back

m @ s t e r v i s i o n
Archives 2001 part 6
★★★★★=すばらしい ★★★★=とてもおもしろい ★★★=おもしろい ★★=つまらない ★=どうしようもない

★ ★ ★ ★ ★
千と千尋の神隠し(宮崎駿)

スタジオジブリ制作 脚本:宮崎駿 作画監督:安藤雅司 美術監督:武重洋二
「もののけ姫」ではついにだいだらぼっちのように肥大してしまった作家的自我をすっぱりと脱ぎ捨てて、宮崎駿が新たな地平に「再生」した。日本で唯一、ディズニーと比肩しうる恵まれた製作環境を(現場スタッフにとってはそれがアダになるぐらいに)めいっぱい逆手に取っての有無を言わせぬ画の力。特に幼い子どもたちにとっては「となりのトトロ」と同じくらいのインパクト/トラウマを及ぼすであろう圧倒的な演出力。ここにはまず漫画映画を観る愉しみが溢れており、作家の主義主張はその背後に目立たぬように控えている。これは言うなれば、湯屋の垢落としの物語であり、観客の「浮世の垢」を2時間5分かけてキレイさっぱり洗い流すとともに、作家自身もまた溜め込んだ「垢」をこそぎ落としたように見える。そりゃ幾ばくかの不満な点もあるにはあるが、これほどの達成に5つ星を付けないのはアンフェアだろう。夏休み、ご家族でご覧なるならまずこの映画をお勧めする。 ● おれの主な不満は2つ。ひとつはこの映画、クライマックスが無いこと。クライマックスが無くても観せてしまうのがスゴいっちゃスゴいんだけど、きちんとしたクライマックスがあったなら「より以上の傑作」になったはずなのだから、やはり宮崎駿の「アンチ・クライマックスな作劇」へのコダワリは勿体ないと思う。起承転結のある物語を作るってことと、作家としての誠実さは、まったく矛盾する概念ではないのに。悪い奴をやっつけてメデタシメデタシという図式が嘘くさいと感じるのなら、たとえば「○○のところからの帰り[白龍の背に乗った千尋に、怪鳥に変身した油婆婆が襲いかかる。大きく身をかわした白龍の背から、千尋は海に墜ちてしまう。助けようと急降下する白龍。往く手をはばむ油婆婆。ああ、早くしないと千尋が溺れてしまう! そこに登場するのがネズミから〈雄々しいワシ〉の姿に変身した坊。わが子の急激な成長におどろく油婆婆を坊が引き止める隙に、水にもぐり千尋を救う白龍。水中で光る龍の瞳が、千尋に幼い日の〈忘れていた記憶〉]を思い出させる…」とか、いくらでも手はあるだろうに。それとこれは観た全員が感じると思うけど、娯楽映画としては絶対に「元気になって地元の学校に通う千尋」のエピローグが必要でしょ(通学路の脇にある[水の澄んだ小川に陽の光がキラキラと反射]してる…とかね。今回はついに韓国にまで外注しなきゃ制作が間に合わないほど完成がギリギリだったらしいから、これってひょっとすると終盤は時間切れだったんじゃねえの? 今ごろDVD用にラストを撮り足してたりして…。 ● もう1つの不満はもちろん「吹替キャストについて」だ。おれは子どもの役を本物の子どもに吹替えさせる方法論を一概に否定はしない。「火垂るの墓」の妹さんとかは良かったと思うし。だが本作における千尋の役は「演技」を必要とする役なのだ。この脚本で撮るならプロの(大人の)声優に演らせるべきだし、感情表現の拙い子役に吹替えさせるなら、もっとリアルに聞こえるよう、言葉遣いを若いライターに直させるべきだった。 内藤剛志や沢口靖子にいたっては悲惨の一語だ。 意外に達者なのが菅原文太だが(おれより上の年代の観客には)あまりに声のキャラが強烈すぎて「釜爺」の顔に菅原文太がダブッてしまう。アニメでそれはマズいでしょ。 素晴らしかったのは長崎の遊郭のような──襖を開ければ鬼龍院花子が長火鉢の前で、片膝たてて煙管を吸っていそうな──湯屋の女将を演じた夏木マリ。やっぱ五社英雄つながりでの起用かね?<なんだそれ。 繋がりといえば、ちょっと意外な感じがしたのは、あの温泉街にある「めめ」屋ってのは、やっぱりつげ義春の「ねじ式」へのオマージュなんだろうか!? あと「製作総指揮:徳間康快」というクレジットは、もっと特別な形で出るかと思ってたけど、あんがい普通だった。 特筆すべきは音楽の「目立たなさ」で、いつもどおり鳴らすことは鳴らしてるのに印象に残らないってのは、ついに引き出しが空になったか!?>久石譲。 ● この映画、日比谷スカラ座では日本映画初のDLPシネマ(フィルムを使わないデジタルデータ映写機)による上映が行われている(東広島と新潟のT・ジョイでも。そろそろ梅田スカラ座あたりには設置されてるかな?) フィルム版と見比べれば、おそらく「空の青」や「海面のきらめき」などの発色に違いがあるのだろうが、「トイ・ストーリー2」とは違って、本作ではあくまでも「フィルムの色」を念頭においた彩色が行われているので、フィルム版でもぜんぜんオッケー。お近くの映画館でどうぞご覧なさい。

★ ★ ★ ★ ★
神の子たち(四ノ宮浩)

このドキュメンタリーを監督した四ノ宮浩は大学を中退して寺山修司の演劇実験室 天井桟敷で3年間を過ごしたあと、映像の道へ進んだ。監督デビューは(たぶん)「KYOKOの体験 ザ・本番」(ミリオン/1986)。1987年の「六本木令嬢 ふしだら」(にっかつ買取)でカメラマンの瓜生敏彦と出会う。ちなみにこの2本はどちらも小林政宏(=小林政広)脚本。 今では完全にフィリピン在住の瓜生敏彦は、三里塚方面のドキュメンタリーを経て、黒沢清の「神田川淫乱戦争」(1983)で商業映画/ピンク映画デビュー。四ノ宮と出会った当時は「ドレミファ娘の血は騒ぐ」(1985)「星空のむこうの国」(1986)といった(自主映画に近い)一般映画を手掛ける一方で、佐藤寿保の「エキサイティング・エロ 熱い肌」(1986)「ロリータ バイブ責め」(1987)「暴行本番」(1987)といった精液と血糊の傑作群を支えるカメラマンだった(早朝の新宿東口駅前のスクランブル交差点の信号機に首吊り死体をぶらさげた、あの忘れがたいラストシーンはこの人の撮影なのである) その後、四ノ宮浩は電通映画社に入社。1989年の1月、仲間とフィリピン旅行に出かける。あるいはフィリピーナとの熱い一夜が目的だったのかもしれないこの旅行で、たまたま東洋最大のスラム=スモーキー・マウンテンを訪れたことが2人の映画人の運命を大きく変えてしまった。四ノ宮は瓜生を伴って2ヶ月後にふたたびマニラ市郊外にそびえる巨大なゴミの山を訪れ、それから5年間にわたる長く苦しい撮影が始まり、それはやがて「忘れられた子どもたち スカベンジャー」(1995)というドキュメンタリーとして結実することになる。 ● 大気汚染防止法でゴミの焼却が禁じられているフィリピンでは必然ゴミはどこかに捨てるしかない。高層ビルが林立する首都マニラから排出される膨大な量のゴミは郊外にある区画に運ばれる。ゴミから発生するメタンガスが燃えてつねに燻っているから「スモーキー・マウンテン」。そこには農村で食い詰めて都市部に流れてきて、仕事にあぶれてホームレスとなった者たちが2万人以上も住み着いて、ゴミを拾って選別しては廃品回収業者に売り、わずかな日銭を得て暮らしている。ごみ収集トラックがやって来るとズタ袋や籠を背負ったホームレスの老若男女そして学校にも行けぬ子どもたちが、わらわらとトラックに集まってくる。貧困と不衛生の中でそれでも必死に力強く生きている彼らの姿を描いたのが「忘れられた子どもたち スカベンジャー」という映画である。観た当時はかなりの衝撃を受けたものだが、今、その6年ぶりの続篇となる「神の子たち」を観て愕然とする。「忘れられた子どもたち」の時代はなんと幸せだったことか! たとえ貧しくともゴミを拾うことを生活の術としていても自分の手で稼いだ金で米が食えるということはどれほど幸せなことか。2000年のフィリピンを映した本作では、ゴミの山に暮らす(しかない)人々は、もはや生き抜くこと自体が困難となっているのである。 ● フィリピン政府は「貧困の象徴」であるとしてスモーキー・マウンテンを1995年の11月に閉鎖、マニラ市のゴミは隣りの市にあるさらに広大なゴミ捨て場に運ばれることになった。「神の子たち」はそのパタヤス ゴミ捨て場を舞台としている。かつては谷であった場所もいまでは大小2つのゴミの山がそびえ、その周囲には3,500世帯が暮らしている。溜まった汚水からガスが湧く。耐え難い悪臭。もちろん上下水道なんてあるはずもない。病気で臥せる子どもの顔にも容赦なく蝿がたかる。ここでは子どもが大人になるのは大変だ。アフガニスタンの民がアラーの神を信じるように、北朝鮮の国民が偉大なる首領様を盲信するように、そしてまた昔から貧乏人が往々にしてそうであるように、彼らは敬虔なクリスチャンだから避妊なんて考えもせず次から次へとバカスカ子どもだけは産んでしまう。だが彼らの愛してやまない神さまは子どもの3人に1人を、かれらがティーンになる前にみずからの御許へと連れ帰ってしまう。ここでは子どもが毎日のように死ぬ。そして恒常的な不衛生な環境のゆえか、この地には畸形児が多く生まれる(作者は200例以上を目撃したそうだ) フィリピンではそうした子どもをこう呼ぶ──「神の子たち」と。 ● 映画会社やテレビ局や電通が付いているわけでもなく、前作の評判が金銭的成功に結びついたわけもない四ノ宮浩は、前作の公開から5年にして ようやく次の映画を作れるだけの金が溜まったのだろう、2000年7月にふたたびフィリピンへと渡り「神の子たち」の製作が開始された。ところがクランクイン翌日から颱風で1週間、激しい雨が降りつづき撮影は不能。よくやく晴れたと思ったその日、ゴミの山が山崩れを起こして500世帯以上が生き埋めになった。その結果、撮影チームはゴミの山から掘り出される黒焦げの死体…といった映像をカメラに収めることが出来たし、危険と判断した政府がゴミの搬入を中止したために「収入源」を絶たれた住人たちは困窮し、飢え、映画はよりドラマティックになったわけだが、このような偶然をなんと表現したらよいのか。これも神の御業か、それとも悪魔の謀略か。これほどの悲劇がたまたま撮影中に起こらなかったならば、映画のもつ衝撃力がここまで強くならなかっただろうこともまた事実なのだ。これを「映画の神が微笑んだ」と言っていいのか。作者は複雑な心境だろう。 ● はっきり言って映画としてのまとまりは前作のほうが上だ。いくら金が無いからって「作者の声」にあたるナレーションまでを字幕で処理してしまっては映画が単調になる。子どもの死が容赦なく(それも何度も何度も)スクリーンに映し出されるし、最後まで目をそむけずに観通すのにはかなりの勇気が要る映画でもある。しかも観た後はけっして安らかに眠れない。それにそもそも この映画を観たからといってこの子たちが救われるわけではないし、直接的な援助がしたいならボランティアでも募金でもしたほうがよほど有用である。だがそれでもあなたはこの映画を観るべきだと おれは思う。手塚治虫の「ブラック・ジャック」の最良の一篇を読んだときと同等の衝撃/感動/覚醒をあなたにもたらすと思うから。そしてまた、素晴らしい仕事をした四ノ宮浩にはせめて製作費ぐらいは回収してほしいと願うから。 ● 全国の上映予定は公式サイトへ> www.kaminoko.com 本作ではゴミ拾いのことなどは詳しく説明されないので、出来ればどこかで前作「忘れられた子どもたち スカベンジャー」も併せてご覧になることをお勧めする。まあ、続けて観るにはヘヴィ過ぎるかとは思うが。

★ ★ ★
ウォーターボーイズ(矢口史靖)

ピッチピチの男子高校生たちがピッチピチのビキニ・ブリーフ1枚で放尿プレイに興じる話(←違います) てゆーか、客を感動させてどーするよ>矢口史靖。キミの使命は徹頭徹尾クッだらない映画で観客を呆れされることでしょーが。マンガのコマ割りのような演出や、寒っぶいギャグの数々は、それこそが矢口史靖の本質なので変える必要いっさいなし。人に言いにくい恥ずかしい部活の青春を描いた「シコふんじゃった。」で当てて、人に言いにくい恥ずかしい趣味での恋愛を描いた「Shall we ダンス?」でさらに大当たりして、調子コイて人に言いにくい恥ずかしい娯楽の村興しを描いた「卓球温泉」で大コケしたプロデューサー(アルタミラ・ピクチャーズの桝井省志)が、今度こそはと原点に戻って、再び人に言いにくい恥ずかしい部活の青春を描いてひと儲け…という嫌らしい戦略に乗っかって「後味サワやかな青春映画」なんぞを目指したのがそもそもの間違い。矢口史靖の持ち味は「嘘っぽさ/デタラメさ」にあるのであって「青春のリアリティ」や「感動」なんぞはお呼びじゃないのである。しかもラストのシンクロ演技の長いこと! 「感動のクライマックス」で中だるみさせてどーするよ。 ● 戦略の嫌らしさは、シンクロの(指南する気など更々ない)指南役に竹中直人…という手垢でベットベトのキャスティングにも表れている。まともなセンスを持ってるなら、ここに柄本明。オカマ・バーのママに杉本哲太。不機嫌な顧問教師に竹中直人(ただしギャグ禁止)でしょうが。 …って、ここまでケナしといて、なんで ★ ★ ★ が付いてるかといえば、そりゃもちろん平山綾ちゃん 17才が出てるからに決まってる。近くの女子高に通う、男兄弟で育ったせいで空手の達人で、恥じらって男の肩をド突いただけで肩が脱臼しちゃうような、…つまり典型的「矢口史靖ヒロイン」のイケイケ一直線(…という自覚が本人にはまったくない)ジョシコーセー。大っきな目がクルックル動いて可愛いったらありゃしない。出来ればこのコの出演場面と未使用場面だけを30分にまとめて見せてくれたら時間の節約になって良かったんだけど。あと、あれだろ、この(なんて読むんだがわかんない)主演の男のコと2人で市営プールに(もちろん水着で)デートに行って、カレがついシンクロの泳ぎをしちゃって(もちろん水着の)綾ちゃんが疑いの視線を向ける…って場面が要るだろフツー。 男子校にシンクロ旋風を巻き起こす新任教師の眞鍋かをり も(ちょこっとしか出てこないけど)なかなかよろしいな。だけど水着の上からジャンパーを羽織ってるのはルール違反なので注意するよーに。あと、フツーあれだろ、競技用ハイレグ水着の美人教師とくれば「プールサイドでホイッスルを落として、それを膝を曲げずに腰だけ曲げて拾い上げる」とこをスローモーションで後ろから写すのはイロハのイだろ。矢口史靖クンも もっと鈴木則文の映画で勉強してくれなアカンよ まったく。てゆーか、今回は男性観客にサービスするつもりなどサラサラ無かったんだろうな。 あと、おれが言うのもなんだが、あのオカマ少年の描きかたはいくらなんでもヒド過ぎないか? ● ま、目論見どおり大ヒットさせたのは敬服する。続篇はぜひ平山綾ちゃんと眞鍋かをり主演でニューヨークからジェラルド・ダミアーニを監督に迎えて「ウォーターガールズ」を(←だからソコから離れなさいって)

★ ★ ★ ★
ピストルオペラ(鈴木清順)

撮影:前田米造 美術:木村威夫 編集:鈴木晄 音響:岩浪美和 音楽:こだま和文
1993年のオムニバス映画「結婚」のやる気のない1篇以来となる鈴木清順 78才の新作映画(とはいえ壊滅的な興行成績だった「カポネ大いに泣く」「結婚」のあとで、また本作の配給を受けた松竹は偉いと思うけど) 「陽炎座」「夢二」のスタイルによる極彩色のアクション映画。「殺しの烙印」のリメイクとして企画されただけあって話は原典とほぼ一緒。劇場版「機動警察パトレイバー」シリーズや平成「ガメラ」シリーズの伊藤和典が書いた、組織の「内ゲバ」をテーマとする、おそらく押井守の「ケルベロス」ものに近い話だったと推測されるオリジナル脚本の残滓は本篇中にかろうじて感じられる程度。優秀なプロダクション・クルーの力を借りて、もう一から百まで「鈴木清順の映画」以外の何ものでもない素敵にデタラメな代物になっている。まあ1960年代のアート映画ならともかく、現代の一般商業映画でこれをやって非難を受けないのは清順ぐらいだろうなあ。念のために言っておくが若い映画作家諸君は決して真似しないよーに。 ● ヒロインを演じる江角マキコは見目は麗しいし、アクションもちゃんと自分でこなしているが、いかんせん台詞まわしが酷い。「オモチャ、飽きちゃった」が「オモチャア来ちゃった」に聞こえるほど(ガイジンかアンタは!) もっと日本語の発音/発声を勉強してきたまへ。てゆーか、どーせメチャクチャな映画なんだから声優にアテレコさせちゃえば良かったのに。あとこの手のいかがわしいアート映画に乳出しは必須だと思うが、どうか。 対照的に台詞術が素晴らしいのが(本来なら大楠道代の役回りを演じた)山口小夜子。声も良いし、舞踏の経験もダテじゃないところを魅せる。 ヒロインを慕う少女に新人・韓英恵(かん・はなえ)ちゃん。なぜかこっちはヌード有りで、かすかに膨らみかけたおっぱいがもう…あ、いや(えー、観てる間は中学1年生くらいかと思ってたんだけど、あとで調べたらどうも撮影時まだ10才かそこらだったようなのでこの発言は撤回します←中学生ならいいのか!) 殺し屋どうしの殺し合いの話…のわりには出てくる殺し屋(と必殺技)のバリエーションが少なくて物足りないのは前作と一緒なのだが、中では「生活指導の先生」…という通り名の、ジャージ姿で車椅子をあやつる殺し屋がハードボイルドでカッコ良かった。おそらく演じてるのが本物の車椅子乗りなのだろう、車椅子が前から見ると車輪が「ハ」の字に傾いてるバスケ競技用の車椅子なのだ。 どーしても納得できないのが、仕事の前後には米の飯と女が無性に恋しくなる、かつて一瞬だけ殺し屋ナンバーワンになったことのある男…という「殺しの烙印」の主人公の34年後を演じるのが、宍戸錠ではなく平幹二朗だってこと。だって明らかに平幹二朗は前作の宍戸錠の演技や喋りかたを模倣してるもの。だって宍戸錠のメンタリティからしたら話があったら絶対に頬の摘出手術を延期しても出演するはずだもの。…なんでなの? あと、樋口真嗣のタイトルバック・デザインはカッコイイんだけど、本職の合成シーンが15年前のビデオ合成レベルでダメダメ(予算の関係?) ちなみに本作はいまどき傍迷惑なスタンダード・サイズ。つまり「ピストルオペラ」という題字の天地が切れてたらその映画館はレンズを持っていないということ。 ● 公開からだいぶ経ってる日曜日の夜なのでガラ空きだろうと思ったらテアトル新宿は超満員。その夜はたまたま鈴木清順×映画評論家・上野昂志のトークショーがあったのだった。お客さんはアート系専門学校生らしき女のコたちが大半で、爺さんのイイカゲンなトークに「カワイイ!」とか言ってハシャいでおった。いつのまに女学生のアイドルになってたんだ!?>鈴木清順。

★ ★
裏切り者(ジェームズ・グレイ)

「誘拐犯」に続くアスミック・エース配給&ジェームズ・カーン助演による漢字題名サスペンス・シリーズ第2弾(←そうなのか!?) 薄倖な人々が薄暗いアパートや煤けた路地裏で囁くようにしゃべり、静かに破滅していく。登場人物は誰1人 幸福になることはない。「この世はなべて灰色である」という人生観に基づく、希望とも高揚とも縁のない映画。映画を観て思いっきり陰鬱な気分になりたい方にお勧めする(ただし睡眠が足りない状態で観ると絶対に寝ちゃうと思うぞ) ● ニューヨーク市はクイーンズを舞台にした地下鉄工事入札(その他の)汚職の実話をもとにした社会派サスペンス。かつてのシドニー・ルメットなら このまんまの脚本でもメリハリのあるエンタテインメントに仕上げただろうが、やはりNYのロシア系貧民街を舞台に家族の悲劇を描いたティム・ロス主演の「リトル・オデッサ」でデビューしたジェームズ・グレイ(監督・脚本)はカタルシスのない隠々滅々で観客を辟易させるばかり。大体この話だったら絶対に、アイツは警官から逃れて、追い詰められて、夜の操車場(=原題)――それも「陽のあたる(サニーサイド)」という名の――に逃げ込んで、ヘリからの光線に照らされて、投降しようとしたところを誤解されて、警官隊に射たれて、地べたに倒れて、絶命するその瞳に映ったのは…イースト・リバーの対岸にあるマンハッタンの摩天楼の灯・・・てな終わり方しかないでしょうが(そーゆー話じゃないの?) ● 社会復帰を望む前科者 マーク・ウォルバーグは健康的すぎてミスキャスト。 かれを悪の道へと誘いこむホアキン・フェニックスもイマイチ…かと思っていたら終盤の、嫉妬と憎しみに身悶える姿はやはり独壇場ですな。 ウォルバーグの従妹でホアキンの婚約者 シャーリーズ・セロンは今回、黒髪パンクメイクで役柄自体もあまり魅力的ではないのだが、こんな陰気な映画でもポロリと出してくれてるのは偉いなあ。みあげた女優魂である(女優魂なのか!?) なお本作には「レクイエム・フォー・ドリーム」そのまんまのエレン・バースティンとフェイ・ダナウェイという(まるで地獄から湧いて出たメデューサとエウリュアレのような)世にも恐ろしい姉妹が登場するが、べつにホラーというわけではない。

★ ★
リベラ・メ(ヤン・ユノ)

韓国映画界が放つ「シュリ」「カル」「ユリョン」に続くハリウッド志向の大型エンタテインメント作品。韓国版「バックドラフト」と喧伝されているが、それより韓国版「ブローン・アウェイ」といったほうが正しい。爆弾魔が放火魔に、爆弾処理班が消防士にアレンジされているわけである。恨(はん)=過去の傷から抜けきれぬニューロティックなヒーロー像…という設定も踏襲されている。ただ犯人がトミー・リー・ジョーンズのような愉快犯ではなく、深い恨(トラウマ)を抱えた悲劇的人物というのが韓国映画 的と言えるかも。 ● 韓国南部の古い街=釜山市の全面協力によって、実際に市街地の病院を放火&爆破するという、例えて言うなら渋谷の街で東急本店&文化村に火をつけるようなムチャな撮影を敢行したおかげで火事のシーンは迫力満点。CG合成やミニチュア撮影もあるのだが、それらのカットでは明らかに画質が荒れており、逆に言えばそれ以外のシーンはすべて生の火を使っているわけである。たしかに「火」に関しては一見の価値がある。 ● だが、肝心のドラマとなると・・・うーん…。いや今回ちょっと歯切れが悪いのは「ガソリンスタンド崩壊」のあとで(たぶん5分ほど)不覚にも意識を失ってしまったから。だからきっとおれがこの映画のストーリーを理解できないのはその所為なのだ。主人公とヒロインの関係がよく判らん…とか、犯人の復讐の論理がクライマックスで飛躍してるだろーが!…とか、消防士がなぜ火事場で(小型燃料タンクそのものである)ライターなんぞを携帯してるのか…といった数々の疑問点はその5分間で説明されていたに違いないのだ。「リベラ・メ」(ラテン語で「我を解き放ち給へ」)という素晴らしくカッコいいタイトルの由縁もちゃんと劇中で説明されてたんだろう。残念だなあ見逃してしまって。ひとつだけ言えるのは(「太陽にほえろ」みたいな続きもののテレビドラマではない)1本きりの映画で、集団ヒーロー制を採用したのは戦略ミスだろう。ストーリーの焦点を主人公1人と犯人に絞り込んで対決色を強調すべきだった──「ブローン・アウェイ」のように。 ● 主役…なんだけど1人だけ何もしてないように見えるベテラン消防士に「ユリョン」のキチガイ副艦長 チェ・ミンス(崔民秀)←東宝が作ってる「ソウル」の韓国側主役も この人。 火への恐怖を拭いきれない新米消防士に(金髪じゃないので最後までそうと気付かなかった)「アタック・ザ・ガス・ステーション!」「リメンバー・ミー」のユ・ジテ(劉智泰) チェ・ミンスと恋愛関係に…あるのか無いのかよく判らない消防調査官に「女校怪談」でヒロインを演じたキム・ギュリ。 そして、思いっきりの怪演ですっかり映画を喰ってしまう天才放火魔に、元トップモデルのチャ・スンウォン(車勝元) 監督はこれがキャリア5作目となるヤン・ユノ(梁允豪) この手の映画なので、いつものくせでSFX関係のクレジットを確認しようとエンドロールを待ち構えていたら・・・んぐっ、ハングルだから読めないぃぃ!

★ ★
ヤング・ブラッド(ピーター・ハイアムズ)

なんかヘラルドがやる気のない邦題を付けてるが、中味はおなじみ「三銃士」の話。今回のウリは主演スターでもSFXでもなくて略称「ワンチャイ2」の白蓮教主あるいは「ワンチャイ3」以降の鬼脚七で勇名を馳せ「発狂する唇」では三輪ひとみの3Pファックを武術指導した(←それは違います)くまきんきん(熊欣欣…中国本土出身なので北京語読みだとシャン・シンシン/香港ではホン・ヤンヤン)さん(←なぜか さん付け)が武術指導を手掛けていること。なるほど銃士ってのは羽飾り付のつば広帽に長髪&マント姿だから禿頭の中国人でもスタントダブルしやすいわけだ。おかげで中世のフランスを舞台に中華剣術やらカンフー・ファイトやら棍術やら分銅術やらが繰り広げられるわけで、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地黎明」の梯子バトルの再現など見飽きないが、それでもこれは「三銃士」なのである。やはりクライマックスの最強の宿敵との一騎打ちぐらいは華麗なるフェンシングの妙技を魅せるべきではないのか。 ● アメリカ人観客(のレベル)に合わせるためか、人物設定も思いっきり現代化されていて、主役のダルタニアンは「誇り高き銃士の息子」というより、どー見ても傲慢で生意気なアメリカのティーンエイジャーで、スペイン娘という設定のヒロインは典型的な勝ち気で男勝りで言葉遣いの汚い現代っ子になってしまっている。あのさあ「ROCK YOU!」ならそれでもいーけど、これは「三銃士」だぞ。現代化も結構だが、騎士道精神を失ったらそれは「三銃士」じゃないだろうが。その一点でこの映画は評価できない。 ● 主役のジャスティン・チェンバースは魅力のひとかけらだに無し。ヒロインのミーナ・スヴァーリはミスキャスト。肝心の「三銃士」すら最後まで認識できないようなキャラ立ちしてない作品の中で、ひとり光り輝いているのが悪役ファブルを憎々しげに演じたティム・ロスである。王妃カトリーヌ・ドヌーヴから「あなたには慈悲の心というものがないの!?」と問われて平然と「慈悲は無い。心も無い」と返す。シビれるねえ(なんか「猿の惑星」でもおんなじこと書いたような気がするなあ) ● 監督・撮影はピーター・ハイアムズ。くまきんはティム・ロスのダブルを担当、主役の坊やのダブルはタン・シャオという人。デビット・アーノルドが鳴らしまくる音楽は良かった。

★ ★ ★
ロード・キラー(ジョン・ダール)

「もういちど殺して」「レッドロック 裏切りの銃弾」「甘い毒」「アンフォゲタブル」「ラウンダーズ」のジョン・ダール最新作。やっぱり今度も主人公が酷い目に遭う話である。カリフォルニアからコロラドへ。大学の夏休みの帰郷ドライブの途中でネットオカマならぬCB無線オカマで見知らぬトラックの運ちゃんをからかったのが運の尽き。謝っても反省しても決して許してはくれぬ偏執狂的な「顔の見えない運転手」がどこまでもどこまでも追いかけてくる…という「激突!」の青春映画版。主人公の金髪青年に「ワイルド・スピード」のポール・ウォーカー。厄介者の兄にスティーブ・ザーン。紅一点にますます大柄になったリーリー・スビエスキー。どうしてわざわざモーテルから人気のない夜のハイウェイに逃げ出すのか?…といった この手の映画の根本的な疑問は回避されていないが、変な欲を出さず97分でタイトにまとめている。ただイマドキの映画からするとヒロインが、ただ「危険な目に遭って主人公に助けてもらう存在」でしかないのが物足りないか。原題は「JOY RIDE(愉しいドライブ)」

★ ★ ★
赤い橋の下のぬるい水(今村昌平)

あれ? 今村昌平の映画で、題字がいつもの子どもの寝相のような筆書きじゃないのって初めてじゃない? ● 「うなぎ」(1997)「カンゾー先生」(1998)と、順調に新作のつづく御歳75才の巨匠の新作は、いかにもイマヘイ節の艶笑落語(ばれ噺)の世界、とことんアホらしいセックス・ファンタジーである。 ● 孤独な理由あり女(清水美砂)のところに理由ありの男(役所広司)が流れ着く…という設定はまるで「うなぎ」の姉妹篇。今回は失業サラリーマンと潮吹き女の話だが、この女、吹く潮の量が極端で、もう、リットル単位で、まるで鯨の潮吹きのように潮を吹きあげるのだ。客席一同「んなバカな」と大笑い。そう、バカな話なのだ。落語だから。今村昌平のクラスメイトでもある北村和夫いわく「アンタねえ、なんだかんだ言っても人生は ちんぽが硬いうちだよ」 いや、仰有るとおり。だけどほんとにそう思ってんなら現行の「R-15」範疇の描写じゃなく(どうせそんな気持ちは高校生のガキにゃ無縁なんだから)「R-18」の成人映画と割り切って──やはり「水の女」をヒロインにいだく神代辰巳×宮下順子の「赫い髪の女」のように──性の歓びを甘受する男女の営みをこってりと描き出すべきではなかったか。おまんこ万歳って映画なのに濡れ場がアッサリし過ぎだろ。歳か?>今村昌平。それとヒロインの出自だのニュートリノだのチャチいCG製の子宮幻想だのといったゴタクはまったく余分。 ● もっともさすがにベテラン、人間喜劇としては充分以上に面白い。登場人物それぞれのキャラクターが立っていて、今どき、こういう「出演者全員がちゃんと演技をしてる映画」を観るとホッとするよ。 主演の役所広司はいつもの役所広司。全裸シーンもふんだんなので中年女性観客には御満足いただけるのではないか。 ヒロインの清水美砂は、撮影中なんと妊娠数ヶ月だった由。衣裳と体型からそれがバレバレなので、劇中で誰もそこに触れないのはいささか不自然。すでに乳首が張ってしまってたせいか脱ぎは無し。 地元漁師のカノジョ役で小島聖が出てるが、これも脱ぎは無し。 ヒロインの家の老婆に倍賞美津子。ま、倍賞美津子に今さら脱がれても困るが、終盤にほんの二、三言あるだけの寡黙な役ながら素晴らしい存在感をみせる。しかし倍賞美津子が老婆の役を「演る順番」になったかあ…とちょっと感慨を覚えたぜ。 網元のバカ息子…に見えてじつは気の良い漁師のあんちゃんに扮した(ちょっと山口祥行 系の)北村有起哉がイイ味。なんと北村和夫の息子だそうだ。 豪快な網元を演じた(中盤まで登場しないので敢えて名前は伏せるが)某東映役者もサイコー。 なお、殿山泰司が死んでしまったので今回「近所の助平じじい」という殿山泰司の持ち役は中村嘉葎雄とミッキー・カーチスが担当している。  ● ヒロインの住む、赤い橋のたもとの凌霄花(のうぜんかずら)の咲きほこる旧い木造家屋のロケセットが素晴らしい(美術:稲垣尚夫) おそらく今の日本映画界ではこの程度のロケセットを建てるだけでも「贅沢」なことなのだろうなあ。 しかし役所広司はホームレスのくせして携帯電話料金なんて払えるのか?

★ ★ ★
Needing You(ジョニー・トー&ワイ・カーファイ)

2000年秋の香港映画祭では「孤男寡女」という原題で上映された作品(公開タイトルの「Needing You...」ってのも英原題そのままではあるが) ● 内気で冴えないOLが「仕事命」のモーレツ社員(死語)に恋をして…という、これまた日本のテレビドラマの影響下に作られたラブコメだが、共同監督――共同監督ってあたりが既に香港映画っぽいのだが――したベテラン「ヒーロー・ネバー・ダイ 眞心英雄」のジョニー・トーと「大陸英雄伝」のワイ・カーファイ(韋家輝)の現場叩き上げ組からは身体に染みこんだ香港映画の性がついつい滲み出してしまう。つまり大スター、アンディ・ラウは(今回、鼻血こそ出さないものの)ゲロは吐くし、大マジメな顔でベタなギャグをかますし、しまいにゃあの大ヒット作品の主役キャラとして耳馴染みの主題歌をバックに婚礼スーツ姿でバイクにまたがって特別出演までしてしまうのである。そもそも「情緒不安定になると掃除を始める(助手席でいきなりティッシュを取ってウィンドウとかダッシュボードを拭き始めたりする)」というヒロインの設定からして壊れてると思うぞ。2000年の香港映画ナンバーワン・ヒットはこの作品なんだそうだ。大丈夫、こういうものを好んでるうちは香港映画は変わらない…と妙な安堵をおぼえてしまう おれなのであった。 ● ヒロインのサミー・チェン(鄭秀文)は歌手が本業で、キレイじゃないことはないのだが、「女優!」という強烈なオーラを発していない。そんな「どこにでもいる感じ」が今の香港じゃ受けるんだろうけど、この世のものとも思えぬ美しい女優さんたちにウットリしてきた身としてはちょっと。

★ ★
ファニーゲーム(ミヒャエル・ハネケ)

4WDワゴンでヨットを牽いて、湖畔の別荘に避暑に向かう幸せな3人家族。カーステレオからはクラシックの優雅なメロディ。…と、そこへ幸せを引き裂くかのようにノイズ・ミュージックの轟音がかぶって、画面いっぱいに赤いゴチック体で「FUNNY GAMES(愉快なゲーム)」とタイトル。この冒頭シーンが象徴するように、これは幸せな3人家族がなんの謂われも落ち度もないままに1時間43分にわたって徹底的に酷い目に遭う話である。典型的な「不気味な訪問者」パターンのサスペンス。日本初登場となるドイツの鬼才監督ミヒャエル・ハネケは観客を逃げ場がなくなるまで追い詰める。その圧倒的な演出力は文句なく ★ ★ ★ ★ に値する・・・余計な小細工さえなければ、だが。「余計な小細工」というのは、主犯の青年にメタフィクショナルな台詞を与えて観客もまたこの暴力行為の加害者であるとの自覚を促すのである。あなたが望むからぼくは酷いことをするんですよ。皆さん結局は暴力が好きだからこんな映画を観に来てるんでしょ?というわけだ。 決して暴力行為そのものは描写せず、女性の被害者が裸を強制される場面でも裸を写さないミヒャエル・ハネケは、おそらく観客へのサービスとしてではなく一種の告発行為のつもりでこの映画を撮っているのだろう。 冗談じゃない。アンタに言われたかないよ。こうした映画を飯の種としている時点でアンタも「13金」の監督と同列だろうが。 ま、そうした些細な点に目をつむれば、観終わって間違いなく不快な気分になれる傑作なので「悪魔のいけにえ」や「クリーン、シェーブン」の大好きな皆さんにお勧めする。

★ ★ ★ ★
贅沢な骨(行定勲)

不感症のホテトル嬢ミヤコ(麻生久美子)と、内気なプーのサキコ(つぐみ)はルームメイト。肉体関係こそないものの2人は夫婦のように暮らしている。ところがミヤコがたまたま付いた客と「肌が合った」というのか生まれて初めてのエクスタシーを覚えてしまい、その男=シンタニさん(永瀬正敏)を2人の生活に引き込んだことから、微妙で危うい三角関係が始まる…。ミヤコを男にすれば瞭然なのだが、これは「気ままな夫とけなげな妻」パターンのラブストーリーである。てゆーか「セーラー服 百合族」を始め、こないだの「LOVE/JUICE」もそうだけど、なぜかレズものってみんなこのパターンなのな。 ● ここでは混入してくる男は触媒に過ぎなくて、眼目はあくまで2人の女の間の揺れ動く感情を描くことにある。セックスが介在しないことによってバランスを保っていた2人の関係は、ミヤコがオルガスムスを知ったことにより、向こう側とこちら側に分断されてしまう。つまり物語の本質に「性」がある話なのである。ミヤコの役は最初に「商売」としての不感症セックスを見せておいて、しかるのちに、初めて女としての悦びを覚えた官能的なカラミを見せないと、その後の彼女の行動に説得力が出ない。にもかかわらず麻生久美子が(本人の意向か、事務所の方針か知らんが)「ノー乳首」ポリシーに固執するもんだから、ミヤコが「嫉妬深いイジワル女」に見えてしまうのが本篇最大の欠陥。きちんと脱いでる つぐみ の裸体の説得力を見たまへ。 ● ただ脱いでるだけでなく、つぐみ は「精神的外傷ゆえの不安定な、コンプレックス抱えまくりの目立たない女のコ」をしごく魅力的に演じて、おそらく彼女のキャリアの代表作となるだろう。 ま、麻生久美子ちゃんは久美子ちゃんで「天使のようなフラッパー」ぶりが愛らしくはあるんだけどさ(よーするに何でもいいんじゃねえか>おれ) 第三の男たる永瀬正敏は一生懸命に「存在感あふれる演技」をしてるけど、この役はもともとキャラクターの要らない役なので、あんまりキミが目立つと邪魔なんだけど。こいつのラスト2場面(おんぶのシーンと雑踏のシーン)は構成上まったく不要。なんか最近の永瀬正敏って本来ならば20代の時にやっておくべき役を三十路になってから慌ててこなしてる気がすんのはおれだけ?  ● 「閉じる日」に続いて行定勲と益子昌一の共同脚本。相変わらずVシネマ的ジャンルではないオリジナルな物語を綴る才能は貴重である(ただ本作に関して言えば、ラストの落とし方は好きじゃないが) 次回作はいよいよ東映系全国公開の「GO」 なんとか頑張ってほしいものである。なんだったら「21世紀の根岸吉太郎」という称号を差し上げてもいいぞ(え、迷惑?) それと毎回 言ってるけど、朝本浩文(ラム・ジャム・ワールド)は劇伴のセンスが無いんだから使うの止めなさいって(出演もしてるみたいだけど、どの役?) ● ひとつ疑問があんだけど、ヒロインが初めて商売ではなく男と寝たあとで、男に向かって「わたしが売春婦だから罪悪感 湧かないでしょ?」…って、どゆ意味? それって「シロート女をコマした後は罪悪感が湧くでしょ」ってこと? マジで判らん。 あとクダらんツッコミ> ポスターにも使われてるけど、ジューサーなんかで金魚 飼ったら後が魚臭くて使えねえじゃんかよ。それと、浜松町の次は有楽町じゃなくて新橋だぞ>鉄ちゃんのくせに。

★ ★
エボリューション(アイバン・ライトマン)

異常なエボリューション(進化)・スピードが特徴のエイリアンの〈地球侵略ものSF〉を「ゴーストバスターズ」の監督がライト・コメディのノリで撮り…そこねた失敗作。こりゃヒドい。何があったんだ!? アイバン・ライトマンってここまで下手じゃなかっただろ? なんかもう、娯楽映画としての関節がすべてバラバラで、ひとつとしてうまく機能していない感じ。最後までクスリとも笑えず身体の芯まで寒寒としてきたのは決してガラガラの劇場の所為だけではない。 ● デビッド・ドゥカブニーとジュリアン・ムーアは魅力のひとかけらもなし。ちょこっと出てきて場を浚う役割…のはずの(言うまでもなく「ゴーストバスターズ」オリジナル・メンバーの)ダン・アイクロイドなど「出」で、もう躓いてる感じ。ここでも黒人俳優オルランド・ジョーンズが「ドジでスケベですぐ踊りだす黒人」というステロタイプを割り当てられているのだが、あのなあ、こいつの役はNY下町のピザ屋の兄(あん)ちゃんじゃないんだぜ。仮にも大学の地質学教授だ。黒人なら誰でもドジでスケベですぐ踊りだすってのは黒人差別じゃねえの? だいたい「ゴーストパスターズ」は「超常現象などという誰も信じていないものにマジメに取り組んでる変人たち」が主人公だからアレでいいんだけど、こっちの主人公たちはれっきとした大学教授や科学者だぞ。それがあんなバカばっかじゃマズいだろがよ。幽霊と違って誰の目にもはっきり見えるエイリアンが相手だってのに警察も軍隊もやけにのんぴり構えてるし、あんな事態になって大統領が無関心なワケないでしょうが。エイリアンの弱点の「バカバカしさ」は百歩譲ってジャンルの伝統に則ったものとしても、せめて実際にそれが効くのかどうか実験ぐらいしろっての。まったくもって「コメディになる素材」と「ならない素材」の見分けもつかんバカどもめが。もともとおれはティペット・スタジオ製のヘンテコなクリーチャーがうじゃうじゃ出てくるとこだけを観たくて行ったのだが、それも予告篇やCMで見たやつしか出てこなくて期待はずれだった。

★ ★
同級生(サイモン・ショア)

フツーなら男同士のうじうじした痴話喧嘩なんぞ観たくもないんだが、「恋はハッケヨイ!」のキュート・デブこと、シャーロッテ・ブリテンが出てるというので観に行ったのだ。そしたら主人公の「親友」を演じる彼女の色恋沙汰は ほんの彩り程度で(脱がないし<おい)、メインはやっぱり男同士のうじうじした痴話喧嘩なのだった(火暴) しかし公園の公衆便所などという、いつ誰に見られるか判らんようなハッテン場に学校の制服のままでいくかあフツー?

★ ★ ★ ★ ★
ワイルド・スピード(ロブ・コーエン)

爆音エキゾースト・ノイズと轟音ギャングスタ・ラップが観客の感覚を麻痺させる真性の劇場用映画。こればっかりはビデオで観ても面白くないぞいちおう「謎の窃盗団」がらみの(「ハートブルー」とソックリな)ストーリーは用意してあるが、この映画の眼目はあくまでもカー・アクションを描くことにあり、ストーリーなど二義的なものでしかない。だいたいここにはアメリカ的な勧善懲悪が成立してないし。 ● アメリカ的じゃないといえば この映画、主役は完全にヒスパニック。で、あと黒人がヒスパニック側について、敵役は「見た目は韓国人/アジトは中国風/名前はベトナム風」という正体不明のアジア人ギャング。そして「準白人」である日本人はこの世界に居場所がない。そうした「新しいアメリカ」を目撃するほとんど唯一の白人であるポール・ウォーカーの視線は、そのままアメリカの白人観客の視線だろう。ここで特筆すべきは乗ってるクルマ…つまりこの映画の本当の主役が、GMでもフォードでもなくすべて日本車(の改造車)だということ。トヨタ・スープラがフェラーリをブッチギったりすんのはスカッとするけど、それを運転してんのは日本人じゃないのだ。技術や製品やカラオケだけ輸出して、人が出て行かないってのはそれだけこの島国の居心地がよいってことなのかねえ?  ● 物語の主役を演じる「ピッチプラック」の暗視殺人犯=ヴィン・ディーゼルがみごとな一枚看板の存在感を見せる。人種不明(本人が未公表)の不敵でエキゾチックな風貌が「族の総長」役にピッタリ。アクション映画のトップスターになれる器だと思う。 そのカノジョに「ガールファイト」のミシェル・ロドリゲス。こちらもみごとなハマリぶりで、野郎をブン殴るわ、仲間の危機には我が身を顧みず助けるわ…と並の男が裸足で逃げだす侠気(おとこぎ)を魅せてくれる。(年下だけど)姐御と呼ばせていただきます。 ポール・ウォーカーと恋仲になる「総長の妹」にジョーダナ・ブリュースター。やっぱり「イェール大学総長の孫で、本人も優等生」という実人生をまったく感じさせないヤンキーっぷり。 最高のキャスティングの前では演技の巧拙など問題ではない…ということを改めて実感させてくれる。 監督は「デイライト」「ドラゴンハート」のロブ・コーエン。ヒスパニックの連中が飯のあとで観るビデオは「ドラゴン ブルース・リー物語」だったりするんだけど、これ結構リアリティあるよな。 製作のニール・H・モリッツは「ラストサマー」の人。またもや若者向け映画の金鉱を掘り当てたわけだ。 ● 関係ないけど特捜班の隠れ家として使ってる屋敷は「電話で抱きしめて」でウォルター・マッソーが住んでた家でしたな。 あと本作は「落下したり横転したクルマは必ず爆発炎上する」というハリウッド映画の欺瞞を論理的に回避した、史上初めての映画でもある。なにしろ本作に登場するクルマは推力ブースターとしてニトログリセリンを積んでいるのである。そりゃ爆発するわな。

★ ★ ★ ★
ガールファイト(カリン・クサマ)

「ワイルド・スピード」のミシェル・ロドリゲスのデビュー作。監督・脚本のカリン・クサマもこれが1本目(1968年生まれの彼女は日系で お父さんが草間さん) ブルックリンの貧困ヒスパニック街に暮らす高3の三白眼女が、見た目だけで世間を渡っていけるチャラ女への敵意を糧にボクシングを通じて「強く」なっていく話だが、女ボクサーのサクセス・ストリーをお求めなら他をあたってくれ。ハリウッド映画のような、恋も進路も貧困も八方まるく治まるハッピーエンドも提示されない。これは勝利の苦さも含めて誠実なNYインディペンデント映画だから。製作総指揮をジョン・セイルズが買って出て、物理教師の役でワンシーン出演もしている。 ● 予算のないインディペンデント映画だからいろいろと限界もある。照明が不足気味の場面もあし、キャストにも弱いパートが出来てしまう。たとえば「ヒロインの投げやりな父親」役にはもう少し存在感のある俳優がほしかったところだろう。 ボクシング映画で重要なポイントとなる「しょぼくれたトレーナー」…すなわち丹下段平やバージェス・メレディスの役を演じた脇役役者(ジェイミー・ティレリ)が素晴らしいのは救いだが。 そして何よりこの映画を輝かせているのはNYでの公開オーディションに応募してきた、演技もボクシングもずぶの素人だったという不敵な面構えのミシェル・ロドリゲスである。おそらくヒロインの境遇とそう変わりないであろう高校時代を過ごして来た1978年生まれ。ハングリーであること。ギラギラしてること。トンがっていて下手に触れたら怪我しそうなオーラを発していること・・・そうした女優としては異色な特質が彼女の魅力である。アクション・スター志望だそうだが、スペイン語観客がどんどん増えてくるこれからのアメリカ映画にはミシェル・ロドリゲスが活躍する場所はいくらでもあるだろう。おれからは とりあえず「エイリアン2」や「ピッチブラック」系の宇宙SFタンクトップ・アクションをリクエストしておく。 ● 最後に高校教育の問題点をズバリ突いた女子高生の名台詞を>「世界史(の授業)ってサイテー」「ほんと。死んだ奴ばっかり

★ ★ ★
キャッツ&ドッグス(ローレンス・グーターマン)

これは「CG技術を駆使した実写映画」・・・ではなくて、完全に「実写で撮ったアニメ映画」ですな。暴力・虐待・爆発なんでもありのワーナー・アニメのノリ。描写のデフォルメはもっと極端でも良かったんじゃないか? ● 主役の仔犬はスヌーピーと同じビーグル犬。主人公の坊や(=主要観客である年少者が感情移入する対象)がサッカー下手なチャーリー・ブラウンで…ってサブ・プロットがもうちょっとちゃんとフォローされてたら(=犬猫世界のストーリーと併行して、坊やがビーグルの助けでサッカー・チームの試験に合格する件が描かれてたら)もっと良かったと思うけど、ファミリー映画としては満点でしょう。 ● 坊やの「常識人でしっかり者のお母さん」にエリザベス・パーキンス。お父さんのジェフ・ゴールドブラムが「うっかり者で社会的には役立たずのマッド・サイエンティスト」なのは、この手の映画の共通基本設定。監督のローレンス・グーターマンはこれが商業映画デビューのようだが来歴不詳。ロシア猫のCG&振り付けにフィル・ティペット スタジオ。音楽はジョン・デブニー。

★ ★ ★
アメリカン・ナイトメア(アダム・サイモン)

おお、これは裏目読みだ! 「裏目読み」とは、かつての「映画芸術」編集長だった故・小川徹が得意としていた、映画の隠された文脈を(ときには隠すもなにも作者が意図してないことまで)読み取って論評するアクロバティックな批評手法で、読んでるぶんには面白いんだが「なぁに言ってんだか」と思わされるケースも多々あった。ただ、このやり方は突きつめていくと、作者が意図せざるままに画面に塗り込められた時代性/社会世相までも読みとることが出来る。本作は1970年代に大流行したスプラッター・ホラー群を検証して、アメリカがベトナム戦争時代に経験した獏とした恐怖や社会不安を浮かび上がらせる試みである。例によってこじつけめいた部分や、そもそもそりゃ過大評価だろ!って作品もあるが、ウェス・クレイヴン、ジョージ・A・ロメロ、トビー・フーパー、トム・サヴィーニ、ジョン・カーペンター、デビッド・クローネンバーグといった血と内臓の巨匠たちのインタビューを一度に聞ける機会はそうそうあるものではないし、当時かれらが同時多発的に同じようなことを感じ/考えていたというのは興味深い事実ではある。それら実作者たちの思索の真摯さ独創性に比べて、コメンテイターとして登場する大学教授どもの陳腐さバカさ加減と来たら! あと皆が真面目にコメントしてるのに何故かジョン・ランディスが出てきて「いやあ、あの作品はこれこれこうでスンゴかったあ!」とか「この作品のこれこれこーゆーとこにはビックリしたなあもう!」とバカまるだしでコメントしてるのが、いかにもジョン・ランディスって感じで笑ったよ。

★ ★
チルファクター(ヒュー・ジョンソン)

「スピード」の亜流。あれは時速50マイル以下で爆発する爆弾だったが、これは華氏50度で活性化する生物兵器。成り行きでアイスクリーム屋のトラックに積んだ生物兵器を、はたして華氏50度以下に保ちつつ、迫りくるテロリストの魔手から守りとおせるか!?…という話。主演はアクション映画の大看板を期待されながらいっこうに当たりの出ないスキート・ウールリッチと、おれってオカしいでしょ?愛すべき奴でしょ?と全身で媚を売ってくるキューバ・グッディング Jr. 監督はカメラマン出身でこれが初監督。そういや最近 見かけなかったモーガン・クリーク・プロダクションの1999年の旧作。ひと頃はA級大作を連打してたのにねえ…。

★ ★
エスター・カーン めざめの時(アルノー・デプレシャン)

じつはこの映画、「SLC PUNK!!!」の終盤にちょろっと出てたすっかりオトナになったサマー・フェニックスが主演してるってことぐらいしか知らないで、チラシ(のオモテ面)は目にしてたから女流画家の話かなんかかと思って、おお、画家の話ならハダカがたくさん出るなと思って(火暴)観に行ったのだ。当然「めざめ」といやあ「性のめざめ」だと思ってたら、これ、貧乏なヒロインが「女優魂に目覚める」までの話なのだった。よーするに「ガラスの仮面」である。それも19世紀末の暗くてジメジメしたロンドンが舞台のコスチューム・プレイ。しかも監督が典型的なおれの嫌いなフランス映画「そして僕は恋をする」のアルノー・デプレシャンだ。ちぇっ、失敗したぜ。<そらアンタ、監督も知らないで観に行くほうが悪いわ。 ● デプレシャンの演出は役者の生理を重視したもの。19世紀末の(それもロンドンの)話なのに fuck! とか piss off! とか言ってるし、インプロヴィゼイションもあるのかも。「ガラスの仮面」なのに、成功への一歩ずつ階段を登っていく様子が描かれていないとか、イアン・ホルムの個人レッスンはありゃ教えてるんじゃなくて天才を潰してるようにしか見えんとか、てゆーか、そもそもヒロインが天才女優に見えないとか、つまり、繋ぎや整然とした構成の美には端から背を向けた映画なのである。個人的な困難を克服してのイプセンの「ヘッダー・ガブラー」上演がクライマックスとなるのだが、それがどんな芝居なのかすら判りゃしない。ジョン・カサベテスのインディペンデントものや「M/OTHER」とかが好きな人にお勧めする。 ● この映画のユニークな点は、ヒロインが女優に一歩を踏み出すまでの前半がロンドンのユダヤ人コミュニティが舞台となっている点。ちょっと「アンジェラの灰」のユダヤ人版という趣もある。 まだ電気がない時代を再現したエリック・ゴーティエ(「ポーラX」「ティコ・ムーン」「イルマ・ヴェップ」)の陰翳に富んだ撮影は素晴らしい。 サマー・フェニックスは(最後まで「天才女優」には見えないけど)自分のまわりに壁を作って孤独を愛するヒロインになりきっての熱演。もちろんフランス映画だから全裸あり。ただユダヤ人てより(ハダカもなんとなく浅黒いし)メキシコあたりの血が入ってる? ひょっとして全員お父さんが違ったりすんのかな?>フェニックス兄弟@コミューン出身。

★ ★ ★ ★
私の骨(萩野憲之)

原作:高橋克彦 脚色:井川耕一郎&松村浩行 撮影:鈴木史郎(=鈴木志郎)
私は血と暴力にあふれた小説で売りだしたミステリー作家である。人嫌いゆえ一切の取材を拒否して、雪深い盛岡の一軒屋に引きこもり執筆している。そんな私の態度を嫌って妻と息子は家を出て行ってしまった。私は父の亡くなった実家を訪れた際に、床下から見つかったという古い骨壷を預かる。調べてみるとそれは私の骨だった。私は私の実家の床下から私の骨を持ち帰ってきたのだ。では、今ここにいる私はいったい誰なのか…。 ● 田口トモロヲ主演による、血の因縁と呪いにまつわる和製ホラー。いやホラーというより怪奇映画と呼ぶのが相応しかろう。演出の萩野憲之はこれが劇場映画デビュー作だが「赤い影」ばりのフラッシュ・フォワードを駆使して、魅惑的な世界を創り出している。81分。16mmフィルムによる撮影。カメラマンは先日、渡辺護の10数年ぶりの新作ピンク「若妻快楽レッスン 虜」でみごとな手腕を披露したばかりのベテラン 鈴木史郎(=鈴木志郎) 粒子の粗い画面の闇に恐怖が溶け出す。ビデオ撮影では逆立ちしても不可能な、濃密な画面。ホラー・ジャンルに占める撮影・照明の重要さを改めて実感した。 ● テレビ番組のナレーターとして一気に名が売れた田口トモロヲだが「ばちかぶり」時代、「目立つ脇役」時代に続いて、本作で「第3期 田口トモロヲ」時代に突入したと言ってもよかろう(←なんだそれ?) かれはこれで一生、役者で飯を喰っていけるタイプの役者になったのではないか。 そんな主人公に道ならぬ感情を抱く「女子大生の姪」に(角川春樹のリメイク版「時をかける少女」でデビューした)中本奈奈@かとうあい似のぺっぴんさん。 主人公の記憶の中に登場する「厳父」の役で映画監督の渡辺護が出演@達者。 さらに冒頭で主人公の叔父を演じるのはなんとフランス映画社の十年一日のポスターデザインを手掛けていたグラフィック・デザイナーの小笠原正勝@ど下手。本作のタイトルデザインも担当している。


プラトニック・セックス(松浦雅子)

おなじみ飯島愛の自伝小説の映画化。いくらでも面白い映画になりそうなもんだが、この嘘臭さはいったいなんだろう? 現代風俗の嘘臭さ。若者の描き方の嘘臭さ。東宝配給だってだけで「愛を乞う人」の野波麻帆がナンバーワン・キャバクラ嬢を演じる嘘臭さ。雨の降らせ方の嘘臭さ。濡れ場の嘘臭さ。ヒロインの(飯島愛に似てないことも無い)16才の新人・加賀美早紀が脱ぎもしない嘘臭さ(それなのに「R-15」指定という映倫の嘘臭さ) 「ダンボールハウスガール」でもホームレスの世界を思いっきり嘘臭く描いていた松浦雅子だが、本作にただよう嘘臭さは只ものではない。なにしろあまりの嘘臭さに(この新人が待ってても脱がないだろうことは早い段階で判断がついたにも関わらず)画面から目が離せず、ついつい最後まで観てしまったほどなのだ。こいつほんとに女性監督か? ほんとは六十七十の爺いなんじゃねえか!? この手の話なら日活ロマンポルノやピンク映画に百倍も出来のよい作品がいくらでもある。 ● 脚色(森下佳子)もヒドい。最後まで自分を被害者においてテメエのズルさは決して描かない時代遅れの浪花節。「もし私が死んでも誰も気付かないかも知れない…」だって。自意識過剰なんだよテメエ。死ね死ね勝手に死ね。あんたの蝋燭の残りをフィリピンのゴミ山の子どもたちに譲ってやれ。 自伝小説ならそれでもいいけど、これは映画なんだからもっと客観的な視点てものを持てよ。てゆーか自伝の映画化なのに あの終わり方じゃ実在の飯島愛に繋がんないじゃねーかよ。あれかい? あのあと、あの女はAVに復帰して大人気となって深夜テレビのケツ出しアシスタントからテレビタレントへとのし上がるのかい? それじゃそれまでの話と矛盾するだろーがよ。てゆーか飯島愛ってAVで別に嫌そうじゃなかっただろーが。けっこーイキイキとおまんこしてたぞ。…あ、いやよく知りませんけど。 ● この映画にもひとつだけ素晴らしいところがあって、それは「慈善家」という名刺を持ち歩く傲慢な金持ち…などという思いっきり嘘臭い設定にこれまた思いっきり嘘臭い演技で応えて、演技のクサさで脚本のクサさを消してしまうという離れ業を演じた「われらがアベちゃん」こと阿部寛!<サスガ。 ちなみにAV男優の「白ブリーフ男」に扮してるのがピンク映画男優の千葉誠樹である。

★ ★
URAMI 怨み(ジョージ・A・ロメロ)

ジョージ・A・ロメロ版「仮面学園」。…いや、まあ主人公が石膏の白い仮面をかぶって殺人を重ねるってとこ以外はまるきり別の話なんだが、予算の少なさがひしひしと伝わってくる美術センスのイタさ加減がそっくり。怖くもなけりゃゾクゾクもしない。退屈な駄作。男性グラビア誌のオーナー編集長ヒュー・ヘフナーを(例によってロシア訛りで)怪演するピーター・ストーメアがちんぽ出してる(無検閲)こと以外に取り立てて語るべきこともない。原題は「BRUISER(乱暴者)」←おお、ブルーザー・ブロディのブルーザーだな。

★ ★ ★ ★
テルミン(スティーヴン・M・マーティン)

この映画、じつは1993年の旧作である。当時のサンダンスやサンフランシスコ映画祭で賞を獲っているとはいえ、しょせんは「マイナーな電子楽器とその発明者についてのドキュメンタリー」だ。よく発掘してきたなあ>アスミック・エース。いやもちろん埋もれた作品を捜し出してくるのを商売とするケイブルホーグやパンドラのような(小さい)会社もあるのだが、アスミック・エースの凄さは「普通に考えればBOX東中野」の、地味ぃな映画を恵比寿ガーデンシネマというオシャレな映画館にブッキングして、しかもそれを周到な宣伝によってきっちりと当ててくる(=多くの人に観せることに成功する)ことだ。おれが観に行ったときは(封切り当初だったせいもあるけど)超満員で、なんと隣りの(やはり同社配給の)「ゴーストワールド」よりも客が入っていた。配給会社としてのひとつの理想的なビジネスモデルだろう。いやだって おれが配給会社の買い付け担当だったとして海外の映画祭で「テルミン」を観て「商売になる」と踏むとは思えんものなあ。 ● テルミン入門篇ともいえる第1部「1920年代ニューヨーク」篇が30分、上質のサスペンスを読んでるような第2部「テルミン博士、驚愕の人生」篇が30分、そして70年のときを超えたラブストーリーとして結実する第3部「現代ニューヨーク」篇が15分、プラス、エンドロールで〆て83分。たしかにここで語られているテルミン博士の人生は驚くべきものだし、描かれているラブストーリーは感動的だが、これを小説として読んだならばここまでの力を持たなかったかもしれない。1920年代の(奇跡的に保存されていた)ホームムービーの中の恋人たちの姿。何もかも変わり果てた街で邂逅する2人の姿・・・これは「動く画を見せる」「生の姿を見せる」という映像ドキュメンタリーの強みを最大限に活かして作られた傑作である。音楽担当は博覧強記の音楽プロデューサー、ハル・ウィルナー。いや、ええもん観してもらいましたわ。

★ ★ ★ ★ ★
タイガーランド(ジョエル・シュマッカー)

脚本:ロス・クラヴァン&マイケル・マグルーザー 撮影:マシュー・リバティーク
「セント・エルモス・ファイアー」以来のジョエル・シュマッカーの最高傑作。ことわっておくがこれは戦争映画ではない。かといって「フルメタル・ジャケット」のように軍隊の非人間性を告発する映画でもないし、「シン・レッド・ライン」のごとき哲学的 牛のクソでもない。おそらくいちばん近いのは「キャッチ22」や「1984」だと思うが、ジョエル・シュマッカーの皮肉や風刺に走らぬ「優しさ」が、これを青春映画の傑作として成立させている。 ● そこは「戦士」を養成するための模擬戦場タイガーランド。システムの上層部は それが負け戦と知りつつもシステムそれ自体を存在理由として存在しつづける。これは疲弊したシステムの中で「戦士」であることを放棄し、と同時に、反抗という「別の戦い」を始めることもしたくないという一個人を主人公に据えた物語。「タイガーランド」とは ある特定の国家・時代・場所を指し示す言葉ではない。それはひとつの概念だ。タイガーランドは何処にでもあるただ、あなたがそこに居ることに気付かないだけだ。ジョエル・シュマッカーは娯楽映画の文法を守りつつ、主人公が極力「英雄」的に見えないようにするという綱渡りを見事に乗り切った。 ● 主人公を演じるのはアイルランド出身の(ほぼ)新人コリン・ファレル。今まで「素肌の涙」「私が愛したギャングスター」に助演してたそうで、おれは気が付かなかったけど、さすがはジョエル・シュマッカー、男を見る目は確か。メル・ギブソン/ラッセル・クロウ系統の男臭くてナイーブな魅力を発散させていて、近い将来ブレイク間違いなしと思わせる。 全般に無名キャストを並べたなかで印象に残ったのは(どちらも儲け役ではあるんだけど)訓練兵たちに金玉通電拷問を教授する訓練軍曹のマイケル・シャノンと、終盤の模擬戦訓練を先導する古参軍曹のコール・ハウザー。 ● なんでもシュマッカー監督が「8mm」のプロモーションで北欧をまわった際に「ドグマ95」に刺激されて、そのスタイルを流用して撮影したんだそうで、チラシにも「ハリウッド有名監督に《ドグマ95》がもたらしたリアルで美しい映像」と見出しが付いているけど、…冗談じゃない!ドグマなんかと一緒にすんなっての。ジョエル・シュマッカーは「映画の魅力の何たるか」をきちんと解かっているので、北欧の変態外道集団と違ってデジタルビデオなどという代物は使わず、きちんと16mmカメラ/フィルムを使って、使うべきところには照明を当て、必要なところには音楽を付けている。一見、ホームムービーやドキュメンタリーのような画面だが、構図はきちんと神経が払われているし、意味もなく画面が揺れてたりはしない。カメラを担当したのはダーレン・アロノフスキーの「レクイエム・フォー・ドリーム」「π」で、衝撃的でスタイリッシュではあっても決してMTV的ではない映像を作り上げたマシュー・リバティーク。本作でも荒れた粒子のフィルム映像の(ビデオ撮りでは100年経っても不可能な)美しさを画面に焼き付けている。


ナイト・オブ・ザ・リビングデッド 最終版
(ジョージ・A・ロメロ&ジョン・A・ルッソ)

1999年の東京ファンタで上映された「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド 30周年記念版」と同一のもの。ロメロの監督したオリジナル版に対して追加撮影が行われ、あらたなラストシーンが付け加えられている。驚くべきは、こうした改変がロメロ本人ではなく、そしてどうやらロメロ自身の意志とは関係なく、共同脚本のジョン・A・ルッソの手によって堂々と行われてしまったことだ。つまり「最終版」どころか「無断改変版」と呼ぶのが正しい。おれは元々「怖いのはモンスターではなく人間同士の争いの方である」というロメロのゾンビものが重すぎて/暗すぎて嫌いなんだが、それにしても、あの非情なラストに、狂信的な牧師が「すべては悪魔が原因だった」と決めつけてしまう余計なシーンを付け足すのはオリジナル版の志への冒涜でしかない。「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」を好きだという人がこのバージョンを観たなら間違いなく怒り狂うだろうし、これをもって「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」だと思われてはロメロも救われないだろうから、未見の方はこのバージョンを観るべきではない。

★ ★
クイーン・コング(フランク・アグラマ)

まあ結果としてコケてしまったようだが、とにもかくにも1976年の旧作を発掘してきて、イイカゲンな宣伝をデッチあげ、広川太一郎の超訳吹替版を製作して、それを天下の渋谷パルコのシネクイントで上映させてしまった江戸木純は偉い!と褒めておく。これぞ興行師の鑑(←この場合は「ヤマしのかがみ」と読む)である。まあ、おれに怒られたからでもないだろうが今回はチラシで「映画評論家」を名乗っての自画自賛もやめたし。 ● お話はウーマン・リブ華やかなりし頃の1970年代・ロンドンと南の島(に見せかけたそこらのスタジオと、実景ハメコミ)を舞台にした男女逆転版「キング・コング」…のそこかしこにトビっきりのサブいギャグを散りばめたC級映画。広川太一郎の超訳吹替版という飛び道具なかりせば まず観に行かなかった珍品だが、口が開いてなくても喋ってる名人芸も、さすがに元がこれだけ貧しいと不発気味。話のタネに観るにも退屈すぎる。

★ ★ ★
LADY PLASTIC(高橋玄)[キネコ作品]

日本映画界が世界に誇る巨匠が30年前にデビュー作として企画し、だが「呪われた映画」として封印された幻の企画をリメイクしようとするが、当時の主演女優の霊がよみがえる…。怪談としては「女優霊」に酷似してるが、本作はその「女優霊」が敢えてまったく語らなかった部分…すなわち「女優の霊がこの世に未練を残す理由」をメインにすえている。つまり「女優霊」+「リング0」というわけだ。「女優霊」の柳ユーレイにあたる役回りが、本作では特殊メイク屋の、窪塚洋介クンにちょい似の青年(白石朋也)で、かれが新作のヒロインに抜擢された(自分のカノジョでもある)バラエティ・アイドルの「等身大マネキン」を製作したところ、型取りしたはずの顔がなぜか、見たこともない美しい女の顔になっている。もちろんそのマネキンが封印された主演女優となってよみがえるわけだ。フォーム・ラバーで立体成型された「レディ・プラスティック」。だが、プラスチックの彼女もフィルムの中でなら復活できる──というわけで、女優霊は邪魔者を排除してみずからが新作の主演女優としてカメラの前に立とうとするが…。 ● 「生命なき者もスクリーンに映された瞬間に生命を吹き込まれる」という発想は素晴らしい。それこそ映画のマジックの核心だ。それなのにフィルムの素晴らしさを描く作品がビデオ撮りってのは一体どーゆーこっちゃ!? この映画こそはフィルムで取らないと意味がないだろーがよ。また、フィルム代ばかりかキャスト費も無かったようで、演技のレベルがクソ酷い「巨匠」を演じる西岡徳馬あたりまでがVシネマ級の安っぽい芝居に堕している。とても見るに耐えん。「STACY」とか本作のようなレベルの演技が商業映画として平然と公開されているのを見ると、今まで気付かない振りを続けてきたけれど、ああ日本映画はもうお終いなのだと実感されて悲しくなる。 ● …と、ここまで酷評した作品になんで星3つも付いてるのか。これはひとえに女優霊の回想場面に登場する小嶺麗奈の素晴らしさゆえである。いや、女優霊そのものも小嶺麗奈が演じてるのだが、その部分は演出が稚拙なせいもあってたいして印象には残らない。彼女が圧倒的に輝くのは、1970年代の「リング0」な女優の卵を演じるときだ。(以下、ややネタバレしてます)青い眼の混血児ゆえにまわりから迫害される劇団研究生。明日への希望に燃える助監督と熱烈な恋をして、六畳一間の安下宿で彼女のための脚本執筆。熱情的でエキセントリックで、その愛情の強さは、愛を邪魔するものへの憎悪と比例して…。このわずか10分か15分程度のシークエンスで突如として、今までのどうしようもないVシネ・ホラーが「嵐の季節」の高橋玄の映画へと変貌するのだ。1本の映画でどーしてこうも違うのかね!? まあ題材の向き不向きってことなんだろうが、今回は酷い部分には目をつぶっての星3つである。次作はフィルムでもっときちんと撮るよーに>高橋玄。 ● 最後に、狂った女優霊の名台詞>「女優なら目が青くても気にしなくていいの」「アナタおかしいわよ」「女優だもの。いいの…おかしくて


ダンボールハウスガール(松浦雅子)[キネコ作品]

日本で(世界で?)初めてルーカスの「スター・ウォーズ エピソード2」と(ほぼ)同じHD24Pデジタルハイビジョンカメラで全篇を撮影して劇場公開した作品・・・になるはずが、後から製作された「仮面ライダー アギト」にアッサリ先を越された不運な作品。「HD24P」ってのは「HDTV規格」で「1秒24コマ」で「プログレッシブ方式」ってこと。「プログレッシブ」というのはよーするにパソコン画面と同じ方式で、従来のテレビ画像(インターレース方式)では「櫛の歯みたいに1行おきの縞々画像」を2枚組み合わせて1枚の画面として見せていたところを「完全な1画面」が映画と同じ1秒24コマのタイミングで記録されているわけだ。ただハイビジョンってことなら、同じく篠田昇カメラマンの手になる「源氏物語 あさきゆめみし」がNHK方式の「60i(=1秒60コマのインターレース方式)」で撮影されていたが、フィルム変換(=キネコ)の際に「30コマ→24コマ」というどう見ても割り切れないコマ変換をしなくて済む分だけ劇場公開する際には「24P」が有利なのはご理解いただけよう。したがって本作もキネコの際の色滲みやエッジのボケはほとんど見られない。ただ発色は「アギト」のほうがキレイだったような気が。てゆーか、なんかこの映画ずっとピンボケなんですけど。どゆこと? それが意図なのか!?>篠田昇。ま、カメラマンとしちゃ「照明がほとんど要らない」とか「今まで現像所まかせにしてた部分が自分でアレコレいじれる」とか新しい玩具が面白くってしょうがないんだろうけど、とりあえず商品としてちゃんとしたの作ってくでよ。

…あ、ドラマね。ドラマのほうは…、まあ…、星の数のとおりよ。おれ、てっきり西田尚美が似合いそうなサバイバル・コメディかと思ってたら、これ、マジなファンタジーなのな。会社からトイレットペーパーを持ち帰ってまで(←いねーだろイマドキそんなやつ)ドケチOL生活をして溜めた500万円でカレシとアメリカ脱出!と思ったら、空き巣に入られ金はパァ。カレシは他の女と浮気して恋もパァ。アパートも引き払っちゃったので住む家もパァ・・・って、そもそも500万円 現金でアメリカに持って行こうとしたアンタがいちばんパァだろが。したかなくホームレスになった彼女がたどり着いたのは、人々が助け合って暮らす理想郷、ダンボールハウス村だったのです…だって。アホかフツー、住み込みの仕事さがすだろ、ホームレスになる前によ。その顔と躯があれば別にソープまでいかなくたって寮完備のキャバクラから引く手あまただろーがよ。しかもこの女、じつは実家は金持ちらしいのだ。母親(あるいは後妻)とソリが合わず家出したらしい。そんなの、意地張らずに家に帰れ、家に。クダらん。勝手に野垂れ死ねや。40分で退出。 ● おれがこの映画でいちばん感銘を受けたのは冒頭に出てくる「チーム・オクヤマ」のロゴ。これ「チーム・オクヤマ プレゼンツ、Q-FRONTムービー第1弾」なのだ。しかもどこを捜しても「日活」の文字がない! 奥山の大将、いよいよ日活の中村社長にアイソ尽かされて、今度は渋谷駅前のバブル・ビルを騙くらかしたわけか。たいしたもんだねえ。おれたちゃサバイバルに関しては、米倉涼子なんかより奥村和由を見習うべきなんじゃねえか!?


★ ★ ★ ★
陰陽師(滝田洋二郎)

夢枕獏の「陰陽師」ものの映画化。伝奇アクション時代劇としては「魔界転生」以来のウェルメイドな傑作である。成功の要因は主演に狂言師の野村萬斎を連れて来たこと。これに尽きる。平安時代のまじない師などという浮世離れした役を飄々とこなせるのは、たしかに伝統芸能の世界の住人ぐらいしかいないかも知れない。まず何より(歌舞伎の三之助なんちゃらと違って)きちんと腰が据わっているのが素晴らしい。柔らかな見かけとは裏腹の張りのある低音と、滑舌(かつぜつ)のキレの良さ。しなやかな物腰。どー見てもバイセクシュアルな色っぽい流し目。立ち回りの華麗さ・・・望み得る最高の配役であろう。 ● そしてまた真田広之が、都を滅ぼさんとする悪役を気持ちよさそうに怪演。もはや仲代達矢の域に達したと言えよう。主役と悪役がキマれば娯楽映画は出来たも同然である。原作者本人が参加した脚本は、安易に「地の底から湧いてでた妖怪」だの「天から降ってきた異星人」などを出さずに「心の持ちようによって人は鬼にも仏にもなる」という基本テーマに沿って話を組み立て、登場人物それぞれの「行動の動機」を丁寧に積み上げる(じつを言うと肝心の真田広之の「怨みのもと」がいまひとつ不明なのだが←駄目じゃんそれじゃ) 滝田洋二郎はますます円熟の演出。安心して映画を任せられる。大々的に採用したCGの出来も良く、原口智生の特殊メイクは名人芸。なにせヒーローが「まじない師」なので、悪役を刀でブッタ斬るわけにもいかず、かといってスペシウム光線を撃つことも出来ないという制約下でのラストの一騎打ちを、スペクタクルなクライマックスとして成立させたのは大したもの。 ● もうひとりの主役たるマッシュルーム伊藤は、観る前は「ええーっ!?」と思ってたけど、役自体が ただひたすら「純粋でいい人」なだけでまったく役立たずな お人好し…という役なので似合ってたかも(←褒めてます) 明智小五郎の小林少年、ブラック・ジャックのピノコにあたる「主役のアシスタント役」に(元SPEEDの)今井絵理子。こちらも蝶の化身の式神(しきがみ)という役なので、台詞もカタコトで、いかにもてふてふ程度の脳味噌しかなさそうな感じがよく出ている(←褒めてんだってば) 小泉今日子の役は「時を超越した美しさ/若さ」が無きゃいかん役なので(失礼ながら)容色が衰え気味の小泉今日子ではちょとキツい。じゃ誰ならいいのかって? そりゃもちろん仲間由紀恵さんでしょう(火暴) そうそう、1番大事なことを言い忘れてた・・・梅に鶯、松に鶴、伝奇といえば…もちろんエロ。夏川結衣と宝生舞はとりあえず脱がしとけ。それと、とりあえず夏木マリの役は作っとけ>脚本家。 コミックリリーフの「体制べったりの腰抜け陰陽師」を演じてる蛍雪次朗・下元史朗のピンク男優コンビは(笑いを増やすという意味でも)もっと出してほしかったなあ。 あと岸辺一徳の朱雀天皇(?)はいいとして、木下ほうか の桓武天皇と、萩原聖人の早良親王はコンビニの店長とバイト君にしか見えん。宮内庁からクレーム来ても知らんぞ(中井貴一と石橋凌とか使えんか?) ● ちなみにこの映画、製作主体が「東北新社」という鬼門を指し示す社名──という呪(シュ)──を持つ企業だってのが面白い(創業者が鬼の末裔だったりして…) 来年はぜひとも野村萬斎×滝田洋二郎で京極夏彦の京極堂シリーズ…出来れば「魍魎の匣」をお願いしますぜ。

★ ★
トゥームレイダー(サイモン・ウエスト)

ここで言う「トゥームレイダー」とは(ほとんどは白人以外の)古代文明の埋もれた/失われた秘宝に見つけたモン勝ち/奪ったモン勝ちの所有権を主張する「墓荒らし」のこと。これは人気PCゲームを原作とする、黒のタンクトップ&短パンに身を包んだアンジェリーナ・ジョリーが、二丁拳銃で大暴れする話。よーするに女インディ・ジョーンズである。期待にたがわずアンジェリーナ・ジョリーが素晴らしい。スリルを前に舌舐なめずりする女。危険に昂ぶる黒のミストレス。このキャラクターに、これ以上の配役は望めないだろう。…でもそれだけおれなんかもう予告篇を観て「チャーリーズ・エンジェル」にも勝るとも劣らない期待を胸に、勇んで先行オールナイトに駆けつけたんだけど・・・「チャーリーズ・エンジェル」の3分の1も面白くなかった(泣) 冒頭いきなり始まるアクション・シークエンスをちょっと観ただけでアクション演出のレベルの低さが露呈してガッカリしてしまう。最後の殴り合いなんかボディダブルがモロバレで興を削ぐこと著しい。第2班監督&スタント指導は「クリフハンガー」「バーティカル・リミット」のサイモン・クレーンだが、ここはやはり手堅くヴィック・アームストロングに頼むべきではなかったか。 で、また音楽がクラブ・ミュージック(デジロックっちゅうの? ドラムンベースっちゅうの? 「ジャッカル」で使ってたみたいなやつ)で、アクションと合わないんだコレが。音楽は「ピッチブラック」「レッド プラネット」のグレーム・レヴェルなんだけど、ジェリー・ゴールドスミスか せめてハンス・ジマーだったら、だいぶ印象も違ったんじゃないか。 ● なんでもゲームのイメージに合わせるため、アンジェリーナ・ジョリーはブラにパットを入れて1カップ上乗せしたらしいが、そのために生でも36のCある女優を起用しておきながら「全篇ブラ着用」なのは論外。タンクトップといえばノーブラが基本でしょーが。製作者は「詰め物のDより生乳のC」という金言 (c)おれ を肝に銘じるべきであろう。挨拶がわりのシャワーシーンで上乳うしろ乳をチラリと拝ませて下さるのは大変けっこうであるが、中盤のカンボジア寺院の場面には「清めの水浴」のカットが、終盤のシベリア(?)地下遺跡のシーンには「濡れて乳に張りついたタンクトップ」の描写が絶対に必要であろう。 ● いやいやこれは決してエロじじいが色ボケして好き勝手ホザいてるわけではないのじゃぞ。わしは娯楽映画の心得について話しておるのじゃ。たとえば本作におけるヒロインの行動の動機は「スリルと興奮を求めて」ではなくて「15年前に失踪した(やはり探検家だった)父への愛情」というエモーショナルなものだが、「エモーション」とはすなわち「弱さ」である。全世界の映画観客にララ・クロフトという「世界最強の魅力的なヒロイン」をお披露目するシリーズ1作目としては、もっとゲーム感覚の痛快なアクション映画にすべきではなかったか。キャラクター紹介とヘビーなドラマの両立は(不可能とは言わんが)至難の業である。ならばこの1作目はキャラクター紹介に徹して、父親のことは(すでにアンジェリーナが契約済の)続篇までとっておけば良かったのだ。二兎を追った結果が「ドラマが中途半端でキャラクター描写も物足りない」という現状だ。かつて「コン・エアー」をその年のベストワンに選んだ者としてはあまり認めたくないが、やはり「コン・エアー」の功績はジェリー・ブラッカイマー7割+サイモン・ウエスト3割であったか。いや、それを言うなら本作の製作者ローレンス・ゴードンだって「48時間」「プレデター」「ダイ・ハード」といった映画を作ってきた大物プロデューサーには違いないんだが、あん時は下にジョエル・シルバーが付いてたからなあ…。 ● ロンドンのミル・フィルムが手掛けたCGは、やはり「グラディエーター」同様、チャチな仕上がり。ILMやソニーピクチャーズ・イメージワークスのレベルに到達するにはまだまだ相当かかりそう。カンボジアの地下神殿の巨大座像のシークエンスなんか「仮面の忍者 赤影」の金目教篇かと思ったぜ。 ● キャスティングについてもアンジェリーナと父親役の(てゆーか実の父親の)ジョン・ヴォイトで予算を使い果たしてしまったのか、主役以外のキャスト陣にまったく魅力がないというM:I-2」と同様の欠点を抱えている。だいたいヒロインを取り巻く男どもが「みな同じような年代の無名俳優」だってのがキャスティング・ディレクターの無能を誇示してる。 おれなら例えば「ヒロインと張り合ってる(でも内心では意識しあってる)男性トゥームレイダー」にはベン・アフレックを配する。これでまず「イギリスの大富豪の令嬢である、勝気なヒロイン」と「自身満々のヤンキー男」というメリハリがつく。 次に、悪役には思い切ってルパート・エヴェレットを起用する。「普段は喋りながら爪を磨いてたりするような気障/厭味な貴族」というキャラに設定することによって、ラストで「じつは格闘技の達人」という意外性が生まれる。 ヒロインのアシスタントたる「コンピュータおたく」はもちろんジャック・ブラックである。デブが1人はいることによって画面のバランスが良くなる。 また、本作でもっともバカげたキャスティングが「ヒロインの邸宅の執事」で、四十ぐらいの無名俳優にこの役をやらせてるのだが、40才の執事じゃ「15年前に失踪したクロフト卿の思い出」なんか持ってるわけないだろーが! これはどう考えたってジョン・ギールグッドや「バットマン」のマイケル・ガフのような老優に演らせるべき役である。 「TR2」はアンジェリーナだけ残して助演陣と監督とプロデューサーと武術指導は総とっかえだな。

★ ★ ★ ★
ラッシュアワー2(ブレット・ラトナー)

じつは本作は、香港のアメリカ領事館が爆破されるシーンから始まるのだ。まあ、さすがにちょっとドキッとするが、変にビビッて公開延期とかにしなかった(配給の)ギャガ+松竹と(劇場の)東急レクリエーションの英断に まずは敬意を表しておく(差し替えが物理的に間に合わなかっただけ…って気もするけど) ● ジャッキー・チェンは3作目で名実ともに香港映画のハリウッド進出を成し遂げたと言えるだろう。いや「舞台が香港である」とかそーゆーことではないよ。ここでのジャッキーは「ハリウッド映画」にゲスト主演しているのではない。ハリウッドのスタッフを従えてハリウッドの金と技術で「ジャッキー映画」を作っているのである。もはや巻頭に「成龍作品」とクレジットしてもいいほど「どこかで観たジャッキー映画」的な仕上がり。おそらくブレット・ラトナーは前作以上にジャッキーを信頼して/尊敬してアクション場面のみならず、かなりの演出をジャッキーに委ねているのではないか。しかもそんな作品が全米市場で「パール・ハーバー」も「ジュラシック・パークIII」も「猿の惑星」も「ハムナプトラ2」も蹴散らして2億ドル超という興収をあげてしまった。なんか我がことのように嬉しいよ おれは。もっともジャッキー本人は、かつて何度もトライして玉砕してきた「アメリカでの成功」を、自分の肉体の衰えをいやでも自覚せざるをえない歳になってから手にしたことに「人生の皮肉」を感じてる気がするけどさ。あと10年早く認めてくれてたらもっと凄いものを見せつけてやったのに…と思ってるとおもうよ。 ● 前作のラストが「香港行きの飛行機に乗るジャッキーとクリス・タッカー」だったので、本作は「香港娘と〈夢のようなバカンス〉を楽しもうとするタッカーと、相変わらず仕事から離れられないジャッキー」というシークエンスから始まる。前半が香港篇で、後半がLA&ラスベガス篇。もはや決死のスタントはないが格闘アクションは前作以上にあるので、ジャッキー・ファンが観ても、あるていど満足できるかと。もちろんジャッキー映画の「ノー・ガン」ポリシーは守られている。2人して散々な目に遭って、何度も死にかけて、やっとの思いで事件を解決した2人が「今度こそ仕事を忘れてバカンスを!」と乗りこむ飛行機はニューヨーク行き。あわわわわ! その飛行機に乗っちゃダメだー! もう、とことんツイてない2人だなあ(火暴)←その文字はやめなさいって。 ● 今回の悪役はなんと「グリーン・デスティニー」のチャン・ツィイー。あんときほどキレイじゃないけど生来の性格の悪さが滲み出てるかのような、なかなかの悪女ぶり。でも香港マフィアの役なんだから広東語 話せよな。 そして、ちゃんと広東語で喋ってる香港マフィアのボスに(クリストファー・ランバート×原田芳雄の「ハンテッド」1995 以来)ひさびさの登場となる、ジョン・ローン。 もうひとりの華である財務省シークレット・サービスの潜入捜査官に(サンドラ・ブロックを正統派の美人にしたみたいな感じの)プエルトリカン女優ロセリン・サンチェス。 LAで「チャイニーズ・ソウルフード」なる喰い物屋をやってる中国服のアヤしい黒人にドン・チードル。ノンクレジット出演なのでクリス・タッカーに「おれもジャッキーの映画に出せー!」とネジ込んだっぽいな。 あと、ケネス・ツァンが演ってる「香港警察の署長」役はやっぱりトン・ピョウ(董驃)さんに演ってもらいたかったなあ。 ● エンドロールの最後に出てくる「撮影中に鶏は一羽も傷つけられませんでした」…って嘘つけ! おまーら絶対、撮影 終わってからヒネッて喰ったろ その鶏! ま、ともあれ、浮世の憂さをふっ飛ばしてくれる一大エンタテインメントである。もういちどフィクションの力を信じてみたいすべての人にお勧めする。

★ ★ ★ ★
ELECTRIC DRAGON 80000V(石井聰亙)

スンゲー奴がいてさ。で、もうひとりスンゲー奴がいてさ。スンゲー奴とスンゲー奴が対決すんの。バリバリバリッて。ま、そーゆー話。 ● 「なんだよ塚本晋也の真似じゃん」と思われた若い諸君に、石井聰亙の名誉のために申し上げておくと、石井聰亙は今回 突如としてこーゆーのを始めたわけじゃない。てゆーか、ブランク前はこーゆー映画ばっか撮っていたのだ。「高校大パニック(16mm版)」(1977)、「突撃!博多愚連隊」(1978)を助走として、16ミリの自主映画を東映が買い上げて全国公開した「狂い咲きサンダーロード」(1980)から、「シャッフル」(1981)、「爆裂都市」(1982)、「逆噴射家族」(1984)、「アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン 半分人間」(1986) …と、下手糞な、構成ムチャクチャな、理由のわからぬ苛立ち破壊への初期衝動だけで成り立っているような映画を作りつづけていたのだ。モノクロ55分ドルビー・デジタル/DTSという今回の新作は久々にその頃の石井聰亙が甦った感じ。もちろん今ではテクニックも身に付けたし、CGなんかもバリバリに使ってはいるが、スピリッツの部分では当時と変わらぬ苛立ちと衝動を抱えているように感じられる。絶叫するナレーションはなんと船木誠勝。バッカでえ<褒めてる。なんだこーゆー映画も作れるんじゃないの>仙頭武則。 とびっきりのキチガイの帰還を祝して ★1つオマケだ。

★ ★ ★
こどもの時間(野中真理子)[キネコ作品]

埼玉県桶川市にある無認可保育園を1年にわたって記録したドキュメンタリー。たぶんビデオ撮りを16ミリにキネコしてる。だだっ広い土地に建つその「いなほ保育園」には畑があり馬がいて山羊がいる。定められた時間割やカリキュラムはない。0歳から6歳の子ども、およそ100人が自由気侭に一日を過ごしている。かれらは泥んこになって遊び、手掴みで飯を食らい、を使い刃物を使う。垂れてくる洟水を「拭え」と言うものはいない。徹底して自由なのである。子どもたちを自由にさせておくには、さぞや勇気が要ることだろう。「汚い!」とか「危ない!」と口に出してしまっては成立しない世界なのである。 ● 正直、映画としては平凡な出来である。1年間にわたって丁寧にフォローしたことを除けば、とりたてて優れた点もない。特定の幼児個人のドラマにも踏み込まず、声高に問題提起もせず、構成もただ時系列に沿ってスケッチを並べたに過ぎない。しかしそれでも、素材の魅力ゆえに一瞬たりとも飽きさせない。素材の魅力をそのまま観客に伝える・・・これもまたドキュメンタリーの正道だろう。イッセー尾形がナレーションを入れている。

★ ★ ★
ROCK YOU!(ブライアン・ヘルゲランド)

もしも日本ゴールデン・ラズベリー賞というものが創設されて、そこにトホホ・コピー部門があったならば、本作の[決闘血が上がる。]は受賞確実でしょうな。だいたい若者向けの娯楽映画のコピーを「血糖値」と掛ける必要がどこにある?>ソニー・ピクチャーズ。 ● 舞台は中世のイギリス/フランスあたり。貴族のスポーツだった騎上槍試合(ヤリのどつきあい)に挑んだ平民の若者を描くビルドゥングスロマン。クイーンの「ウィ・ウィル・ロック・ユー」で開幕(だから当然ラストは皆様ご想像のとおりの曲で幕となる) しかも、あろうことか本作では14世紀に設定されている劇中世界に実際にクイーンが流れ、それに合わせて見物の衆が合唱したりウェーブしたりするんである。「ペイバック」のブライアン・ヘルゲランド(製作・監督・脚本)は、冒頭から「これはそーゆー映画なんですよ」と宣言してるわけだ。つまり本作をコスチューム・プレイと呼べるのは「それらしき衣裳(コスチューム)を着てる」ってことだけで、本質は「貧乏なボンクラ学生が苦学生仲間の助けを借りて金持ちエリート学生たちの鼻を明かして、ついでに学園クィーンもゲットしちゃう」という若者コメディなのだ。とは言え、そこから予想されるほどMTV的なチャカチャカした映画ではなく、最初はチャラチャラしてた主人公が心身ともに成長していく姿をきちんと描いているし、屋根葺き職人の父が息子にかける愛情や「自分の星(うんめい)は自分で変えるのだ」というテーマが1本ピシッと通った、意外なほどオーソドックスで万人にお勧めできる楽天的な娯楽映画に仕上がっている。 ● 主演は「パトリオット」のヒース・レジャー。 旅の途中で出会い、専属リング・アナとなる(後の)大詩人チョーサーにポール・ベタニー。 軽量堅牢なナイキ・マーク入り甲冑を作ってあげる未亡人鍛冶屋に「ヴァーチャル・セクシュアリティ」「タイタス」「ハロルド・スミスに何が起こったか?」「ディボーシング・ジャック」の当サイト・イチオシ銘柄 ローラ・フレイザー。 ケネス・ブラナー版「ハムレット」「オセロ」のルーファス・シーウェルが「憎っくき敵役」に扮して、ひとりで中世の香りを運んでくる。 そして「憧れのお姫さま」にハワイ生まれのエキゾチックな新人女優 シャニン・ソサモン。ニカッというデカ口な笑顔がアンジェリーナ・ジョリーにちょい似ではあるけど、どー見ても英国王家というよりアラブのお姫さまだし、ローラ・フレイザーのほうがずっと可愛いじゃん。そのうえ、このお姫さま「わらわを愛するならば無様に負けてたもれ」なんてノタマワったりしてロクなもんじゃないのだ。場内の男性観客は全員が、きっと最後は主人公が傲慢な姫に嫌気がさして おお気がつけば身近に女盛りの美女が…という展開になるもんだと思ってたはず。納得できんぞ。 最後に、本篇の主人公のような野心とは無縁のおれがいちばん共感した台詞>「おれたち平民は富や名声とは無縁だ。だが満腹になる夢だけは叶えられる」

★ ★ ★
コレリ大尉のマンドリン(ジョン・マッデン)

まあ、なんちゅうか「ビバ!イタリア人」という映画ですなあ。こいつら「占領軍」としてギリシアの小島に駐留しに来たのに、やることと言ったら風光明媚な島でワインを飲んでオペラを歌うだけ。「被占領者」であるところのギリシアの娘さんを「人生を楽しもうよ!」とか言ってダンスに誘い、しまいにゃムッソリーニが降伏した(=戦争に負けた)ってのに「さあこれで故郷(くに)に帰れる!」ってんで大喜び。それでも憎めないのは(「映画だから」ってのも、もちろんあるけど)「足蹴にされてる人間を見たら兄弟と思う。おれはそうして生きてきた」という1本、筋の通った浪花節なメンタリティがあるから。だけどそんないい加減なやつらだから、いざ戦ったら弱いのなんの。あっというまに負けちめえやんの。その点、ドイツ人は可哀想だね、どこへ行っても悪者あつかいでさ<史実なんだってば。 ● ヒロインを演じるスペインの名花 ペネロペ・クルスは、ハリウッド進出以来、使う機会のなかった演技力とおっぱいを披露しての好演。文芸映画なら脱ぐのね。てゆーか、この場合は「恋に落ちたシェイクスピア」のグウィネス・パルトロウに続いて、演出のジョン・マッデンの手腕を褒めるべきか。 軍服の袖にミツカンのマークを付けたタイトルロールに、ニコラス・ケイジ。今回は軽く流した感じ。 それよりヒロインの婚約者を演じたクリスチャン・ベールが、ちゃんと「日焼けした筋骨逞しい漁師のアンチャン」に見えたのが偉い。 映画のテーマをぜんぶ台詞で語ってしまうヒロインの父親にジョン・ハート。 あとエンドロールにはぜひとも、ヒロインと、クリスチャン・ベールと、ドイツ人将校の、それぞれの「その後の日常/人生」を小窓に出してほしかったなあ。なんちゅうか、それがこの映画の眼目だと思うんだけど。

★ ★ ★ ★
恋は負けない(エイミー・ヘッカリング)

ソニー経営のシネマメディアージュで単館公開されたソニー・ピクチャーズの新作。行くのに時間のかかる離れ小島での上映だってのに「最終回が6時50分でレイトショーもなし」というやる気(≒予算)のまったく感じられない投げ捨て公開だが、まあこの愛すべき傑作をどんな形にせよ劇場公開してくれたので良しとするか。 ● まだ世界貿易センター・ビル在りし日のニューヨーク。ニューヨークと申しましてもいささか広うござんす。世界の中心「ニューヨーク州ニューヨーク」の在るマンハッタン島は広いNY州の南端のほんの一部。盲腸みたいなもんだ。本篇の主人公たるボンクラ青年はニューヨーク州の北の果て、たぶんカナダと国境を接するあたりの田舎町からはるばるマンハッタンの大学にやって来た。されど回りはユーモアといえば皮肉とブラック・ジョークのことだと思ってるような厭味な金持ちのぼんぼんばかり。貧乏奨学生ゆえに勉学一筋に打ち込まねばならぬボンクラ君、たちまちにして浮いてしまって、教室と学食と寮の部屋を往復するだけの孤独な毎日。そこに差した一筋の光──ダサいぼくに優しい言葉を掛けてくれたひと。下町ブロンクスから通ってる苦学生の女のコ。青年の心に俄かに燃え上がるロオマンスへの期待! ああ、だが何という運命の残酷。やっとの思いで誘った初デートをすっぽかされて、とぼとぼ帰ってきたボンクラ君が見つけたのは、悪友たちのヤリコン・パーティーでクスリで潰れて昏倒してる、わが憧れの君の姿! しかもしかもその彼女、なんと青年の進級を左右する立場の大学教授の愛人であったのですベベンベン! ● …という筋立てからお判りのように、これはジャック・レモン×シャーリー・マクレーンの傑作ラブコメ「アパートの鍵 貸します」の緩やかな翻案である。製作・脚本・監督は「クルーレス」「初体験リッジモント・ハイ」のエイミー・ヘッカリング。とはいえ借りてきたのは主にシチュエーションだけで、ビリー・ワイルダー&I.A.L.ダイアモンドの手になる、見事な台詞の連鎖から鮮やかな小道具の使い方まで「コメディの脚本かくあるべし」という名人芸には程遠いが、エイミー・ヘッカリングの登場人物に注ぐ愛情がその分を補っている。観れば絶対に主役の2人を応援したくなる、そんな映画である。イマドキの若者風俗を扱っても決して下品に堕さないのが、この女流監督の持ち味。95分。ラブコメ好きなら必見。 ● ただ「アパートの鍵…」の場合は、2人の恋の成就と共に、出世亡者だったジャック・レモンがその線路からみずからの意思で外れるところが映画的なクライマックスになっているわけだが、本作のボンクラ君は最初から最後まで(ボンクラではあっても)高潔ないい人なので、その分だけ映画的起伏に乏しいのだ。また、ジャック・レモンが自室を誰に貸そうがかれの勝手だが、本作のボンクラ君が大学から紹介してもらった住み込みバイトの動物病院を、悪友たちのヤリコン・パーティー会場に提供するのは(どのような理由であれ)社会的に非常識な行いで、現に動物病院に多大な迷惑を掛けているのだから、その事についてかれが誰からも非難を受けないのは間違っている。 ● キャストについては、ボンクラ君を演じるジェイソン・ビッグス(=「アメリカン・パイ」のアップルパイ・オナニー少年)がとにかく輝いている。観客全員を味方につけるそのキュートさはトム・ハンクス、ジョン・キューザック以来のものだ。 「アメリカン・ビューティー」のミーナ・スヴァーリが等身大のヒロインに。 厭味な大学教授に、こんな役ばっかり演ってるグレッグ・キニア。<また、そーゆー役が似合うんだ。 主人公の父親にダン・アイクロイド。 2人が微笑ましい無銭デートで(オフ?)ブロードウェイの芝居小屋に潜り込むんだけど、そこでかかってるのが「キャバレー」で、アラン・カミングが歌い踊るさまを(ちょびっと)楽しめるオマケ付き。

★ ★ ★
ハード・トゥ・ダイ(スコット・ワイパー)

お台場のシネマメディアージュで突如として1週間だけロードショーされたSPO配給&ルー・ダイアモンド・フィリップス出演の2作品。まるっきり新橋文化でやるようなB級映画だが客をナメたことに2本立てではない。なんでも、これを上映している「シアター13」は東宝がソニーに貸しているという契約になっているらしくThanx>ミワさん)たしかにその後も10/6〜「恋は負けない(LOSER)」、10/27〜「マイアミ・ガイズ 俺たちはギャングだ(THE CREW)」とソニー・ピクチャーズ作品の単館ロードショーが決まってるようだ。てことは、この2本も東宝編成部じゃなくてソニー・ピクチャーズがブッキングしたのかな? IMDbで調べたところ両作品とも製作会社は聞いたことない小さな会社だが、どちらも全米配給はソニーがやってるみたいだし、その縁だろうか? てゆーか、ひょっとして「SPO」ってのはニー・クチャーズ・ウトレット」の略か? ● いちおう午後3回上映でメイン扱いの本作「ハード・トゥ・ダイ」は、ジャン・クロード・ヴァン=ダムを(さらに)B級にした感じのスコット・ワイパーなる映画学校出のアクション馬鹿が自分で200万ドルの製作費(=スコット・ワイパー自身も端役で出演している「パール・ハーバー」の百分の1の予算である)をかき集めて、監督・脚本・主演したB級アクション映画。つまりドイツのスタント馬鹿が作った「カスケーダー」とか、日本の(形容詞の付かない)馬鹿=小沢仁志や室賀厚の映画と同ジャンル。アメリカではストレート・ビデオ。 ● 手入れの緊張感に耐えきれずモドしてしまうようなシカゴ市警のルーキー刑事が、仕事に嫌気がさして故郷で待つフィアンセの元へ向かうが、その途中で「国家機密を握る男」に間違えられて連邦諜報局(略称CIBってのがマヌケだ)とマフィアの双方から追われる身となり、次から次への戦いの過程で本物のタフガイになる…という話。てゆーか、もちろんストーリーは二の次でアクションを見せることが目的なのだが、小気味良いアクションの連鎖が最後まで飽きさせない。B級アクション好きならこの題名を覚えておいて損はないだろう。97分。原題は「A BETTER WAY TO DIE」 ● ほとんど主人公の回想場面にのみ出てくる「永遠の恋人」にナターシャ・ヘンストリッジ。他にも、ルー・ダイアモンド・フィリップスや、「オーロラの彼方へ」「デュエット」の黒人俳優アントレ・ブラウアーといった中級俳優が何人か出演していて、いくらなんでもこの人らのギャラだけで200万ドルは越えちゃうと思うんだが、ギャラは出世払いなのかな?

★ ★ ★
殺人ドットコム(ケン・ジロッティ)

しかしなんとかならんか?>シネマメディアージュの上映前の、東京国際映画祭より長い場内アナウンス。都内の東宝系の映画館では休憩時間に音楽を中断してアナウンスを流してるんだが(←これだって邪魔クサイんだけどさ)シネマメディアージュでは休憩時間に益体もない映画クイズをスライド映写してるので(=普通の人間は画面の文字を読みながら場内アナウンスを聞くことは出来ないので)上映開始直前に客電が落ちてから真っ暗な場内に成す術もなくただアナウンスが流れるというマヌケな事態になっているのだ。東宝のサービス精神旺盛な従業員の皆さんが「外人のお客様のために英語版のアナウンスも付け加えよう」とかアホなこと考えんよう祈るよマジで。 ● さて、上映期間1週間、それも朝11時15分から1回上映という「いいんだよ客なんか来なくたって。公開したって既成事実さえ作れば」という配給会社の声が聞こえてくるような客をナメきった上映形態の本作は、ルー・ダイアモンド・フィリップスとメッチェン・アミック共演の連続殺人サスペンスである。 ● 元・精神科医のヒロインの自宅で、患者だった男の首吊り死体が発見される。その手口は、かつてルー・ダイアモンド・フィリップス刑事の眼前で自殺した連続殺人犯、通称 ハングマン(首吊り人=原題)の手口とそっくりだった…。必死の捜査をあざ笑うかのように犯人はヒロインの関係者を拉致しては、インターネットで警察にハングマン(というフリーウェアのPCゲーム。単語のスペルを当てるゲームで制限内に当てられないと画面でイラストの人形が括られる)を挑み、次々と犠牲者の数を増やしていく。はたして犯人の狙いは? ヒロインとの関連は?・・・という話。 ● メッチェン・アミックのキツめの美貌が「水曜日に抱かれる女」とか「完全犯罪」(←こないだのフォックスのじゃなくて、1993年のジョン・リスゴー&エリック・ロバーツ共演のほう)とかこの手の映画によく似合う。まあ結末は皆さんが予想されてるとおりだし驚きはないが、落語と同じでオチは判っててもこの手の話が好きなら楽しめる出来。ただし今回、メッチェン・アミックはセミヌードまでなので念の為。また皆さん うすうすお気付きのとおり劇中に「satsujin.com」などというウェブサイトは登場しない。

★ ★ ★
ロック・スター(スティーブン・ヘレク)

アーノルド・シュワルツェネッガーのテロリスト・アクション「コラテラル・ダメージ」の公開延期にともなって急遽、東急チェーンに出て来たワーナー映画の新作。公開前日の〈「ロック・スター」明6日よりロードショー〉という広告が載った金曜日の夕刊には〈「トレーニング デイ」10月20日ロードショー〉と、すでに公開日を明記した東急チェーン次回作の広告が同じ紙面に掲載されるという、めったに見られぬ光景が展開された。マーク・ウォルバーグには恨みはないが、「ロック・スター」は本来ならばどうも見ても渋谷東急3=シネマミラノ程度の集客力しかないシャシンであって、おそらくワーナー映画としては、最初っから(ポリス・アクションという短期集中の大量テレビCM宣伝の効くジャンルである)「トレーニング デイ」を出したかったのに、どーしてもフィルムのデリバリーが物理的に間に合わなかったんだろうね。ま、おかげでおれはロック映画を気持ちのよい大スクリーンで観られたわけなんだが。 ● 会社勤めのかたわら、人気ヘビメタ・バンドのコピー・バンドを続けてて、ライブには勿論そっくりさんの格好して出かけていって、自分たちのライブのビラを撒いては他のコピー・バンドと「おれっちのほうが本物だい!」とケンカしてるようなボンクラ青年が、運命のいたずらで本家バンドの後任ボーカリストとして雇われ、一夜 明ければスーパースター。だけど…という話。 ● エンディング・ロールのNGシーンから撮影中のタイトルが「メタル・ゴッド」だったことが解かる。嘘のような本当の話でジューダス・プリーストで実際にこういうことがあったんだそうだ。おれは観てるあいだ、なんとなくヴァン・ヘイレンを連想した。たしかにヘビメタ・バンドってバンドの名前(ブランド)が個々のボーカリスト/ミュージシャンの存在よりデカいことがあるな(復活プログレ系もそうか) いつまでたっても「雇われボーカリスト」であることに不満の主人公が「自作の曲を使ってくれ」と頼むとオリジナル・メンバーから言下に却下。「バンドの音を守ることが何より大事」とか言われてあんたら老舗の料亭か!って感じ。ま、こうなったらすでに死んでるよな、バンドとしては。…というよーなことを色々と考えさせてくれるのでロック・ファンにお勧め。 ● 主役のマーク・ウォルバーグは「長髪似合わねー」という部分も含めてボンクラの束の間の栄光と悲哀がよく出ている好キャスティング。この人の出自を考えたらもっとカッコよく見えてもいいはずなんだけど、今やどっからどー見てもボンクラにしか見えません(演技力というものなのか!?) 対してマネージャー兼カノジョを演じるジェニファー・アニストンは、マーク・ウォルバーグとあまり相性が良くないし、この役はもっと田舎の娘っコがやるべき役だと思うけど。 ロック・ビジネスの裏も表も酸いも甘いも知り尽くした、でぶのマネージャーを演じたイギリス映画の名脇役ティモシー・スポールが素晴らしい。 あと(クレジットを観るまでちっとも気が付かなかったんだけど)劇中バンドのドラマーを演じてるのはなんと(ボンゾの息子の)ジェーソン・ボーナム。他にもドッケンのベーシスト ジェフ・ピルソンや、オジー・オズボーンのところのギタリストだったザック・ワイルドがメンバーとして出演(←IMDbの引き写し。ドッケンなんて音を聞いたこともない) 劇中バンドのオリジナル曲はリッチー・ブラックモアとかが提供している。 監督は「101」「陽のあたる教室」「三銃士」「飛べないアヒル」「ビルとテッドの大冒険」「クリッター」のスティーブン・ヘレク。

★ ★ ★
ドラキュリア(パトリック・ルシエ)

製作:ウェス・クレイヴン
あれれ? タイトルが「DRACULA 200 1 」って出たぞ。この映画の原題って「DRACULA 2000」じゃなかったっけ? 海外マーケット向けに数字を1つ足したのかな。ミラマックスも芸が細かいというか映画誌的に紛らわしいことをするんじゃないよというか…。 ● アスミック・エースが付けた邦題の「ドラキュリア DRACULEA」とは「ドラキュラ DRACULA」のルーマニア綴り。だから字幕でドラキュリアと出てくる箇所はすべてドラキュラと読み替えて構わない。てゆーか、実際に半分以上ははっきり「ドラキュラ」と発音してるし。ちなみにパンフに載ってる[ルーマニア地方において「竜」もしくは「悪魔の子」を表わす言葉。]って解説は間違いではないが、これはドラキュラ伯爵のモデルになった人物の、親父さんが「竜=ドラクル」って仇名だったんで、その息子だから「竜の子=ドラクラ」と呼ばれてたわけで、ラディンさんの息子だからビンラディンってのと同じことだ。あるいは江戸屋猫八の息子だから子猫…それはちょっと違うか。いーから早く本題に入れよ>おれ。 ● さて、本編は由緒正しく「彷徨える幽霊船」の場面で開幕する。舞台は現代のロンドン。…闇の似合う街。ヴァン・ヘルシング卿の経営する古物取引商社の地下金庫に泥棒が入り、ひとつの柩が盗み出される。それこそは、かつてヘルシング卿が封印した、決して死なぬ吸血鬼一族の祖=ドラキュリアの柩だった。卿はアメリカはニューオリンズへと柩を追う(「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」もたしかニューオリンズだったよな?) そして、その街には毎夜、悪夢にうなされる1人の娘がいた…。 ● いくらなんでも21世紀のアメリカに処女はいないだろってんで、代わりにヒロインがヴァージン・メガストアで働いてるって設定が笑っちゃうが、本作は決してパロディやスプーフではなく割りと真面目に、ブラム・ストーカーの原作を踏まえた上でアレンジを施している。終盤に明かされるドラキュリアのトンデモ正体も含めて、まあまあ楽しめる仕上がりなのだが、肝心のドラキュリア役に抜擢されたジェラード・バトラーが二流モデル顔の大根役者なので、ちっとも画面に官能性が宿らない。やっぱドラキュラ役は(少なくとも見た目だけでも)デビッド・ボウイ=トム・クルーズ=ジュード・ロウのレベルをクリアしてくれないと。まあ、でもヘルシング卿はクリストファー・プラマーだし、(メグ・ティリー+ウィノナ・ライダー)÷2という感じの清楚な黒髪ヒロイン(南アフリカ出身のジャスティン・ワデル)はなかなか可愛いし、それに少なくとも御大の「ヴァンパイア・イン・ブルックリン」よりは面白いので、ジャンル映画ファンなら観て損はなかろう。 ● 監督のパトリック・ルシエは、ウェス・クレイヴン組の編集マン(本作も自身が編集)で、「ゴッド・アーミーIII」に続く2本目の監督作。音楽は「スクリーム」シリーズのマルコ・ベルトラミ。撮影は香港の幻想派の名手ピーター・パウ(鮑徳熹)

★ ★
夏至(トラン・アン・ユン)

この映画に描かれるハノイの街はいくら暑くても爽やかで、汗をかいてもベトつかなくて、開け放たれた窓の目に鮮やかな緑の間からは涼しい風が吹き込んでくる。室内にはおそらくかすかな香の匂い。どぶ川の饐えた臭いニョクマム(魚醤)の臭いもしない。完璧にコントロールされた光線のなかに配置された美しい黒髪のアジア女性たちが、静かな声で囁くようにしゃべり、鈴の音のごとく笑う。出てくる男たちはロクに働かなくても喰ってけるような自由業か ぼんぼんの学生ばかりで「生活の苦労」や「貧乏」といった要素は念入りに排除される。夢心地のシーンに流れるのはルー・リードが歌うラブソング。悲しい場面には武満徹ふうのオリジナル音楽・・・これはフランス育ちのベトナム人監督が作った優雅なる仏領インドシナのポストカード映画である。まあ、それもそのはず撮影のマーク・リーとは誰あろうリー・ピンビン(李屏賓)のこと。つまり「花様年華」と同タイプの映画なのである。いや凄いよマジで>リー・ピンビン。作品を殺してしまうほど強い「映像力」を持っている。ぜひ今度、市川準と組んで鎌倉あたりで1本、 撮っていただきたい。 …え、ドラマ? ドラマはまあ・・・ねえ?

★ ★ ★ ★
ジターノ(マヌエル・パラシオス)

「ジターノ」とはスペイン語でジプシーのこと。アラン・ドロンがジプシーの血を引くギャングを演じた「ル・ジタン」て映画もありましたな。自身もジプシーであるフラメンコ・ダンサーにして、誰もが認めるスペイン最大のスーパースターであるホアキン・コルテスが初主演した歌謡やくざ映画である。つまり、同じくフラメンコ・ダンサーであるアントニオ・カナーレスが主演した「ベンゴ」と成り立ちもジャンルもそっくり同じ(劇中ではまったく踊らないのも一緒) だが、いささか虚無的な「ベンゴ」と違って、こちらは完全なるホアキン・コルテスの「おれ映画」と化していて、その凄まじいまでの自己陶酔はまさしく長渕剛そのもの。なにしろあーた、出てくる美人女優3人全員と全裸で組んずほぐれつを演じてるのである。そのうち1人はフランスで「新世紀の女神」に選ばれたほどのスーパーモデル(しかもスーパーモデルなのに巨乳!)だってんだから羨ましい呆れるばかり。おそらくスペインとフランスの野郎どもからは「おれの真子ちゃんを盗りやがって!」とか「悦っちゃんを返せ!」とか「国生にあんなことやこんなことを…。何様のつもりだ!」といった怨みを一身に受けていると思われる>ホアキン。 ● 冒頭。刑務所。カメラは1人の男に出所の手続きがとられる様子をスタイリッシュに捉えるが、決して男の顔は写さない。ギギーッと鉄の門が開く。ここで初めて男の顔が映る。誰、このジョン・ウォーターズ髭?(…え、これがホアキン・コルテス?) 出迎えの若い衆(わかいし)が「兄貴、おつとめご苦労さんです」と頭を下げる。2年ぶりのシャバの空気を楽しむ余裕もなく、一家の(この場合は文字どおりの血縁なのだが)ボスからは「このまま向こうの一家をのさばらしといてええんか? ヤラれたらヤリ返すのんがジプシーの掟じゃろうが」と広島弁でスゴまれるし、ム所に入ってる間に美人のフランス女のカミさんはライジング・プロの社長の愛人になっちまうし──言い忘れたが、この主人公はかつてジプシーやくざ稼業のかたわら、バンドを組んでいたミュージシャンでもあるのだが、さんざんライジング・プロに搾取されたあげく、主人公の女房に岡惚れした平社長(仮名)が裏から警察に手をまわして、でっちあげでブチこまれたのだ。その間にバンド仲間の従兄は向こうの一家に殺され、もうひとりの(火野正平みたいな屈折した性格の)弟分は、いつのまにか渡世でいい顔になってるし・・・と(やくざ映画の例にもれず)主人公が服役してるあいだに世間はすっかり変わっちまっているのだった。 ● と、最初っから濃いい世界が全開するので観客は追いつくのが大変だが、いったん映画と同じ体温になってしまえば、1970年代的な情念の世界にたっぷりと浸れるだろう。やくざ映画ファンにお勧めする。主人公に執拗につきまとう差別主義者のゴキブリ汚職刑事が(もちろん令状もなしに)朝っぱらから部屋にずかずか入ってきて、理由もなしに主人公にロシアン・ルーレットを迫ったあげくシーツの匂いを嗅いで「へっへっへ。昨夜はさっそくお楽しみかい」…なんてシーン、あなた 前に観たことあるでしょ。(本作の舞台になった)グラナダとかシチリアあたりのビデオ屋じゃ、ぜったい東映のやくざ映画は回転率 高いと思うね。 ● 長渕を捨てて平社長(仮名)に走った「美人巨乳若妻」に、レティシア・カスタ。スペイン語が離せないので台詞が吹き替えなんだけど、なにせラテン人種は大雑把だから口パクが合ってないんだわ。てゆーか、声質もなんかイメージと違うし。ストーリーの核心に深く絡んでくる役なので、これは大きなマイナス。 火野正平の妻で、ひそかに長渕剛に惚れてる「キャバレーの歌姫」に、スペインの美人中堅女優 マルタ・ベラウステギ。 濡れ場のためだけに出てくる役名すらない「通りすがりの娼婦」にクリスチーナ・ペーニャ。 向こうの一家のおやじを演じた、ちょいと故アンソニー・クイン似の(たぶん)ホセ・ルイス・ゴメスが素晴らしい(おれはこいつに泣かされたね) ● 最後にひとつ文句をつけておくと、ラストは絶対に[撃たれた腹を抑えて崩れ落ちるホアキン]でストップ・モーションでしょう。だってジプシーの掟に反してるじゃんコイツ。同じ稼業の者の[女を寝とった]んだもん、やっぱ[生き残っちゃ]マズいっしょ。

★ ★
COWBOY BEBOP 天国の扉(渡辺信一郎)

ふむ。これは作画といい世界観といいジャズ中心のBGMといい、明らかに旧「ルパン三世」のセンを狙ってるわけですな。話は宇宙賞金稼ぎを主人公にしたアクション・コメディ。主人公のイイカゲンでカッコイイ賞金稼ぎは もろルパン、女房役の元・刑事のハゲ&ヒゲの大男は「次元+五右衛門」、ナイスバディな女賞金稼ぎはもちろん峰不二子である。そーなると、銭型警部の役まわりである「賞金稼ぎを目の仇にする宇宙警察の堅物刑事」のキャラが薄すぎると思うけど、あれは映画版だけのキャラなのかな? ● 脚本・演出は「ルパン三世」以上に歯の浮く台詞が満載で、自分語り+説明台詞というアニメ脚本の悪癖の典型。それなりに作画/動画と吹替が水準を満たしているので比較的すんなりと世界に入っていけるし、前半の展開はなかなか快調で楽しめた。でも後半は完全に息切れ。もともと30分(?)のアクション・コメディとして考えられたフォーマットなんだから、それを3倍の尺にするには、もっとかっちりとした構成の物語を組み立ててから作らないと。 ● BBSでリアリティ云々の話が出てたけど、こいつらがいっつもイイトコロで賞金首を取り逃がしちまうので金にならなくて、いっつも貧乏でピーピー言ってんのに船の燃料どーしてんだよ!とか、そーゆーことはあまり気にならない。これはコメディだから。おれが気になるのは、存在を秘匿してるはずの軍の特殊部隊の面々が手首のとこに特徴的な部隊章の入れ墨を入れたまんまだったり、主人公のあやつるオンボロ飛行機が軍の最新鋭機よりも(「乗り手の腕」以前の問題として)どーみても性能的に勝ってるように描写されていたりする点である。まあこの辺の線引きは人それぞれだろうけど。あと石橋蓮司がいきなり石橋蓮司の役で出て来るんで笑っちゃったよ。

★ ★ ★ ★
仮面ライダー アギト PROJECT G4(田崎竜太)[キネコ作品]

仮面ライダー30周年を記念して製作された新作長篇は、大人の観客も楽しめる特撮アクションの傑作となった。もっとも おれは最初の「仮面ライダー」「仮面ライダーV3」をリアルタイムで観ていた世代なので端からバイアスかかってんだけどさ。逆に言えばこの番組のメインの観客層であるべき幼児〜小学生にはちょっと難しすぎるかも。なにしろ「PROJECT G4」という英語のサブタイトルにルビすら振らない割り切りかたなのだ(それはそれで作り手としては問題ある気もするが…) ● 放映中の同名TVシリーズが主婦層に好評だってのは聞いていたが、実際に見て納得した。この「アギト」では仮面ライダーがなんと3人も出て来るんだが、それぞれの変身前を演じている3人の若手俳優が揃いも揃って長髪&美形のホスト系なんである! 今まで「ウルトラマン」でも「ゴジラ」でも、特撮ものって言えばだいたい(付き添いの)お父さん狙いなんだけど、そうかあ、お母さん狙いっていうマーケティングもありましたか。いや感服した。 ● その3人ライダーなんだけど、まずバックルで変身する明朗快活キャラのスタンダードなタイプ(これがアギト) そして警視庁が開発した、大型銃を携帯する堅物深刻キャラの「ロボコップ」な仮面ライダーG3。そして植物の精のような「強殖装甲ガイバー」系 生体変身タイプの仮面ライダー ギルス@不良&はぐれ者キャラ。こいつら別に仲間じゃないので、三者三様に入り乱れて、しかも劇中で(映画版てこともあるのか)それぞれにバージョンアップ変身をして、そのうえ今回はもう1人、新しい仮面ライダー「G4」ってのが出てくるのだ。なんちゅうか、交通整理するだけでも大変そうなのに、よくこれを70分の上映時間に収めたものだ。てゆーか(キャラ人形を発売してる)バンダイはボロ儲けですなあ。 ● ショッカーにあたる悪の秘密結社は今回「アンノウン」と呼ばれていて、人類を襲う正体・目的とも不明で、しかも怪人が喋らない。造形は仮面ライダーの伝統に則ってシリアスかつグロテスク路線で、主役キャラの腕が千切れて血(体液?)がしたたるといった残酷描写まである。ライダーのデザインともどもマジかっこいいっす。 ● ストーリーは政府の運営する「炎の少女チャーリー(ファイアスターター)」というか「AKIRA」チックな〈超能力少年少女保護育成施設〉がアンノウンに襲われるシーンから始まる。惨殺される教師と子どもたち。どこからともなく襲い来るアンノウン。こうした非常事態に対して、自衛隊が投入したのが「G4システム」だった。G4システム──それは装着者の命を吸い取る死の防衛システム。「死を背負うから強いのだ」と自信に満ちて断言する仮面ライダーG4@自衛官に対して、現役警察官であるG3が叫ぶ「あなたは死に近づきすぎた。生きることの意味を忘れてるんだ!」 いやもう「コミュニケーションの通じない異文化の相手への恐怖」とか「自衛隊と警察の対立」とか、時節柄じつにタイムリーな話なのである(脚本:井上敏樹) まあ作者も、よもや公開時にこのような現実とのリンクが起こるとは考えなかったろうが。 ● サブ・プロットとして、施設から命からがら逃げ出した12才ぐらいの少女と10才ぐらいの少年の「家なき子」が展開されていて、この部分の描写も(定型とはいえ)秀逸。監督はアメリカTV版「パワーレンジャー」の田崎竜太。キャストは──ホストには興味ないので女性キャスト中心に紹介すると──TV版レギュラーの、仮面ライダーG3の生みの親である天才女性科学者@警視庁勤務(制服姿)に、キリッとした瞳が凛々しい藤田瞳子 23才。 アギトの妹分(?)である超能力少女に(可愛かった頃の奥菜恵にちょい似の)秋山莉奈 16才。 映画版のしごく魅力的な悪役として、力の正義を狂信する自衛隊「PROJECT G4」の責任者@軍服に「女帝」の小沢真珠 24才。 施設を逃げ出した幼い超能力少女に(いかにもそっち方面人気子役アイドルになってそうな)加藤沙綾香ちゃん13才。 今回30周年ということであの人が特別出演してガッハッハッと いつもの豪快な笑いをカマしてくれる。 ● ビデオ撮りのようだがキネコ画質は最良。ちょっと彩度が低い(=色が薄い)感じだが、それが逆に銀残しのような効果を出している。 広くはお勧めしないが「X−メン」とか「ゼイラム」とかノの入らない石森章太郎とか永井豪とか石川賢とか好きな大きなお友だちは必見だ。 ● [追記]東映の公式サイトにこの映画の撮影方法に関する詳細な解説が載っていた>ここ

★ ★ ★
百獣戦隊ガオレンジャー 火の山、吼える(諸田敏)

東映の戦隊シリーズ25周年を記念して製作された28分の新作は、小さいお友だちが心から楽しめる仕上がりとなった。おれは1作目の「ゴレンジャー」が始まったときにはもう中学生になってて、さすがに特撮ヒーローものは卒業してたので、この東映の「5人のヒーロー戦隊+合体ロボ+実写特撮」というフォーマットにはとりたてて思い入れはないのだが、まあまあ飽きずに楽しめた。28分だし。石森章太郎・原作ゆえのダークな「仮面ライダー」と違って、こちらはあくまでユーモラスでコミカルで陽気が持ち味。特にメインターゲットの幼児層の人気はバツグンのようで、映画館に来てた子どもたちには圧倒的に(本来こっちが添えものの)「ガオレンジャー」目当てのようであった。 ● 「百獣戦隊」というからには今回のヒーロー戦隊のモチーフは「動物」。それぞれの隊員にライオンだの鷲だの鮫だの猛牛だのだの(よぉ元気か、おいちゃん)<ちゃうわい!…虎だのといった守護動物(巨大メカ)が付いていて、それが合体してヒーロー・ロボットになるわけなんだが、それぞれの動物ロボットに加えて次から次へと順列組み合わせで新しい合体ロボが登場するってんだからバンダイはボロ儲けですなあ。パンフに載ってた広告によると合体ロボは6,000円ですと。どーするよ!>お父さん。 ● ガオレンジャーたちはいつもの「全身タイツ+フルフェイスのヘルメット」という基本コスチュームなんだけど、今回ヘルメットのゴーグル部分が「モチーフとなった獣のガオー!と吼える口」に見えるようにデザインされてるのが上手い。上手いといえば「ガオレンジャー」っていうネーミングも上手いよな。幼稚園の子どもでもスッと言えるし、ヒーローが力んで叫ぶときにも頭に「ガ」が入ってるから力強く聞こえる。変身アイテムがなんと2つ折りタイプのゴールドの携帯電話でみんなで声をそろえて「ガオアクセス!」と叫ぶ…ってのもいかにも今の時代。笑っちゃうのはその変身シーンで、5人が変身したあとにいちいち「灼熱の獅子ぃー」とか「孤高の荒鷲ぃー」とか叫んでポーズを決めるので変身シーンだけで3分かかるのだ。敵の怪人も待ちくたびれちゃうよな:) 正義の味方が動物なら、悪者のモチーフは「鬼」。怪人はみな角を生やしていて○○○オルグと命名されている(演説はしません) ● 映画版のストーリーは「鬼ヶ島」+「猿の惑星」 異次元の孤島に飛ばされたガオレンジャーたち。そこは鬼が人間を支配する島だった…。原住民のお姫さまに(相変わらず首の長い)佐藤康恵。姫を守るたくましい若者に大沢樹生。どうやらフィルム撮りらしいってのが嬉しいねえ。

★ ★
Y a m a k a s i ヤマカシ(アリエル・ゼトゥン)

原案(推定5行)・脚本(推定A4一枚)・製作:リュック・ベッソン
ヨーロッパ・コープ(製作・配給)+デジタル・ファクトリー(SFX工房)の第2弾(フランスではこれが1本目) ヤマカシってのは実在のストリート・パフォーマンス集団なんだそうだ(一世風靡セピアみたいなもんか?) ビルの壁を素手で登る7人の男たちの映画である。世界意味なし映画選手権に出品したらブッチギリで優勝だろう。おれは元来クダらん映画が大好きだし、リュック・ベッソンの香港映画(そぜいらんぞう)路線を支持する立場の者ではあるが、いくらなんでもこいつは脚本がユル過ぎる。 ● たとえばヤマカシの真似して、木から落ちた子どもを診た医者が「大丈夫。すぐ治ります」と言った、そのわずか3行先の台詞では「24時間以内に心臓移植手術を」…って ちっとも大丈夫じゃねーじゃんか! てゆーか、気付けよ自分で「あれ? おれなんか矛盾したこと言ってるな」ってさあ。ヤマカシの連中の大騒ぎの甲斐あって、なんとか出術費用が捻出できるんだけど、心臓ドナーの予約期限を10分過ぎてしまってて、その間にどこか他の病院からの予約が入ってしまってる。時間切れを告げる院長をヤマカシが脅迫して移植用心臓を確保できて手術が行われメデタシメデタシとなるんだけど、それってつまり移植用心臓が見つかった喜びも束の間、ヤマカシが心臓を自分たちの順番が過ぎたにもかかわらず無理やり取っていったせいで手術が出来なくなって死んだ子どもがどこかに居るってことだよなあ?<さすがはフランス人。

★ ★ ★
忘れられぬ人々(篠崎誠)

「忘れられぬ人々」というのは意図的にミスリーディングなタイトルである。宣伝コピーの「大切にしたいものがある、守りたい人がいる。── 今をひたむきに、誇り高く生きる人々の愛と勇気の感動作」というのも(間違いではないが)わざと勘違いするように作ってある。本来なら作者が敢えてミスリードしてることをバラしちゃイカンのだが、当サイトの読者にはそのほうが観たい気になるかと思うので、書く。ここで言う「忘れられぬ人々」というのは「わたしたち観客にとって忘れられない人々」ではなくて「戦争中のことが忘れられないまま生きている人々」という意味。戦後、半世紀以上をひっそりと慎ましやかに過ごして来た老人たちが、現代ニッポンを象徴するような老人相手の霊感商法の非道ぶりに「おれたちゃテメエらに毟られるために今まで生きてきたんじゃねえ!」と爆発する話。より内容に即したタイトルを付けるなら「特攻!老人愚連隊」といったところか。 ● ストーリーだけを聞くと岡本喜八の「近頃なぜかチャールストン」や「大誘拐」と同ジャンルのような感じだが、実際の映画はあれほど軽快でも痛快でもない。前半部はそれこそ「感動の文芸映画かいな」というほど静かな老人たちの日常が描写され、中盤から「ん?」という異物が混入しはじめて、終盤で鮮やかに転調してキメる・・・というのが篠崎誠の描いた絵図だったと思うのだが、いちばんの見せ場というべきラストのアクションシーンが不器用に過ぎるし、終盤などカット順がおかしいのでは?というほど編集が乱れる。結果として前半の日常描写ばかりが印象に残ってしまう。そしてその部分に満足した観客には終盤の転調は戸惑いを覚えるだけだろう。つまり2時間の娯楽映画としては構成/脚本が未熟なのである。傑作になったはずなのに…という欲求不満が残った。星3つはおもに三橋達也・大木実・青木富夫・内海桂子・風見章子といったベテラン演技者に対して。篠田三郎が(悪役ではあるが)久しぶりにいい役を貰っている。霊感商法のセールスに井口昇ってのはハマりすぎだな。

★ ★ ★
ゴーストワールド(テリー・ツワイゴフ)

「ハイ・フィデリティ」のハイティーン・ガール版。平凡な田舎町で高校を卒業した、トンがってる(と自分では思ってる)女の子たちがあえなく世間に敗れ去る話。青春映画の傑作…と言えるだろう。まあ、おれは女の子じゃないから──過去も現在も黒縁メガネでお河童アタマの小太りのブスであったことはないので──ここに描かれている悩みはしょせん他人事なんだけどさ。いやつまり、おれが自分ではジョン・キューザックと思っていて周りからはスティーブ・ブシェーミに見えてるとしても、だ。 男の場合は誰に依存しなくても生きていけるので「孤立する恐怖」というものを比較的 味あわずにいられるし「男の友だち」ってのは あんなややこしくないしな。この映画のブシェーミの例からも明らかなように、男ってのは自分の価値観と性欲が一致しなくてもぜんぜん平気な生き物なのだよ。 しかし彼女たちも日本に生まれていたらあんなに悩まなくたって済んだのにねえ。原宿や渋谷に行けば、高校を出てなんにもしてない(あるいは文化服装学院東京モード学園に通ってる)女の子たちが砂利トラでまとめて廃棄できるぐらい大量に棲息してるし、あの手のコを歓迎してくれる働き口だってまんだらけの店員とかコスプレ居酒屋の女給さんとかいくらでもあるのになあ。 ● 「真性」のヒロインに、芳紀19才という うら若き身空で「シリアル・ママ」のキャスリーン・ターナー並みの「覚悟」を決めてるソーラ・バーチ。偉い。じつに入魂の演技で「ダンジョン&ドラゴン」の1億倍ぐらい魅力的である。 ヒロインと一心同体な存在として登場として、徐々に一般社会へと同化していく親友に(まだ16才なのに「モンタナの風に抱かれて」の自閉症美少女からすっかり成長しちゃった)スカーレット・ヨハンスン。拗ねてる女子高生がだんだんと「普通」になっていく感じをうまく出している。…でも、あれなんだよな。男がガールフレンドにすんのは結局、後者なんだよな(ほんとすいません身勝手で) それなりに世間と折り合いをつけて生きてるレコードおたくの超ダサい中年男にスティーブ・ブシェーミ。 ヒロインのリベラルで気弱なシングル・ファーザーにボブ・バラバン。 典型的な勘違い地方文化人な美術教師にイレーネ・ダグラス。 コンビニに入り浸ってる変な髪形のヌンチャク男にエズラ・ハズィントン。 ● 以下、ラストのネタバレなので観た人限定だけど・・・恵比寿ガーデンシネマの場内には劇中のヒロインと瓜二つで激しく自己同一化してそうな、しかも あんまり映画を見慣れてなさそうな感じの女の子たちが多数 見かけられたけど、あなた方、まさかあのラストをハッピーエンドと勘違いしてないでしょうな。あれはバス停でずうっと「その日」を待っていた爺さんが乗っていったバスと同じバスだぞ。


ビヨンド・ザ・マット(バリー・W・ブラウスティン)

…いや、正直に言えば面白かったんだよ。だけどこれはいわば「ウルトラマンが背中のチャックを開けて煙草を一服してる衝撃の舞台裏」を写した映画であって、普段からウルトラマンの勇姿に親しんでいて、そのSFXのカラクリも知っている大人が見るぶんにはメイキングとして興味深いかもしれないが、「ウルトラマンの存在を信じている子どもたち」にとっては夢を砕く無粋な代物でしかない。またそれ以上に「最初っからウルトラマンを馬鹿にしてて、番組を観たこともない奴ら」の目にはただの馬鹿笑いのタネにしか映らないわけで、そんな奴らに「ほうら、やっぱり縫いぐるみなんじゃん。あんなに汗かいてバッカみてえ」などと笑われるのは堪えられない。これは「超人的な英雄」を「ひとりの悩み多き人間」に引き摺り下ろす所業である。いいか。世の中には「言わぬが花」ということだってあるんだよ、野暮が。 ● メインでフィーチャーされるのは3人。まずはかの「テキサス・ブロンコ(=荒馬)」ことテリー・ファンク御大。本作でも1997年の(何度目かの)引退試合の模様が描かれるが、このおっさんがいまだに現役なのは御存知のとおり。テリーと並ぶもう1人のテキサスのビッグ・ネーム。今年ついに引退した「不沈艦」スタン・ハンセンもチラッと出てくる。 そしてテリーとはふた回りくらい歳の離れた宿敵「カクタス・ジャック」ことミック・フォーリー。この、リングでは自己破壊衝動の塊だが、素顔は聡明なレスラーはすでに引退しているが、この映画を観ると引退の動機は「メタメタに打ちのめされるお父さんを見て泣き叫ぶ妻と幼い子どもたち」の姿をこの映画によって目の前に突きつけられたから…だということが明白である。なんということだ。1本の映画が1人の才能あるレスラーを引退に追い込んでしまうなんて。どう責任をとるつもりだよ!>バリー・W・ブラウスティン。 そして3人目が、落ちぶれて、それでも往年のキャラのままでドサ回りを続ける「ザ・スネーク」ことジェイク・ロバーツ。1990年代初頭の WWF で人気絶大だった怪奇派レスラーだそうだけど、おれはよく知らない。 ● さて、じつはこの映画で誰よりも魅力的で好きにならずにいられないキャラは誰あろうヴィンス・マクマホン Jr.… WWF のオーナーその人なのである。おれは、しばしば肝心の試合が二の次、三の次にされる WWF の「プロレス」というものに批判的な立場の者だが、それでもこのおっさんのバイタリティにはマイッたよ。NYの興行主だった実の親父から会社を買い取ってケーブルTVを武器に全国区に進出。「テレビ的に面白い」とはどういうことかという部分に徹底的にコダワッて、出場レスラーたちには(ほぼ)全員に会社で設定した「キャラ」を演じさせる。だからそれまである程度の名前を売っていたレスラーでも WWF に出るときは新しいリングネームになる。それが売れてもその「キャラ」の版権 WWF にあるから、ほかのリングでは使えない仕組み。しまいにゃ「会社の悪徳ボス」というこれ以上ないキャラ設定でヒール(悪役)レスラーとしてみずからリングにあがり、妻がレスラーと浮気したと言ってはリングで痴話喧嘩を繰り広げる(それも仕込みじゃなく本物の妻とである)  WWF で大儲けした余勢をかって NFL に対抗して今年、テレビ局やスポンサーと組んで XFL(エクストリーム・フットボール・リーグ)というバイオレントで場外乱闘OK&チアリーダーとのセックス・スキャンダル大歓迎の WWF 流プロ・フットボール・リーグを起ち上げたが、視聴率の低迷であえなくワン・シーズンでキャンセル。大損をこく(ちなみにシュワルツェネッガーの「シックス・デイ」がタイアップしてて、劇中でビル・ゲイツがオーナーをしてるのが XFL のチームだった) 「ハムナプトラ2」にも出てたザ・ロックと選手権試合での血みどろの死闘を終えて、控え室でパックリ開いた頭を縫合してもらいつつ、妻子と「大丈夫。こんなのカスリ傷だから」「アンタ死ぬつもり!? こんなことしてたらアンタ死んじゃうわよ! キーッ!!」と修羅場を演じたばかりのミック・フォーリーに、みずからもリング・ドクターに頭を縫われながら「いやぁいいショーだったぞ」とニコニコしながら声をかけるおっさんの姿は「このビジネスの何たるか」を端的にあらわしている素晴らしいシーンだった。だから下手にレスラーを追っかけるより全篇ヴィンス・マクマホン Jr.を追っかけたほうが面白い映画になったんじゃないか? もっとも本人は、この映画を観て大激怒したらしいけど。 ● さて「観るな」っつってんのに観ちゃった一般の人に説明しておくと、この映画で描かれているのはあくまでも「スポーツ/格闘技としてのプロレス」が廃れて「いかがわしい見世物としてのプロレス」だけが残ったアメリカン・プロレスの世界の話だかんね。 WWF(=ワールド・レスリング・フェデレーション。パンダのマークは付いてません)と並ぶ2大メジャー団体で一時は優勢だった WCW はついに今年 WWF に吸収されて、いまや(ヴィンス・マクマホン Jr.の息子)シェーン・マクマホンがオーナーになっていて、マクマホン・ファミリーの「骨肉の争い」の道具にされてしまっている惨状である。映画界でいえばジェリー・ブラッカイマーが1人勝ちして「アルマゲドン」や「パール・ハーバー」みたいな映画しかなくなっちゃったような世界なのだ。くれぐれも「日本のプロレスもこうだ」と思い込まないよーに。 ● 東京での公開は渋谷のシネマライズのレイトショー。どうせ土曜日はコアなプロレス・ファンの方々で満員だろうから…と思って2日目の日曜日に行ったんだけど、なんと立ち見三重&通路まで満員の大入りだった。これほど入るとはシネマライズも配給のクロックワークスも読んでなかったらしく(でなきゃレイトショーになんかブッキングしないもんな)急遽、モーニングショーが追加になってた。じつは WWF っておれの知らないところ(=CS放映)で大ブレイク中だったりするのか!?

back