アテナ外伝

Act.10 烈火

一面、真っ白な光に包まれていた。
その光は周囲の色を奪い、全てを白い闇に閉ざしていた。
その中で、微かに息づく鼓動。

「・・・理香?」


一心に、願いを込めて祈りを捧げていたアテナは、握りしめた友人の手に、僅かながら暖かみが戻ったことに気づいた。
同時に、一面を覆っていた光は、アテナの中へと収束していく。

「・・う・・ん・・」


横たえられたままの理香から、呻きが漏れる。
息を吹き返した友人の姿が、アテナの視界で涙に曇っていく。

「よかった・・・理香・・・」


タンタロスを滅ぼした後、アテナは三宮から、理香の亡骸を託された。
アテナなら、彼女を救えるのではないか、と。
果たして、アテナの祈りは通じ、理香は息を吹き返した。

「・・・終わった、な?」


一部始終を見守っていた拳崇が、安堵の息を漏らした。
これで、全てが終わったのだと。

しかし────

「三宮先生、理香をお願いします。」


アテナは、友人を三宮に託すと踵を返す。

「アテナ?」


慌てて後を追う拳崇。

「まだ、終わりじゃない・・・」


呟くように答えた彼女の声は、心なしか強張っていた。
そう、まだ彼女には、確かめねばならないことがあったのだ。



雨が降り始めていた。
アスファルトが湿る独特の香りに混じり、焦げ臭い臭いが辺りに満ちていた。
閑静な住宅街。
その中で、ひときわ異様な光景が、アテナの眼前に広がっていた。
バリケードで封鎖されたその奥は、いまだ燻り続けている。
原型を留めぬほどに、廃墟と化した住宅。
それは、彼女の自宅だった。

「そん・・な・・・」


その光景を目にした時、アテナは絶句していた。
タンタロスとの決戦前、山崎から告げられた呪いの言葉。
それが今、現実となって、眼前に突きつけられていた。

だが、それはまだ序の口だった。
呆然と立ちつくす彼女は、周囲の警備にあたっていた警官の目に止まった。
そしてそのまま、最寄りの署へと連れて行かれた。
そこで彼女が目にした物は、最も残酷な結末だった。



警察署の外へと向かうアテナの足は、鉛のように重かった。
足だけではない。
身体全体が、重苦しく感じられた。
真っ黒に炭化し変わり果てた両親の姿。
それを目の当たりにして、彼女が抱いていた淡い期待──もしかしたら、無事かもしれないという──は、絶望に変わった。
署員に付き添われ、外へと案内されている間、彼女の視線は何も捉えてはいなかった。

やがて───

ゆっくりと、正面玄関の扉が開き、彼女は外へと連れ出された。
彼女を案内してきた署員は、一礼すると中へと戻っていく。
外は、雨が降っていた。
それも手伝ってか、彼女の瞳には、全てが灰色に見えていた。

「椎・・・くん・・・」


彼女を待っていたのだろう、傘を差したまま佇んでいた拳崇の姿が、目に留まった。
他に何もない、唯一すがれるモノを見つけたような気がしていた。
重い足を引きずるように、一歩ずつ、彼の元へと足を運ぶ。

「・・・椎くん・・・」


複雑な表情を浮かべ、自分を見つめている拳崇の前に立った時。
アテナの心は、支えを失ったかのように崩れ落ちた。
倒れ込む様に、拳崇の胸へ顔を埋める。
反動で、傘を取り落とす拳崇。
堪えきれず、アテナの頬を涙が伝った。
震える肩を、止める事ができない。

「・・・アテナ・・・」


名を呼ばれ、アテナは堰を切ったように泣き出した。
声を押し殺そうとはするものの、震える肩を止めることは出来ない。

「・・・泣いたらええ。 泣きたいときは、泣いたらええんや。」


アテナの嗚咽をかき消すように、雨は激しさを増していく。

両親を失った。
住む家も無くなった。
彼女には、もう、何も残ってはいなかった。
それは、絶望的な感覚。
この上ない喪失感。
思考は停止し、すべてに背を向けて。

この時の彼女には、拳崇の腕の温もりだけが、唯一縋れるものだった。

「・・・俺のとこ、来るか?」


拳崇の言葉は、アテナにとっては、一条の光。
彼女には、頷く以外の選択肢はなかった。



『まもなく、当機は松本空港へ到着いたします。 着陸に備えて・・・』


目的地への到着を告げる機内アナウンスに、アテナは目を覚ました。

"夢、か・・・"


いつの間に眠ってしまっていたのだろうか。
彼女は何度目かの、過去の記憶への旅に出ていた。
ある意味、最も思い出したくない記憶だといえる、両親の死。
鮮明な記憶は、しかし彼女を不安にもする。

"いずれ貴様は記憶も精神こころも、取り戻すだろう。
―――その時、貴様は貴様でなくなっている。"


庵の言葉が思い出される。
ルガールによって植え付けられた、贄の種子たね
種子たねがアテナの精神こころに馴染むことで、彼女は彼女ではなくなるのだと。
過去の記憶が甦るのは結構だが、自分が自分でなくなっているのだとすれば。
どこか、薄ら寒い。

その為にも。

未だ見ぬ強者もののふと、拳を交えねばならない。
極限まで、精神の力サイコパワーを高めるために。
果たしてそれが、種子たねを打ち破ることへと繋がるのか、保証はないが。

"何もせず、ただ逃げ回るより、いいもの。"


眼下に迫った山並みを窓越しに眺めながら、アテナは決意を新たにしていた。
なんとしても、すべて元通りの自分に戻って、帰るのだ。
彼女の帰りを待っているはずの、拳崇の元へ。



「?」


到着ロビーに降り立ったアテナは、目的の強者全米チャンプの動向を確認するため、ノートPCを起動していた。
途端に、メールの到着を知らせるメッセージが表示されたのだ。

"芸能プロダクション?"


先日のHardRockCafeでのライブを見に来ていたという、くだんのスカウトマンからのメールらしい。
アテナの歌声・容姿に惚れ込んだとのことで、ともかく一度、話を聞いて欲しいとの内容だった。
どうやら、理香からアテナのアドレスを聞き出した様だ。

"なんだかなぁ"


彼女は半ば呆れた。
しかしそのメールを破棄することはしなかった。
"記憶のバックアップ"が目的で持ち歩いているPCだ。
些細なことも、残しておくこととしたのだ。

結果的に、このメールを残したことで、彼女は後にこのスカウトマンと会う事になる。
その結果アイドルとしてデビューすることになるのだが、それはまた別のお話だ。

目的の相手の所在を、件のサイトで確認すると、アテナは手早く荷物をまとめた。



ともすれば秋の気配を感じさせることもあるが、残暑はまだまだ厳しい。
アテナは額の汗を拭いつつ、山道を登っていた。

小高い山の頂きに、朱雀と呼ばれる古城跡があるらしい。
その、朱雀城へと続く中腹に、その男はキャンプを張っているらしかった。

全米チャンプの実力が、どれ程のものかは分からない。
裏世界での戦いが多かったアテナにとって、物足りない相手でなければ良いが。

彼女のそんな微かな不安は、しかし当の本人を目の当たりにしたとき、杞憂に終わった。

「あなたが・・・ケン・・?」


山の中腹にある、質素な山小屋。
その周囲の木々は切り倒され、ちょっとした空間を形成している。
そこにはいくつもの木偶人形ダミーが配されていた。
どれも一様に、ピンポイントで損傷が激しい。
それは、重く、かつ正確な攻撃を意味している。

それら木偶人形ダミーの中心に立つ男は、アテナの言葉に闘気で応えた。
深紅に染まった胴着。
その、背中越しに発せられる圧力プレッシャーに、アテナの額に冷たい汗が浮かぶ。

「・・・何の用だ?
 その様子じゃ、サインが欲しい訳じゃなさそうだな?」


正拳突きの一撃で木偶人形ダミーを破壊、返す踵でもう一体。
流れるような動きで、一気に15体を破壊すると、ケンと呼ばれた男はアテナに向き直った。

女子供と、相手を見くびらないあたり、この男の実力が伺える。

「・・・言っておくが、女だろうと手加減しねぇぜ?」


アテナの返事を待たずして、拳は彼女の意図を理解していた。
静かな佇まいではいるが、全身に闘志が漲っているのが分かる。

アテナは返事の代わりに、戦闘用衣装へとチェンジした。
静かに、構えを取る。

「・・・アイツが戻る迄には、まだ間がある。
 いい加減、退屈していたんでな、丁度いいぜ?」


それは、了承の意を表す。

「───麻宮アテナ、行きます。」


名乗りを兼ねて、アテナは戦闘開始の合図をおくった。
そしてその意図は拳に、正確に伝わったようだった。



変幻自在、まさに言葉通りの攻撃だった。
拳の足技は、どこから飛んでくるのか予想もできないほど、変化に富んでいた。
回し蹴りかと見えた攻撃を、受け流そうと構えるアテナ。
しかしその軌道は大きく上空へと流れ、そのまま踵落としへと変化する。

「破っ」


その攻撃が振り下ろされる前にと、アテナは一気に距離を詰める。
しかし必殺の頂肘は、稲妻の如き踵落としに潰される。

"早い・・・!"


恐ろしく正確で、且つ素早い攻撃は、確実に急所を狙ってくる。
紙一重のところで躱しきったものの、アテナは溜まらず距離を取る。

「波動拳!」

「っ、サイコボール!」


間髪入れず、拳は闘気の塊をぶつけてきた。
サイコボールで応戦するものの、僅かに遅れた。

「くっ」


アテナの眼前で、両者のエネルギーが炸裂し、飛散する。
その煽りを喰った形のアテナは、溜まらず後退する。
だがその動きは、拳に読まれていた。

「竜巻旋風脚!」


波動拳の軌跡を追っていたのだろう、後退するアテナに追い打ちをかけるように、拳は高速かつ連続で旋風脚を放つ。
その勢いは、まさに烈火の如し。

「・・!!」


全力防御でこれに耐えるアテナ。

"なんだ・・・?"


一方的に攻め込みつつも、拳は嫌な空気を感じていた。

"なんだ、この手応えのなさは・・・?"


防御されているとはいえ、接触ヒットしているにしては手応えがなさ過ぎる。
まるで、何かに衝撃を吸収されているかのような・・・?
果たして、その拳の感覚は正しい。
サイコパワーを振り絞っての全力防御に徹するアテナは、いわばバリアを展開しているようなものだ。
肉体的な力に劣る彼女は、その強大なサイコパワーでこれを補っているのだ。
実際に彼女へと到達しているダメージは、かなり軽減されていた。

無論、完全に攻撃を無力化できている訳ではない。
徐々にではあるが、そのダメージは彼女の身体に蓄積されていく。
防戦一方の展開で、長期戦はアテナには不利だ。

「サイコソード!」


竜巻旋風脚の着地を狙い、アテナは反撃を挑む。
最速の反撃手段として、最適な技を選択した彼女だったが、竜巻旋風脚の勢いは、僅かばかり彼女の反応を鈍らせていた。
その結果。

「昇龍拳!」


一撃必殺の技を、カウンターに合わせられる。

「ぁ・・・ぐっ」


アテナにとっては絶対的なカウンター技であるサイコソードが、ねじ伏せるかの如く、一方的に打ち破られた。
強烈な一撃をまともに喰らい、アテナは呻いた。
そのまま吹き飛ばされ、地を滑る。

"──まただ!?"


しかし拳は、先と同じ妙な手応えに身構える。

"なんだ、こいつは?"


フラフラと、それでも瞳に宿る闘志は衰えを見せぬまま、立ち上がったアテナに、しかし拳は口角を僅かに釣り上げる。

「・・・おもしれぇ・・・」


どんな屈強な男が立ちはだかろうと、昇龍拳で打ち砕いてきた。
どんな相手でも、昇龍拳を破られぬ限り、負けはしない。
それが拳の自信であり、誇りでもあった。

「──いくらでも掛かってこいっ」


今度の相手は、年端もゆかぬ少女だ。
とても、屈強な敵には見えない。
だがその少女は、ことごとく自分の攻撃を奇妙な技で受け流し、しのいでいる。
昇龍拳必殺の一撃を受けてなお立ち上がる彼女に、拳は不敵な笑みを浮かべた。

「叩き潰してやるぜ!」


それは、真の強者ツワモノと出会えた事への歓喜なのかもしれなかった。


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ACT.11

ひとこと