ナゾと云ふお定まりの句が 各俳優の名で列記してあつて、その    末に       こたび慶升ぬし俳優をはいして画工に道に入しを祝して     わざをきを止めて筆にや名をあげん今故郷へかざる錦絵   立川焉馬       おのれふつゝかにして父の技をもつがで有しをもし 出来る事かはと豊国ぬしの机にすがりて       かりそめに筆とる事を尋ねしか ついに名さへ玉はり歌川の流れをくむうれしさに     生(を)ひ初(そむ)る水草や何を水のあや   嵐徳三郞事 歌川国春       子をおもふやみのみち しるべを得たる此度の仕合せは月令にもなき 役者化して絵師となる       せがれが幸ひ もとより顔をぬり眉をゑがく事はおさなきより 見もし聞きもしつれど 絵の       事は又後の素人なれば もらひ得たる名の春霞 ひとはけに引きたて玉へと願ふのこそ     此棚にこゝろ定(き)めよと蚕かな   慶舎〟     〈慶升は国春の俳号か。立川焉馬は二代目。慶舎は父嵐冠十郎の俳号であろう〉   〈天保の頃の役者絵(父嵐冠十郎「夏祭浪花鑑」の三河屋義平役)の署名「山風亭国春画」について〉   〝亭号の山風(さんぷう)は嵐から来た〟  ◯「集古会」第百四十一回 大正十二年(1923)三月(『集古』癸亥第三号 大正12年月刊)   〝浅田澱橋(出品者)国春 扇屋花扇〟  ◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)   (国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)   〝国春 二世豊国門人、元と俳優嵐徳三郎なり、文政十一年俳優を止めたる故に、筆を採りたるは十二年    間なり、山風亭と号す、天保十年十月廿六日没、卅七歳〟    ◯『浮世絵師伝』p55(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝国春    【生】享和三年(1803) 【歿】天保十年(1839)一月廿六日-卅七    【画系】二代豊国門人  【作画期】文政~天保    俳優嵐冠十郎の長子にして、俗称具足屋佐兵衛、初名冠之助、文政七年十一月二代目嵐徳三郎を襲名せ    り。幼より画を好みて演技の余暇自ら彩管を揮ひたりしが、文政八年二代豊国の門人となるに及びて、    いよいよ其の道に熱中し、且つ生来多病の爲め、永く舞台に立つ能はざるを以て、遂に文政十一年の春、    俳優を廃めて浮世絵師となれり。別号を玉陽斎・山風亭といふ、役者似顔絵を得意とす。墓所は芝三田    三丁目聖坂下、蓮乗寺、法名は聞妙院歌聲日慶信士〟    △『東京掃苔録』(藤浪和子著・昭和十五年序)   「芝区」蓮乗寺(三田三ノ四)日蓮宗   〝歌川国春(画家)通称具足屋佐兵衛、玉陽斎と号す。三世豊国門人、似顔画を得意となす。天保十年十    月二十六日歿。年三十七。聞妙庵歌声日慶信士〟    ◯『浮世絵師歌川列伝』付録「歌川系図」(玉林晴朗編・昭和十六年(1941)刊)
   「歌川系図」〝歌川豊重(二世豊国)門人 国春〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)    作品数:1点    画号他:玉陽斎国春    分 類:絵本?1    成立年:記載なし    〈一点は玉塵園雪住作の『盛衰記絵抄』。「書誌詳細」を見ると嘉永元年と同三年の版がある〉