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釧路失言。
もちろん、それは、ある意味「ジョーク」なのでしょうが、ここではオリジナルの「ブランデンブルク協奏曲」は、実際はだいぶ前に作られていたものに手を入れたものだということに倣って、同じ「6曲」でワンセットになっている、オルガンのためのトリオ・ソナタを、「協奏曲」、正確には、複数のソリストが参加する「合奏協奏曲」の形に編曲したのです。そもそも、1730年頃までに作られたとされているこのトリオ・ソナタは、それ以前に作られていた曲を集めて再構築されたものなのですからね。 そのようなコンセプトを提案し、実際に「編曲」を行ったのは、ここで演奏しているコンチェルト・コペンハーゲンの首席オーボエ奏者でバロック・オーボエの第一人者、アントワーヌ・トリュンツィクです。この人の名前は、日本語ではどのように発音すればいいのかは、よくわかりません。「取り付く島もない」のですね。 その編曲にあたって、彼は、協奏曲のソロパートを、バッハの時代には盛んに使われてはいても、現代ではなかなか聴く機会のない楽器にゆだねる、という方法をとっていました。それらは、オーボエ・ダ・カッチャ、ヴィオラ・ダモーレ、そしてヴィオロンチェロ・ダ・スパッラなどという名前の楽器です。一つでも知っている、という人は、かなりのマニアです。 オーボエ・ダ・カッチャというのは、オーボエ族の低いパートを担当する楽器で、現在ではコール・アングレ(イングリッシュホルン)でそのパートを演奏することがあります。 ヴィオラ・ダモーレは、ヴィオール族の楽器で、ヴァイオリンよりちょっと大きめ、弦が7本のものもあって、それぞれの弦の下に共鳴弦があるので、糸巻は14個必要です。ヴァイオリンよりも軽やかな音が出ます。 ![]() ![]() 最初に演奏されているのは、5番目のトリオ・ソナタの第3楽章です。まずは、いきなりオーボエ・ダ・カッチャのにぎやかな、というか、ほとんど民族楽器のような響きが聴こえて来たのに驚かされます。そこでは、ヴァイオリンの声部も聴こえますし、もう一つ、ファゴットのメロディも重なっています。ということは、オリジナルは2つのメロディ楽器と通奏低音という「トリオ」なのですが、ここでは通奏低音もちゃんと入っているので、オリジナルよりも1つ声部が増えています。つまり、トリュンツィクは、オリジナルに全く新しいメロディを付け加えていたのでした。確かに、タイトルには「Expanded」とありました。でも、それは、しっかりとバッハの様式とマッチして、何の違和感もありませんでした。あたかも、この編成でバッハが作った知られざる合奏協奏曲、みたいな趣ですね。 でも、最後のトラックでは2番目のトリオ・ソナタの第2楽章が、こちらはフラウト・トラヴェルソがメインになっていて、それをヴァイオリンとヴィオラ・ダモーレが控えめに飾っているという、素敵な編曲でした。トラヴェルソも上手ですね。 Album Artwork © Berlin Classics |
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オリジナルは、1964年5月に録音されていて、同じ年にLPがリリースされています。ただ、その年だと、もうすでにステレオ盤が普通に出回っていたころでしょうが、これは最初はモノラルでリリースされていましたね。というか、モノラルとステレオの両方が、ほぼ同時に店頭に並んでいた、という状況だったようです。確かに、まだまだステレオの再生装置が全家庭に行き渡ってはいない頃でしたから、「モノ」の需要も多かったのでしょうね。 今回の音源は、もちろんステレオですが、それは、なんというか、今のステレオのようなナチュラルな音場ではなく、もっと、左右の定位をこれでもかというほどに強調したものになっていました。 それはどのようなものかと言うと、オーケストラは、ヴァイオリンだけ左端に定位しています。そして、右のあたりにはコントラバスやティンパニ、真ん中あたりに管楽器といった感じですね。その結果、ヴァイオリンのパートだけが突出して聴こえて来るのですが、それが、なんとも高域がブーストされたシャリシャリという音なので、ちょっと軽すぎのような気がしてしまいます。 合唱は、ほぼ真ん中あたりに定位していますが、パートごとにくっきり聴こえてくることはなく、合唱全体として一つの塊で聴こえてきます。 そして、異様なのが、ソリストたちです。まず、ソプラノとアルトは、共に左の奥から聴こえてきます。アルトが内より、ということはなく、2人とも全く同じ位置から聴こえます。そして、テノールとバスはその向かい側、右の奥から、やはり2人とも同じ場所から聴こえてきます。 まあ、このぐらい極端な定位を設定しておけば、どんな安物のステレオ装置でも、しっかり「立体感」が味わえるだろうという発想だったのでしょうね。そういうものが、本気で作られていた時代でした。 時折話し声なども聴こえて来るので、たぶんライブ録音のようですが、その時には、どのような場所でソリストは歌っていたのでしょうね。 ただ、音のクオリティは最悪でした。ヴァイオリンなどは、フォルテになると派手に音がひずんでしまいますし、合唱も同じことです。オリジナルのテープの劣化もあるでしょうが、定位を強調するあまりに、多くのマイクを立てたので、それをミックスする時に歪みが加わってしまったのでしょう。 なぜか、ソリストたちだけは、ほとんど歪みのない、クリアな音で録音されているので、それが救いです。 指揮者のロラント・バーデルという人は、全く知りません。主に合唱曲の指揮を行っていた人のようですね。そして、合唱も、初めて聞いた名前で、その音を聴くのも初めてです。おそらく、プロフェッショナルな歌手の集まりではなく、アマチュアの団体のような気がします。それなりにレベルは高いのですが、ちょっとテンションが高すぎて、聴いていて疲れます。 その演奏は、前回のジュリーニのような穏やかなテンポで進んでいきますが、合唱がちょっとやんちゃなところがあるので、あれほどの安定感はありません。 ただ、ソプラノのウルズラ・ブッケルを始めとしたソリストたちは、みんな素晴らしい人ばかりでした。テノールのハンス・ウルリヒ・ミールシュという人は初めて聴きましたが、とてもソフトな声なのに、しっかり存在感を出していて、楽しめましたね。 バスの人も立派な声でしたし、アルトの存在感は強烈なものでした。 「Lacrimosa」の最後近く、合唱がベースから「Dona eis」と始めるところで、普通はフォルテのまま歌うところを、いきなりピアノにした、というのは、ちょっとしたサプライズでした。そこから徐々にクレッシェンドをかけていって、「Amen」で最高潮に達する、という設計は、なかなか興味深いものでしたね。 Album Artwork © Naxos Rights(Europe) Ltd |
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レッグは、オーケストラの付属の合唱団も作っていました。そして、その指揮者に、戦後のバイロイトで活躍していたヴィルヘルム・ピッツを招聘したのです。ピッツは、レッグが去った「ニュー・フィルハーモニア」の時代にも、合唱指揮者を務めていました。しかし、彼は1973年に亡くなったので、バイロイトの合唱指揮者はノルベルト・バラッチュが継ぐことになりました。そしてバラッチュは、このフィルハーモニア合唱団の指揮者も、ピットから引き継ぐ形で、1975年から1980年まで務めることになります。ですから、この録音での合唱指揮者もバラッチュです。 ちなみに、バイロイトの方では、エーベルハルト・フリードリヒという人が、1991年からバラッチュのアシスタントとなり、2000年には合唱指揮者に就任します。しかし、彼は2024年にカタリーナ・ワーグナーから告げられた合唱団員のリストラに反発して、その年の音楽祭の途中で指揮者を辞任してしまいます。ですから、今年からはエイトラー・デ・リントという人が、合唱指揮をしています。 このジュリーニの録音では、合唱はもちろんそのフィルハーモニー合唱団が歌っています。ジュリーニの表現は、最近の演奏を聴き慣れた耳にはとても新鮮に感じられるものでした。テンポはかなりゆっくり、それに乗って、オーケストラも合唱も、とてもたっぷりとした歌を歌っていて、とても幸せな気持ちにさせられます。たとえば、「Kyrie」の合唱は、最近では「キーリエッ・エッレーイソン」みたいな、音節をきっちり切って、それでなにか切迫感のようなものを出すという歌い方が主流になっているようですが、ここでは「キーリエーエーレーイソン」みたいな、どこにもストレスが感じられない、おおらかな歌い方になっています。それによって、音楽全体にとても豊かな包容力が感じられるようになっています。 その合唱で印象的だったのが、「Conftatis」です。とても荒々しい音楽で始まり、そこではまず男声合唱だけでその荒々しさを受け継ぎますが、その直後に、女声合唱が「ヴォーカメ」という、ゆったりとしたフレーズを、まるで天使の合唱のように慈しみ深く歌いだしたのです。ここは音が高いので、ピアニシモで歌うのはとても大変なのですが、彼女たちはそれを見事にクリアして、まるで天使のような雰囲気を出していましたね。 そして、ソリストたちも粒よりのメンバーが揃っていました。なんたって、アルトがクリスタ・ルートヴィヒですから、なんとも贅沢な人たちが名を連ねています。「Tuba mirum」では、冒頭でロバート・ロイドの堂々たるバスが始まり、あの、とても難しいトロンボード・ソロに乗って朗々と歌い続けます。そして、その後を、今度はテノールのロバート・ティア―の張りのある声が引き継ぎます。そのあとに、クリスタ・ルートヴィヒの、貫禄のあるアルトが歌われ、最後はヘレン・ドナートの可憐な声で締めくくる、という、とても贅沢なソロの応酬が体験できます。最後には、その4人が揃ってのホモフォニックなハーモニーも聴けますよ。 「Benedictus」でも、この4人の重唱が、たっぷり聴けます。それはもう、有無も言わせぬ貫禄で迫ってきますから、もうひれ伏すしかないほどの存在感です。 もちろん、使っているのはジュスマイヤー版。安心して聴いていられます。 Album Artwork © Parlophone Records Limited |
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彼は、売れっ子の作曲家のようで、様々な団体から委嘱のオファーがあるのだそうです。今回の2曲も、それぞれ、ここで演奏しているアンサンブル・モデルンとSWRヴォーカルアンサンブルからの委嘱に応えて作られたものです。 ですから、それぞれ、録音された場所や日時は全く別になっています。アンサンブル・モデルンの「Körper(体)」」は、2022年、SWRの「Gold(金)」は、もっと前の2014年です。こちらは、録音して10年以上経ってからやっとリリースされた、ということですね。ですから、ここでの指揮者マーカス・クリードは、もうこの合唱団の指揮はとっくにやめていますからね。 つまり、これは、彼らがクリードの元で、世界各地の合唱曲を精力的に録音していた頃に録音されていたのでしょう。実際、これは、WERGOではなく、SWRによって録音されていて、今回ライセンスを得てWERGOのアルバムに収録ということになっていたようです。本来なら、SWRからリリースされていたのでしょうが、カップリングが見つからなかったのでしょうか。 多くのジャンルで曲を作っているポッペですが、これが録音された時点では、合唱のための作品はこれが2作目だったのだそうですね。彼にとっては、合唱はレアなジャンルになっていたようですね。 この曲は、ア・カペラで、3つの部分から出来ています。演奏時間が22分以上という、このジャンルとしてはかなりの「大曲」です。 1曲目は、「Moderne Walpurgisnacht」つまり、「新しいワルプルギスの夜」というタイトルが付いています。「ワルプルギス」と聞いて思い出すのは、なんと言ってもベルリオーズの「幻想交響曲」の最後の楽章ではないでしょうか。グレゴリオ聖歌の「Dies irae」が鳴り響く中を、魔女たちが飛び交う怪しげなシーンが登場するという、しっちゃかめっちゃかな音楽ですが、こちらのポッペの曲でも、いきなりのシュプレッヒ・ゲザンクで驚かされます。ただ、それはそのような音程のない声と、きちんとした音程とメロディを持った声とが交互に出てくるという、かなり難易度の高そうなものです。絶対音を持っていないと、歌えないのではないでしょうか。ここでの切迫感は、かなりのものがあります。そんな時にいきなりハモリ始めたりして、もう聴く方の気持ちは乱されるばかりです。 2曲目は曲全体のタイトルの「Gold」に対しての「Silber」です。これは、グリッサンドを多用した粘っこい音楽で、すぐに終わってしまいます。 3曲目は「Notturno」。タイトルで、穏やかな曲調を予想していたら、確かにそのような、かっちりとしたコラールなども出てきます。でも、もちろん、そこで使われているハーモニーは、一筋縄ではいかないようなグロテスクなものでした。 その前に演奏されていた「Körper」は、全く別の形態、楽器だけのアンサンブルです。管楽器と打楽器が主体になっていて、ソロの弦楽器と、一応ピアノが2台で、総勢21人ということで、特に「エレクトロニクス」とか「マニピュレーター」といったクレジットはなかったので、おそらくピアニストが、シンセサイザーなども演奏しているのではないでしょうか。 50分近い長さの大曲で、4つの楽章に分かれています。その4つが、まるで古典的な交響曲の4つの楽章のそれぞれのキャラクターみたいに聴こえてきます。ミニマル的なキャラクターが頻繁に登場しますが、それはすぐ別のキャラクターに変化してしまうという、忙しい音楽、計算されつくした混沌を味わうことができます。 CD Artwork © Schott Music & Media GmbH |
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おとといのおやぢに会える、か。
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