Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ きょううん かわなべ 河鍋 暁雲浮世絵師名一覧
〔万延元年(1860) ~ 明治41年(1908)8月28日・49歳〕
 ☆ 明治二十二年(1889)  ◯『東京大画家派分一覧表』東京(児玉友三郎編輯・出版 明治二十二年十二月刊 )   (東京文化財研究所・明治大正期書画家番付データベース)   〝狩野派 小林永濯 小ムメムラ(以下読めず)/河鍋暁雲 湯シマ四〟    ☆ 明治二十五年(1892)    ◯『大日本全国書画大家一覧』番付 東京(三浦静雲堂編集・出版 明治二十五年一月届)   (東京文化財研究所・明治大正期書画家番付データベース)   〝大家画 寺崎広業 日本バシ区  松本楓湖 アサクサ区  猩々暁雲 本郷区  英一蜻 アサクサ区〟  ☆「東京諸名家見立一覧」(明治二十五年刊『『日本庶民文化史集成』第八巻所収)   〝画 ユシマ四  河鍋暁雲 〈河鍋暁斎の次男。湯島住〉    書 ◎堤丁 柳田半古〟〈書家〉    〈番付に載る浮世絵師は、大蘇芳年(明治25年没)と三代広重(明治27年没)と河鍋暁雲(明治41年没)の三人のみ。明治22     年(1889)に亡くなった河鍋暁斎に代わって次男の暁雲が登場したが、寂しい限りの浮世絵界になってしまった〉    ☆ 明治二十六年(1893)    ◯『浮世絵師便覧』p233(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)   〝暁雲(ウン) 暁斎の男、◯明治〟  ☆ 明治三十年(1897)  ◯『読売新聞』明治30年(1897)2月15日記事)   〝暁斎翁遺墨の衝立    本郷湯島の天神社拝殿に置きある龍虎の図の衝立は 故猩々河鍋暁斎翁の筆にして 筆力勇健雲起り風    生ずるの勢ひあり 美術家の同社に参詣するもの 常に之れに注目し 中には数百金をかげて懇望する    ものもありとかや 然るに此衝立の裏面は年来白紙の侭にして 甚だ体裁悪しかりしかば 氏子中種々    評議の上 裏の絵を 暁斎氏の遺児暁雲氏と暁翠女史とに嘱し 暁雲氏は巌上に鷲の図を 暁翠女史は    瀑布の図を 夫々揮毫し 此程既に落成したりといふ 尚ほ暁雲氏の鷲は 氏が信州戸隠山中にて得し    実物を写生せしものなりとぞ 兎に角一双の衝立に父子兄妹揃つて毫を揮ひしこと 不思議の縁にこそ〟  ☆ 明治三十二年(1899)  ◯『東京専門書画大家一覧表』番付 東京 市橋安吉編集・出版 明治三十二年六月刊    (東京文化財研究所・明治大正期書画家番付データベース)   〝南北画 河鍋暁雲 本郷区湯島四ノ廿二〟    ☆ 没後資料    ☆ 明治四十四年(1911)  ◯『現代全国画家録』平田三兎編 丹青書房 明治四十四年四月刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝桃    河鍋暁雲  東京 狩野派  人物・山水 山本昇雲 東京 浮世派 風俗    筒井年峯  東京 浮世派  風俗    田代古涯 東京 容斎派 風俗    山村耕花  東京 浮世派  風俗    三井萬里 東京 容斎派 花鳥    平福百穂  東京 南北合派 花鳥〟  ◯「幕末明治の浮世絵師伝」『幕末明治の浮世絵師集成』p87(樋口弘著・昭和37年改訂増補版)   〝暁雲(ぎよううん)河鍋氏、周三郎、暁斎の男、多少の肉筆画あるも、早死している〟