スタジオデブリ。

(25/8/1-25//)

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8月7日

FREE SPIRITS
Edith Van Dyck(Fl)
Richard Shaw(Pf)
ET'CETERA/KTC 1845


エディット・ファン・ダイクという、全く初めて聞いた名前のベルギーのフルーティストのアルバムです。彼女はベルギーやオランダの大学で学んだ後、ロンドン王立音楽アカデミーでも学び、2009年より、アントワープ交響楽団の首席奏者を務めているそうですね。ということは、現在は40歳前後でしょうか。写真を見ると、もうちょっとお年を召しているかな、という感じですけどね。
ソリストとしては、ピアニストであるお母さんと一緒に、2015年にこのET'CETERAレーベルからプロコフィエフやマルティヌーのソナタといった、「定番」のアルバム(KTC1514)をリリースしていました。それはサブスクで聴けるので、プロコフィエフを聴いてみたのですが、まあ、ピアノがちょっと冴えないかな、ということもあって、フルートも凡庸の域を出ないような演奏でしたね。ただ、第1楽章で、ほとんどの人がランパル版に従って1オクターブ高く演奏している15小節目のアウフタクトからの2小節間は、オリジナル通りに吹いていましたけどね。
それから10年後のこのアルバムを聴くと、彼女は全く別の人ではないかと思われるほどの変貌を遂げていました。もう、表現力の幅がとんでもないことになっていたのですよ。
このアルバムで取り上げられている作曲家は全部で8人、もちろん、その中には女性も入っています。そして、彼(彼女)たちの国籍が、イギリス、ドイツ、ハンガリー、アメリカ、そしてロシアと、5ヶ国になっています。ロシアだけ、4人の作曲家が参加していて、他の国は1人ずつです。そして、それらをまとめる共通項としてアルバムタイトルの「自由な精神」が設けられています。それは、これらの作曲家たちが、いずれも「真摯に自らの道を選んだ」人たちなのだ、と、ダイクはブックレットで述べています。それは、特に、いずれも故国から離れて活動の場を求めた4人のロシアの作曲家たちに当てはまる概念です。
というような、ある意味堅苦しいコンセプトは、実際の音楽を聴くときにはいささか邪魔になってくるかもしれません。なにしろ、ここでのダイクの演奏には、その表現力を武器にした、なんとも柔軟性に富んだ、自由奔放な「精神」が宿っていたのですからね。
最初のアーノルド・バックス(イギリス)の「4つの小品」は、もともとはバレエのために作った音楽で、とてもキャッチーな曲が並んでいますが、それらを、ダイクは、もうおもちゃ箱のような次に何が出てくるかわからないという曲に変えていました。
次は、頭でっかちでとっつきにくいと思っていたジークフリート・カルク=エラートの「フルート・ソナタ」が、なんとも小気味よく彼女の手の上で踊りだします。これはとてもショッキング、まるで魔法のように、曲の魅力が間近に迫ってくるのですからね。
そして、この中では最もポピュラーな、バルトークのピアノ曲をポール・アルマがフルートとピアノのために編曲した「ハンガリー農民組曲」も、「あれま」と思えるほどの変わりよう。前半の5曲は結構シンプルで、いつも聴いていて退屈してしまうのですが、ここでのフルートは違います。そんなシンプルさの中に込められている情緒を、持ち前の表現力で最大限に魅力的なものに仕上げてしまっています。もちろん、後半の「古い舞曲」も目のすくような鮮やかなテクニックで吹き切っています。
アメリカのローウェル・リーバーマンのフルート協奏曲は聴いたことがありますが、フルート・ソナタはこれが初めて、これは第1楽章で楽想が変わるところがありますが、この演奏ではその変わりようがものすごい落差になっています。
そして、ロシア勢の4人。ソフィア・グバイドゥーリナだけ2曲で、あとのヴラディスラフ・アレクセイエヴィチ・シュート、エディソン・デニソフ、エレーナ・フィルソヴァは1曲ずつです。いずれも小曲ですが、それぞれに個性的なところを、ダイクは思いっきり強調してくれています。最後のフィルソヴァの作品「Twilight Bells」では、その「Bells」を表すピアノのパルスに乗って、フルートは最後の超ピアニシモに向けて、祈りを奏でていました。

CD Artwork © Quintessence BVBA


8月5日

SACRED TREASURES OF ROME
Charles Cole/
The Schola Cantorum of the London Oratory School
HYPERION/7128435


1849年に設立されたロンドン・オラトリオ(正式名称:ロンドン聖フィリップ・ネリ・オラトリオ修道会)には、ロンドン・オラトリオ・スクールという教育機関があります。ここでは、普通の公立校のカリキュラムの他に、合唱の教育を受けるコースもあります。そこに1996年に作られた聖歌隊が、ロンドン・オラトリオ・スクール・スコラ・カントルムです。メンバーは、7歳から18歳までの少年たちです。ただ、2022年からは、奨学金制度が導入されて、大学での学業と並行して、この聖歌隊で歌い続けることも出来るようになったのだそうです。今回の録音に参加しているメンバーは全部で50人ほど、その中の半数がトレブルパートです。そして、全メンバーの平均年齢は14歳なのだそうです。
彼らは、イギリス国内だけでなく、世界各地での礼拝やコンサートに出演しています。最近では、モンテヴェルディの「ヴェスプロ」、バッハの「ロ短調ミサ」、「ヨハネ受難曲」、「マタイ受難曲」といった大曲も演奏しているようですね。
現在の指揮者は、2012年からこの合唱団の指揮者を務めているチャールズ・コールです。グレーの服が好きなのでしょう(それは「チャーコール」)。彼の音楽家としてのキャリアは、ウェストミンスター大聖堂の聖歌隊として歌った時から始まっています。その後、オクスフォード大学に進みますが、卒業後はウェストミンスター大聖堂に戻って、オルガニストとして、聖歌隊の指導を行っていました。
彼らは、録音も、複数のレーベルで行っています。このHYPERIONレーベルでは、「SACRED TREASURES(聖なる宝物)」というシリーズのアルバムを、これまでに「クリスマス」、「スペイン」、「ヴェニス」と作ってきており、今回は「ローマ」となっています。ローマ近郊のパレストリーナに生まれた、ルネサンスの巨人ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ、いわゆる「パレストリーナ」が生まれたのが1525年ごろ(正確な生年は分からないのだとか)ということで、今年は「生誕500年」にあたっていますから、その「パレストリーナ」の作品を中心に作られたのが、このアルバムということになります。
それにしても「500年」、つまり「5世紀」も前の音楽が今でも聴くことができるなんて、すごいことだとは思いませんか? ただ、もちろんその頃の楽譜を使って、その音楽を再現しているのですが、それは今の楽譜とはかなり異なっていたようですね。
たとえば、この楽譜は、この中でも歌われている「バビロンの流れのほとりで(Super flumina Babylonis)」という有名な曲のものですが、ここでは五線の中には小節線が書かれていませんね。
そもそも、別の曲ですが、元の写筆稿はこんなのでしたし。
もちろん、今回の聖歌隊は、現代の楽譜にきっちり書き直されたものを見ながら歌っているのでしょうね。
その声を聴いてみると、トレブルパートはとてもまとまっていて、ありがちな拙い歌い方なども聴こえては来ない、ハイレベルの演奏でした。かなりの大人数ですが、それがもっとコンパクトに聴こえて来るのは、しっかり訓練が行き届いているからなのでしょう。
そして、テノールパートが秀逸でした。これも、聖歌隊にはありがちな、変に大人の声になっているのではなく、まだまだ「少年」という感じが抜けていない無垢なところがあって、それがトレブルと見事に融合しているのですね。さらに、時折、とても澄んだ高音が聴こえてくることがあります。それはとても見事なアクセントとして、的確なサウンドとなっていました。
ただ、ベースのパートは、やはり現代の合唱団としては物足りなく感じてしまうでしょうね。ただ、そんな、ある意味ひ弱な声も、ポリフォニーの中ではとても好ましいものに感じられます。
最後のトラック、パレストリーナの「汝はペテロなり(Tu es Petrus)」という6声の曲では、最初に高い3つの声部が出てきて、その後、下の3つの声部がそれを模倣するという形をとっているのですが、その雰囲気が、その300年後に作られたブルックナーの「アヴェ・マリア」という、7声のモテットと酷似していることに気づいて、愕然としているところです。

CD Artwork © Hyperion Records Ltd


8月3日

SAVAŞKAN
Music for solo flute & electronics
Noemi Győry(Fl)
MÉTIER/MEX 77137


ノエーミ・ジェーリという、1983年にハンガリーで生まれたフルーティストが、シナン・カーター・サヴァシュカンという、1954年にトルコに生まれ、現在ではイギリスに帰化してロンドンを中心に活躍している現代作曲家のフルートとエレクトロニクスの作品を録音しました。
これまでにここでシューベルトドップラーという割と有名な曲の2枚のアルバムを紹介しているフルーティストのジェーリですが、現代曲も演奏するんですね。彼女は、まずはハンガリーのリスト音楽院で学んだ後、オーストリア、ドイツ、フィンランド、そしてイギリスで勉強を続けます。その間に師事したフルーティストは、アドリアン、ニコレ、アルトー、マイゼン、ベネット、アランコといった、フルートが好きな人ならだれでも知っている有名人の名前が網羅されています。そして、最終学歴はロンドン王立音楽院の博士課程修了というのですから、すごいですね。ちゃんと博士論文も書いていますし、卒業証書もしっかり保存してあるのでしょうね。
彼女は、ヨーロッパ中でソリストとして活躍していて、多くの有名なオーケストラとの共演も行っています。さらに、BBCフィルとかウィーン国立歌劇場管弦楽団には、客演首席奏者(エキストラ)として招かれたこともあります。そして、これまでに、いくつかtのオーケストラの首席フルート奏者も歴任しています。
サヴァシュカンという、お魚は嫌いそうな名前の作曲家(それは「鯖、好かん」)は、「pitch-time structuring method」という作曲技法を自ら開発して、作曲を行っているのだそうですが、それがどんなものなのかは、説明を読んでもよく分かりません。ブックレットには、方眼紙に様々な円や五線紙が書いてある「スケッチ」が紹介されていますが、こういうことをやっているのでしょうね。
さらに、彼は、エレクトロニクスによる作曲も行っていて、このアルバムの中でも、フルートのバックにそのエレクトロニクスによるトラックが流れているものがあります。ここでは、彼は基本的に実際にフルートの音、それは、普通に吹いたものだけではなく、あらゆる現代奏法によるノイズ、たとえばキーを叩く音とか、息を吹き込むだけで、音は出さない時に出る息音などを素材にして、そこに様々な変調を加えて一つのトラックに仕上げたりしています。その際には、もう一人の技術者の協力で、より音楽的なものを作っています。
ですから、アルバムの冒頭でまず聴こえて来るのは、彼女が息を吹き込んだ、かなりインパクトのある爆発音です。バックには、ドローンのように、静かなノイズが延々と続いています。そこに「生」フルートの演奏が加わってくるのですが、その音が、電子音のエッジの効いた音と拮抗するような録音になっているので、生の音ではなく、なんというか、とても「機械的」な音として迫ってきます。おそらく、これはこのアルバムにおけるサウンド・デザインの一環としてのフルート、という位置づけなのでしょうね。ですから、普通のコンサートでは絶対に聴けないような、がっちりとした音となっています。
それは、エレクトロニクスが入らない、フルートのソロのトラックでも採られている録音のスタイルですから、その強靭な音には圧倒されますね。
確か、武満徹の初期の代表作の「Voice」でも、きっちりとPAが用意されていて、決して「生音」は聴かせないようなところで演奏されるフルート・ソロの曲がありましたね。もしかしたら、その思想を、サヴァシュカンはこのアルバムで用いていたのかもしれない、などという、根拠のない憶測まで、沸いてきます。
というか、この「Voice」は、まさにアヴァン・ギャルドの、特殊奏法のオンパレードだったのですが、サヴァシュカンの音楽からは、まさにその武満の、もう少し先になると使われる音の跳躍とか、もっと言えば「メロディ」までが、はっきりと聴こえて来るのですよ。
他の作品でも、そちらは武満ではなく、ヴァレーズの「Density 21.5」に酷似した部分が有ったりしますから、サヴァシュカンの頭の中には、この時代の音楽が原体験として残っているのかもしれませんね。

CD Arteork © Divine Art Ltd


8月1日

RUTTER
Magnificat, Bruder Heinrichs Weihnachten
Carmen Fuggiss(Sop)
Arndt Schmöle(Narr)
Jörg Breiding/
Knabenchor Hannover
Nürnberger Symphoniker
RONDEAU/ROP7004


2006年に録音され、翌年リリースされたジョン・ラッターの作品を2曲収録したアルバムですが、今頃になってサブスクからリリースされました。以前、そのCDは購入していたのですが、「マニフィカト」はともかく、そのカップリングだった「修道士ハインリヒのクリスマス」という曲が、ほぼドイツ語のナレーションだけというものなのに、ブックレットにはそのテキストの英訳などは掲載されておらず、なんか絵本のようなものだけがあっていまいち正体不明だったので、それを紹介するのはスルーしていました。
それが、最近ではサブスクで、その初録音のアルバムのブックレットも読めるようになり、初めてその全容が分かったので、改めて聴きなおしてみました。「ハインリヒ」が作られたのは1982年、初録音は1985年でした。
そもそも、今回のアルバムのブックレットの装丁が、ちょっとトリッキーでした。
このように、「マニフィカト」は普通に印刷されているのですが、「ハインリヒ」の方は、後ろから、ブックレットを180度ひっくり返して読むようになっていたのです。そして、そこにあったこの曲に関する情報は、10枚のイラストだけでした。オリジナルはもちろん英語で書かれた、ラッター自身によるその物語は、初録音盤ではあのキングズ・シンガーズの初代ベースのブライアン・ケイが朗読していましたね。それが、ここではドイツ語に直されたものが読まれています。そして、90パーセントはその朗読だけで、合唱はほんの少ししか入っていません。
そのカール=ハインツ・ブレヒャイスという人が書いた「絵本」とともに、初録音盤のブックレットでやっと分かったそのあらすじをご紹介しましょう。
修道士のハインリヒは、修道院の庭に生えているブドウを採ってワインを作るのが仕事、その時に石臼でブドウをつぶし、搾るのは、友達のロバ、ジギスムントでした。
ハインリヒは、いろんな楽器が弾けますし、歌もうまいので、修道院の合唱団の指揮者を務めています。その時にはジギスムントも一緒に歌います。でも、彼は2つの音しか歌えません。
ある日、ハインリヒは修道院長から呼び出され、クリスマスに大司教がこの修道院にやってくるので、その時にクリスマスキャロルを聴かせるように命じます。
そこで、合唱団のメンバーと何を歌うのか相談するのと、みんなからはハインリヒがそのために新しい歌を作るべきだ、と言われますので、彼は作曲を始めますが、なかなか良いメロディが浮かびません。修道院長からはジギスムントが歌うことも禁じられて、もはや曲を作るのもあきらめようと思いました。
そんな、悶々とした気持ちで、夜中にジギスムントと庭を歩いていると、星空から天使の歌声が聴こえてきました。
早速部屋に戻ってハインリヒは今聴いた歌のメロディを楽譜に書き留めました。ところが、最後の部分の音がどういうのだったか、思い出せません。そこで、ジギスムントに聞いてみると、彼は、自分が歌える2つの音で、それを伝えてくれたのです。
これで、曲は完成しました。早速、大司教の前でお披露目です。
大司教は、大いに喜んでくれました。会食も終わって、厩舎へジギスムントを送っていくときに、ハインリヒは、今日のことを語り合いました。今夜は、幸せな夜になることでしょう。

というお話でした。ですから、合唱は空から聴こえて来た天使の声と、完成したキャロルだけです。小さなアンサンブルで、BGMも流れますが、その中でファゴットがジギスムントの「声」を表現していましたね。
「マニフィカト」は、1990年に作られています。そのテキストは、バッハの曲で有名ですが、それは「ルカによる福音書」から取られていて、多くの作曲家によって音楽が作られていますね。ラッターは、それが聖母マリアがキリストを産むことを知った時の賛美、喜び、そして神への信頼を詩的に表現したものだということから、中南米音楽のテイストをここに盛り込んだようです。最初に出てきて、最後にも繰り返されるモティーフは、バーンスタインが作った「ウェストサイド・ストーリー」の中のプエルト・リコ風の曲「アメリカ」を思わせる軽快さです。

CD Artwork © Rondeau Production


おとといのおやぢに会える、か。



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