ACT.74 ユニットという考え方 (2000.02.17)

 というわけで私は引越しをするのだ。いきなりな書きはじめであるが、こんなのもたまにはいいだろう。
 さて、これまで何度も引越しを繰り返してきた私ではあるが、いざ引越しをするとなるとやはり面倒であり、大変であり、だるいものであり、しないに越したことはないものである。
 しかし、どういうわけか定期的に引越しをしなければいけない星のもとの生まれたらしく、また引越しをせねばならぬようになってしまった。とか言っておきながら、引越しの原因は私のわがままであるのは言うまでもない。  さて、引越しするときに色々と頭を悩ませるのは引越し先の物件についてである。家賃はもちろん、間取りや広さや作り、所在地や周辺の環境、ガスや風呂やペットやピアノや子供や床下やアパートやマンションやエレベーターやオートロックやフローリングや1階や2階や南や西や東や北や、ワッショイワッショイワッショイワッショイ、ソーレソレソレお祭りだぁ〜!てな具合にだ。
 この中で一番重要なのはやっぱり何といっても家賃である。当たり前である。次はやはり交通の便などを考えた所在地であろう。これまた当たり前の話である。その次こそが重要な話だ。次に私が気にするのはズバリ風呂のことである。というのは、私はユニットバスというものが大嫌いなのだ。ユニットバスが何か知らない人なんていないよね。いちいち説明するの面倒だから。一応言うとホテルの風呂&トイレを思い浮かべてくれ。
 ユニットバスが嫌いだと言うのには3つの理由がある。
 まず最初に湯船で体を洗わなければいけないと言うことだ。湯船と言うのはその字からも見て分かるとおりお湯を入れるものなのである。しかし、ユニットバスには体を洗う場所は湯船以外にはない。たまにユニットバスのことをよく知らない年配の方が湯船の外、つまりトイレ側で体を洗ってお湯を思いっきり流した挙句、階下に迷惑をかけたなんて話は聞いたことがあるだろう。そうなのだ、はっきり言って湯船の中で体を洗うという行為には日本人であるならば奇妙なもののはずなのだ。少なくとも私にはそうだ。
 次に上記に付随することなのだが、お湯をためることができないということだ。体を洗うためにはお湯をためることができない。じゃあ、体を洗った後にためればいいと思われる方もいらっしゃるかもしれないが、私はそこまで気は長くない。つまりユニットバスに入るときにはいつも体を洗うか、お湯につかるかという二者択一が待っているということになる。何が悲しくて風呂に入るのに洗濯なんぞしなければいけないのだ。あ、これは銭湯での話である。もとち、何が悲しくて風呂に入るのに選択なんぞしなければいけないのだ。風呂ぐらいゆっくりとつからせて欲しいものだ。
 ここで、あるひとつの意見が出てきた。アメリカみたいに泡風呂にしたら?というものだ。なるほど、これならお湯につかりながら体を洗うことができる。まさに一石二鳥だね、などと私が言うとでも思ったか!冗談ではない。あんなものを私は認めるつもりなど毛頭ない。なぜならあれに入った後は体についた泡を洗い流すという無駄な行為が発生する。またそれ以前にお湯に入ったまま体を洗うという行為は結構大変なのだ。少なくともいつも使うようなタオルで洗うのは困難といわざるを得ない。だからこそボディブラシを使うのであるが、これもまずい。ボディブラシで体を洗うのはお肌にもあまりよくないことなのである。いきなりお肌がどうこう言っている自分が少々恥ずかしくもあるが、事実であるのだから仕方がない。あれは角質を結構痛めるから使いすぎには注意しましょうね。
 話を戻す。ユニットバスが嫌いな最後の理由として、これが一番の理由なのであるが、そもそも風呂の横にトイレがあるというのが私は許せない。家の中でトイレという場所はお世辞にも衛生的な場所とはいえないと思う。逆に風呂場は一番衛生的な場所といっても過言ではないはずだ。まあ、壁にカビが生えてるとか、浴槽をあまり洗ってないとかいうのはこの際見なかったこととして。このある意味対極の位置にあるもの同志が同じ個室に配備されているのだ。これをおかしいと言わずして何がおかしいと言えるであろうか。そう思いません?
 ともかく、以上の理由をもって私はユニットバスの存在を否定しているのである。しかし、友人は口をそろえて考え過ぎじゃないと言う。ここまで倫理的にも説明がつくこの話を考え過ぎの一言で片付けられてしまうのだ。一体日本はどうなってしまうのであろうかと、不安を隠せない私なのであった。
 風呂ごときで大層な……

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