「第9」の場合

(99/5/18掲載)


ARTE NOVA 74321 65411 2
 ジンマンによるベートーヴェン全集の最新録音、「第9」(9812月録音)です。不思議なことに、この演奏はベーレンライター版に極めて忠実に従っています。「モダン楽器によるベーレンライター版の世界初録音」をうたい文句にしているのですから、ベーレンライター版に忠実なのは不思議でもなんでもないと普通は思うものですが、それがそうではなかったのがこの人の面白いところなのです。
 ここで、おさらいという意味で、今までの録音でいかにジンマンがベーレンライター版にそむいた演奏をして来たかを振り返ってみましょう。
6(973月録音 5楽章113小節目:Flの付点二部音符がe
89712月録音) 1楽章23小節目:1Flの最後の一六部音符がf
3楽章トリオ:Vcがソロ
3985月録音) 3楽章:スケルツォ後半の繰り返し
4楽章第2変奏:弦楽器がソロ
 この辺の事情については、こちらでちょっとご紹介した「音楽の友」4月号で一部判明した部分がありましたが、さらに「レコード芸術」5月号掲載のジンマン自身へのインタビューによって、その全貌が明らかになりました。私が推察したように、この時点までは、ジンマンは自分で「研究」した楽譜を使っていたのですが、9812月の1,3,9番の録音セッションになってやっと「これではいかん」と反省して、デル・マー版に真剣に目を通すようになったのです。
 ところで、このCDにはボーナストラックとして「ゲネラル・パウゼ付き第
4楽章」というのが収められています。第4楽章の746小節目と747小節目の間にGPを入れるというものです。この件については、ジンマン自身がわざわざライナーノーツを寄せていますので、つたない訳ですがお読みください。
「ジョナサン・デル・マーの『校訂報告』を読んでいるうちに、たまたま私はベートーヴェンのオリジナルの自筆稿に関する注釈が目に入った。それによると、"Bruder"という言葉のすぐ前の小節の間にゲネラル・パウゼが書かれていたというのである。後に演奏する際に使われた楽譜では、ベートーヴェンはこのゲネラル・パウゼを取り去ってしまい、それ以来ずっとこの形での演奏が定着したのである。そういう訳だから、我々が自筆稿を参照して演奏するにあたっては、このパッセージが最初に意図された形を聴いてみるというのは、興味があることである。なぜベートーヴェンがこの箇所を今のような形に変えたのかという理由ははっきりしてはいないが、我々は今の形で聴くことにすっかり慣れきっているため、ほかの形での演奏を思い浮かべることは出来なくなっている。同時に、このことは、音楽学者の仕事というものが、いかに人々の想像力を刺激することができるのかということを、端的にあらわしている。」David Zinman(Translated by jurassic)
 ジンマンのこの短いコメントには、数々の示唆が含まれています。まず、校訂報告に目を通すほど、きちんとデル・マー版を勉強したのだということ。これで、9番では「楽譜通り」演奏しているわけが理解できます。それから、かなりうがった見方ですが、3番や8番の校訂報告をちゃんと読んでみて、いままでの録音の過ちに気づいて焦りまくったジンマンが、もはや手遅れなのですが、罪滅ぼしの意味も含めて「音楽学者」デル・マーの業績をもちあげるようなこういうコメントをわざわざ書いたのではないかということ。
 ちなみに、正式に採用こそされてはいませんが、このゲネラル・パウゼについては、デル・マーも否定はしてはいないのですから、反省する前のジンマンでしたら、こんな言い訳がましいコメントなどは書かず、最初から「ゲネラル・パウゼ付き」の方をメインで録音していたことでしょう。人間変われば変わるものです。それとも、ひょっとしてこんなことは考えられません?ジンマンはやはり「ゲネラル・パウゼ付き」だけを録音したかったのです。ところが、聡明なディレクターか、あるいはベーレンライターの関係者が「それだけはやめてください。」と懇願した結果、今のような形に落ちついたのだと。この方が話としては断然面白いですよね。