レディー暴言。

(25/7/11-25//)

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7月13日

BACH
Johannes Passion
Carlo Putelli(Ev)
Sergio Foresti(Jes)
Lucia Casagrande Raffi(Sop)
Lucia Napoli(MS)
Roberto Manuel Zangari(Ten)
Federico Benetti(Bas)
Fabio Ciofini/
Coro da camera Canticum Novum
Accademia Hermans
La Bottega Discantica/BDI 332/333


バッハが「ヨハネ受難曲」をライプツィヒで初演したのは、1724年4月7日のことでした。このアルバムでは、そのちょうど300年後の2024年4月7日に、イタリア中部、ペルージャのサン・ピエトロ大聖堂で行われたその曲の演奏会のライブ録音です。とは言っても、ここで使われている楽譜はバッハがその時に演奏した「第1稿」ではなく、ただの「全集版」なのですから、一向に意味をなしていませんね。
メンバーを見ると、指揮者もソリストもすべてイタリア人、合唱団とオーケストラも、ほとんどがイタリア人という、とても珍しい布陣です。
これは、CDやサブスクで聴くことが出来るのですが、その映像も、全てこちらで見ることができます。
オーケストラも立って演奏していますね。
ソリストは、レチタティーヴォ担当のエヴァンゲリストとイエス、それに、アリア担当のソプラノ、メゾソプラノ、テノール、バスの4人の歌手で、総勢6人です。ただ、バスのアリアは、イエスの人も歌っていましたね。ピラトなども、ソリストが歌っていました。
何よりもユニークなのが、エヴァンゲリストのカルロ・プテッリという人です。
他の人たちは全て黒いスーツ姿だというのに、この人だけがこんな「派手」な衣装で目立とうとしています。この人は、オペラなどでも活躍していますが、この「ヨハネ」のエヴァンゲリストも、2009年に、ヘルムート・リリンクがイタリアで指揮をしたときにデビューしたそうで、それ以来、各地でこの「ロール」を歌っているのだそうです。
しかし、ここでの彼は、その外観で端的に分かるような、極めて場違いな歌い方に終始していたのではないでしょうか。彼は、聖書のテキストをなぞって物語を進行させる、という本来の役割を大幅に逸脱して、いかにもイタリア人らしい情熱的な演奏で、この作品の持つ品位を著しく貶めていたのです。「ペテロの否認」のあとのレチタティーヴォなどは、あまりにも感情をむき出しにしたもので、いくら何でもやり過ぎだと、誰しもが思うことでしょう。
オルガニストでもある、指揮者のチオフィーニは、最初の大合唱では、ちょっと他の人ではやらないようなことをやっていました。オーケストラによるイントロに続いて合唱が入って来たときには「Herr」という言葉を3回繰り返すのですが、それを1回目、2回目、3回目と、次第に音量を小さくしていたのですね。これも、イタリア人ならではの、なんかエモーショナルな表現のように感じられます。そして、その後になると、これまでにどんな指揮者もやったことのない演奏を披露してくれていました。普通に合唱とオーケストラが一緒に演奏していたと思っていたら、いきなり合唱のパートが4人のソリストだけになってしまったのですよ。一瞬、何が起こったのか分からなくなってしまいましたね。
まあ、少し前には、バッハの合唱は、1つのパートは1人だけで演奏するものだ、という主張が声高に唱えられていて、それにまんまと乗せられて実際にそのようなスタイルで演奏したものも数多く残っていますが、もはや現時点では、そのような演奏はまず顧みられないようになっています。チオフィーニは、そんな「過去の亡霊」を、ここで実現させていたのかもしれませんね。もちろん、そのような中途半端な演奏は、作品の品位を貶めるものでしかありません。最後の大合唱と、その次のコラールまでも、こんな「被害」に遭っているのは、耐えられません。さらに、バスと合唱の掛け合いのアリア、「Eilt, ihr angefochtnen Seelen」では、「Wohin?」という合唱までが、ソリストたちによって歌われているのですからね。
そんな、なんとも許しがたいほどのでたらめが横行しているこの演奏ですが、オーケストラと合唱のクオリティが極めて高いことによって、かろうじて鑑賞に堪えるものになっています。特に合唱は、全てのメンバーが同じ物を目指していることがはっきりわかる、素晴らしいものでした。

CD Artwork © La Bottega Discantica


7月11日

BERLIOZ/Symphonie fantastique
RAVEL/La valse
Klaus Mäkelä/
Orchestre de Paris
DECCA/4870959


つい最近手兵のパリ管とともにクラウス・マケラが来日してましたね。頭を刈り上げて(それは「バリカン」)。その時に演奏していた「幻想交響曲」の、2024年12月の録音がリリースされました。日本では、この曲とサン=サーンスの「オルガン」を演奏して、素晴らしいコンサートを実現させていたようですね。サントリーホールとか、ミューザ川崎といった、当然のようにオルガンが備わっているホールでのコンサートですから、存分に楽しめたことでしょう。ただ、仙台に住むものにとっては、そういう体験はわざわざ東京などに行かなければ未来永劫味わえないというのですから、寂しすぎます。そうなんですよ。「楽都」とか言って、さも、音楽には理解を示しているようなフリをしていますが、この街に現在建設が予定されている2つの大きなコンサートホールには、パイプオルガンが設置される予定はないのですからね。恥ずかしすぎます。
ここでは、サン=サーンスは演奏していませんが、「幻想」と、そして、同じ年の9月に録音されていたラヴェルの「ラ・ヴァルス」がカップリングされています。
録音会場は、彼らのホームグラウンドのフィラモニー・ド・パリです。かなり豊かな響きが聴こえそうなホールですから、あまりクリアな音は期待できないような気がしていますが、どうなのでしょうか。
まず「幻想」の第1楽章では、とても繊細な弦楽器の音が聴こえて来たので、まずは一安心です。ヴァイオリンなどでは、もしかしたらノン・ビブラートで演奏しているのではないか、と思えるほどの、ピュアな音でした。そんな、ある意味禁欲的な演奏で聴くベルリオーズというのも、なかなかスリルがありますね。
ただ、木管楽器が、あまり前面に出てきてはいません。第3楽章のバンダのオーボエなどは、もちろん、遠くから聴こえてくるという設定なのですが、今回はあまりにも「遠」過ぎて、いくらなんでも、という気がしましたね。
フルートなども、完全に木管の一部となってハーモニーを作っているのは素晴らしいのですが、もっとソリスティックに聴こえるようなところも欲しかったですね。
第4楽章の「断頭台への行進」などでは、金管のパワーがものすごいことになっていましたね。そして、エンディングでは、弦楽器が面白いことをやっていました。
この、スラーが付いた音符は、普通の録音だと「タラッ、タラッ」というように2つ目の音を切って演奏しているのですが、ここでは「タラー、タラー」と、長くしているのですよ。いままで数多くの「幻想」を聴いてきましたが、こんなことをやっている演奏は初めて聴きました。
そこで、他にもこのような演奏を行っている指揮者がいるかどうか、調べてみました。そういう時のサブスクは、非常に役に立ちます。
その結果、マケラ以外にこのようなことをやっている指揮者が見つかりました。それは、フランツ・ウェルザー=メスト、ロジャー・ノリントン、サイモン・ラトル、ロビン・ティチアーティという4人です。ティチアーティだけは、聴いたことがありましたが、それほどはっきり伸ばしてはいなかったので、気づかなかったのでしょう。それに対して、普通に短く演奏している人は往年の「巨匠」など、とりあえず30人はいましたが、おそらく実際はそれ以上の人がいることでしょう。ですから、マケラは、非常に稀な演奏を行っていた、ということになりますね。
さる音楽ブログで、「第4楽章で一段ギアが上がったようで、かつて聴いたことのないほど細部まで彫琢された『断頭台への行進』。曲のイメージが変わる。お祭り騒ぎ的だと思っていたら、もっと奥行きのある音楽だったという。」と書いていた人がいましたが、もしかしたらこの箇所のことかもしれませんね。とにかくびっくりしましたから。
「ラ・ヴァルス」は録音の時期が違いますが、音もガラリと変わっていたような印象がありました。こちらは、木管がはっきり聴こえてきて、自然なバランスが楽しめます。後半に向けて盛り上げるドライブ感が、とてもすっきりしていますね。

CD Artwork © Decca Music Group Limited


おとといのおやぢに会える、か。



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