第二話 ここから始まる生活

あぐおさん:作



夜、シンジは加持夫妻の家で夕食をとっている。

「ご馳走様でした。ミサトさん」

「お粗末様。シンちゃん」

シンジが空いた皿を片付けようとするとミサトは急いで立ち上がる。

「ああ、いいのよ。シンちゃんは座ってて。私がやるから」

ミサトは空いた皿を重ねるとキッチンに持って行って洗い物を始める。二人の子供たちがミサトのお手伝いをしようと自分の使った食器を持ってキッチンへと向かう。

「ミサトさん、ちゃんとお母さんやっているんですね。家事全般苦手って聞いていたけど・・・」

そんなミサトの様子を見てシンジは思わず口に出た。リョウジは笑みを浮かべる。

「そりゃ、ミサトは2児の母親だからな。昔ふたりで同棲していたころはひどいものだったさ。でも、俺と一緒になって長男が生まれてからアイツは変わった。今までいい加減にしていた部分をできるようにしたのさ。子供が生まれればなシンジ君、嫌でもその子の親になろうと努力するものさ。俺も含めてな」

「そういうもの・・・ですかね?」

「そういうものさ。シンジ君」

「ちょっと〜リョウジ、昔の黒歴史をシンちゃんに言わないでよ」

流し台で食器を洗いながらむくれるミサト。リョウジはミサトを見るとすぐにシンジと向き合う。

「ところでシンジ君。学校のほうはどうだい?」

「まだ、始まったばかりですからね。何とも言えないです」

「君は仮にも俺達の恩師の子供だ。勉学に関しては全く心配していない。友達はできたかい?」

「はい」

「良いことだ。高校で出来た友人は、一生の付き合いになる友人ばかりだからな。大切にするといい。部活動は?」

「それなんですよね・・・正直悩んでます」

ミサトがリョウジの隣に座り会話に参加する。

「部活はやらないより、やったほうが良いわよ。大学受験にも地味に有利だしね〜」

「ただ、俺もミサトも、学生時代は帰宅部だったから説得力は皆無だけどな」

「私は良いわよ。家のことが忙しかったから。リョウジは手の付けられない不良だったじゃない」

「それは・・・言うな・・・」

不良時代はリョウジにとって一番の黒歴史なのだろう。苦笑いを浮かべている。

ミサトはまっすぐシンジを見る。

「部活をやるやらないはシンちゃんに任せるけど。後悔するような生活は送っちゃダメよ。シンちゃんが有意義な生活を送れるように、私たちがいるんだから。大変になる前に、私たちを頼ってね。できる限りのサポートはするわ」

「はい、ありがとうございます」

シンジは椅子に座りながら深々と頭を下げた。

「そんなにかしこまらなくていいさ。ところで下宿先は快適かい?前にも話をした通り俺の弟が住んでいたアパートなんだが、不便はないかい?」

シンジが住んでいる部屋は、元はリョウジの弟が借りていた部屋だ。転勤で部屋を解約しようかという時に叔母よりリョウジの所へ話が舞い込んできたのだ。

「はい、快適です」

「そうか、そう言ってくれると有難い。生活や進路の相談。なんでもいい。いつでも俺たちを頼ってくれ。俺たちはシンジ君のことを家族の一員と思っているからな」

「はい、ありがとうございます」

リョウジとミサトにとってシンジは年の離れた弟だ。シンジの記憶にはないのだが、彼らはシンジが1歳、2歳の頃に何度か面識がある。だからこそ、思い入れは強い。

シンジはリョウジとミサトに出会えたことを心から喜んだ。



後日、学校でシンジは新しくできた友人たちと話をしている。

「碇〜部活。どこ入るつもりだ?」

「迷ってるけどね・・・多分帰宅部かな。ケンスケは?」

「俺は写真部さ。カメラマン志望だしな」

「なんやシンジ。帰宅部ならワシと陸上やろうや。お前足結構速いやん」

「トウジ。運動は普段からやってるから、ちょっと・・・」

「か〜!もったいないのぉ」

「仕方ないさ。碇は一人暮らしだからな」


新しくできた友人は相田ケンスケと鈴原トウジ。彼らとは入学式の日、新しい教室で出会った。

シンジはアスカを連れて教室へと向かう。嬉しいことに二人同じクラスだった。

「アンタと同じクラスなんて、幸先いいわ」

「うん、一緒になれて嬉しいよ」

二人は純粋に同じクラスになれたことを喜ぶ。それは昔からの幼馴染か、もしくは恋人と思われるほど仲の良い光景だった。教室に入ると同じ教室でこれから過ごすクラスメイトから注目を浴びた。それは普段から目立つアスカからすれば“ああ、いつものことか”と思うが、あまり目立つことのないシンジからすれば驚くことだった。

「あ、あれ・・・?」

慣れないシンジは戸惑うが、アスカは軽くシンジの肩を叩く。

「構うことないわよ。アタシにとっちゃいつものことだから」

「そう、なんだ」

それは彼女にとってあまりいいものではないだろう。シンジはなんとなくそんなことを感じた。

「お、碇、お前もこのクラスなのか」

シンジに声をかけてきた男子がいる。茶髪に眼鏡をかけた男子。シンジはすぐに思い出した。

「君は、受験のときの!相田君だよね?」

「お、よく覚えてるじゃん」

「シンジ。こいつ誰?」

アスカは相田と呼ばれた男子生徒を指さす。

「ああ、受験の時に隣同士だったんだ」

「相田ケンスケだ。相田君なんて堅苦しいな、ケンスケでいいぜ。碇。えっと君は」

「惣流アスカ・ラングレーよ」

「あいよ。よろしくな。しかしお前ら仲いいな。中学の同級生か?」

「違うよ。僕らは会うのはこれで3回目なんだ」

「え?そうなのか?俺はてっきり同級生か幼馴染かと思ったぞ?」

そう思えるほど二人の仲はいい。ちょうどその時、後ろから声をかけられる。

「なんや、ケンスケと同じクラスかいな」

「あら、ケンちゃん。また3人で遊べるわね」

短髪の関西弁の男子と、髪を後ろでまとめたそばかすのある女子だ。

「ああ、紹介するよ。関西弁の奴が鈴原トウジ。んで、そいつの彼女の洞木ヒカリ。俺たちは小学校から一緒なんだ」

「よろしゅう頼むわ」

「よろしくね!」

こうして5人は仲良く新しい学生生活をスタートさせた。



シンジが帰り支度をしていると、アスカが来る。

「シンジ、アンタ部活なににするの?」

「帰宅部だよ。一人暮らしでどうなるか検討もつかないからね。アスカは?」

「色々誘われているけどね〜あんま興味がわかないからアタシも帰宅部かな?」

「そうだね。僕たちには帰る家がある!」(キリッ)

太陽を指さしながら、背中で語るシンジ。

「・・・アンタさ。カッコよく決め台詞はいても、言ってる内容はメチャクチャカッコ悪いからね」

「ふっ・・・問題ない」

「あっそ。帰るわよ」

シンジを連れて帰るアスカ。ケンスケとトウジは二人の姿を見送ると、そこへヒカリが来る。

「ねえ、本当にあの二人付き合ってないの?」

「傍からそうとしか見えないけどな」

「ええやんか別に。ほな、ワシらもいこか」

3人はカバンを持つと教室から出た。


「ねえ、シンジはゴールデンウィークどうするの?」

「実家に帰るよ。帰って来いってうるさくてね」

アスカは帰り道、シンジの今後の予定を聞く。もし暇なら遊びに付き合ってもらおうかと思ったからだ。その思惑は外れた。実家に帰省するなら仕方がない。

「へ〜、いいじゃない。せいぜい親孝行しなさい」

「実の親じゃないけどね」

「え?どういうこと?」

アスカは驚いて思わずシンジの顔を見る。

「僕の両親は6歳の頃に他界しているんだ。それで叔母さんのところで育てられたんだよ」

「ゴ、ゴメン。嫌なこと聞いちゃったわね」

「別にいいよ。もう昔の話だし、それに叔母さん達のおかげで僕はなに不自由なく生活できている。実の親よりも親みたいな感じだから、親孝行ってはあながち間違いじゃないよ」

「・・・いい人たちね」

「うん、尊敬している」

アスカにとって既に両親がいないというシンジの過去は衝撃的だった。確かに自分も含め、他の同級生よりも大人びている所は感じられた。しかし、そんな体験をしたならば、普通なら荒れたりするものだろうが、そのような暗いものはなく、寧ろその過去を正面で受け止め、前向きに生きている。それは偏に育ての親である叔父と叔母のおかげであろう。そんな親代わりの叔父と叔母を素直に尊敬しているシンジに人柄にアスカは好感を覚えた。思春期特有の両親に反抗する、或いは自分の親を小馬鹿にする人物は、彼女は受け入れることができない。それは両親が彼女のためにどれだけ苦心してきたのか理解しているからだ。離婚を遠く離れて暮らすという選択をしてまで自分を守ろうとしてくれた両親にアスカは頭が上がらない。

中学では彼女と交友関係はないにせよ、自分の親を小馬鹿する人ばかり目につき、親に素直に尊敬の念を口にするシンジのような人物は多くはなかったのだ。だからこそ余計にそう思えてくるのだろう。

「じゃあ、しっかり親孝行してあげないとね」

「だね」



土曜日、アスカが中学時代の同級生と遊びに行った帰り、彼女の携帯電話が鳴った。相手は母親のキョウコからだった。

「もしもし?ママどうかした?」

「アスカちゃん?ごめんね。今日帰りが遅くなりそうなのよ。悪いけど夕飯はアスカちゃん一人で食べてもらえない?」

「仕事なんでしょ?仕方ないわよ。大丈夫だから心配しないで」

「ええ、帰ったらお金渡すから、自分のお小遣いからお金出してね」

母親からの電話を切るとアスカは財布の中身を確認する。あると思われたお札が1枚もなく、小銭も350円くらいしかない。これではコンビニ弁当すら買えない。

「コミックの新刊が立て続けに出たの買っちゃったからな・・・しょうがない。激安弁当でも買おう」

アスカはその足で近くのスーパーに立ち寄る。

(激安弁当・・・あれ品数は値段の割に多いけど、量が少ないからお腹たまらないのよね・・・この際おにぎりとカップラーメンで・・・でもそれって女としてどうよ?)

何かしら料理をしようという頭はないらしい。そんなことを考えていると、店の中で思いがけない人物を見かけた。こっそり近づいて肩を叩く。

トントン

「ん?」

ぷに

顔に指が刺さった。

「あっははははは!」

店内で思わずアスカは大笑いをした。

「なんだ、アスカか・・・こういうところではやめようよ」

「アンタ本当によく引っかかるわね!面白過ぎる!」

相手はシンジだった。

「アンタ、こんなところで何してるのよ?」

「何って・・・見ればわかるだろ?」

そう言ってカゴを見せる。カゴの中には食材が入っている。

「へえ、アンタ料理するのね。てっきり弁当ばかりと思ったわ」

「栄養とか考えてやらないと、向こうじゃそういうのはすごくうるさかったし、なにより体壊しちゃうからね。下手に弁当買うより、自分で作ったほうが安いし、たくさん食べられるんだよ。そういうアスカは?お菓子でも買いに来たの?」

「夕飯のお弁当を買いに来たのよ。アタシ料理苦手だし」

「できるようになったほうがお得だよ。将来のためにも」

「あら、良かったらこんなアタシでも貰ってくださる〜?」

「前向きに検討をさせていただきますよ」

会話をしながらシンジはひょいひょいと食材をカゴに入れていく。

「アンタ、何作るのよ?」

「ん〜、今日はガッツリ食べたいから。安い合挽き肉でも買って、でかいハンバーグでも作るかな」

「ハンバーグ!?」

アスカの目が輝いた。

「アンタ、作れるの!?」

「当たり前だろ?そんなに難しくないよ」

「食べたい!」

「はあ?」

「食べたい!食べたい!食〜べ〜た〜い〜!」

「子供かよ!」

シンジは文字通り幼い子供のように、しかもただでさえも目立つ白人の女の子がスーパーの通路のど真ん中で堂々と駄々をこねる姿に、流石のシンジもドン引きする。それと同時にここで断っても彼女は諦めず、家に押しかけて自分が食べるはずのおかずかっさらうであろうと何故か鮮明に予測できた。

「はあ・・・わかったよ。食べにくる?」

「よっしゃー!ゴチになりまーす!」

拳を天に突き上げてガッツポーズをとるアスカにシンジは某漫画の拳王のことを思い出していた。


「上がって」

「おっ邪魔しま〜す」

アスカは部屋に入ると中を見渡す。ワンルームの和室の部屋の中には中央にちゃぶ台、窓際にノートパソコンと勉強道具が置かれた勉強机。壁には綺麗に並べられた本棚と大きなCDラック。そしてギター、ベース、チェロが置かれている。色々物が置かれているにも関わらず、さほど狭さを感じないのはよく整理されているからだろう。

アスカが異性の部屋に入るのは初めてだが、きれいに整理されていることに驚いた。シンジとは言え男の子だから多少は散らかっていると思っていた、実際は自分の部屋のほうがよっぽど散らかっている。

「アンタ、楽器弾けるのね」

アスカは置かれた楽器を見て呟く。

「うん、伯父さんや次男の兄さんの趣味が音楽だから。僕もその影響を受けてね。そこにある楽器は全部伯父さんや兄さんからの貰いものさ」

「ふーん、ご飯食べた後に何か弾いてよ。何が得意なの?」

「その中だとチェロが一番長いよ」

「じゃあ、チェロ弾いてよ」

「わかったよ」

調理をしている間、アスカはシンジの部屋を物色する。しかしどんなに探してもエロ本はなかった。

「エロ本が見つからないわね・・・」

「・・・君は僕に何を期待しているの?」

(甘いよ!今時代のはPCの中にすべて保存されているのさ!いつ叔母さんが調べに来てもいいように、わからないように細工してあるからね!人類の英知の勝利だよ!)


調理が終わり出される料理。ハンバーグとチーズインハンバーグ、そしてサラダにご飯と味噌汁。パーフェクトである。

「「いただきまーす」」

他人の金と手間を使い作られた料理、アスカの負担はゼロなので流石に多少不味くても文句を言うつもりはなかった。口にしたハンバーグは彼女の予想を大きく上回るほど旨かった。

「うまっ・・・なにこれ・・・」

肉汁がすごくあふれ出ている。そしてケチャップベースのソースがまた合う。貪るという表現が似合うほどアスカはご飯を勢いよく食べる。シンジはその様子をみて安堵した。

そして食事が終わったら演奏会が始まった。チェロを演奏するシンジ、それはチェロの代表曲でもあるバッハの曲である。クラッシックに何の興味もないアスカだったが、耳に入ってくる音は心地の良いものだった。ほんの少しだけ、クラッシックに興味を持てたアスカだった。


帰り道、シンジはアスカを送る。

「なかなかやるじゃない。いい演奏だったわよ」

「そう言ってもらえると嬉しいよ。続けた甲斐があったよ」

会話が途切れることがない二人、あっという間にアスカが住むマンションについてしまった。

「アタシの家ここだから。送ってくれてありがとう」

「うん、お休み」

二人の距離が少し近づいた気がした夜の出来事だった。



ゴールデンウィークも明日で最後という日、シンジは実家から下宿先へと帰る途中、乗り換えのために駅を降りる。

「うーん、小腹が空いたな。何か食べていくかな」

駅を出ると路上で人だかりができていて、ギターの音と女性の歌声が聞こえる。

(ここで弾き語りやっているのか。また珍しい曲を・・・上手いな)

女性は帽子を深くかぶり、眼鏡をかけている。もし機会があれば彼女とセッションとかやったら面白そうかもしれない。シンジはそんなことを考えながら店へと向かった。

軽く食事を済ませて駅に戻る。人が行きかうロビーにはその存在を主張するかのように1台のピアノが置かれていた。

(そういえば、実家に帰ったとき弾いたけど少し弾き足りないな。ここで弾いてみるか)

シンジはピアノに近づいて椅子に座る。何を弾こうか考える。

(クラッシック・・・ありきたりだな。じゃあポップス?弾ける曲が思い浮かばない・・・ああ、実家で覚えたアレならピアノの曲だし・・・うん、弾いてみよう)

シンジは椅子に座るとピアノを弾き始める。その曲は静かな曲だった。それでいて壮大な物語のワンシーンのような曲だった。まるで遠い故郷を懐かしく思い描くような曲だった。

人々が立ち止まりその曲を聞き入る。そして曲が終わるころには人だかりができていた。

シンジが椅子から立ち上がると、拍手が巻き起こった。思いの外好評のようだ。

シンジは顔を赤く染めて照れ笑いを浮かべながら駅の改札口の中へと消えていった。

そんな彼を目で追う人物がいる。先程駅前で弾き語りをしていた女の人だ。

「ふーん、あの曲をここで弾くなんて、なかなかやるじゃない。確か同じ学校の子だよね・・・これは掘り出し物だにゃ♪」

女の子は深く帽子を被りなおすと、人込みの中へと消えていった。


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