〈湖瀧斎の読みについては下掲の文中に湖龍斎と「同音の湖瀧斎」とあることから「こりゅうさい」とした〉
◯「古い湖瀧斎」相見香雨(『絵画叢誌』三四三 大正五年四月刊)
(『相見香雨集 四』所収 日本書誌学大系45 青裳堂書店 平成八年刊)
〝明和安永頃の浮世絵師に湖龍斎磯田正勝あることは、世に能く知れたことであるが、それよりも少し古
く、凡そ享保と思はるゝ此に龍を瀧と書いてあるが、同音の湖瀧斎と号する一浮世絵師のあつたことは、
浮世絵画伝の諸書にも一向見えず、又斯派専攻の諸君にお尋ね申しても皆御存じない。吾輩頃日加瀬君
の蔵弃中に、湖瀧斎筆と落款せる一画を観、その頗る珍なるを感じて、取敢ず本誌に収めて同好の同粲
に供せんと欲するものである。此幅は一寸凝つたる相当の時代切を以て裱装してある所を以て見ても、
是迄相当に珍重せられて伝来したものらしい。紙の素地は古びて居るが、幸に絵には甚しき削落も汚れ
もなくて、一種の面白き時代味を感じさせるものである。描風を吟味して見ると、鳥居清信よりは少し
く古い。即ち鳥居派に先ちて劇画の風格を形成した一名手と認めざるを得ない。人物の衣紋は全体に金
箔をおいて、其上に模様をかき起してある、此の手法は徳川初期頃のものに往々見る所のものであるが、
こんな芝居絵には尤もふさはしくて、尤も能く其の効果を発揮して居るものである。落款は湖瀧斎筆と
あつて、下の印文が一字明瞭ならぬが、一峰舎とよめる。湖瀧斎なるものゝ伝記全く不明であるから、
後の湖龍斎とも関係があるものか否かも知れぬが、画風は全く違つて居る。固より別人には相違あるま
い。唯此画あるに依て此人あるを知るのみである。時代は凡そ元禄乃至享保頃と見るのが妥当と思はれ
る。図題は筥書に朝夷錣引とある。(中略)此図果して錣引引か否かも詳かならない。(後略)〟
〈芝居絵とある。箱書きに朝比奈の錣(しころ)引きとあるらしいが、筆者は同意しかねている〉