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レディー暴言。
メンバーを見ると、指揮者もソリストもすべてイタリア人、合唱団とオーケストラも、ほとんどがイタリア人という、とても珍しい布陣です。 これは、CDやサブスクで聴くことが出来るのですが、その映像も、全てこちらで見ることができます。 オーケストラも立って演奏していますね。 ![]() 何よりもユニークなのが、エヴァンゲリストのカルロ・プテッリという人です。 ![]() しかし、ここでの彼は、その外観で端的に分かるような、極めて場違いな歌い方に終始していたのではないでしょうか。彼は、聖書のテキストをなぞって物語を進行させる、という本来の役割を大幅に逸脱して、いかにもイタリア人らしい情熱的な演奏で、この作品の持つ品位を著しく貶めていたのです。「ペテロの否認」のあとのレチタティーヴォなどは、あまりにも感情をむき出しにしたもので、いくら何でもやり過ぎだと、誰しもが思うことでしょう。 オルガニストでもある、指揮者のチオフィーニは、最初の大合唱では、ちょっと他の人ではやらないようなことをやっていました。オーケストラによるイントロに続いて合唱が入って来たときには「Herr」という言葉を3回繰り返すのですが、それを1回目、2回目、3回目と、次第に音量を小さくしていたのですね。これも、イタリア人ならではの、なんかエモーショナルな表現のように感じられます。そして、その後になると、これまでにどんな指揮者もやったことのない演奏を披露してくれていました。普通に合唱とオーケストラが一緒に演奏していたと思っていたら、いきなり合唱のパートが4人のソリストだけになってしまったのですよ。一瞬、何が起こったのか分からなくなってしまいましたね。 まあ、少し前には、バッハの合唱は、1つのパートは1人だけで演奏するものだ、という主張が声高に唱えられていて、それにまんまと乗せられて実際にそのようなスタイルで演奏したものも数多く残っていますが、もはや現時点では、そのような演奏はまず顧みられないようになっています。チオフィーニは、そんな「過去の亡霊」を、ここで実現させていたのかもしれませんね。もちろん、そのような中途半端な演奏は、作品の品位を貶めるものでしかありません。最後の大合唱と、その次のコラールまでも、こんな「被害」に遭っているのは、耐えられません。さらに、バスと合唱の掛け合いのアリア、「Eilt, ihr angefochtnen Seelen」では、「Wohin?」という合唱までが、ソリストたちによって歌われているのですからね。 そんな、なんとも許しがたいほどのでたらめが横行しているこの演奏ですが、オーケストラと合唱のクオリティが極めて高いことによって、かろうじて鑑賞に堪えるものになっています。特に合唱は、全てのメンバーが同じ物を目指していることがはっきりわかる、素晴らしいものでした。 CD Artwork © La Bottega Discantica |
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ここでは、サン=サーンスは演奏していませんが、「幻想」と、そして、同じ年の9月に録音されていたラヴェルの「ラ・ヴァルス」がカップリングされています。 録音会場は、彼らのホームグラウンドのフィラモニー・ド・パリです。かなり豊かな響きが聴こえそうなホールですから、あまりクリアな音は期待できないような気がしていますが、どうなのでしょうか。 まず「幻想」の第1楽章では、とても繊細な弦楽器の音が聴こえて来たので、まずは一安心です。ヴァイオリンなどでは、もしかしたらノン・ビブラートで演奏しているのではないか、と思えるほどの、ピュアな音でした。そんな、ある意味禁欲的な演奏で聴くベルリオーズというのも、なかなかスリルがありますね。 ただ、木管楽器が、あまり前面に出てきてはいません。第3楽章のバンダのオーボエなどは、もちろん、遠くから聴こえてくるという設定なのですが、今回はあまりにも「遠」過ぎて、いくらなんでも、という気がしましたね。 フルートなども、完全に木管の一部となってハーモニーを作っているのは素晴らしいのですが、もっとソリスティックに聴こえるようなところも欲しかったですね。 第4楽章の「断頭台への行進」などでは、金管のパワーがものすごいことになっていましたね。そして、エンディングでは、弦楽器が面白いことをやっていました。 ![]() そこで、他にもこのような演奏を行っている指揮者がいるかどうか、調べてみました。そういう時のサブスクは、非常に役に立ちます。 その結果、マケラ以外にこのようなことをやっている指揮者が見つかりました。それは、フランツ・ウェルザー=メスト、ロジャー・ノリントン、サイモン・ラトル、ロビン・ティチアーティという4人です。ティチアーティだけは、聴いたことがありましたが、それほどはっきり伸ばしてはいなかったので、気づかなかったのでしょう。それに対して、普通に短く演奏している人は往年の「巨匠」など、とりあえず30人はいましたが、おそらく実際はそれ以上の人がいることでしょう。ですから、マケラは、非常に稀な演奏を行っていた、ということになりますね。 さる音楽ブログで、「第4楽章で一段ギアが上がったようで、かつて聴いたことのないほど細部まで彫琢された『断頭台への行進』。曲のイメージが変わる。お祭り騒ぎ的だと思っていたら、もっと奥行きのある音楽だったという。」と書いていた人がいましたが、もしかしたらこの箇所のことかもしれませんね。とにかくびっくりしましたから。 「ラ・ヴァルス」は録音の時期が違いますが、音もガラリと変わっていたような印象がありました。こちらは、木管がはっきり聴こえてきて、自然なバランスが楽しめます。後半に向けて盛り上げるドライブ感が、とてもすっきりしていますね。 CD Artwork © Decca Music Group Limited |
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おとといのおやぢに会える、か。
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