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浮世絵文献資料館
浮世絵師総覧
☆ ごしち はるかわ 春川 五七・ほうしゅう かみや 神谷 蓬洲
浮世絵師名一覧
〔安永5年(1776) ~ 天保2年(1831)没?・56歳?〕
※①〔目録DB〕〔国書DB〕:「日本古典籍総合目録データベース」「国書データベース」〔国文学研究資料館〕 ⑩〔中本型読本〕:「中本型読本書目年表稿」 ⑪〔江戸読本〕:「江戸読本書目年表稿(文化期)」 〔漆山年表〕 :『日本木版挿絵本年代順目録』 〔狂歌書目〕:『狂歌書目集成』 〔日文研・艶本〕:「艶本資料データベース」 〔白倉〕 :『絵入春画艶本目録』
☆ 享和年間(1801~1803) ◯『増訂武江年表』2p26(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊) (「享和年間記事」) 〝(当時の江戸の戯作者)山東京伝・曲亭馬琴・式亭三馬・六樹園飯盛・小枝繁・感和亭鬼武、十返舎一 九・振鷺亭・談洲楼焉馬・高井蘭山・山東京山・芍薬亭長根・柳亭種彦・梅暮里谷峨・神屋蓬州・南仙 笑楚満人・東里山人・東西庵南北〟 ☆ 文化二年(1805)
◯「艶本年表」
〔白倉〕(文化二年刊)
春川五七画
『会本手事之発名』大錦 十二枚組物「玉門之淫士」文化二年頃
(白倉注「角書に「吾妻男 京女郎」とあり、江戸の男と京女との相性のよさをテーマにしたもの。附言に歌麿の出 自に触れていることで知られている」)
☆ 文化三年(1806)
◯「艶本年表」
〔日文研・艶本〕〔白倉〕(文化三年刊)
春川五七画
『会本四季之花』色摺 大本 二図 見返しの署名「春呉質」文化三年頃 序「会本四季之はなの叙〔春川◎二〕印」
〈◎は「湯」か〉
「春の川辺に神水の漲る日 色道人ミづからいふ」
(白倉注「春夏秋冬各一図、計四図。ただし五図かも」)
☆ 文化四年(1807)
◯「滑稽本年表」
(文化四年刊)
神屋蓬洲画
『口八丁』神屋蓬洲画・作 釜屋又兵衛板 ① ◯『【画入読本】外題作者画工書肆名目集』(絵入読本改掛(アラタメガカリ)・斎藤市左衛門記) 〝『【娘一人/聟八人】教草情奥儀』前編二冊 蓬洲画作 大和田安兵衛/西村源六ト相成候 『【高水/茶話】竜孫戞玉』ト改 十二月六日出ル十二日渡ス【辰壬(ママ)六月廿四日再改出ル/同九月 十五日本出来廿日売出し〟
〈最初『教草情奥儀』の書名で改(アラタメ・検閲)に出したが許可が下りなかったので、翌年五月、書名を『竜孫戞玉』 に代えて改に出したのである〉
☆ 文化五年(1808) ◯『とこよもの』〔江戸狂歌・第七巻〕(尋幽亭載名編・文化五年(1808)刊) (唐衣橘洲七回忌追善集) 〔編者〕尋幽亭載名(序文により「としな」と読む) 〔画者〕蓬洲橘実吉(神屋蓬洲) 〝野に有て虫もなくらし師のことをおもひ出せる七月のへん 蓬洲橘実吉〟
〈蓬洲は狂歌を唐衣橘洲に習い、狂歌名を橘実吉と称したようである〉
◯「合巻年表」
(文化五年刊)
神屋蓬洲画・作
『敵討小万ケ紅粉』神屋蓬洲画・作 板元未詳
①(注:日本小説年表による)
◯「読本年表」
(文化五年刊)
神屋蓬洲画・作
『復讎十三七月』「神屋蓬洲」画・作 武蔵屋喜右衛門他板 ⑩ 江戸
(口絵に「以上四箇之繍像 逢洲自造之」とあり)
『竜孫戞玉』 神屋蓬洲画・作 文化五年自序 板元未詳 ①
〈書誌による〉 〈この『竜孫戞玉』の読みは「たけのともずり」。その出版の経緯は文化四年の『【画入読本】外題作者画工書肆名目 集』記事参照〉
◯「艶本年表」
〔白倉〕(文化三年刊)
春川五七画
『会本嘉利満久良』間錦 十二枚組物 枕々亭鴨成(五七)序 ☆ 文化六年(1809)
◯「読本年表」
(文化六年刊)
神屋蓬洲画
『竜孫戞玉』神谷蓬洲画・作 ⑩①
〈書誌による〉
☆ 文化九年(1812)
◯「読本年表」
(文化九年刊)
神屋蓬洲画・作
『天縁奇遇』 「神屋蓬洲述並画」丁子屋平兵衞他板 ⑪① 『復讐雙三弦』「神屋蓬洲述並画」山田屋喜右衛門他板 ⑩① ☆ 文化十三年(1816)
◯「絵入狂歌本年表」
〔目録DB〕(文化十三刊)
春川五七画
『狂歌絵入/春興集』一冊 春川五七画 得閑斎砂長編 ☆ 文化十四年(1817)
◯「滑稽本年表」
(文化十四年刊)
春川五七画
『◯気譚(うつけものがたり)』初編 春川五七画 油断舎戻作 鶴屋金助他板
(◎は「言+空」。読みは『うつけものがたり』)
☆ 文化年間(1804~1817)
◯「艶本年表」
〔日文研・艶本〕(文化年間刊)
春川五七画
『会本手事之発名』色摺 大錦折本 十二図一帖 文化初期 序 「会本手事之発名の叙〔春川◎◎深〕」 付言「予従来(もとより)美人画(うきよゑ)を好きて、古今の写意(うつしぶり)を訂(かんがふ)る に、往古ハ云はず、中頃我が京師に西川某と云者ありて、工(たくみ)に造りたるが最よし、 其後また京師に露章(ろしやう)と云へる画工あり【壮年に関東に下りて喜多川(きたがわ)歌 麿(うたまろ)と号す】、此人もつとも美人画の妙手にして、江戸画工古人春潮と云へる者の筆 意に効(ならふ)て、多く会本を造れるに、其情至らざるハなく尽さゞるハなし。実に古今の名 人と云ふべし」 ☆ 文政元年(1818) ◯『【諸家人名】江戸方角分』(瀬川富三郎著・文化十四年~十五年(1818)成立) 「本郷 画家・狂歌師」〝蓬洲 昌玄子 蓬莱亭 橘実吉 神屋 御弓町 青木亀助〟 ☆ 文政二年(1819)
◯「絵本年表」
〔漆山年表〕(文政二年刊)
春川五七画
『拾要百人一首宝雅』一冊 画工春川五七 阿波屋文藏板 『面迦計百人一首』 一冊 書画春川五七 故得閑斎繁雅兄大人撰 波龍主人序 吉田新兵衛他板
◯「絵入狂歌本年表」
〔狂歌書目〕(文政二年刊)
春川五七画
『俤百人一首』一冊 春川五七画 得閑斎三大人撰 吉田新兵衛他板
◯「百人一首年表」
(本HP・Top)(文政二年刊)
春川五七画
『狂歌細画 俤百人一首』色摺口絵・挿絵
〔目録DB〕
見返し「春川五七画」得閑斎三大人撰 文徴堂・文集堂・文泉堂版 奥付「画図 春川五七 文政二歳己卯秋七月」
〈得閑斎の三大人とは繁雅・茂喬・砂長。奥付は繁雅と茂喬とを「故」人とする〉
☆ 文政三年(1820)
◯「百人一首年表」
(本HP・Top)(文政三年刊)
春川五七画
〔花くらべ百人一首〕(仮題) 色摺口絵・挿絵〔跡見1212-13 異種〕 口絵「〔はるかハ〕〔五七〕印」五七・都友・森の家昌三序 跋「庚辰の初冬 洛東 秋の家葎月」
〈〔目録DB〕の統一書名は『花競祇園名妓百人一首』〉
☆ 文政四年(1821)
◯「日本古典籍総合目録」
(文政四年刊)
◇滑稽本
春川五七画
『烏歌話』二冊 春川五七画 伴中義作 ☆ 文政五年(1821)
◯「合巻年表」
(文政五年刊)
神屋蓬洲画
『教草情奥義』神屋蓬洲画・作 板元未詳
(注:日本小説年表による)
①
〈文化五年刊の読本『竜孫戞玉』の元の書名が『教草情奥儀』であった。(文化四年の『【画入読本】外題作者画工 書肆名目集』参照)この合巻『教草情奥義』は読本『竜孫戞玉』を合巻化したものか〉
◯『洒落本大成』
第二十七巻
(文政五年刊)
春川五七画
『箱まくら』署名「春川五七筆」大極堂有長作 ☆ 文政八年(1825)
◯「日本古典籍総合目録」
(文政八年刊)
◇狂歌
春川五七編
『伊楚の万都』一冊 春川五名編 ☆ 天保三年(1832) ◯『当見席眼鬘』序(春川五七作・画 滑稽本 天保三年刊) 〝此書は春川五七が作なり、惜哉五七、五十七の歳をまたず、草稿半にして古人となれり、鳥居清安、そ の闕たるを補ひ(云々)〟
〈出典は『浮世絵志』第三号(昭和四年三月刊)所収、石川巌著「春川五七画作並挿絵本に就て」。天保二年の没年、 及び享年・五十七歳未満の根拠となるもの〉
◯「日本古典籍総合目録」
(天保三年刊)
◇滑稽本
春川五七画
『当見席眼鬘』二冊 春川五七画・作 ☆ 刊年未詳
◯「絵入狂歌本年表」
〔狂歌書目〕(刊年未詳)
春川五七画
『盛里鼻競』一冊 春川五七自画・自撰
◯「日本古典籍総合目録」
(刊年未詳)
◇合巻
春泉画
『絵本千丈嶽』上下「洛東春川五七戯述 門人 春泉画」浪花阿波文板
☆ 没後資料
◯『無名翁随筆』〔燕石〕③300(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年(1833)成立) 〝春川五七【江戸小石川ノ人也】 文化の末より京師に住す、栄山の門人なるべきか、未詳、京小原八坂の辺りに住けるにや、江戸に在し 比は、役者の小まかき絵を画き、板刻せしと見えたり、一二種に不過、其後画名を見ず〟 ◯『増補浮世絵類考』
(ケンブリッジ本)
(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序) 〝春川五七 初名 蓬洲 江戸小石川の人なり 文化の末より京師に住す。栄山の門人なるべき歟、未詳。京小原八坂の辺りに住けるにや。江戸に在し 頃は、役者のこまかき絵をかき、板刻せしを見たり。一二種に不過、其後画名を不見 月岑按るに春川秀蝶といへるもの有。江戸愛宕山に祇園会の細図の額を、延享四年卯年に画て掲たり、 見事にて有しが、後に嘉永三年戌の災に亡たり、深川八幡宮にも此秀蝶が画きたる境内の図、額に画 たれど、不出来也、前の春川は時代はるかに隔りたれど、もしくはこれらの余類か〟 〝神屋逢洲 俗称 亀助 江戸の人 文化中なり。御家人のよし也 画作の読本二三部あり(戯れに一絃の琴をひけり 天縁奇遇 五冊 竹取物語 中本)〟 ◯『戯作者小伝』〔燕石〕②48(岩本活東子編・安政三年成立) 〝神屋逢洲 小石川に住せり。後花洛に移住せし由。自ら画き、みづから書し、又彫刻をせしとぞ〟
〈『戯作者撰集』に同文あり〉
◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪205(竜田舎秋錦編・慶応四年(1868)成立) 〝春川五七 初名蓬州、江戸小石川の人なり。文化の末より京師に住す。栄山の門人成べきか。未詳。京小原八坂辺 に住せるにや。江戸に在し頃は、役者の細き絵をかき板刻せしを見たり。一二種に不過。其後画名不見〟 ◯『浮世絵師便覧』p226(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊) 〝五七(ゴシチ) 春川、◯栄山の門人、俗称亀助、始め神谷蓬洲といふ、役者似顔、草双紙多し、◯文化〟 ◯『浮世絵備考』(梅山塵山編・東陽堂・明治三十一年(1898)刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
(56/103コマ)
〝春川五七【文化元~十四年 1804-1817】 神谷氏、初号蓬州、通称亀助、江戸小石川の人なりしが、文化の末年、京都に移り住みぬ、春川栄山の 門弟にて、江戸に在りし頃、俳優似顔の細絵を画けり〟 ◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)
(国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)
〝蓬洲 神谷氏、大阪産、京都に転住して、春川五七と名乗る、自作、自画、自彫なり、天保初年没、五 十二三歳〟 ◯『狂歌人名辞書』p75(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊) 〝春川五七、通称青木亀助、別に神谷蓬洲と号し、東都小石川に於て戯作と絵画に筆を執り、後ち京都祇 園下河原に移転す、天保三年頃同地に歿す、年五十余(蓬洲を看よ)〟 ◯「日本小説作家人名辞書」(山崎麓編『日本小説書目年表』所収、昭和四年(1929)刊) ◇「神谷蓬洲」p722 〝神屋蓬洲 通称は青木亀助、画号を春川吾七と云ひ、別号を蓬莱亭、神屋蓬洲と云ふ。初め本郷御弓町に住み、又 小石川に移る。後年京都祇園下河原に転居、天保三年歿、年五十余。俳優似顔絵を能くした。著作、挿 画、筆耕、及び彫板皆自分の手でしたといふ。「復讐十三七月」(文化五年(1808)刊)、「天縁奇遇」 (文化九年(1812)刊)等の作者〟
◇「春川五七」p813 〝春川五七 神屋蓬洲の画名、神屋蓬洲を見よ。「当見座眼鬘」(天保三年(1832)刊)の作者〟 ◯『浮世絵師伝』p71(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝五七 【生】安永五年(1776) 【歿】天保二年(1831)?-五十六 【画系】春川栄山門人 【作画期】文化~文政 春川を称す、青木氏、俗称亀助、初名を神屋蓬洲といひ、別に蓬莱山人亀遊と号す、戯作をよくし、彫 刻の技をも心得たり、文化四年版の滑稽本『【民間図誌】口八丁』は彼の自画作にして、彫刻も亦自作 せるものなり、其他読み本には、『【敲氷茶話】龍孫戞玉』(文化四年版)・『【観音利生】天縁奇遇』 (同九年版)・『【繍像奇談】双三絃』(同年版)等の自画作あり、文政八年の春、五十の賀を祝して 「松の齢」といふ狂歌の摺物を知友に配る。初め(所謂御家人なりしと)江戸小石川に住したりしが、 文化の末より京都に移り、八坂辺に住めり。彼が門人に六輔といふ者あり、伏見に住せし由〟 ◯『近世文雅伝』三村竹清著(『三村竹清集六』日本書誌学大系23-(6)・青裳堂・昭和59年刊) ◇「夷曲同好筆者小伝」p444(昭和六年九月十六日記) 〝蓬洲 神谷蓬洲、称青木亀助、好戯作号春川五七、学画春川秀蝶、住小石川、後上洛住祇園下河原、天 保三年頃没于洛、享年五十余〟
◯「日本古典籍総合目録」
(国文学研究資料館)
作品数:19点 画号他:春川五七・神屋蓬洲・神谷蓬洲 分 類:読本5・滑稽本4・狂歌4・合巻3・洒落本1・絵画1・風俗1 成立年:文化4~5・9・13~14年(8点) 文政2・4~5・8年 (6点) 天保3年 (1点)
(春川五七名の作品)
作品数:11 画号他:春川五七 分 類:狂歌4・滑稽本3・合巻1・洒落本1・風俗1・絵画1 成立年:文化13~14年 (2点) 文政2・4~5・8年(5点) 天保3年 (1点)
(蓬洲名の作品)
作品数:8 画号他:神屋蓬洲・神屋蓬洲 分 類:読本5・合巻2・滑稽本1 成立年:文化4~5・9年(6点) 文政5年 (1点)
〈読本『天縁奇遇』は二本あって、神屋蓬洲作・画(文化九年(1812)刊)と、神屋蓬洲原作・柳亭種彦二世作・歌川 芳洲画(成立年記載なし)とがある〉