(99/4/13掲載)


 ドイツでは昨年末に発行になったのですが、船便のためやっと今になって入手出来ました。
 「田園」の原典版については、一昨年の春に下野さんの指揮で私たちがこの曲を演奏した時に、児島新の論文をもとに詳しく述べましたので、まだ記憶にある方もいらっしゃることでしょう。偶然にも、あの時下野さんは当時の唯一の原典版であった「ハウシルト版」を参考にして、かなり精度の高い訂正を行っていましたので、私たちは一足先に原典版の音を実際に体験することが出来たのでした。
 今回の楽譜でのデル・マーの仕事は、基本的には児島新の改訂とほぼ同じものになっています。しかし1箇所、第5楽章の114小節目の1番フルートの最初の付点四分音符については、「前の小節からタイでつながっている」とする児島の説を退け、自筆稿のままのeを採用しています。
BA 9006/page108より転載
 ところで、この欄にたびたび登場しているデイヴィッド・ジンマンの指揮による「ベーレンライター版にもとづく」CDでは、113小節目の付点二部音符までもがeになっています。これはいったいどういうことだろうと思っていたら、完璧なタイミングで私のかねがねの疑問が氷解するような情報が入手できました。
 それは、下野さんの記事も載っている「音楽の友」4月号の巻頭のジンマンの紹介記事です。これを読んで明らかになったのは、ジンマンはベーレンライター版が出版されるずっと前からベートーヴェンの楽譜の研究を行っていて、たまたま同じようなコンセプトのベーレンライター版が出たので、それを使って演奏することにしただけだ、という事実です。もちろんジョナサン・デル・マーとは一面識もないそうなのです。思っていた通り、ジンマンの演奏はジョナサン・デル・マー校訂のベーレンライター版とは縁もゆかりもない、まさに「ジンマン版」だったのです。おそらくジンマンは、デル・マーの校訂報告などはろくすっぽ読んでもいないか、仮に読んでいたとしても、これはオレの解釈とはちがうと、頭から無視をきめこんだのでしょうね。
 したがって、たとえ目指したものは同じであっても、たとえば以前「エロイカ」についてで紹介したとおり、もとの資料の評価のしかたが全く異なっており、その結果かなり重要な箇所でベーレンライター版とはまったく別の解釈になってしまっているのです。当然のことですが、こういう楽譜を「ベーレンライター版」と呼ぶことはできませんよね。
 しかし、CDのジャケットに「ベーレンライター版に基づく」という、事実とは全く異なる表記がされていれば、何も知らない人はジンマンの演奏を聴いて、これがベーレンライター版だと信じ込んでしまいます。今からでも遅くはありません。ぜひとも「ベーレンライター版に基づく」という肩書だけははずして下さい。(だれに頼んでるんだ?)
 ちなみに、ジンマン、チューリッヒ・トーンハレというこのコンビは、6月に来日して「ベーレンライター版」ベートーヴェンを演奏することになっています。ここで選ばれている曲目が、5番と7番という、まだ出版譜が公になっていないものだというのは、単なる偶然なのでしょうか。あの「エロイカ」を演ってしまっては、楽譜を見ていればいくらなんでも「これはベーレンライターとは違う」と気がつく人が出てくるに違いない判断して、あえてまだ楽譜が大衆の目に触れていない曲をプログラミングしたのではと邪推する人は、ひねくれものと呼ばれて葬り去られてしまうのでしょうか。