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浮世絵文献資料館
浮世絵師総覧
☆ きょうすい いわせ 岩瀬 京水
浮世絵師名一覧
〔文化13年(1816) ~ 慶応3年(1860)3月9日・52歳〕
※①〔目録DB〕〔国書DB〕:「日本古典籍総合目録」「国書データベース」(国文学研究資料館) ④〔早大〕 :「古典籍総合データベース」早稲田大学図書館 ⑤〔東大〕:『【東京大学所蔵】草雙紙目録』 〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』 角書は省略。①~⑥は「合巻年表」の出典
☆ 文化八年(1811) ◯『若衆振水仙丹前』(合巻・山東京山作・勝川春亭画・文化八年刊)
(早稲田大学図書館・古典籍総合データベース)
(13/33の衝立署名)
〝山東「麟鳳」十歳童京水書〟
〈文化7年か8年、当時10歳と考えられる。するとこの京水の生年は享和1~2年(1801-2)頃となる。しかしこれは通説の 慶応3年(1860)52歳没や、天保元年で15才(下掲天保3年刊『熱海温泉図彙』)とは異なる〉
☆ 天保初年(1830~) ◯『江戸現存名家一覧』〔人名録〕②307(天保初年刊) (当時現存の「画家」として名があがる) ☆ 天保三年(1832)
◯「合巻年表」
(天保三年刊)
岩瀬京水画
『五節供稚童講釈』初編一二 一勇斎国芳画 画中衝立 初編二「京水筆」山東京山作 鶴喜板 ①
◯「国書データベース」
(天保三年刊)
岩瀬京水画
『熱海温泉図彙』一冊「文政庚寅 十五歳 京水筆」渓斎英泉・歌川国安 京山百樹編 山口板
〈文政庚寅は天保元年(1830)。文化13年生まれ〉
☆ 天保四年(1833)
◯「合巻年表」
(天保四年刊)
岩瀬京水画
『五節供稚童講釈』後編 歌川国芳・国安画 見返し絵「京水画」山東庵京山 鶴喜板 ⑤ 『青楼花若木栄』 (画中の衝立画(草花図)「京水筆」国直画 京山作 森治板 ⑤ ☆ 天保六年(1835)
◯「絵本年表」
〔漆山年表〕(天保六年刊)
岩瀬京水画
『北越雪譜』初編 三冊 画者少年京水百鶴 鈴木牧之編 万笈閣板
〈〔目録DB〕は天保六年序、同七年刊とする〉
◯『後の為の記』付録 滝沢馬琴稿 天保六年(1835)六月記
(『曲亭遺稿』所収 国書刊行会 1911年刊
国立国会図書館デジタルコレクション)
〝山東庵京山は二男二女あり、女子二人は短命なりき、長男筆吉は放蕩無頼にて不肖甚しければ、已こと を得ず勘当して、二男を嗣とす、年十七八なるべし、画を武清に学びて、画名を京水といふと云〟 ☆ 天保七年(1836) ◯『【江戸現在】広益諸家人名録』初編「イ部」〔人名録〕②34(天保七年刊) 〝画 京水【名百鶴、字梅朔、京山男】同居(京山宅・京橋銀座一町目)岩瀬梅作〟 ☆ 天保八年(1840) ◯『馬琴書翰集成』④315 天保八年四月二十二日 殿村篠斎宛(第四巻・書翰番号-88) (『北越雪譜』出版の件) 〝『雪譜』の事、二十年斗已前、著述を野生にたのまれ、雪中の図説など百十数丁、書写しておこされ候。 (中略)然ル所、野生年々に、よみ本・合巻の著編に迫れ、且一足も踏ざる遠方の事を、人のいふに任 せてつゞりちらし、誤ありて朽をしく候間、約束はいたしながら、稿本出来かね候間、年々催促頻りな れば、是非なく右之著述は、四五年前及断候。依之、牧之大に望を失ひ、ふりかえて京山にたのみ候。
京山
は机上いとまある人なれば、輒くうけ引候て、自分の著述にせずに牧之の著にいたし、謬あらんこ とを思ふ故に而、京山は校閲の様にいたし候。是は骨を折らずに、謬ありても自分の失にせざる為也。 画は京山二男京水にかゝせ候よし。(中略)両三年已前、京山廿年ぶりにて拙宅ぇ参り、序を乞候へ共、 思ふよしあれば断り候て、序はつゞり遣し不申候。心あての板元も無之よしに付、序の代りに板元を引 付遣し、則『八犬伝』の板元丁子屋にてほり立候つもりにいたし候。(中略)牧之の宿望、京山により て成就いたし候故、彼人を神仏のごとく尊信いたし、来翰の度々、牧之より被申越候。田舎児の老実千 万なる事と存候。右のさし画は未見候へども、細画なるべく候。京水は武清の弟子にて唐画のよし、そ の画は未見候。小児の時見候歟、いかなる人物に成候哉。京山の愛子のよしにて、去秋も父子同道にて、 越後に罷越候処、逗留中牧之病臥、且年がらあしく成候故、怱々にしてかへり候よし(下略)〟 ◯『馬琴書翰集成』④340 天保八年八月十一日 殿村篠斎宛(第四巻・書翰番号-94) 〝(『北越雪譜』)下ノ巻に、『としなミ草』の作者を、吾山としるし有之候。是ハ京山が暗記の失と存 候。直しおかれ候様奉存候。画ハ京山二男
京水
、弱冠ながら、かねて存候よりでかし候。但シ、雪の図 多く候故、甚さみしく、且画張をいとひ候故、細画のミニて、いづれも目先かハらで、遺憾に候〟
〈『としなミ草』は『北越雪譜』には『年浪草』とある。「日本古典籍総合目録」は『としなみ草』を似雲の歌文集と する。吾山は俳人越谷吾山か〉
◯『馬琴書翰集成』④348 天保八年八月十一日 小津桂窓宛(第四巻・書翰番号-96) 〝『越後雪譜』三部、夏中出板いたし候。被成御覧候哉。越後牧之作のつもりニて、実ハ京山の文、画ハ 京山ニ男
京水
ニ御座候。この書、久しく牧之ニたのまれ候へ共、さるいとま無之故、四五ヶ年前に、無 拠著述を断り候ニ付、牧之切かえて、京山にたのミ候。京山ハ自分の著述ニせず、代作いたし候ものニ 御座候〟
〈『越後雪譜』は鈴木牧之著『北越雪譜』〉
☆ 天保八、九年頃(1837-8) ◯「大江都名物流行競 二編」(番付 金湧堂 天保八、九年頃刊)
(早稲田大学図書館 古典籍総合データベース「ちり籠」所収)
〝芸能長者 若手 ホン丁 式亭虎之助/稀書 京バシ 雪譜京水
〈鈴木牧之の『北越雪譜』は天保7年刊。京水は挿絵を担当した。式亭虎之助(小三馬)は式亭三馬の子、京水は山東京山 の子、共に江戸戯作界の大立者を父に持つということで対にしたか〉
☆ 天保九年(1838)
◯「国書データベース」
(天保九年刊年)
岩瀬京水画
『つれつれ艸不見世友』一勇斎国芳画 山東庵京山作 山口板 ① 上中下三巻の見返し絵 署名「京水筆」 『絵図名所杖』口絵「京水筆」歌川国貞画 山東京山作 佐野喜板 ①④ ☆ 天保十二年(1841)
◯「絵本年表」
〔漆山年表〕(天保十二年刊)
岩瀬京水画
『北越雪譜』二編 京水百鶴画 鈴木牧之編 万笈閣板
〈〔目録DB〕は天保十三年刊とする〉
◯「合巻年表」
(天保十二年刊)
岩瀬京水画
『大晦日曙草紙』五・六編 見返し「京水画」国貞画」 京山作 『竹取物語』 五・六編 見返し「京水画」香蝶楼国貞画 山東菴京山作 ☆ 天保十三年(1842)
◯「合巻年表」
(天保十三年刊)
岩瀬京水画
『大晦日曙草紙』七八編 見返し「京水筆」 国貞画 京山作 『菊酒屋娘庭訓』二編 見返し「京水」印 貞秀画 京山作 『朧月猫草紙』二編五オ 衝立 「京水筆」 国芳画 山東京山作 ☆ 天保年間(1830~1844)
◯「双六年表」
〔本HP・Top〕
「狂詠江戸のはな」北渓・香蝶楼国貞・広重・貞秀・英泉・一勇斎国芳・京水・よし虎 天保頃 ② ☆ 弘化二年(天保十六年・1845)乙巳
◯「合巻年表」
(弘化二年刊)
岩瀬京水画
『朧月猫草紙』三編 見返等「京水画」歌川国芳画 山東京山作 ☆ 弘化三年(1846)
◯「合巻年表」
(弘化三年刊)
岩瀬京水画
『大晦日曙草紙』九・十編 見返「京水画」豊国画 京山作 『教草女房形気』 初編 見返「京水画」豊国画 京山作 『菊酒屋娘庭訓』 三編 見返「京水画」豊国画 山東京山作 『竹取物語』 九編 袋 「京水画」国貞画 京山作 ☆ 弘化四年(1847)
◯「合巻年表」
(弘化四年刊)
岩瀬京水画
『大晦日曙草紙』十一編 見返「京水画」香蝶楼豊国画 山東庵京山作
◯「日本古典籍総合目録」
(弘化四年刊)
◇風俗
岩瀬京山画
『歴世女装考』四巻 京水筆 岩瀬百樹著 ☆ 嘉永元年(弘化五年・1848)
◯「合巻年表」
(弘化五年刊)
岩瀬京水画
『絵図見西行』八編 歌川豊国画 見返「京水画」山東京山作 佐野喜板 『琴声美人録』二編 豊国画 見返「京水画」京山作 佐野喜板 ☆ 安政二年(1855)
◯「絵本年表」
〔漆山年表〕(安政二年刊)
岩瀬京水画
『歴世女装考』前編 京水筆 百樹男京水百鶴筆 百瀬涼仙(山東京山)著 山崎屋清七板
〈〔目録DB〕は弘化四年刊〉
☆ 慶応元年(元治二年・1865)
◯「絵本年表」
〔漆山年表〕
(慶応元年刊)
◇俳諧絵本
岩瀬京水画
『花吹雪』二冊 一葉舎主人編 一恵斎芳幾画・藍泉画・是真・一葉斎幾年女画・山東庵京水筆・梅恵斎幾丸 鳥居清満筆・梅素・鈍阿弥魯文・芳春・ちかはるゑかく等画
☆ 没後資料
◯『江都諸名家墓所一覽』(早稲田大学図書館・古典籍総合データベース本 朱筆書き入れ) 〝山東京水 名 百鶴 字鉄梅 慶応 三 三 九 五十二〟
〈慶応三年三月九日没 五十二歳〉
◯『翟巣漫筆』〔新燕石〕③附録「随筆雑記の写本叢書(三)」p8(斎藤月岑書留・慶応三年三月記) 〝京山か男、岩瀬梅作、号京水、蒔絵を業とし画をもなしけるが、丁卯三月頃不斗狂を発して自ら縊れて 死しける由〟
〈丁卯は慶応三年〉
☆ 明治以降(1868~) ◯『名人忌辰録』上巻1(関根只誠著・明治二十七年(1894)刊) 〝岩瀬京水 通称梅作 京山の男、蒔絵を以て業とす、慶応三卯年三月九日没す、歳五十二、本所回向院に葬る〟 ◯『浮世絵画集』第一~三輯(田中増蔵編 聚精堂 明治44年(1911)~大正2年(1913)刊) 「徳川時代婦人風俗及服飾器具展覧会」目録〔4月3日~4月30日 東京帝室博物館〕
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇『浮世絵画集』第三輯(大正二年(1913)五月刊) (絵師)山東京水(画題)「蛍狩」(制作年代)文化頃(所蔵者)上野君子〟 ☆ 昭和以降(1926~) ◯『狂歌人名辞書』p55(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊) 〝山東京水、通称岩瀬梅作、名は百鶴、京山の男にして蒔絵を業とす、晩年京橋銀座の裏通りに住せしが、 慶応三年三月九日溢死すといふ、享年五十二、本所回向院に葬る〟 ◯『浮世絵師伝』p45(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝京水 【生】文化十三年(1816) 【歿】慶応三年(1867)三月九日-五十二 【画系】喜多武清門人? 【作画期】天保~安政 岩瀬氏、名は百鶴、字は梅朔、俗称梅作、山東京山の季子にして、父と共に京橋銀座一丁目に住す。文 政十三(天保元年)に描きし『熱海温泉図彙』(京山編)の挿画に「十五歳京水筆」とあり、蓋し処女 作ならむか、また天保七年版の『北越雪譜』(鈴木牧之編、京山刪定)及び同十三年版の同書第二編も 京水の挿画にして、其の画風を見るに喜多武清に学びしかと思はるゝ点多し、其の他尚ほ、天保乃至嘉 永版の『絵図見西行』(京山作、国貞画)十一編揃の扉絵、及び京山八十九歳(安政四年)の落款ある 父子合作の絵びら(桃太郎の図)等あり。墓所本所回向院〟 ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊) ◇「慶応元年(四月十八日)乙丑」(1865) p242 〝此頃より、絵合流行し、此年芳幾・是真・京水・幾丸・鳥居清満(六代歟)鄰春・玄魚等の合作『花吹 雪』二冊出版、蓋し絵合なり〟
◯「日本古典籍総合目録」
(国文学研究資料館)
〔岩瀬京水画版本〕
作品数:2点 画号他:百鶴・岩瀬百鶴・岩瀬京水 分 類:地誌2 成立年:天保3・7・13年(2点)
〈『熱海温泉図彙』山東京山作、文政十三年序、天保三年刊、『北越雪譜』鈴木牧之著、初編天保六序・同七年刊、二 編同十一序・同十三〉