アテナ外伝

Act.9 久遠

夢を見ていた。
アテナは、見覚えのない場所に佇んだまま、これが夢なのだと知覚していた。
どこか、ビルの一室の様だった。
壁沿いにはコンピュータやら何かの計測機器らしきものが犇めき、チカチカと明滅を繰り返している。
部屋の中央には、何か巨大なカプセルの様な物体が配置されており、そのガラスケースにはボンヤリと人の姿が浮かんでいた。
カプセルの手前、操作コンソールらしき端末の前には白衣をまとった女性が立っていた。
30歳台半ば、と言ったところだろうか。

"──どうかね、高沖博士?"

壁面に設置されたディスプレイから、女性に話しかける声が聞こえる。
くぐもったような、妙なエコーがかかったような、不自然な声。
高沖と呼ばれた女性は、その声に対し、現状報告を行っているらしかった。
話の内容はよく分からなかった。
なにかの基本組織の復元に成功しただの、この分なら思いの外、再生作業は捗りそうだといっている事は聞き取れたが、何の事なのかアテナには分からない。
声の主は、高沖の報告に満足したらしく、ディスプレイより姿を消した。
直後、高沖の傍ら、助手らしき人物が彼女に異議を唱える。
本当にこれでいいのか、我々は間違っているのではないか、人が人を生み出すなど・・・
かなり興奮した様子でまくし立てていたが、彼は皆まで言うことはできず、SSに連行されていく。
その彼には目もくれず、高沖はカプセル内の人影に愛しげな視線を向ける。

"あの・・・"

アテナが話しかけても、彼女は答えない。
アテナの存在に気が付かないらしい。

"無駄だよ、お嬢さん。"

突然背後から掛けられた声に、アテナは驚いて振り返る。
そこには、スーツ姿の男性が立っていた。
細身で長身、柔和な笑顔を浮かべてはいるが、どこか鋭さを感じさせる人物だった。
マフィアだとか組織だとか、そんな言葉が似合いそうな雰囲気を漂わせている。

"これが君の夢の中だってことは、気づいているんだろう?"

男性はそういって笑った。
言われ、アテナは自分の状況を思い出していた。
山崎竜二によってもたらされた、地下鉄の惨事。
最後に意識を失ってからの記憶がなかった。
恐らく今、自分は病院のベッドに寝かされたまま、この夢を見ているのだろう。

"あなたは・・・?"

男は、反町と名乗った。

"ここは、WADの研究施設だよ。"

WAD。
アテナ達の住む街をはじめ、世界中に根をおろす巨大複合企業体の名だった。
特に、この街におけるWADの影響力は強く、警察機構もWADの一部に等しい、まさに「WADの街」だった。
とまどうアテナをよそに、反町は話を続けた。

"元々ここは、太古の血脈が持つ力・・・'オロチ'について研究していた。"

言いながら、反町は部屋の中央にあるガラスケースを顎で示す。

"だが、'あれ'をシベリアで見つけてから、連中の方針は変わった。"

自然と、アテナはケース内部の人物へと視線を向ける。

"古代人の標本なきがら
・・・彼らがもっていたと思われる"力"へと、その研究対象をシフトしたのさ。"

ガラスケースの中は、相変わらずよく見えない。
が、ボンヤリと浮かぶシルエットから、どうやら女性だと思われる。

"・・・君の持つ"力"は、古代人がもっていたと思われるモノに酷似しているらしい。"

"え?"

反町の言葉に、思わずアテナは振り返る。

"奴らの狙いは、君のその"力"だ。
タンタロスを構成する生体部品として、君の身体からだが欲しいのさ。"

渋い表情かおを浮かべる反町に、アテナは質問を投げかけた。
タンタロスとは何か。
古代人とは。
そして──、山崎竜二とは何者なのか。
反町は、ひとつひとつ、彼女の疑問に答えていった。
タンタロスとは、WADが開発した新世代のコンピュータシステムだという。
詳細は男もよくは知らないらしいが、ともかくそれは、5人の人格を移植したOSを搭載し、また生体部品も多く使用された有機的なコンピュータなのだという。
否、コンピュータと言うよりは、既に一個の生命体に近い。
自ら考え、自らを再構成する能力を持っているのだという。
そして、そのタンタロスが次なる自己進化を行うにあたり、大いなる力を求めているのだった。
それがオロチの力であり、古代人の力なのだ。
古代人。
十数年前に、シベリア永久凍土の下から発見された地下遺跡がある。
非常に優れた独自の文化、進んだ科学を有していたと見え、未だその構造が解明されないままの遺構がいくつもあるという。
その、祭壇と思しき場所にまつられていた遺体。
白骨化もミイラ化も化石化もせず、亡くなった直後であるかのような新鮮な状態であったという。
その遺伝子構造は現代人と酷似していたものの、微々たる違いがあった。
殆ど誤差のレベルではあるが、その違いから予想されたのは、古代人が潜在的な「力」をもっていた、というもの。
いわゆる超能力と呼ばれるものを、持っていたと予測された。
因みに、元々タンタロスは遺伝子レベルの研究過程で生み出されたものだった。
今、そのタンタロスはアテナの力に注目している。
それは彼女が持つ遺伝子構造が、古代人のそれに酷似しているためだ。
それ故、山崎竜二を使って、彼女の力を見定めようとしている。
ひいては、彼女を捕獲せんが為に。
山崎竜二に関しては。
元々WADで行われていたオロチの研究。
その実験材料──被験者として、幼いうちにWADの研究施設へ収容されていた。
オロチの血脈である可能性が高かった為である。
しかし研究方針の変更から、WADにおける彼の存在意義は、なくなってしまったのだ。
彼の執拗な攻撃は、任務であること以上に、自分の立場を奪った彼女に対する私怨が多分にあるように見受けられる、と男は語った。

"竜二は・・・本当は、あんな奴じゃないんだよ・・・"

山崎に対し、特別な感情を持っていそうな反町に、アテナの思いは複雑だった。
しかしそれ以上、反町から情報を得ることは出来なかった。
そのまま、彼女は目覚めを迎えたからだ。
病院のベッドの上。
心配そうに覗き込んでいた拳崇には、アテナは申し訳なさで一杯だった。
山崎──WADに狙われているのは自分だ。
彼は、そんな自分を庇い、傷を負ってしまった。
自然と流れ出した涙に、彼はただ、優しかった。
それがかえって、この時のアテナには辛かった。
だが、本当に辛いことは、彼女が退院してから起こったのだ。


放課後の校舎内で、アテナは理香の姿を求めて彷徨っていた。
ディノ・アクアリウムでの一件以来、彼女はアテナを避けているようで、一言も口をきいていなかった。
とにかくちゃんと話がしたい。
その一心で、アテナは理香を探していた。
そんなとき、だった。


「何、これ・・・?」

理科実験教室を覗いた際に、たまたま気づいた消し忘れの端末。
シャットダウンした方が良かろうと、画面を覗き込んだ時だった。
一瞬、山崎の顔が写ったかと思うと、カウントダウンが始まった。
デジタル表示されたタイマーは、残り時間5分を示している。
アテナは、カウンターの背後に何か見慣れた景色が表示されている事に気づいた。
2分割された画面には、2つの景色が表示されている。
そのいずれも、アテナには見覚えのある景色だった。
登下校中に見かける、何れかの場所に間違いなかった。

「なぁに、簡単なゲームさ。」

どこからともなく降り注ぐ、山崎の声。
またか、という思いに、アテナは天を仰いだ。

「簡単なことだ。
お前さんの大切なものを、一つ選べばいいのさ。」

「ふざけないで・・・っ」

怒鳴るアテナに、山崎は楽しそうに笑った。

「ククク・・・。
いいのか? よく画面を見てみな?」

画面の上部には、メッセージが表示されていた。

「究極の・・・選択?」

どちらか一方を選べ、とも記されている。
よく見れば、画像はライブ映像の様だった。

「・・・理香?」

と、片方の画面に歩いてくる理香の姿が映った。
どこか思い悩む様子で、何度も後ろを振り返りながら歩いてくる。
アテナが画面の中の人物が理香であると認識した直後、カメラが一気に引き、すぐ間近の電柱がアップになった。
何かの電子機器が、柱に括りつけられていた。
デジタル式のカウンタらしきものが、刻々と数字を減らせていく。
それは、アテナが見ている画面上のカウンタと同期している様だった。
機械には余り強くないアテナだったが、それが何であるのか、流石に気がついた。

「時限・・爆弾・・」

歩いてくる理香の姿が、徐々に大きくなってくる。
このまま歩いてくればどうなるか。
考えるまでもなかった。

「理香!」

思わず叫んだアテナをからかう様に、画面には爆弾をあしらったアイコンが表示された。
点滅を繰り返し、今にも爆発しそうな雰囲気を醸し出す。
2分割された画面の両方、画面下方に、「STOP」と書かれたボタンが出現した。
画面上のカウンタは、残り30秒を切っている。
もう片方の画像も気になったが、しかしアテナには理香の姿から目を離すことが出来なかった。
STOPボタンを押せばどうなるのか?
本当に爆弾が停止する保証はない。
かといって、このままではまず間違いなく、爆発するだろう。
その時、理香は無事には済むまい。
いや。
そもそもこの画像自体、本物かどうかも怪しい。
山崎のすることだ。
嫌な汗が、頬を伝った。
逡巡する間にも、カウントは進む。
残り15秒。

"南無三・・・っ"

残り8秒というところで、アテナは理香の写る画面側のSTOPを押した。
途端に画面は消え、端末の電源が落ちた。
暫しの静寂。
しかしそれは、アテナにとっては永遠の沈黙にも感じられる。
いい加減焦れはじめたところで、山崎の反応が返ってきた。

「──おめでとう。お友達は救われたぜ?」

薄笑いを含んだ山崎の声に、アテナは彼が上方───屋上に居ると確信する。


果たして。
そこに、山崎はいた。

「・・・いい加減にしてっ」

薄笑いを浮かべる山崎に、アテナは叫んだ。

「さっき選ばなかった方が何だったのか、知りたくはねぇか?」

アテナの声は全く無視して、山崎は楽しげに言った。
──ドンッ
直後、アテナの背後、彼方で爆煙が立ち上った。
驚いて振り返るアテナ。

「・・な・・に・・?」

訳が分からないアテナに、山崎は追い打ちを掛ける。

「──お前さんの家は、どっち方面にあったけな?」

アテナは山崎の言葉を、すぐには理解できなかった。
薄笑いを浮かべる山崎から、もう一度背後の爆煙へ視線を移す。
そして──

「・・・まさか・・・!」

──、思い至る。
あれは、自宅のある方向ではないのか。

「・・・お友達の代償は、高くついたな?」

確か今日は、両親の結婚記念日だったはず。
例年通りなら、普段は帰りの遅い父親も、既に帰宅している頃だ。
年に一度の、幸せな時を過ごしていた筈なのに。
あの爆煙が、何を意味するのか。

「山崎っ・・・!!」

怒りもあらわに叫ぶアテナ。

「いい表情かおだぜぇ?」

ニヤニヤと、嫌らしい笑みをたたえている山崎。

「安心しな?・・・すぐに親元へ送ってやるからよ?」

言うや、アテナに襲いかかった。
嵐の様に降り注ぐ山崎の攻撃は、しかしどれ一つアテナには届かなかった。
全て、目前で見えない壁に阻まれたかのように弾かれる。

「・・・やるじゃねぇか。」

舌なめずりすると、ポケットに突っ込んだままだった右手を添え、両の腕を上空へかざした。
その掌に、強大なエネルギーが集中していく。

「おらよっ」

強大なエネルギーの固まりを、山崎はアテナへと叩きつけた。
轟音と閃光。
コンクリート製の地面には亀裂が走る。

「・・・なんだと!?」

しかし、仁王立ちのまま自分を睨み付けているアテナの姿を見た山崎は、流石に動揺した。
彼女には文字通り、傷一つなかった。

「・・・・許さない・・・」

今まで黙ったままだったアテナは、絞り出すように呟いた。

「けっ」

アテナの言葉に、山崎は唾を吐く。

「・・・いっぺん、死んでこいやっ!!」

叫びながら、山崎はアテナへ躍りかかった。

「──あなただけは、絶対に・・・!」

直後。
アテナを中心に、一瞬、真っ白な光が溢れ───、次の瞬間には、青白い無数のエネルギー体が、彼女の周囲を高速で周回していた。
その光は、彼女の周囲にあるもの全てを砕いた。
足下の建造物も、空気も、風や光さえも。
そしてそれは、飛びかかった山崎とて例外ではなかった。


空から無数の爆音が降ってきていた。
規則的な音が、いくつも降り注いでいる。
うっすらと目を開けたアテナは、上空を舞ういくつものヘリを見た。

「・・・今度は・・・なに?」

瓦礫を払いのけながら、アテナはゆっくりと立ち上がった。
放出したエネルギー体クリスタル・ビットが屋上の床面を破壊し、彼女は階下の教室へ落下していた。

「・・・時間切れだ。」

不意に、山崎の声が響いた。

「今日は遅れをとったが・・・今度あった時は、容赦しねぇぜ・・・」

捨て台詞とも取れる言葉を吐いた後、それきり気配はなくなった。
周囲を見回しても、山崎の姿はない。
上空の爆音は、徐々に大きくなってくる。
ヘリの側面には、「WAD」の文字が描かれていた。
WAD治安維持部隊の武装ヘリであることは、まず間違いなかった。

"何故、そんなものがここに?"

彼女のその疑問に答える様に、タイミング良く校内放送が流れた。

「本校校舎内にテロリストが進入しました。
これよりWAD治安維持部隊による掃討作戦が実施されます。
生徒の皆さんは、至急校庭に避難してください。
繰り返します、本校校舎内に・・・ 」

──テロリスト?
この、清陵学園に?
現実味のない放送内容に、アテナは呆れた。
だが、飛び込んできた目前の景色──破壊された教室の屋根に、思い至る。

"──わたし、のこと?"

その、にわかには信じがたい推論を肯定するかの如く、校内放送は続ける。

「テロリストは本館屋上を爆破、階下へ移動中のものと思われます。
生徒の皆さんは速やかに避難してください!」

"・・・なに、それ?"

悪い冗談だ、と思った。
今まで信じていたもの全てに、いきなり裏切られた気分だった。
つい先ほどまで親しかった友や師が、掌をかえした様に自分を敵だと決めつける──
そんな錯覚に襲われる。
なにより、守ってくれるはずの治安部隊は、今、自分を「掃討」するために上空を舞っていた。

"なんなのよ・・?"

愕然と、現実を受け入れられないまま、アテナは空を見上げ続けていた。
直後。
幾重もの投光器に照らし出される。
ヘリの側面からは、銃を構える隊員達の姿も見える。
その、いくつもの銃口は、明らかにアテナを狙っていた。

"・・・?"

完全に思考が停止したアテナは、無防備に棒立ちとなっている。
直後、彼女に向けられた銃口が、一斉に火を噴いた。


絶え間ない銃撃は、辺りにあるものをことごとく破壊した。
実験室におかれたままのビーカーが砕け、電熱器が弾け飛んだ。
顕微鏡が四散し、骨格標本がバラバラに吹き飛ぶ。
その様を、アテナは呆然と眺めていた。
彼女の視点は低い。
自分が地面に伏せているのだと気づくまで、暫しの時間を要した。

「・・・!」

咄嗟に起きあがろうとした彼女の頭を、ムンズと押さえつける手があった。

「・・・まだ動いたら、アカン。」

「・・・椎くん!?」

いつの間に現れたのか、銃撃に晒される寸前に、拳崇はアテナを庇って物陰に押し倒していた。

「どうして・・・?」

「言うやろ?
俺は、アテナのナイトやって、な?」

ニッと笑い、ウィンクされる。
いつもなら通用しない仕草だが、今度ばかりは勝手が違った。
早まる鼓動に、アテナは狼狽える。
と、不意に銃撃が止んだ。

「・・・まずいな・・・」

空を見上げていた拳崇の呟きに、アテナは彼の視線を追った。
上空に待機しているヘリ群から、武装した隊員達が降下しようとしていた。

「場所変えるで。立てるか?」

拳崇の言葉に、アテナは黙って頷いた。
差し出された彼の手は、彼女には思いのほか暖かかった。


「いたぞ!」

廊下を走るアテナ達の背後で、WAD隊員の声が響いた。

「アカン!」

短く舌打ちすると、拳崇はアテナを抱えて横っ飛びに跳ねた。
ちょうど、開いていた扉に飛び込む格好となる。
直後、先ほどまで2人がいた空間に、ありったけの銃弾が撃ち込まれていた。
2人が飛び込んだ先は、放送室だった。
拳崇はすぐに扉を閉めると、ロックする。

「・・・少しは、保つか・・?」

防音性を高めるため、放送室の壁も扉も、頑丈に作られていた。
多少の時間は稼げると思える。

「椎くん・・・?」

不安げに、拳崇に寄り添うアテナ。

「安心しぃ。アテナは俺が守ったる。
絶対に、な。」

言いながら、拳崇は室内を見回す。
と、廊下側で奇妙な金属音がいくつも響いた。

「伏せぇっ」

アテナが地に押しつけられた直後、轟音と共に廊下側の壁が吹き飛んでいた。

「・・・無茶しよる・・・!」

どうやら部隊は、バズーカ砲まで持ち出したらしかった。
拳崇は毒づきながらも、アテナを抱える様にして隣の放送準備室へと飛び込む。
舞い上がる埃と煙で、視界は殆ど効かなかった。
しかしWAD隊員達の装備品が奏でる金属音が、確実に追いつめられつつあることを知覚させる。
閉じられた金属扉も、気休めでしかないだろう。

「アテナ、君は逃げるんや。」

拳崇は壁面に設置されたダストシュートを開きながら、アテナに囁く。

「こいつを使えば、校舎の外に出られる。
俺が連中の気を引いとる間に、行くんや。」

「駄目、そんなことをしたら椎くんが・・・」

アテナの抗議は、しかし轟音と共にかき消される。

「行け! 行くんや!」

アテナをダストシュートに押し込みながら、拳崇は叫ぶ。

「だって・・・!」

なおも抗議するアテナを、拳崇は無理矢理押し込む。

「・・・無事に逃げおおせたら、そんときはキスの一つでもくれたらええ。」

そういって彼は、微笑んだ。

「椎、くん・・・」

一瞬、気の抜けたアテナを、拳崇は最期の一押しでねじ込んだ。
直後、再び爆音が轟いた。
アテナが最後に見たのは、爆風にかき消されるように見えなくなる、拳崇の姿だった。

「椎くん・・!」

ダストシュートの暗闇を滑り落ちながら、アテナは彼の名を呼び続けた。
いつまでも、いつまでも・・・


「三宮、先生・・・」

校舎外へと放り出されたアテナは、フラフラと中庭へと至っていた。
その直後、幾重もの投光器の光に包まれていた。
周りを取り囲むWAD隊員たち。
その中心で指揮を執っていたのは、信頼する担任教師・三宮だった。

「攻撃、開始。」

三宮の合図で、周囲の銃口が一斉に火を噴く。

「・・・・・・っ!」

永遠とも思われた銃撃が止んだとき、流石にアテナは肩で息をしていた。
咄嗟に"力"をバリアの様に展開したお陰で、彼女は無傷だったが、流石に消耗の色は隠せなかった。
その彼女を、三宮は冷たい視線で見つめていた。
ガチャリと、WAD隊員達が弾薬を補給する音が響き渡る。

「・・・捕獲せよ」

三宮が命令を下した、まさにその時───

「・・・アテナっ・・・!」

アテナを取り囲む輪の中に駆け込んでくる影。
その正体を確認するまでもなく、反応した隊員がいた。

「いかん、よせっ!」

「・・・理香っ」

三宮とアテナが、同時に叫んだ。
銃声と、響き渡る少女の悲鳴。
アテナの視界の中で、ゆっくりと崩れ落ちていく理香の姿───
地に伏したその肢体から、あふれ出る紅い液体。

「何故撃った!?」

隊員を叱責する三宮の声が響く
次の瞬間。

「─────っ!!」

声にならない叫びを挙げ、アテナの"力"が爆発した。


「・・・ここは・・・?」

我にかえったアテナの目に映った物。
どこか、ビルの一室の様だった。
壁沿いにはコンピュータやら何かの計測機器らしきものが犇めいていたが、光を失って久しいと思われる。
部屋の中央には、何か巨大なカプセルの様な物体が配置されており、そのガラスケースにはボンヤリと人の姿が浮かんでいた。

「落ち着け、アテナ。」

彼女は自分自身に言い聞かせ、ゆっくりと息を吐いた。
あの時。
目の前で理香が崩れ落ちた時、タガが外れた様な気がした。
自身の内側から、奔流のように"力"が溢れ出るのが自分でも分かった。
そして、この風景。

「跳んだ・・・の?」

経緯は、合点がいった。
では、どこへ?
自分はどこへ跳んでしまったのか?
もう一度、彼女はゆっくりと深呼吸をした。
そうして改めて、周囲を見渡す。
──その景色には、見覚えがあった。
夢の中の邂逅。
反町と名乗る男から聞かされた、自分が狙われる理由。
あのときの部屋ではないか。

「それにしては・・・」

そう、やけに寂れていた。
廃墟、という形容がふさわしいと思える。
まるで、大昔に廃棄されてしまったかの様に。

「え?」

唐突に、目前の古びたモニターに灯が点った。
アテナは思わず身構え──、思い直した様にかぶりを振った。
見つかった為にモニタが復活したのなら、今更ジタバタしても始まらない。
彼女は既に、腹を括っていた。
だが、モニタに表示されたものは、アテナの覚悟を無に帰した。

『アナタハ、誰?』

無機質に点滅を繰り返すカーソルを見つめたまま、アテナは唖然としていた。

『アナタハ、誰?』

もう一度、同じ言葉がモニタ上に綴られた。
アテナは周囲を見回す。
この言葉を発している主は、どこにいるのか。
どこからか監視カメラで覗いているのだろうか。
だが、部屋を見回してみても、カメラのたぐいは見つからない。

「?」

彼女は部屋の中央、硝子ケースに浮かぶ人影に視線を送る。
ケースの表面は霜に覆れ、ハッキリとは内部を伺うことはできない。
だが、僅かに見えるその人物に、彼女は心当たりがあった。

「高沖・・さん?」

反町と話した夢の中で、研究を行っていたと目される女性。
硝子ケースの中の人物は、その姿にそっくりだった。

『ワタシヲ、知ッテイル?』

アテナの呟きに、モニタが反応を示した。

『──アナタハ、誰?』

「アテナです。麻宮、アテナ。」

再度の問いに、アテナは名を名乗った。
どうやら、硝子ケース内の人物が、このメッセージを送っているらしいことは分かった。
そしてそれが、間違いなく高沖博士であることも。
アテナの答えを聞いて暫く、モニタが沈黙を守っている。

『アナタガ、あてな。』

「わたしを、知っているの?」

ようやく表示されたメッセージに、アテナは食いついた。
そして───、アテナは高沖から、全てを聞き出すことになる。
タンタロスを生み出してしまった事を、高沖は後悔していた。
彼女は増殖・暴走を続けるタンタロスを止めようと画策したが、失敗。
その結果、この様な冷凍状態にされたのだという。

『死ヌコトモ敵ワズ、永遠ニ生キ地獄ヲ味ワエ、ト言ウコトラシイ。』

古代人の亡骸ミイラの解析は、まだ完全に終わったわけではなく。
むしろ、タンタロスの能力を持ってしても、解析仕切れない状態だという。
なにより、自我を持ってしまったタンタロスは、研究よりも自己の保全・拡充に心血を注いでいる。
だからこそ、アテナという部品を欲しているのだという。
そして、アテナは知る。
全ての元凶は、タンタロスであるということを。
タンタロスを倒すより、他に道はないということを。


それは、醜悪としか表現のしようがない物体だった。
無機質な金属製の壁で覆われた空間。
広間とでも言うべき広さを持った空間の中央に、それは座していた。
機械的な構造物に、無造作にからみつく生物的な部品達。
そして、その先端には、人と思しき形をした、モノ。

『無駄ダ』

中央の発光体が明滅し、無機質な言葉を紡いだ。

『君ガ我々に勝テル可能性ハ、0.03%ダ。
大人シク我ガ部品ト成リ給エ』

それこそが、タンタロスが発した言葉だった。

「・・・許さない・・・」

アテナは静かにタンタロスを見返す。

「・・・あなたを、絶対に!」

そしてそれが、合図となった。
無意味と思われたいくつもの壁面の紋様がスライドし、アーム状の部品がせり出してくる。
その先端には、火器と思われる物体が接続されていた。
それらはタンタロスの正面に位置しているアテナへと、照準を定めていた。

『君ノ脳サエ無傷ナラバ、支障ハナイ。』

死刑執行の宣言とも取れる言葉を発した直後、いくつもの重火器が一斉に火を噴いた。
──ボンッ
しかし次の瞬間には、その内の一つが無惨な姿をさらしていた。
瞬間移動して攻撃をかわしたアテナは、"力"を攻撃のために行使していた。
最早彼女に迷いはない。

「──こんなモノっ!」

彼女から迸る光の弾サイコ・ボールが、一つ、また一つと、確実にタンタロスの武器を破壊していく。

『計算修正・・・我々ガ勝利スル確率ハ、99.5%ニ低下。シカシあてな、君ガ敗北スルコトニ変ワリハナイ。』

タンタロスの言葉に、アテナは聞く耳を持たなかった。
タンタロスを破壊する。
それだけを考えていた。

「!」

タンタロスの一斉射撃に、シールドを展開して耐えた彼女だったが、一瞬止まった足をタンタロスは見逃してはくれなかった。
アーム状の機器が一瞬で伸び、彼女を捕らえていた。
そして。

『陽電子砲、すたんばい・・・』

身動きが取れなくなった彼女の正面に、恐らくは言葉通りであろう砲口が、不気味な姿を現す。
その内部に収束するエネルギーは、不気味な光を溢れさせる。

『攻撃ニえねるぎーヲ使イスギタ今ノ君デハ、コノ攻撃ハ防ゲマイ?』

無機質な声が、楽しげに呪いの言葉を紡ぐ。

『君ノぼでぃハ、破壊スル・・・』

「くっ!」

エネルギーが収束する不気味な鳴動に、アテナは足掻く。
しかし、右腕と左足を掴んだアームは、ビクともしない。
"力"で破壊しようにも、両方ともを破壊する時間があるとは思えない。
瞬間移動しようにも、身体を固定された状態では、うまく発動できない。

『君ノ頭蓋ハ、我ガ部品トシテ大切ニシテアゲヨウ・・・』

顔などないタンタロスが、にんまりとイヤらしい笑みを浮かべたように感じられた。

『えねるぎー充電、100%。』

その宣告の直後、光の奔流がアテナを襲った。


耳をつんざく高音と、直後に起こる金属の焼ける匂い。
咄嗟に目を瞑ったアテナは、身体が焼かれる感覚がないことに驚いていた。
おそるおそる瞳を開けた彼女の眼前には。

「──椎くん!?」

両腕をクロスさせ、彼女を庇うように立ちはだかる拳崇の姿があった。
彼の前面には光が円形に広がり、陽電子の光を前方へ広角に反射していた。
それはアテナも使う、シールドと同じ光だった。

「何故・・・!?」

「言うたやろ?」

拳崇のシールドに跳ね返された陽電子の光は、タンタロスの周囲を焼いていた。

「俺はアテナのナイトや、ってな?」

陽電子の光を防ぎきった拳崇は、僅かにアテナを振り返ると笑みを浮かべた。

「あなたは、一体・・・?」

「話は後や」

流石に力を振り絞ったのか、膝をつく拳崇。

「あいつをやるなら、今しかないで!」

見れば、タンタロスは再び陽電子砲へエネルギーを収束させようとしている。
ザワリ、と。
それを見たアテナの黒髪が、心なしか一瞬浮き上がって見えた。
次の瞬間、彼女の中心から出現したいくつもの光の固まりが、彼女をつなぎ止める呪縛を断ち切っていた。
そしてそれらは、はじめはゆっくりと、しかし次第に高速に、彼女の周囲を周回する。

『えねるぎー充電、60%・・・』

タンタロスの無機質な言葉には、何処か焦りが感じられた。
アテナは、その醜悪な中心部を見据えた。
振り上げた右手の先に、彼女を周回していた光が集中する。

「・・・・こんな・・・」

父と母の姿か、彼女の脳裏を過ぎる。
そして微笑む、友人の表情。
理香の笑顔が、痛々しかった。

「こんなものが、あるから・・・っ!」

はかなくも散った想い出達を振り切る様に、彼女は振り上げた右腕をまっすぐにタンタロスへ振り下ろす。
その直後。
彼女の手の先に集結していた光球は、タンタロスへ向けて一気に跳ねた。
それはさながら、光の矢の如く、タンタロスの中枢を貫いていた。


「凄いな、アテナは。」

中枢を射抜かれ、タンタロスは完全に機能を停止していた。
ズルズルと、崩れ落ちるように機械部品が崩れ落ちていく。

「普通はな、一度放出してもうた力を、維持したまま別の形へ組み替えることなんて出来へんねん。」

拳崇は半ば呆れた様に、光の矢クリスタルシュートが穿った坑を見つめながら言葉を続けた。

「力っちゅうもんは、放出した瞬間に制御を離れてまうもんやからな。」

せいぜいが、一定の軌道を周回させるのが関の山、なのだという。
だから、断続的に制御する必要がある場合は、放たずに手元に止め置くのだ、と説明された。

「・・・よっぽど器用なんか、ごっつい力を潜在的に持っとるんか、どっちかやろなぁ。」

拳崇の言葉を聞きながらも、アテナは壁面に縫いつけられたままの、タンタロスの残骸を凝視していた。
タンタロスに生体部品として取り込まれていたと思われる人達。
その姿が、機械部品がはがれ落ちることによって、露出していた。
その内の一人、中央上部に位置する男性と思しき人物の姿に、アテナの視線は釘付けとなっていた。

「反町さん・・・?」

そう。
その姿は、彼女に真実を語ってくれた男と同じだった。
男の表情は、何処か穏やかであった。

"ありがとうよ、お嬢ちゃん・・・"

そんな言葉が、聞こえたような気がした。
そして。

「・・・崩れるかもしれんな・・?」

タンタロスとの戦闘の衝撃は、建物自体にダメージを与えた様だった。
僅かながらも、兆候がある。

「脱出するで?」

しかし、"力"を出し切ったアテナは、その場に座り込んでしまっていた。

「そうしたいんだけど・・・」

拳崇の言葉に、アテナは困惑の表情を浮かべる。

「すまん、時間ないから」

「・・・あっ」

抵抗する間もなく、アテナは拳崇に抱き上げられていた。
直後、天井の構造物の一部が、落下した。

「──急ごう。」

照れるでもなく、簡潔に話す拳崇に、アテナは小さく頷いた。
顔から火が出そうだった。


「立てるか?」

無事に建物を脱出したところで、拳崇は訪ねた。
アテナは、黙って頷く。
そっと、地上に降ろされる。
アテナは、己の疑問を拳崇にぶつける。
貴方は一体何者なの?
何故、そんな力をもっているの?
拳崇は、アテナをまっすぐに見つめたまま、答える。
日本にきた目的は2つ。
ひとつは、古代の力を悪用しようとする馬鹿者共を、正義の名の下に懲らしめるため。
もう一つは、日本に現れるはずの"力"もつ者を保護すること。
彼の師が、その者の出現を予言したのだという。
そして師から使命を託され、留学生として日本にやって来たのだ、と。

「まさか、こんなかわいい女の子やとは思わなんだけどな?」

照れくさそうに、拳崇は続けた。
惚れてしもうたもん、とも、彼は付け加えた。

「無事だったか・・・」

照れくさい雰囲気を打ち消すように、背後から男の声がかかる。

「三宮先生・・・」

振り返った先には、アテナの担任教師でもあり、彼女への攻撃を指揮していた男がいた。
その腕には、親友の亡骸が抱かれていた。

「・・・理香・・・」

三宮は2人の手前まで来ると、静かに理香の亡骸を横たえた。

「──今更、許しを請おうとは思わん。」

無表情なまま、彼はまっすぐにアテナを見つめた。

「ただ、お前なら、まだ救えるかもしれん。
そう思って、連れてきた。」

三宮の言葉に、アテナは思わず拳崇を見上げる。
拳崇は、黙って頷く。

「・・・何も破壊するだけが力とちゃうで?
"力"っちゅうのは、アテナの心が生み出すもんやさかいな。」

どうすればいいのか、彼女にはわからなかった。
ただ、親友の手を胸に抱き、祈る事しかできなかった。

"──お願い、を開けて・・・・!"

アテナの強い願いは、彼女の中心から、柔らかな光を溢れさせる。
それは徐々に広がり、彼女と、彼女の親友を包み込む。
そして───
奇跡は起こった。


「アテナ?」

突然自分を抱きしめた親友に、理香はとまどいの声をあげた。

「・・・よかった・・・」

長い物語から我にかえったアテナは、理香の肩に顔を埋めたまま、囁いた。

「理香が無事で、よかった・・・。」

「・・・思い出したの・・・?」

恐る恐る訪ねる理香に、アテナは小さく頷いた。

「まだ、全部じゃないけど・・・」

理香を抱く手に、力がこもった。

「理香が生きていてくれて、わたしはうれしいの。」

それが、自分の正直な気持ちなのだと、アテナは無言で語りかける。
物言わぬ親友の声に、理香は心の重荷が軽くなっていくような気がしていた。

「・・・・ありがとう・・・、アテナ・・・」


翌日。
国内線の出発ロビーで、アテナは航空チケットを見返していた。

「いくの?」

見送りに来てくれていたフジ子が、アテナの顔を覗き込む。

「はい。」

迷いのない笑顔で、アテナは微笑んだ。
僅かばかりの荷物を詰めた、小さなトランクを手に、立ち上がる。

「いろいろ、お世話になりました。」

理香、フジ子、庵と順番に見つめ、アテナはぺこりと頭を下げた。

「かえって迷惑かけた所もあるけどね。」

フジ子が苦笑いを返す。

「気をつけてね」

「うん。」

理香の言葉に、アテナは頷く。
目的の便の搭乗案内アナウンスを聞きながら、アテナはもう一度、皆の顔を見渡した。

「それじゃ、いつかまた。」

そう言って踵を返す。

「──麻宮、」

それまで無言だった庵が、彼女の背中に声を掛ける。
肩越しに振り返ったアテナに、庵は口元に笑みを浮かべる。

「──次は、負けん。」

「望むところです。」

庵の言葉に、アテナは満面の笑みを浮かべた。


「いっちゃったねぇ。」

空港の展望台で、アテナの乗った便を見送ったフジ子は、背後の庵を振り返る。
ニヤリ、と。

「麻宮、だってさ。」

嫌らしい笑みを浮かべ。

「──珍しいじゃん、あんたが他人を名前で呼ぶなんてさ?」

フジ子の言葉に、庵は無表情のままだった。

「やっぱ、気があったんでしょ?」

しかし庵はそれには答えることなく、踵を返した。

「恐らく、"次"はない。」

「え?」

低い、庵の声に、フジ子は怪訝な表情を浮かべる。

「"種"を克服すれば、恐らくその間の記憶は残るまい。
"種"に負ければ、命はない。」

風に揺れる赤毛を、庵は気怠そうに撫でつける。

「──どちらにせよ、"次"はないということだ。」

思わず、背後を振り返るフジ子。
飛び去った飛行機は、既に見えなくなっていた。

「──いいの?」

再び、庵へと向き直る。

「八神は、それでいいの?」

はちすに成れたかもしれない女性を、こんな形で失っていいのか、と。 言外のフジ子の言葉に、しかし庵は笑った。

「──面倒なオンナは、お前一人で充分だ。」

帰るぞ、と言い捨てて歩き出す庵。
一瞬、呆然とするフジ子だったが、すぐに笑みを浮かべる。

「素直じゃないんだから、もう。」

何処か嬉しそうなフジ子は、庵の腕にかじりつく。
そんな2人の姿を見送りながら、理香はもう一度空を見上げた。

「アテナ・・・、がんばれ。」

アテナの乗った飛行機が残した雲が、西の空へと続いていた。


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ACT.10

ひとこと