※「近代書誌・近代画像データベース」国文学研究資料館
☆ 明治三十三年(1900)
◯『こしかたの記』p129(鏑木清方著・原本昭和三十六年刊・底本昭和五十二年〔中公文庫〕)
「傘谷から京橋へ」
〝 病気がちだった私も、明治三十三年を迎えると、どうやら健康を取り戻していた。新聞は、東京の
「人民」と、まだ仙台の「東北」とを受け持っていたのと、吉川弘文館の教科書の版下などが凡そ極ま
ってはいる月々の収入になって、とにかく暮らして行けたが、その頃挿画家としては、春陽堂とか博文
館と一流書店の出版に、口絵を画くところまで行かなければ、力士なら幕内、役者なら名題の数に入っ
たとは云えず、延いては生活の安定も望めなかった。
文芸出版をする書肆には常勤の画家を置いた頃で、春陽堂から社員の田代暁舟が傘谷へ尋ねて見えた
のは、思い設けない「新小説」に口絵依頼の用向であった。内田魯庵の小説「青理想」と云うもので、
色は墨とも四色との限定である。少くとも五、六色なければと思うのだが選り好みをする場合ではない
ので直ちに引き受けたが、まだ色摺ものに慣れぬ不覚さに、必要以上狭義に解釈して、五月号の配本を
見た時は、顔を掩(オオ)いたなるほどの生硬未熟、紅と藍との掛け合せで出る筈の紫などは、むやみに赤
茶ちゃけて拯(スク)い難い安っぽさに墜ちている。こんなことでは二の矢の望みはないと諦めていたら、
その年の内にまた引き続いて頼まれた。あやにく右の眼を患ってはいたが、眼帯をかけたままで執筆し
た。原稿は川上眉山のもので題名は忘れたが、掲載されたのは「新小説」第十三巻であった。二度とも
使いに立った暁舟は竹内桂舟門の秀才で、翌三十四年には「新小説」誌上に、鏡花の「註文帳」と「袖
屏風」とに口絵を画いている。これまでの鏡花ものにある一流の大家の口絵にこれだけ著者を理解して
筆を執ったのは見かけなかった。この暁舟氏はどういう理由か程なく春陽堂を罷めて、その後の消息が
伝わらない〟
☆ 明治三十四年(1901)
◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治三十四年刊)
暁舟画
『通夜物語』口絵・表紙 永洗・見返 暁舟 泉鏡花 春陽堂(4月)〈2ページ大色摺口絵。初出は明治32年大阪毎日新聞〉
『日の出島 曙の巻』口絵・表紙 暁舟 村井弦斎 春陽堂(下 12月)〈2ページ大色摺口絵〉
◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治三十四年刊)
暁舟画『思ひ思ひ』挿絵 暁舟 古洞 春帆 瑤舟 沖舟 桜痴居士 春陽堂(8月)
☆ 明治四十年(1907)
◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治四十年刊)
暁舟画
『夫(つま)さだめ』口絵 暁舟・装幀 未詳 伊原青々園 春陽堂(前編 5月)
〈画工名は同年12月刊『新朝顔日記』の巻末広告による。後編は英朋画、7月刊〉
『嶋の美少年』 口絵 暁舟・表紙 未詳 伊藤銀月 春陽堂(10月)〈2ページ大折込口絵〉
☆ 明治四十一年(1908)
◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治四十一年刊)
暁舟画『破天荒』口絵・表紙 田代暁舟 高野弦月 小川尚栄堂(4月)
◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治四十一年刊)
暁舟画?『光』口絵・表紙 未読(暁舟?) 小川煙村 春陽堂(12月)
☆ 明治四十二年(1909)
◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治四十二年刊)
暁舟画『惑星』口絵・装幀 暁舟 小川未明 春陽堂(2月)
☆ 大正七年(1918)
◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(大正七年刊)
暁舟画『塚原卜伝』口絵・挿絵・表紙 暁舟 宝井馬琴 博文館(8月)(長篇講談35)
☆ 大正八年(1919)
◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(大正八年刊)
暁舟画
『日本左衛門』口絵・装幀 暁舟 伊藤燕尾 博文館(5月)(長篇講談43)〈2ページ大色摺折込口絵〉
『古市十人斬』口絵・挿絵・表紙 暁舟 米川求女 講談社(11月)(長篇講談47)〈口絵画像欠〉
☆ 昭和以降(1826~)
◯「幕末明治の浮世絵師伝」『幕末明治の浮世絵師集成』p87(樋口弘著・昭和37年改訂増補版)
〝暁舟(ぎようしゅう)田代英虎、竹内桂舟の門人。信州の人、雑誌の挿絵がある〟