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※ここまでのあらすじ

この作品はシビアな内容を含んでいます。危険な事、法律に触れる事は、絶対に真似しないでください。

表 紙
第1章 絵を描く少女
第2章 壊れた家
第3章 裏切り
第4章 嘘の記憶
第5章 衝 動
第6章 雪の舞い降るあの坂を
第7章 哀しい再会
最終章 小さな天使が眠るとき




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†第2章
 壊れた家

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05
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 曲がりくねった薄暗い坂を駆け足で下ると、すぐに踏切が見えてきた。
 私はある程度近づいたところで足を止め、物陰に隠れて辺りを警戒した。
 いくら未遂に終わったからとはいえ、人が線路内に立ち入り後一歩で人身事故になっていたわけだから、鉄道関係の人間や警察官が現場検証に来ているかもしれないと思ったからだ。

 だけど踏切に何の変化も無く、私が飛び込んだ事実なんて一切なかったと言わんばかりに電車は行き交っていた。
 飛び込んだのは夜で今は夕方。
 少なくても一日は経っている。
 ということは、もうすでに調べ終わってしまったのか、それとももしかして最初からスルーされたのか。
 もしスルーされたんだとしたら、私の命なんてその程度のもので、死のうが生きようがどうでもいいと間接的に言われている気もするから気分は悪い。

 詳しいことはわからない。
 それでも、取りあえずはホッとした。

 今時、信じられないことだけれど、ここは遮断機が一度下りるといつ上がるかわからないという地元では有名な開かずの踏切。
 昔はそんなことなかったのに、最近はいつもひっきりなしに電車が通っていて、黄色と黒の縞模様のポールが下りたきり一時間以上待たされることだって珍しくないらしい。
 実際、私がこの踏切の近くを通ると、毎回いやがらせのように遮断機は下りて警告音が鳴っていた。
 もちろん今も遮断機は下りていて、上がる気配は一向に無い。
 私は最近、この遮断器が上がって線路を渡っている人を見たことがなかったし、渡ったところでその先には坂道と丘の上には寂れた公園がぽつんとあるだけ。
 そんな感じだから、この踏切が存在する意味すらわからない気がしてくる。

 この踏切を使わず向こうに戻るためには、少し離れたところにある地下道を迂回するしかなかった。

 私は仕方なくその地下道を通ることにした。



 元の場所に戻ってくる頃になると、辺りはもうすっかり暗くなっていたが、運のいいことに踏切の近くには街灯が点いていた。

「確かこの辺りに」

 私は線路に飛び込んだ時の記憶をたどる。
 あの時は薬でもうろうとしていたけれど、間違いなく踏切に向かって右手の敷石の上に置いたはずだ。
 でも置いたと思っていた場所には見当たらない。
 下に落ちたのかもしれないと、周りの草むらも探す。
 が、やっぱり無い。

 この場所は目につきやすいところだし、これはもう誰かに持っていかれたと考えるのが自然だった。

 でも、まぁいいんだ。
 別にそんなの大した問題じゃない。
 データはすでにネットに公開済み。
 今頃は結構な数の人間に見られているはず。
 回収はもちろん不可能。
 こうなればもう無くしたスマホはどこにでもある単なる端末にすぎない。
 ネットの状況は何でも確認できる。
 代わりは幾らでもある。
 ただ、それだけの話。



 それから私は、以前一度だけ使ったことのある商店街のネットカフェへと向かった。

 店に着くと急いで手続きを済ませ、個別に分けられた狭いブースへ入る。
 液晶モニターの画面には12月3日と表示されていた。
 踏切に飛び込んだのが2日だから、やはり1日経っていた。

 ヤツらのパニクっている姿を想像しながら自分のパスワードを入力し、サイトのページを開く。
 閲覧者から寄せられる非難のコメントに胸が躍った。
 けれどページを見た途端、私は目を疑ってしまった。

 え、何で!?

 そこには、コメントが一切ないばかりかアップロードしたはずのデータ自体も見当たらない。
 まさか管理人に削除された?
 いやいや、そんなはずはない。
 このサイトはどんなものを公開してもOKなところ。
 だからこそ、ここにデータをまとめてアップロードしたんだ。

 もしかしたら、薬のせいでボケていて操作を間違ったのか?
 それとも一気に大量のデータを送ったから上手くいかず全てキャンセルされてしまったのだろうか?
 でも、そんなことって……。

 私は原因を突き止めなければと、慌ててページのデータ使用量とダウンロードのログも確認してみる。
 容量はアップロードする前と同じで、ログには「エラー」と表示されていた。

 何なんだよ! 単純な話、私はアップロードに失敗してしまったんだ。
 ということは、データはまだ誰にも見せられていないじゃないか!
 一瞬にして血の気がひいた。
 私は頭の中が真っ白になって、そのまま椅子にへたり込んだ。
 パニクったのは私の方だった。

 あぁ、クソッ。
 何であの時、送信の途中でスマホを置いてしまったんだろう。
 さっきはたいした問題じゃないと思ったけれど、これが致命傷になってしまったじゃないか。
 でも、まさかこんなことになるなんて、夢にも思わなかったから。
 私は激しい後悔の念に駆られた。

 人生最後の大仕事のはずだったのに、ことごとく失敗している。
 一体、どうしちゃったんだ。
 もしこんな失敗をしたまま、あの時死んでいたら私はどうなっていただろうか。
 自分の今の状況に実感が沸くにつれ、さらに血の気が引き、手が汗ばみ、今度は激しい不安に駆られた。

 とにかく、やってしまったものは仕方がない。
 ここは落ち着いて一つ一つ整理して考えなければ。
 私は胸に手を置き、気持ちが落ち着くよう努力する。

 まず、例の爆弾データは今はもうあのスマホにしか残っていないから、なんとしても探し出すしかない。
 でも、もし見つかったとしてもデータが消えていたら……。
 もし本体が壊れていたらどうしようもないけれど、そうでない限りデータは大丈夫のはず。
 あのスマホは、古いとはいえ一応防水仕様だから、雨くらいは問題ない。
 それに、指紋認証のロック以外に念のためパスワードのロックもかけてあるから、拾った人間がデータを見るのも消すのも無理。
 本体が無事ならデータも消えることはない。

 大丈夫、大丈夫。
 その点は絶対に心配ない。
 私は自分に言い聞かせるように頭の中で呟き、椅子に深くもたれた。

 隣のブースからブーブー、カタカタ、カタカタという振動がして人が出て行く気配がした。
 あの振動はケータイかスマホのバイブレーター。
 きっと誰かから電話が掛かってきて、ここでは声を出せないからと移動したのだろう。

 そうかっ! 私は椅子から跳ね起きた。
 すっかり忘れていたけれど、スマホは電話をする為のものでもあったんだ。
 自分のスマホを鳴らせばいいんだ。
 そうすれば拾った人が出てくれる。
 もしかしたら相手もそれを待っているかもしれない。
 私はすぐに店を飛び出し、電話ボックスを探した。

 けれど、スマホ全盛期の世の中、見つけるのは意外と大変だった。
 それでもなんとか見つけて10円玉を数枚入れた。
 が、「090」と押したところで私は再び固まってしまった。
 全くどうしようもない。
 今度は肝心の番号がわからない。
 普段、自分のスマホの番号なんて意識していないから全く覚えていない。
 こうなるともう、家に帰って調べるしかなかった。

 ああ、一体、何なんだ!
 私はただやることだけやってさっさと死にたかっただけなのに。
 何でこんなことをやる羽目になってるんだよ。
 今の状況は、できの悪いロールプレイングゲームのみたいに、ただ面倒くさいだけのイベントが次から次へと起こってくる感じだった。


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06
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「あぁー、ほんっとめんどくさいーっ」

 ドン!!

「キャッ」

 イライラして電話ボックスのガラスを叩くと、後ろで誰かが悲鳴を上げた。
 見るとセーラー服を着た女の子が驚いた顔をこちらに向けている。
 なんとそれは友達のエリだった。

「あ〜、ビックリした〜。ミッサキ、どうしたの、そんな怖い顔して」

「エリこそ何で!?」

「うん、ちょうどここ通りかかって。ミサキに似ている子がいたから確認しようとしたら、急に大きな声出してガラス叩くからビックリしちゃったよ」

「ごめん、ごめん」

 私は謝った。
 彼女は以前会った時よりもずいぶんほっそりした印象になっていた。

「どうでもいいけど、エリなんか前よりほっそりしたね。ダイエットでもした?」

「えっ、ほんとっ!? やたっ」

 彼女は屈託のない笑顔でピースをした。



 山村江里(ヤマムラエリ)。
 私のスマホにただ一人、連絡先が登録してある子。
 彼女とは高校こそ違うけれど同い年。
 1年ほど前、中学3年の時にちょっとしたキッカケで出会って仲良くなり、それからたまに会うようになった。

 彼女は私と正反対でとても世渡りも上手い人間だ。
 大概そういったタイプは明るく素直で人当たりがいい。
 だけどそれはあくまで表向きで、本質は自分さえ良ければ他人なんかどうなってもいいと考えるずる賢い人間であることも多い。

 そういう部分を敏感に感じ取ってしまう私は、昔から基本的にそういった人間とはうまくいった試しがなかったから距離を置いてきた。
 でもなぜか彼女には少し惹かれて仲良くなれた。
 きっとそれは、彼女が悪い人間ではなく、世渡りと善人という2つの相容れないものを両立しているまれな人間だったからなんだと私は勝手に思っている。

 そんな彼女は、今の私にとっては唯一、友達的な存在なのかもしれない。



「エリ、ちょうどいいところに来てくれたよ」

「え、何、何の話?」

 クリクリとした好奇心の目をしながら彼女は言った。

「実はスマホ無くしちゃって」

「ミサキの?」

「うん。でさ、今この電話ボックスから自分のスマホに電話かけてみようと思ってたんだ。もしかしたら拾ってくれた人が出るかも知れないから。でも、電話番号がわからなくて」

「そっか! みんな意外と自分のスマホの電話番号って覚えてないんだよねー」

 そう言って彼女は笑った。

「エリのには私のスマホ番号登録されてるよね?」

「もちろん」

「ちょっとかけてみてもらえないかな」

「うん、いいよ」

 エリはその場で私のスマホに電話をかけてくれた。
 二人で受話器に頭をつけて耳を澄ます。

「プルルルルル、プルルルルル」

 良かった、取りあえずスマホは生きてそう。

「プルルルルル……」

 しかしそれからしばらく鳴らし続けても、一向に誰も出る気配がない。

「拾われたんじゃないのかな」

 私は溜息をつきながら言った。



 それから何回かかけてもらったけれど、やはり誰も出なかった。

「ミサキ、どこで無くしたかも覚えてないの?」

「踏切んとこ」

「何だ、じゃあそこ行ってみようよ。もしかしたらまだ誰にも拾われてないのかもしれないよ」

「え?」

「いや、だからさ、その無くした場所に行って、私のスマホから電話かけて探すの。近くにあれば着信音が鳴るはずだから、わかるでしょ」

「なるほど! エリって頭いいね」

 私達はすぐに踏切へ向かった。



 現場に着くと、着信音がしないか確かめるべく電話をかけてみる。

「シー、静かに」

 エリはそう言って辺りの音に耳を澄ます。

「何も聞こえないね」

 いくら耳を澄ましていても聞こえてくるのは踏切の警報の音と電車の通り過ぎる音、後は風の音だけ。
 踏切から結構離れた場所まで歩き回って何回か電話をかけてみたけれど、やはりどこからも着信音が聞こえてくる様子はなかった。

「やっぱりダメかぁ…」

「まぁだまだ! 諦めるには早すぎ」

 落胆を隠せない私にエリが明るく言う。

「あまりかけ続けると、ミサキのスマホのバッテリーが無くなっちゃうから、取りあえずこの辺で一旦止めるね」と、エリがスマホを切った途端、着信音が鳴った。
 二人とも意表を突かれて驚く。
 もしかして、スマホを拾った人からのかけ直し?
 胸が高鳴る。
 私は彼女のスマホの液晶を覗き込んだ。
 しかしそこにあったのは男の名前で、私の名前ではなかった。

「残念。ミサキのスマホからじゃないや」

 エリはすぐその電話に出ると、短く何か話してすぐに切った。

「今ね、クラブの人と待ち合わせしてたんだよ。で、約束の時間過ぎちゃったから早くしろって電話〜」

「エリ、部活なんてやってたんだね。何部なの?」

「やだ〜、部活じゃなくてク・ラ・ブだよ」

「え?」

「飲んだり踊ったりするとこ〜」

「あ、そうなんだ」

「そだよ〜」

 エリはそう言って笑った。

「なんかごめんね、こんなことに付き合わせちゃって」

 私はエリに申し訳ないことをしたと感じて謝った。

「ううん、全然平気。そうだ、ねぇ、ミサキも一緒に行こうよ。これだけ探したのに無いってことは、きっとこの辺にはもうないんだよ。クラブ行って何かいい方法考えよう」

 私は生まれてから一度もクラブなんて行ったことがなかった。
 けれど、この焦りと苛立ちを紛らわせると思い、私は思い切って承諾した。


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07
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 そのクラブというのは、駅前のメイン通りから少しはずれたところにあった。
 私達は地下への階段を下り『20歳未満入店お断り』という但し書きの前を通って店に入る。
 エリは入り口に立っていた店員に軽くお辞儀をすると、二人とも高校の制服姿なのになぜかフリーパスで中に通された。

「私、こういうとこ初めてなんだ」

「え〜、そうなんだ〜。全然平気、面白いよ〜」

 地下への階段を下りると、トランスの重低音が響いてきた。
 ブースでは赤いキャップを横に被ったDJが派手なパフォーマンスをしていて、その後ろの壁一面を埋める液晶には、漢字や映像がサブリミナルのように点滅していた。
 ブラックライトや回転するサーチライトのあやしげな光の洪水の中を、私達は人をかき分け奥へと入って行く。

 今までこんな世界、テレビドラマなんかでしか見たことがなかったので、私は呆気にとられた。

 エリはそんな私のことなんか御構い無しにキョロキョロと辺りを見回している。

「あれ、いないな〜」

「ここで間違いないの?」

「そう。だけど、ま、いいや。そのうち向こうが見つけてくれるでしょ」

 エリはそう言って、適当に待っていれば大丈夫とばかりに笑った。



 私達は少し静かで話のできそうな一番奥の椅子に座った。

「ところでさ、ミサキのそのスマホって買ったばっかのやつなの?」

「ううん、今まで使ってた古いの」

「何だ。だったらさぁ、いっそのことこの機会に新しいのに替えちゃえばいいじゃん」

 彼女は脳天気に言った。

「それがダメなんだ」

「どうしてぇ、お金がないとか?」

「そうじゃないけど」

 爆弾データの入ったあのスマホが戻ってこなければ意味がないんだ。

「だったらさ、交番に届けてみる?」

「ダメッ、絶対ダメ!」

 もし運良く見つかっても、警察なんかに関わったら最悪、未成年だからという理由だけでデータの中まで見せろなんて言われるかもしれない。
 私が困った顔をして目をそらすと、エリは悪戯っぽい仕草をして言った。

「あ、何々、そっかわかったぁ。彼氏との写真とかビデオとか、見られたらまずいお宝データたっくさん入ってるんでしょ〜」

「そんなんじゃないよ」

 私はすかさず反論した。

「じゃあ、なぁにぃ」

 彼女は私の顔をニヤニヤしながら覗き込む。

「……」

 言葉に詰まる。

「……あのね。私、あそこの踏切に飛び込んだんだ」

「へ?」

「死のうと思って」

「何それ、ジョーダン」

「ほんとだよ」

 私は苦笑いをした。

「うっそ〜、まじぃ? でも今ここにミサキいるじゃん。もしかして幽霊?」

 手をだらんと下げたお決まりのポーズでエリがからかう。

「違うよ、本物だよ。失敗したの。バッカみたいでしょ」

 私は目を伏せ再び苦笑いをする。

「踏切に飛び込んだんだけど、そのまま線路通り越して向かいの坂を上って丘の上まで行っちゃってさ」

「やだ〜、そんな話、聞いたことないよぉ〜」

「で、そこでなんか座敷童みたいな地面に絵を描いてる女の子に遭遇して……」

 そんな感じに今までの経緯を詳しく話すと、彼女は「また私のことからかってるんでしょ」と言って笑っていた。
 話せば話すほど、彼女は「からかってばっかり」と笑うばかりで信じてくれなかった。

 彼女はいつもこうだった。
 もちろん悪気があるわけじゃない。
 ただちょっとお調子者なのと、あと物事をなるべく深く考えず軽く捉え、自分を守ろうとする『防衛策』を身につけているだけなんだろう。
 それでも相手に嫌な思いをさせることはなく、逆に気持ちを楽にさせてくれる。
 どんな重くて辛い内容の話も、彼女に話すと全て軽いことのように思えてくるから不思議だった。

 でもまあこんな意味不明な話、エリじゃなくたって信じろという方が無理かもしれない。

「もしその話が本当だとしてだよ。なんで踏切なの? 死に方なんてたくさんあんじゃんよ」

 彼女からの何気ない質問。

「それは……だって。あ、そう、あそこで死ねば電車乗る度にずっとみんなの気分悪くさせられるでしょ」

「あ、なーるほど」

 エリはそれで納得してくれたけど、あらためて考えてみると自分自身に一つの大きな疑問が残った。

 そう言われてみると、なぜ踏切なんだろう。
 確かに踏切で死ねば大多数の気に入らない人間に対しては効果的だ。
 でも、気に入らない人間に対しては爆弾データもあるわけだから、自殺自体は特に当てつけたい家族に対してだけでもいいはずだ。
 そう考えたら、他にいくらだって方法はあるじゃないか。

 たとえば、自分の家の中で首つって伸びた死体になるというのもいいし、または隣のマンションから家の庭にでも飛び降りて、縮んだ死体になるのもいい。
 以前に流行した「練炭」とか「硫化水素」とかいう手もある。
 というか、いつもやり慣れている手首を思いっきり深く傷つければ部屋を血の海にして出血多量で死ぬことだってできるじゃないか。

 だけど、私の頭の中には踏切しかなかった。
 しかも、近くにいくつかある踏切の中でもあの踏切なんだ。
 今まで『なぜ?』なんて一度も考えたことがなかったけれど、いつの頃からか死ぬ時はあそこと決まっていた気がする。

 一瞬、何だかもやもやしたものが頭に浮かび、とても大切なことを思い出せそうな気がした。
 けれど、それが何かまではわからなかった。



「あ、いたいた! エリーおせーよ〜」

 トサカ頭で金髪の軽そうな男が、そうぼやきながら眉間にシワを寄せて近づいてきた。
 その後ろからもう一人来る。

「二人ともごめ〜ん」

 この二人連れが、エリの待っていた知り合いらしい。

「あれ、見かけないコだね。エリちゃん、紹介してよ」

 後から来た男が、エリの隣でどうしていいかわからずにいる私を指差して言った。

「何よ、いきなりそれ〜」

 私は、キャーキャーと喋り出すエリと男達を見比べる。
 話の内容から、最初に声を掛けてきたトサカ頭で金髪の方がシュンペイという名前で、私を紹介しろと言ったピアスをしている方がジュンジというらしい。

「へえ。ミサキちゃんって言うんだ。エリと同じ高1?」

 シュンペイとかいうトサカ頭の男が、ニヤニヤしながらたずねてくる。

「そう、私と学校は違うけど同じ16」

 エリが私の代わりに説明する。

「お前はどうでもいいからさ、この子と話させてよ」

「あ、ひっど〜い。シュンペイったら私はどうでもいいって言うわけ〜」

「そうじゃねーけどさ」

 男はトサカ頭をかきながら言う。

「いいも〜ん、私にはジュンジがいるも〜ん」

「あ、おう」

「何、もしかしてジュンジもこの子がいいとか?」

「あ、いや、でも可愛いじゃんね」

「もういい、二人とも好きにしたら」

 エリはすねてほっぺたをふくらませた。

「まぁ、いいや。あ、でね、急な話なんだけど、二人に相談があるの。聞いてくれる?」

「おうよ」

 彼らはエリの言葉に威勢良く返事をした。

「この子、スマホ無くしちゃったんだって。だからね、二人とも探すの手伝ってあげて欲しいの」

 エリは言った。

「え、スマホ?」

 二人は興味津々で身を乗り出してきた。

「そう、踏切の辺りらしいんだよ。試しに私のスマホからこの子のスマホに電話してみたんだけど誰も出なくて」

「GPSアプリで探してみたか?」

 シュンペイとかいう男が人差し指を上に向けて得意げに言った。

「あ、GPSはいつも切っちゃってるから」

 私は小さく答えた。

「う〜む、残念」

 シュンペイとかいう男が肩を落とす。

「オレなんかさ、出かける時にスマホを忘れてきただけで不安になったり落ち着かなったりしてもう大変よ」

 ジュンジとかいう男が耳のピアスを光らせながら言った。

「でも今のミサキちゃんは、こいつのそんなのとは比べものにならないくらい最悪な状態ってわけだ」

 シュンペイとかいう男が続ける。

 私は頷いた。

「だから、二人とも仲間に協力頼んでみてよ」

「すみません」

 相当に軽薄そうな男達だとは思ったけれど、特に打つ手のない今、仕方なく私は愛想のいい顔を彼らに向け、スマホの機種や特徴などを教えた。
 私のスマホは購入時のサービスで裏面に自分の名前を入れてもらっていたから、それも一つの手掛かりになる。
 エリも早速、自分のSNSに捜し物の書き込みをしてくれて、知り合いにもスマホを拾った人間がいたら連絡して欲しいとメールを打ってくれた。

「これでよし、と」

「ありがとね、エリ」

「そんなの当たり前でしょ。やだぁ、ミサキったら」

 しばらくして、蝶ネクタイを締めたウェイターがカクテルを運んできた。
 私達の年齢なんて全くお構いなしに、2つのグラスをテーブルに置いて去って行く。

「これ、もしかしてお酒?」

「そだよー」

「でも、私達まだ高校生だよ」

「いいじゃん、たまにはさ〜」

 つい昨日、死に望んだ人間が未成年の飲酒を気にしているなんて、完全にギャグだ。私はまた苦笑いした。

「それじゃ、ミサキちゃんのスマホが見つかることを願ってカンパイ!」

 彼ら二人が言うと、エリは子供のようにはしゃいで一気にグラスの半分飲み干した。

 どうせ死ぬんだ。そう思いつつも、どうしても気が乗らない。
 私はグラスに口を付けるふりをして、飲むふりだけして再びテーブルに置いた。



「そういえばこの子ね、今、死に場所探してるんだってぇ〜」

 飲んだ勢いで突然エリが言い出した。

「ちょっ、ちょっとエリ!」

「もしかして、それって自殺願望とか?」

 トサカの男が言った。二人は目を丸くして驚いている。

「……」

 私は沈黙した。

「もちろん、冗談だと思うんだけど。ね、ミサキ」

 エリが私の肩を軽く抱いて言った。

「何だよ、お前、脅かすなよー。でも、ちょっとは何かありそうだね。あ、そうだ、これからオレ達行くとこあんだけど、君も来ない?」

 ピアスの男が誘った。

「もちろんミサキも行くよね?」

「あ、私、もう帰るよ」

「え〜、もう帰っちゃうのぉ〜、付き合い悪〜い」

 そう言ってエリは口をとんがらせた。

「今日はなんか疲れちゃって」

「そっか、そうだよね」

「おいおい、エリもっと引き留めろよ〜。オレ、ミサキちゃんともっと仲良くなりたいよ」

「だったら、シュンペイ早くスマホ探して〜。見つけたら、また会えるよ」

「そだな、よし。頑張って探すぜ!」

 カランっと氷が溶けて崩れる音が手元でした。
 テーブルの上には、空のグラスと一口も飲まれずに放置されたグラスが残されている。
 構わず私は立ち上がった。

「良かったね、ミサキ。二人とも頼もしいよ〜」

 私は無理矢理に笑顔を作って応え、そこを離れた。

「死に場所ねぇ〜。でももし、ほんとにあんな可愛い子が死んじゃうとしたら、もったいねえなぁ〜」

 ちょうど音楽がとぎれた時、そんな声が後ろから微かに聞こえた。



 外に出ると風がとても強く寒かった。
 時間はすでに21時を過ぎている。
 今夜もきっと家には誰も帰ってきていない。
 できれば私も帰りたくなかった。

 どうしたものかと路地裏の壁に寄り掛かっていると、不意に声をかけられた。

「ん〜、キミ、高校生だよね?」

 そう質問してきたのは、この夜の街に似合わないまじめなサラリーマン風の中年男性。

「もうすぐ夜10時だよ。早く家に帰らないと、ん〜」

 何、この人?

「もしかして、家に帰りたくないのかい?」

 そう言って、私のことをジロジロと見る。

「……」

「ん〜、わかるよ、わかる」

 会ってから1分と経っていないのにこの中年男は何回「ん〜」と言っただろう。
 その共感しているかのような口癖がメチャクチャ鬱陶しい。

 すると男は私の手をとって何かを握らせた。

「はい?」

 援交か何かが目当てで、私にお金を渡そうとしているのかと思ってムッとする。

 けど、違った。
 渡されたのは小さな紙切れだった。

「もし行くところがなかったらここにおいで」

 そこには『ハッピーハウス』というロゴと、その住所が可愛い絵文字に飾られて書いてあった。

「ここ何ですか?」

「言ってみれば、キミのもう一つの家になるところかな。よくカレーやシチューなんかも作って食べるんだよ、ん〜」

 笑っちゃう、カレーやシチューだって。こんなのに騙されるわけないじゃん。

 私、この手口知ってる。

 まずは、家出している子や行き場所のない男の子や女の子を夜の街で見つける。
 見つけたら良い人ぶって近づき、甘い言葉で自由に使える居場所を提供する。
 しばらくは色々と良くしてくれるが、そのうち怪しいクスリが混じった飲み物や食べ物でおかしくさせられて、最後は襲われる。
 みんな、良くしてもらったこととクスリの作用で、ちょっとくらい、一回くらいと身体を許してしまう。
 それが泥沼への入り口とも知らずに。

 それは市販薬なんかと違ってとても強いクスリ。
 依存性も強く、快感をもたらすと同時にすぐ中毒になる。
 そして、自分の意思とは関係なくクスリを持っている人間の元へ通ってしまうようになる。
 その後はもうそいつらの操り人形。
 身も心も思うがまま。
 お金もクスリのためなら何をしてでも手に入れてくる。
 男達にとっては、収入源と性欲のはけ口の一石二鳥。
 最高の奴隷のでき上がりというわけだ。

 人の良さそうな親切そうな顔して、話を聞いているポーズして、相手のことわかったフリして。
 結局、自分の思い通りに操ろうとしているだけじゃない。

 最高に卑劣でクズなヤツ。

 私は渡された紙切れを思いっきり握りつぶし、ところ狭しと並べられた車除けをかいくぐって走り出した。



 私の家は、駅から少し離れたところにある築二十年の中古の一戸建。
 すぐ隣には新築の10階建て高級マンションが建っていて劣等感をあおる。
 そのマンションには、おしゃれなエントランスだけではなく、石でできた立派な門まである。
 歩道に面したその周辺はマンションの住人達のたまり場となっていて、いつも中年の主婦達が数人集まっている。
 今夜もこんなに寒い中、しかももう10時だというのに、中年の主婦達が数人集まって井戸端会議をしていた。
 きっとまた近所のうわさ話だろう。

 とにかくその主婦達のうわさ話ときたら悪質極まりなかった。
 何が悪質かといえば、情報が詳細なところまで正確で、そのネットワークも広範囲なことだ。
 うわさ話なんていうものは大概いい加減なもので、その範囲も局所的なはずなのに、ヤツらの話ときたらアメリカのCIAやNSAをも凌いでいる気がした。
 どこからどうやってそんな情報を入手してくるのか本当に不思議だった。
 魂を売って悪魔と契約しているんじゃないかと本気で考えてしまうくらい。

 もちろん私の家族のうわさもよくされた。
 問題を抱えている私達のような存在は、ヤツらの恰好の餌食だった。

 私はそんな主婦達のことを『聞いたかババア』と呼んでいた。
 それは、歌舞伎の舞台に出てくる『聞いたか坊主』をもじったものだ。
 聞いたか坊主というのは、坊主の格好をして「聞いたか聞いたか」「聞いたぞ聞いたぞ」と言いながら登場し、作品の筋書きなどを知らせる役のこと。
 主婦達はいつも何かにつけて「ねぇ、ちょっと聞いた、聞いた」といった具合にうわさ話を始め、しかも歌舞伎にも負けないほどの厚化粧をしていて、もの凄く似ていると思ったからそう名付けてやった。

「あら、こんばんは。塾帰り?」

 ヤツらは私に気付くと、揃っていつもの作り笑顔と猫なで声で挨拶する。
 私はその胸くそ悪い挨拶が最高に嫌いだ。
 大概の人間は無理矢理に笑顔を作るんだろうが、私は無視してそいつらの横を通り抜ける。

 本当に嫌になる。
 でも、それもあと少し。
 そう思いつつ見据えた自分の家は、やはり今夜も誰も帰って来ていなかった。


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08
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 次の日は朝から雨だった。

 私はその日なんだか落ち着かず、イライラもいつもにも増して酷かったが、久しぶりに高校に行くことにした。
 もちろん勉強しになんかじゃない。
 学校の誰かが私のスマホを拾って私に何か言ってくる可能性もゼロではないと思ったから。
 とにかく今は何でもいいからスマホの情報が欲しかった。

 ふいにお腹が鳴った。
 そっか、一昨日から何も食べていなかったんだ。
 取りあえず何か食べよう。

 冷蔵庫から適当な物を出して口に入れた。
 でも、特に美味しいとも不味いとも感じなかった。

 この家には誰も寄りつかなかったけれど、そこそこの額が入った生活用の貯金通帳は置いたままになっていた。
 だから、毎日の食事や身の回りの物を揃えるお金、それから電気・水道・ガスの支払いに困るということはなかった。



 学校に着くと、教室に入るなりクラスの連中が私のことをジロジロと見る。

「あんた、とっくに学校辞めたのかと思ってた」

 以前よく言われていたスカートの下にジャージを着るいわゆる埴輪ルックの子が口火を切った。

「辞めてないし。それに私は埴輪と話す気なんてない」

 そう返す私に連中は小さな声で何かブツブツと言っている。

「あの子、超最悪」

「空気読めなさすぎじゃね」

「KYってやだねぇ〜」

 何がKYだ、今時KYなんて死語もいいとこだ。
 お前ら一生、生き恥さらして、空気読み続けてろ。
 私は元々お前らみたいなどうしようもないヤツらの空気なんて読む気がないんだよ。

 来たばかりだけど早退したかった。
 でもなんとか我慢して、何か言ってくるヤツがいないか待った。

 だけど結局、その日は無駄に終わった。
 放課後まで残っていても、誰一人私にスマホのことで話しかけてくる人間はいなかった。



 帰りがけ、朝から降っていた雨は上がっていたので、再びあの踏切に立ち寄ってみた。
 目の前に私の死に場所があるのに、死ぬことができないもどかしさ。
 そこでまたふと『でもさ、なんで踏切なの?』というあのエリの言葉が思い出される。
 私は踏切の遮断機の前に立ち、自分に問いかけた。

「ナンデ?」

 どうして私はここを死に場所と決めているんだろう。

 今まで数え切れないほど、何度も何度も死ぬことを考えてきた。
 そして死を想う時、いつも脳裏に浮かぶのはこの踏切だった。

 だけど、その理由がどうしてもわからない。
 この踏切は私にとってどんな意味があるというのだろう。

 ただ、今ここにこうして立ってみて、一つだけわかったことがある。
 それは、今朝からの落ち着きのなさと苛立ちも今までにも増して酷くなっている原因だ。

 ここに来るまでは、その原因が飛び込みに失敗したことと、スマホを無くしたことにあると思っていたけれど、それだけじゃなかった。
 こうしてここに立ってみると、踏切の向こうに目がいく。
 あの坂の上の空き地が妙に気にかかって仕方ないことに気づく。
 そしてあそこには、少女がいる。
 そう、あの少女がこの落ち着きのなさと苛立ちの原因の大きな範囲を占めていたんだ。

 よくよく考えてみると、今までムカついていたヤツらのほとんどは上手く世渡りしている。
 でも、そいつらはそれと同時に汚い世界を知っていて、あきらめの上に生きている人間達。
 けれどあの少女は、この世界がキレイで可能性に満ち溢れていて、いつか願いも叶うと思い込んでいる。
 そこが決定的に違っていた。

 ひび割れたコンクリートに描かれるあのミミズが這っているような絵と、あの偽善をたたえた瞳。
 私はそれに対して激しいムカつきを覚えていた。

 少女は今日もあの空き地で、下手クソな絵を描いているんだろうか。
 いや、どうせ絵なんて描いていたのは昨日だけだ。
 もうあそこには来てっこない。
 そうだ、絵を描くのを止めたことを確かめに行けばいい。
 もし万が一来ていても、この世の現実というものを思い知らせて、二度と来る気が起きないようにしてやる。
 絵なんか描いたってムダだとわからせてやる。
 そうすれば踏ん切りもついて、きっとすっきり死ねる。

 それにしても、私は本当に最後までついていない。
 スマホと少女……何でこの期に及んでこんなに面倒なことになってしまったんだ。

 でも仕方がない。
 こうなったからには、とにかくできることを一つ一つやっていくしかない。


つづく   





表 紙
第1章 絵を描く少女
第2章 壊れた家
第3章 裏切り
第4章 嘘の記憶
第5章 衝 動
第6章 雪の舞い降るあの坂を
第7章 哀しい再会
最終章 小さな天使が眠るとき

♪イメージソング
♪ボイスドラマ
♪少女の涙の叫び ※音注意
♪ラララハミング ※音注意
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