薄暗い、路地裏。
陽は既に、西の空に半ば以上その姿を隠し、辺りは闇に包まれつつあった。
店から響く低音が、いつの間にか鳴り止んでいる。
アテナは、ふらつく頭を気力でねじ伏せながら、眼前の男を見据える。
「どうした? 親の仇の顔も忘れたか?」
"!"
男の言葉に、アテナは断片的な自らの記憶を辿る。
すぐには思い出せない、しかし確かに、自分は目の前の男に会ったことがある―――
アテナの思考を見透かすかの様に、男は皮肉気な笑みを口元にたたえ、アテナを見下すように顎をあげる。
その仕草には、見覚えがあった。
そして浮かび上がる炎のイメージ。
"いい加減にして!"
かつての自分の叫び。
懐かしい清嶺学園、その屋上で。
あの時もこの男は、こんな風に自分を嘲るように見ていたのではなかったか?
"お前さんの家は、どっち方面にあったっけな?"
楽しげに、呪いの言葉を吐いて。
男の背後で立ち上る爆炎。
それが、両親の死の宣告―――。
「・・・ヤマザキ・・・!」
その言葉に、男――山崎竜二は、右手はポケットに突っ込んだままで左手をだらりと下げる、独特の構えを取った。
「思い出してもらえたようだな? うれしいぜぇ?」
山崎が放つ殺気に、アテナもまた構えを取る。
「・・・どれほど出来るようになったか・・・確かめさせてもらうぜ?」
言うや、ヤマザキの左肩が、僅かに揺れる。
「!」
直後、アテナの頬を何かが掠め、彼女の黒髪が数本、宙に舞った。
決して腕の届く間合いではない。
しかし、男の拳は、確実にアテナに襲いかかっていた。
かわしきったつもりのアテナだったが、アルコールが抜けきらない躰では、思ったように動いてくれない。
「そらよっ」
2撃、3撃と山崎の左腕が唸る。
「くっ」
反応が鈍い身体を叱咤しながら、アテナはなんとか反撃する機会を伺う。
しかし防御に徹する彼女に、確実にダメージが蓄積されていく。
修行期間の短い彼女は、肉体的な脆さを持っていた。
それ故、防御の際にはサイコパワーを振り絞ることとなる。
一種のシールドを展開するわけだ。
たが、それは同時に、サイコパワーを消耗することを意味する。
防戦一方の展開では、長期戦は圧倒的に不利だった。
「どうした? かかってこいよ?」
そんなアテナを小馬鹿にするように、山崎は無防備な姿をさらしてみせる。
「・・・サイコボール!」
闇を照らすように、アテナから放たれた光球は寸分違わず山崎へと迫る。
「けっ」
しかし山崎は左腕を振り上げると、サイコエネルギーの固まりを受け止める。
「――返すぜ!」
振り上げた腕を、そのままアテナに向けて振るう。
「きゃ!」
まるで投げ返されたかの如く、サイコエネルギーの固まりがアテナを直撃した。
咄嗟に防御姿勢をとったものの間に合わず、防ぎきれずにアテナは吹き飛ばされる。
「気配に気付いて、お友達を逃がした所までは褒めてやるが、な?」
つまらなそうに頭を振りながら、肩を竦める山崎。
「なんだ、そのザマは?」
ふらつきながらも立ち上がるアテナに、吐き捨てる。
「あの時のお前ぇの力は、こんなもんじゃ無かっただろうがよ?」
失望した、そう言わんばかりに。
無言で構えなおすアテナに、次の瞬間、山崎は一気に飛びかかった。
「きゃーーーっ」
彼女の胸ぐらを掴むや、引き倒し、引きずるように突進する。
まるで彼女の身体を使って雑巾掛けでもするかのように。
「ひゃっはーーーっ!」
奇声をあげ、投げ捨てるようにアテナを放り出す。
「あ、ぐ・・・」
宙を舞い、ドサリと地に打ち付けられたアテナが呻く。
サイコパワーを振り絞って防御したお陰で外傷こそなかったが、物理的なダメージを防ぎきれたわけではない。
必殺の一撃をまともにくらった彼女は、既に立ち上がることもままならなかった。
もともと、身体を使って闘うための修行は、充分とはいえない彼女だ。
タフネスさなど、期待できるはずがない。
サイコパワーを使い果たし、すでに力つきたも同然の彼女に、それでも山崎は容赦しない。
胸ぐらを掴むと、無理矢理彼女を引き起こす。
「う・・・」
呻くものの、なんの感情も浮かんでいないアテナの瞳に、山崎は苛立ちを覚えていた。
「つまんねぇヤローだぜ・・・」
蔑むような眼差しにも、彼女の心は反応しない。
実際、アテナには悔しいとか恐怖だとかいった、感情の高まりは殆どなかった。
ルガールによって穿たれた精神の呪縛は、こんな状況に陥ってさえ彼女に冷静さをもたらしていた。
だが、それはこの場合、決して良い結果を招いてくれるわけではない。
――と、何かに気付いた山崎は、声をあげて笑った。
「・・・野郎じゃねぇか? ガキとは言え、お前ぇも一応"女"だったな?」
下卑た笑い。
追い込まれ絶体絶命であるにも関わらず、恐怖した様子もないアテナに、山崎はその理由を知りつつもサディスティックな感情を溢れさせていく。
人形のようなその様が、彼の脳裏に、思い出したくもない光景を呼び起こしてしまう。
もっとも敬愛していた男の、無気力な瞳。
破壊された瓦礫に紛れた、無惨な姿―――。
気に入らない。
そんなものは、ぶち壊してやるに限る。
なにより。
追いつめられた獲物特有の、あの怯えた瞳が見てみたい。
泣き叫び、許しを乞う姿が見たかった。
「・・・親を殺した詫びだ。 お前ぇに"女の悦び"ってヤツを教えてやる。」
ドサリと、地に転がされるアテナ。
「それが済んだら、・・・いっぺん死んでこいや?」
そう言って、山崎はニヤリと笑った。
☆
"You got a mail !"
モニタに表示されたメッセージに、拳崇は意外そうな表情を浮かべた。
「俺にメールやて・・・珍しいな?」
自室でPCに向かっていた拳崇は、ここ1年ほど受け取ったことがなかったメールの到着に首を傾げる。
「R.Kasiwazaki・・・」
差出人の名前に、記憶を辿る。
「かしわざき・・・?」
と、不意にボブカットの快活そうな少女の姿が思い浮かぶ。
いつの間にか忘れていた、記憶。
「・・・柏崎か!」
去年、彼が日本に留学していた頃に知り合った、アテナの幼なじみの少女。
留学中に一度だけメールを送ったことがあったが、彼女はその時の拳崇のアドレスを残していたらしい。
アテナにPCを持たせたからと、用件だけの短い文面。
柏崎理香からのメールは、アテナのメールアドレスを知らせるものだった。
「・・・相変わらず、みたいやな?」
ギシリと音をさせて、椅子の背にもたれ掛かる。
自然と笑みが浮かんだ。
気楽だった留学当初を思い返す。
――が、アテナを誘おうと苦労して手に入れたチケットを、彼女にあっさり奪われたことを思い出す。
そもそも、その文句をつづったメールが、唯一拳崇が彼女に送ったものだった。
そして―――連鎖的に甦る、アテナにとっては辛いはずの記憶。
「アテナ・・・、柏崎に会いに行ったんか・・・」
複雑な表情が、浮かぶ。
アテナには彼女に会うことで、或いは記憶を取り戻すきっかけにしようという意図があるのかもしれない。
が、拳崇の表情は晴れない。
「・・・忘れたままの方がええ記憶だって、あるやろうに・・・」
アテナを想い、拳崇は静かに瞳を閉じる。
雨にうたれながら、自分の腕の中で泣きじゃくるアテナの姿。
甦ってくる、"あの日"の記憶。
やはり、彼女を放ってはおけない。
例え彼女がそれを望まなくとも。
「俺は、アテナのナイトやから、な。」
久しぶりに口にした台詞に、拳崇は一人、苦笑した。
同時に、再びあの日のアテナの姿が脳裏を過ぎる。
"ありがとう・・・、わたしのナイトさん・・・。"
微笑とともに発せられた、いつかのアテナの呟き。
頬にふれた柔らかな感触が甦り、思わず、にやける。
「・・・アテナ、もう覚えてへんのやろなぁ・・・」
―――と。
「御免。」
遠く玄関から、耳慣れない声が届く。
どうやら来客らしい。
こんな夜更けに?
首を傾げながらも、甘い想い出はひとまず忘れ、拳崇は玄関へと走った。
☆
「粗茶やけど。」
客間に通された男は、拳崇が差し出した茶に、軽く会釈して礼を言った。
卓を挟んで幻斎と向かい合う男は、拳崇にはどこか奇妙に思えた。
大柄な体躯が椅子からはみ出した姿も確かに滑稽ではあったが、何よりその男が纏っている雰囲気のようなものが、何故か引っかかっていた。
紅い、まるで軍服の様な衣装に身をつつんでいることも、手伝ってはいる。
「拳崇、外しておれ。」
茶をすすりながら、幻斎は拳崇に退室するように命じた。
渋々、といった風で、部屋を出る拳崇。
「・・・・お久しぶり、ですな?」
拳崇が出ていったのを見計らって、男が口を開いた。
「まさか、お主が訪ねて来ようとは、の?」
頭を振りながら、幻斎は呻く様に答える。
「我らが師をその手にかけたお主が・・・今更、儂に何の用がある?」
ニヤリ、と。
男は口元に、お世辞にも良い印象を与えるとは言い難い、不遜な笑みを浮かべる。
「師兄に会いたくなった・・・・などと、信じはしませんな?」
無言で肯定する幻斎に、男は肩を揺らす。
「最早、ご自分の意志で振るうことも叶わなくなるほど、衰えましたかな? 師兄の"先見の力"は。」
「ふん、大きなお世話じゃわい。」
男の皮肉に、幻斎はむくれた。
茶を一口すすると、男は言葉を続ける。
「なに、師兄が育てているという愛弟子とやらを、拝んでみたくなりましてな。」
「貴様・・・何を企んでおる?」
男の台詞に、幻斎は険のある表情を浮かべる。
「さぞや、強力なサイコパワーを身につけているのだろうと、期待しておったのですが、ね。」
「自惚れるでない。・・・お主にアレの潜在能力を、御せると思うてか?」
幻斎の言葉を、男は一笑に付した。
「バカにしないでいただきたいですな? このベガの力、知らぬ訳ではありますまい?」
「ベガ?・・・それが今のお主の名か。」
「左様。」
幻斎の言葉に、男はゆらりと立ち上がった。
口元をニヤリと歪め、言い放つ。
「・・・シャドルーのベガ。 それが今の私だ。」
☆
「・・・お前ぇに"女の悦び"ってヤツを教えてやる。」
薄暗い路地裏。
既に西の空に落ちた陽は届かず、闇に包まれた地面の上に、アテナは転がされた。
微かに浮かぶ、嫌悪の表情。
そのアテナの反応に、山崎は満足げな笑みを浮かべる。
あくまでも、皮肉気に。
「それが済んだら・・・いっぺん死んでこいや?」
「――貴様が、な。」
直後、山崎は炎に包まれた。
「ぐぉ・・・!?」
咄嗟に地を転がり、炎を消す。
「なんだ、手前ぇは!?」
必然的に這いつくばる格好になった山崎は、声の主に吠えた。
いつの間にか背後に立っていたと思しき人影は、月明かりを背に、細身だが長身のシルエットを浮かび上がらせていた。
そして、肩の高さまで上げた右の掌に宿る、紫色の炎。
「・・・死ね。」
静かに言葉を発した直後、その影はかき消えた―――様に、山崎には見えた。
「!」
咄嗟に立ち上がったものの、気付いたときには背後に回り込まれていた。
ズン!
不気味な感触と、数瞬遅れて、鈍い痛み。
「ぐ・・・がっ」
背中から手刀を叩き込まれていた。
飛び散る血しぶき。
よろめいた山崎を、影は容赦なく切り刻む。
手刀の一撃が決まる度に、山崎の身体から血しぶきがあがる。
永遠に続くかと思われた攻撃は、しかし不意に、止まった。
同時に、頭を掴まれる。
「!」
直後、紫色の爆炎が山崎を包んだ。
「げっつ・・・!」
悲鳴にもならない叫びをあげ、山崎は吹き飛ばされるように路地裏に転がった。
ジャリ。
砂を踏む靴音に、山崎は相手を見上げる。
月を背に、シルエットのまま自分を見下す相手。
その構図は、屈辱以外のなにものでもない。
「・・・その痛み、月を見る度、思い出すがいい。」
冷たい声音でそう宣告すると、掌の紫炎を叩き付けた。
「ぎゃぉぉぉ・・・っ」
苦悶の声をあげたまま、山崎は転がっていき―――、路地裏に消えた。
朦朧とする意識で、アテナはその様子を見上げていた。
紫炎を操る人物の、背に刻まれた月輪らしき紋様。
見覚えが、あった。
「う・・・」
立ち上がろうともがくが、ダメージは思いの外、深い。
「無理はするな。」
振り返った赤毛の青年は、抑揚のない声でそう言った。
アテナの側に屈んだ表情は冷たかったが、その瞳にはどこか暖かな光をたたえていた。
「あ・・・」
微かな、浮遊感。
抱き上げられたのだと気付くまで、しばらくかかった。
「・・・アテナ。」
理香の声に、アテナは店の裏口に立つ親友の姿を発見する。
彼女は、恐らくは青年から預けられたのだろう、ギターケースを抱いたまま、心配そうな瞳でアテナを見つめていた。
その姿に、アテナは胸の奥底で痛みが走ったような気がした。
"・・・なに?"
朧気な、記憶。
一瞬、驚愕の表情で自分を見つめる理香の姿が浮かぶ。
拒絶の色をたたえた瞳。
"なに、これ?"
しかし、それは一瞬のことだった。
そして。
彼女の意識は、そのまま深い闇へと落ちていった。
☆
深い、闇。
光も音も感じられない空間。
けれども、何処か安らいだ想いで、アテナはその身を横たえていた。
"・・・テナ"
微かに、懐かしい声が響く。
軽く、揺すられる感覚。
「アテナ?」
ハッキリと、自分の名を呼ぶ声が聞こえる。
この声は、良く知っている声。
アテナは急速に覚醒する。
「・・・なぁに、お母さん・・・?」
眠い目を擦りながら、身体を起こす。
自宅。
自分の部屋。
心安らぐ、空間。
低血圧な彼女は、朝が苦手だった。
身体を起こしたものの、活動開始までは、まだ程遠い状態だ。
娘の様子に、母は呆れた様に肩を竦める。
「もうすぐ8時よ? 起きなくていいの?」
「え゛?」
母の言葉に、アテナは思わず時計を見つめる。
――AM 7:47
いつもなら、地下鉄のホームで電車を待っている時間だ。
「うそっ」
流石のアテナも、スイッチが入ったかのように飛び起きた。
「なんでもっと早く起こしてくれないの?」
慌てて着替えながら、恨み言をこぼす。
「何度も起こしたわよぉ? あなたが起きなかっただけでしょ?」
母はそれでも笑みを絶やさず、娘の着替えを手伝ってやる。
「お父さんは?」
「もう、とっくに、よ。」
似たような時間に出勤する父を気にかけたアテナだったが、さっさと出勤したとのこと。
娘をして「万年新婚夫婦」と称される両親だ。
どうせ、出勤前のご挨拶だとかいって、いちゃついているうちに自分のことを忘れていたに違いない。
セーラー服に袖を通しながら、アテナは恨みがましい瞳を母に向けていた。
「ほら、急いだ急いだ。」
そんな娘の視線を受け流し、母は鞄を手渡した。
☆
結局その日は、普段より3本遅い電車に乗ることになった。
駅から学校まで、アテナは走りっぱなしだった。
ようやく教室に入り、自分の席に落ち着いたのは、始業ベルが鳴り終わる寸前だった。
「疲れた・・・」
思わず、机に突っ伏してしまう。
珍しく、理香が声をかけてこないことを不思議に思いながらも、アテナは心地よい微睡みへと落ち込んでいった。
「・・・ょうは、転入生を紹介する。」
いつの間に入ってきたのか、教師の声にアテナは再び意識を取り戻す。
寝ぼけ眼で顔を上げれば、教壇の隣でかしこまっている、見慣れない男子生徒の姿があった。
"あ・・・、ちょっといい感じかも。"
やや、あどけなさの残る男子生徒の端正な顔立ちに、アテナは少し、頬がゆるむ。
「――椎拳崇です。 よろしゅう頼んます。」
半年間の留学だと、教師が補足する。
"何故、関西弁・・・?"
思わず、机に突っ伏すアテナ。
先程までの好印象は何処へやら、ガラガラと彼に対するイメージは崩れ去っていった。
そんなことを考えていると。
「あ〜、麻宮?」
「はい?」
いきなり教師に名を呼ばれ、アテナは反射的に立ち上がっていた。
「お疲れの所申し訳ないが――、君のクラスは隣だ。」
「・・・は?」
言われて教室内を見回してみれば。
見慣れない顔ぶれからの視線が、自分に集中していた。
入る教室を間違えた・・・・らしい。
「・・・あれ?」
直後、ドッと爆笑の渦。
そして―――彼女の意識は、再び闇へと落ちた。
そうだ。
これは、初めて拳崇と出会った日の記憶。
わたしは、拳崇を知っていた。
彼を、ちゃんと知っている・・・
「アテナ!」
自分の名を呼ぶ理香の声に、アテナは現実の世界へと舞い戻る。
うっすらと瞳を開ければ、心配そうに覗き込んでいる理香の顔があった。
「理香・・・。」
理香の隣には、申し訳なさそうにしているフジ子の姿もあった。
恐らくは、アルコールを飲ませたことを気にしているのだろう。
「・・あ」
視界の隅に、墓場で出会った赤毛の青年の姿を認めたアテナは、慌てて身体を起こす。
「まだ、無理しない方がいいって。」
慌てて理香が支えてくれる。
見慣れない部屋だった。
どうやらHardRockCafeの奥、従業員用の休憩室らしかった。
長椅子に座布団を敷いて、そこに寝かされていた。
件の青年は、部屋の隅で壁にもたれ腕組みをしたままアテナを見ていたが、彼女の無事を確認したところで、部屋を出ていってしまった。
慌てて、後を追おうと立ち上がるアテナ。
「まだ、無理だよ。」
ふらつく彼女を支えながら、理香が諭すが、アテナは頭を振る。
「・・・大丈夫だから。」
心配する理香をよそに、アテナは彼の後を追った。
☆
誰もいなくなった店内。
明かりの消えたステージに、彼は居た。
椅子に腰掛け、ギターをつま弾いている。
先程のステージで演奏されていた曲だと、アテナは気付いた。
ただ、先程とは異なり、バラード調のアレンジバージョンらしかった。
甘く切ないイメージを抱かせるメロディー。
アテナはステージの袖で、黙ってその旋律を聴いていた。
やがて。
「――なんだ?」
最後の旋律を弾き終え、彼は振り返りもせずアテナに問うた。
「・・・初めて会ったとき」
アテナはゆっくりと彼へと歩み寄る。
「あなたはわたしを見て、"はちす"と言いました。」
微かに、彼に反応が現れた。
「あれは・・・どういう意味なんですか?」
ゆっくりと、彼はアテナを振り返る。
「貴様には――」
「アテナです。 ―――麻宮アテナ。」
「・・・・貴様には、関係ない。」
名乗っても、結局「貴様」呼ばわりされてしまったことに、アテナは内心苦笑した。
そこで、会話は途切れる。
「あの・・・」
「なんだ?」
冷たい声音に、気圧されるアテナ。
「名前・・・教えて下さい。」
その言葉に、彼は黙って立ち上がった。
ギターを立てかけると、ステージを降りていこうとする。
「あの・・」
「――庵。」
アテナの脇を通り抜ける際に、彼はボソリと言った。
「八神、庵だ。」
「あ・・」
そのまま立ち去ろうとする、庵と名乗った青年の背に、アテナは慌てて声をかける。
「さっきは、ありがとうございました、庵さん。」
「・・・・・。」
振り返りもせずに立ち去る庵に、アテナはそれ以上、言葉をかけることが出来なかった。
絶対的な拒絶。
山崎から助けてくれたときに見せていた優しい瞳は、最早何処にもなかった。
☆
ガンッ。
路地裏につまれたドラム缶が、乾いた音を立てる。
忌々しげに、2度3度と蹴りつける山崎。
「・・・くそったれっ」
無性に腹立たしかった。
無様に負けたから・・・・ではないことを、彼自身、自覚していた。
アテナに気を取られ、不覚を取った。
そのこと自体は、ある意味自業自得だ。
仕方がない。
そう思える程度には、山崎は大人だった。
では、なにが面白くないのか?
「この俺が・・・っ」
そう、不覚を取るほどに、あの小娘に気を取られていた。
その事実が、どうにも気に入らなかった。
あんな、年端もいかないガキに。
何故?
「・・・まさか、本気で抱きたかったのか? あのガキを?」
ふと浮かんだ考えに、山崎は思わず吹き出していた。
馬鹿馬鹿しい。
だが。
自分でも不思議なくらい、あの少女に拘っている。
そう。
あの頃から。
彼女に憎まれたいと欲している。
まるで焦がれるかのように、彼女に殺されることを望んでいる・・・。
ガンっ
再び、蹴りが入る。
ボマードで固められた髪を、ぐしゃぐしゃと掻きむしる。
「俺もヤキがまわったもんだぜ・・・」