午後の日差しが、穏やかに差し込む。
清嶺学園高校にほど近い、とある喫茶店。
――カラン
空になったグラスの底で、溶けた氷が涼しげな音をたてる。
彼女は手にしたストローを玩びながら、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
土曜日の午後は、学校を終えた生徒達の姿が、ひっきりなしに窓辺を通過する。
黒のミニスカートに、特徴的な幅広の白いセーラー――清嶺学園の制服に身を包んだ女生徒達の一団を、どこか懐かしげに眺めている。
―――カランコロン
店の入り口が開いた。
直後。
「―――アテナ!」
同じく清嶺学園の制服に身を包んだ女生徒が、彼女の名を呼んでいた。
女生徒を振り返った彼女――麻宮アテナは、軽く手を振って応えた。
ボブカットの活発そうな少女は、アテナの元へ真っ直ぐにやって来る。
「ひさしぶりーっ」
おもむろにアテナの両手をとると、はしゃぐように跳ねた。
「相変わらずね、・・・理香。」
理香と呼ばれた少女は、薄っぺらい学生鞄を空いている椅子に放り出すと、アテナの向かいに腰を降ろした。
「・・・なんだかなぁ。アテナは随分、落ち着いちゃったじゃない?」
悪戯っぽい笑みを浮かべたまま、彼女はアテナを覗き込むようにして言葉を続けた。
「やっぱり男とデキちゃうと、女は変わるってことかね?」
「なぁに、それ?」
アテナも微かに笑みを浮かべ、旧友の言葉に応戦する。
彼女の名前は、柏崎理香。
小学校以来の、アテナの親友だった。
アテナの言葉に、理香は嫌らしい笑みを浮かべる。
「ほぅ? 1年前、椎くんを追っかけて中国へ行っちゃった女が、そんなことを言う?」
「椎・・・くん・・・?」
「・・・へ?」
きょとんとしたアテナに、流石に理香は違和感を覚えた。
☆
「なるほどねぇ〜・・・」
空になったグラスを玩びながら、理香は何度も頷いた。
アテナは自分の近況を、彼女にかいつまんで話して聞かせた。
中国で修行をしていたこと。
キングオブファイターズに出場したこと。
そして――記憶と精神を、なくしつつあること。
「それで椎くんとの馴れ初めも、忘れちゃったんだ?」
理香の言い回しに引っかかりを覚えつつも、アテナはコクリと頷いた。
「・・・記憶があるうちに、理香には会っておきたかったの。」
アテナの言葉に、理香はくすぐったそうに笑った。
「止めてよ、死んじゃうみたいな言い方。」
「――ごめん。」
「ま、いいけどさ。」
くわえていたストローを、グラスに落とす。
「でも、椎くんかわいそう。 身も心も捧げてくれた愛する女が、自分のことを欠片も覚えてないってんだから・・・」
流石に、アテナの顔が紅く染まった。
心の動きが鈍くなっているといっても、停止しているわけではない。
恥ずかしい物は恥ずかしいのだ。
「・・・彼とわたしって、やっぱりそういう関係だったの?」
恐る恐る、といったアテナの台詞に、理香は難しい表情を浮かべた。
「あたしにそれを言わせるかぁ?」
苦笑いとも、にやけとも、どちらとも取れる笑み。
「ま、いいわ。 教えたげるよ、あんた達の関係。」
にんまりと目尻が下がった理香の表情に、アテナは一抹の不安を覚えたものの―――
彼女に選択の余地はなく、黙って頷くしかなかった。
☆
理香の話を総合すると。
1年前、アテナがまだ清嶺学園に通っていた頃、中国から留学してきたのが椎拳崇。
彼はアテナに一目惚れしたらしく、彼女に猛アタックを続けた。
――が、その時のアテナは、これっぽっちも気のある素振りは見せなかったという。
ところが半年後、拳崇の帰国の際に、急にアテナは彼と一緒に中国へ渡ってしまった。
さながら、彼を追っていくが如く。
「―――てっきり今日は、2人の子供に会わせてもらえるのかと思ってたんだけどなぁ。」
悪戯っぽくそういう理香に、アテナはどんな反応を返せばいいのか分からず、ただただ頬を染めるだけだ。
たぶんに、話に尾鰭・背鰭がついていそうなのだが、覚えていない以上、事実として受け入れるしかなかった。
「でも、アテナがあんなに情熱的だとは、さすがのあたしでも知らなかったさ。」
信じる信じないはともかく、店内には他にも客はいるのだ。
大声で話す理香の声は、筒抜けの筈だ。
事実、アテナ達のひとつ奥のボックス席に座る女性の耳が、ダンボと化している。
「――もう。恥ずかしいよ。」
「けけけ。」
嫌らしく笑う親友に、アテナは非難の表情を向けた。
「いや、でもマジな話。女っぽくなったよ、アテナ。」
「――その話はもういいってば。」
恋をすると女って変わるものなのね、としつこく言う理香に、アテナは流石に呆れてしまう。
親友の冷たい視線に、理香は咳払いをひとつ。
「・・・でもさ、これからどうするの?」
ようやく理香も、真面目に話す気になってくれたようだ。
「そうね・・・。やっぱり、世界中を飛び回ることになると思う。」
「・・・だったらさ。」
耳を貸せ、といわんばかりに。
☆
アテナ達が居なくなった喫茶店で、先程、耳をダンボにしていた女性が、忙しげにキーボードに指を走らせていた。
彼女の前には、A5サイズのノートPC。
モニターに上のブラウザーには、なにやら怪しげなサイトのアドレスが打ち込まれていた。
"間違いないの?"
「ええ。」
何処からともなく問いかけられた声に、彼女はモニターを見つめたまま答えた。
端から見れば、怪しい奴である。
PCのモニターを見つめながら、ぶつぶつ独り言を言っているようにしか見えないのだから。
しかし件の女性は、周囲の視線など意に介さず、呼び出した画像に視線を集中させていた。
そこに映し出されていたのは―――
「麻宮アテナ。 見つけましたよ。」
キングオブファイターズ出場時の、アテナのバストアップ写真であった。
よく見れば、アングラ系の情報サイトの様である。
その画像を見つめたまま、女性は豊かな長い赤毛を撫で付けた。
"やるの?"
「of course.」
再び何処からともなく響いた声に、彼女は力強く応える。
言うが早いか、彼女は大きなボストンバックを抱えて、店のお手洗いへと駆け込んだ。
―――約30分後。
派手な衣装に着替えた彼女は、いきおい店を飛び出すと、アテナ達の後を追うように駆け出していた。
「――お客さん、10円足りないよ〜〜〜っ!」
背後で叫ぶ店員の声を、聞かなかったことにしながら。
☆
30分ばかり電車に揺られた後、アテナと理香は、電器専門店街に降り立っていた。
「こっち、こっち」
物珍しそうに辺りを見回すアテナを後目に、理香はずんずんと歩いていく。
彼女曰く。
"優勝賞金は結構あるんでしょ?
だったら、パソコン買ってメールやんなさい。
それなら世界中どこに居たって連絡とれるし。"
何処にいても連絡が取れるという理香の言葉に、アテナは最初、乗り気では無かった。
その安心感は、甘えに繋がる恐れがあったから。
それを恐れたからこそ、拳崇の同行も断ったのだから。
しかし。
"送受信メールを残しておけば、記憶のバックアップにもなるっしょ?"
その台詞が決め手となった。
結局、アテナは理香に3時間ばかり連れまわされることとなった。
理香は表通りの大型店には目もくれず、裏通りの小さな(怪しげな)店を狙ったようにハシゴして、更には値切りまくった挙げ句、市価の約半額で、一台のノートPCをアテナに購入させていた。
A5サイズの小型のノートPCで、液晶ディスプレイの上部に小型のCCDカメラを装備したタイプだ。
更には、世界中どこにいてもネットに繋げられるようにと、通信衛星を利用したゴツイ携帯電話と専用の接続アダプタの購入に、ネット接続に必要となる諸手続まで、理香は次々とこなしていった。
「ふぅ〜、流石に疲れたねぇ。」
さんざん歩き回った挙げ句、2人は電気店街のただ中にあるオープンカフェに腰を落ち着けていた。
言葉とは裏腹に、理香は嬉々としてアテナのPCの初期セットアップを始めている。
電源は店からこっそりと拝借して。
アテナは、ただただ呆然とそれをみているだけだった。
さて。
一通り、理香からPCの使用方法をレクチャーされ、何とかネットに繋げられるようになったころ。
「へ〜イ、ユゥ〜〜っ!」
唐突に、アテナ達に向けて怪しい英語が降り注いだ。
声のした方向を見上げてみれば。
逆光の中に浮かび上がる、大柄な女性のシルエット。
電器店街のアーケードの上、何やら派手な衣装を身に纏った赤毛の女性が、真っ直ぐこちらを指さしている。
派手な衣装というか・・・さながら、何かのアニメキャラのコスプレ、といった雰囲気である。
「愛と正義の、ミィスティリィアゥ〜ス・パゥワァ〜〜っ!」
ビシッとポーズまで決めた彼女を、通行中の買い物客達が眉を潜めて横目でみている。
"・・・知り合い?"
それが、先の喫茶店で耳をダンボにしていた女性だとは、知る由もない。
理香に肘でつつかれたアテナは、ぶんぶんと首を横に振る。
周囲の視線は、自然とコスプレ女性が指さしている相手、アテナ達にも集中し始めていた。
同類をみる目、で。
アテナの返事に、理香は手早く片づける。
アテナも無言で立ち上がると、そそくさと会計を済ませ、店をでる。
件の女性とは、反対方向へ向かって。
その様子に、慌てたのは女性の方だ。
「オゥ、どこ行くデスか!? ワタシと勝負するネ!」
無視。
絶対、無視。
こういう手合いには、関わらないに限る。
アテナ達は、ひたすら無言でその場を立ち去ろうとする。
「ヘ〜イ、ユゥ〜〜〜〜〜〜っ!!!」
正義の味方としては登場の仕方にも気を配らねばと、苦労してアーケードの上によじ登りもしたのだが、今はそれが裏目に出ていた。
おりるにおりられない彼女は、慌ててアテナを呼び止めようと叫ぶ。
が、それは逆効果だということに、彼女は気付いていなかった。
☆
「なに、いまの?」
近くの公園のベンチに落ち着いたところで、理香は思い出し笑いをしていた。
「さぁ・・・」
アテナも苦笑いをしつつ、一息つく。
「アレかな? KOF優勝者のアテナに、挑戦しにきたとか?」
「だとしたら・・・悪いことしたかしら?」
真面目にそういうアテナに、理香は笑った。
「いやぁ、時と場所は、選んでもらわないと。」
確かに、あんな人混みの中で闘う訳にもいくまい。
そう納得するとアテナは、それもそうね、と笑った。
理香の言葉は、決してそういう意味ではなかったのだが。
直後。
「アテナ・アサミ〜ヤっ!」
件の女性が、50Mばかり離れた公園の入り口に立っていた。
肩で息をしながら。
「ワタシは、ミステリアス・パワーね。 正義の味方は一人で充分、どっちが本物の正義の味方か、勝負するネ!」
ビシッと、アテナを指さしながら、ミステリアス・パワーと名乗った女性は、大見得を切った。
「ぷっ」
"正義の味方"という言葉に、理香が吹き出した。
「自分で言ってて、恥ずかしくないのかなぁ?」
その言葉に苦笑で応えると、アテナはやれやれと立ち上がった。
幸い、人影もほとんどない。
ここならば、闘っても問題あるまい。
「ちょっと待っててね。」
そのアテナの言葉に、理香は思わず口笛をならした。
"自信たっぷり、って感じじゃない?"
言いながら、おもむろにアテナのノートPCを起動する。
CCDカメラを、アテナ達に向けながら。
「やっと、その気になりマシタね?」
すっかり息を整えたミステリアス・パワーが、不敵な笑みを浮かべる。
アテナは静かに微笑むと、着ていたワンピースに手をかける。
「――アテナ、行きます」
言うや、一瞬にして動きやすい衣装へと変化する。
「!!!!!!!!!!」
その技に、ミステリアス・パワーは衝撃を受けた。
「い・・・今、何ヲしましたカ?」
「は?」
サイコパワーの応用で、一瞬にして衣装を換える。
アテナにしてはいつものことだったのだが。
「一体どうヤッタ? 教えナさ〜い!!」
ミステリアス・パワーにしてみれば、自分はいつも30分はかかって着替えているのだから、それは衝撃だっただろう。
なにより、変身したみたいで格好いいではないか。
"――何しに来たの、この人。"
懇願する彼女に、アテナはどっと疲れを感じていた。
☆
「では、両者とも、初め!」
理香の合図で、ようやく仕切り直しとなった。
アテナは慎重に距離を取り、相手の出方をうかがう。
「シュートっ!」
アテナとは対称的に、ミステリアス・パワーは・・・・いい加減、長くて嫌になってきた、以下は彼女をミスピーと呼称することにする。
もとい、ミスピーは、積極的に攻撃に出た。
衝撃波のような飛び道具を放つと、彼女はそれを追って猛然とダッシュして来る。
「はっ」
軽くステップして、衝撃波をかわすアテナ。
直後、ミスピーはアテナを掴みにかかる。
「サイコソード!」
「ノゥ!!」
即座に繰り出したサイコソードは確実にミスピーを捉え、カウンターとなる。
はじき飛ばされたミスピーは、それでも体勢を立て直してみせた。
少し、浅かったようだ。
「サイコボール!」
そこへ、間髪入れず遠距離攻撃を仕掛けるアテナ。
どうやら、相手は投げを主体としたファイティングスタイルらしいとあたりをつける。
接近戦では、気が抜けない相手だろう。
「クっ」
サイコパワーの固まりを防御姿勢で受け止め、呻くミスピー。
その彼女に向けて、今度はアテナがダッシュしていた。
安易に遠距離攻撃で勝てたとしても、それではサイコパワーを"極限まで"高めることなどかなうまい。
彼女は敢えて接近戦を挑んだ。
「破っ」
衡を使った攻撃を基点として、連撃を放つ。
アテナの格闘スタイルは、ベースは中国拳法ではあるが、身体を使った攻撃は実はあまり得意ではない。
ただ、持ち前のセンスとスピード、それに強力なサイコパワーのお陰で、強者共と互角の戦いを演じてみせるのだ。
たが、非力さだけは如何ともしがたい。
「甘いネ!」
ミスピーは、アテナの攻撃を全て受け止めきると、すかさず彼女を掴んでいた。
「ミステ〜リア〜ス・スピ〜〜ン!」
言うや、アテナを振り回しながら、空中へ舞い上がる。
そして、ジャンプの頂点で、アテナを地面へと投げつけた。
「うっ」
今度はアテナが呻く番だった。
地に伏した彼女目掛けて、さらにミスピーは衝撃波を放つ。
そして、再び猛然とダッシュ。
「え〜いっ」
しかしアテナは、起きあがりざまにサイコ・リフレクターを放っていた。
「オゥ、ノゥ!」
衝撃波を跳ね返され、突進していたミスピーはそれを避けることが出来ず、直撃した。
「破ぁ〜〜〜っ!!」
間髪入れず距離をつめると、アテナはクリスタル・ビットを放つ。
無数のエネルギー体、ビット達は、容赦なくミスピーを打ち付ける。
「ノォ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
数多の衝撃が駆け抜けた後、ミスピーは力無くその場に崩れ落ちていた。
☆
「―――アナタ、強いネ。」
決着がつくと、ミスピーはさわやかな笑顔でアテナに握手を求めた。
その態度の変化に戸惑いつつも、アテナはその手を握り返す。
「ミスピーちゃんの、負けぇ〜っ」
唐突に降り注いだ楽しげな声に、アテナは思わず空を見上げ―――固まった。
そこに居たのは、身長30p程の小人だった。
いや、背中に生えた白い翼からして――天使、だろうか?
「オゥ、ミスえんじぇう。負けテしまいましタ〜。」
無論、固まったのは理香も同じだ。
「・・・・なに、これ?」
「これって、モノじゃないもん。エンジェルちゃんだもん。」
理香の言葉に、天使はむくれた。
「ミスえんじぇう。ワタシのpartnerネ。」
ミスピー曰く。
"エンジェルちゃん"と名乗る天使は、本物の天使だそうで、その力を借りることで彼女は"ミステリアス・パワー"として闘うことができるらしい。
胡散臭そうな理香には構わず、ミスピーはアテナに訊ねる。
「アナタなら、ミスえんじぇるのチカラ、感じられルでショウ?」
言われ、アテナは天使をみた。
考えてみれば、不思議だったのだ。
いくら親友との再会とはいえ、心が弾んでいることが。
心を壊されかけているはずなのに。
聞けば、先の喫茶店でもミスピー達はアテナ達の側にいたという。
"天使"が本物であれば、あるいはその影響を受けているのかも知れない。
「・・・そうですね。」
アテナの言葉に、ミスピーはニッコリと笑った。
「やっぱりアナタ、ワタシの見込んだだけのコトはありマスネ。」
妙に熱っぽい流し目を送られ、アテナは戸惑う。
「強いケド傲らず、それに・・・So キュート・・・」
つつーと、二の腕に指先をはわされる。
アテナの背筋に悪寒が走った。
「何よりアナタ、好みヨ・・・」
その時―――
「はい、そこまで〜」
今にもアテナに飛びつきそうなミスピーを、割って入った理香が制した。
「だめよ〜。この娘、もう"お手つき"なんだから。」
さらっと、とんでもないことを口にする親友に、アテナは一瞬目が点になる。
数瞬おくれて、言葉の意味を理解し、真っ赤に染まっていく。
否定しようにも、その確証となる記憶がない。
「オゥ、マイガッ〜〜っ!」
そのアテナの様子に、真実だと信じたミスピーは頭を抱え―――理香は、悔しがるミスピーを面白がって眺めていた。
☆
結局、その日は何故かミスピーの「お店」に泊めてもらうことになってしまった。
ミスピーの強引な誘いを断りきれなかった、からなのだが。
アテナの身の危険を感じた理香は、今夜はアテナに付き合うことにしていた。
繁華街のただ中にあるミスピーの店とは―――
「・・・カジノ="るしふぇる"・・?」
派手な電飾が施された外装に、アテナは唖然として呟いた。
自称「正義の味方」と「カジノ」が、どうしても繋がらなかった。
もっとも、カジノといっても、ゲームセンターに毛が生えた程度なのだが、そんなことをアテナが知るはずもない。
「こっちデ〜ス。」
裏口らしい扉から、ミスピーが手招きしていた。
アテナと理香は、お互いに顔を見合わせる。
躊躇いはしたものの、今更引き返す訳にもいかず、結局2人はミスピーの待つ扉をくぐった。
☆
「・・・いつまで待たせるんだろうね?」
応接間らしい部屋に通された2人は、かれこれ30分は待たされていた。
着替えてくる、といって出ていったミスピーは、未だに戻ってくる気配がない。
理香のぼやきに、アテナは肩を竦めた。
――と、入り口の扉が開いた。
「お待たせしてしまって、すみません。」
淡いブルーのワンピースに着替えたミスピーが、ようやく戻ってきた。
彼女の頭上には、相変わらず天使が浮かんでいる。
2人は勧められるままに、ソファーに腰を降ろす。
「改めて、私はこういう者です。」
アミューズメントパーク カジノ=るしふぇる 店長
谷 フジ子
差し出された名刺には、そう書かれていた。
勧められた紅茶を飲もうとして理香に止められ、戸惑うアテナ。
その様子に、ミスピー・・・フジ子は苦笑いを浮かべた。
「大丈夫、変なクスリなんて入っていませんよ。」
「――さっきから気になってたんだけど」
フジ子の言葉にジト目になりながらも、理香はティーカップに手をつけた。
「随分、さっきまでと雰囲気が違いません?」
彼女の問に、フジ子は困ったような表情を浮かべる。
「フジ子ちゃんはね、ミスピーちゃんになってる時は別人だからね。」
言い淀むフジ子のかわりに、天使が答えた。
フジ子はアテナに視線を移すと、頭を下げた。
「さっきはごめんなさいね。 びっくりしたでしょう?」
「いえ・・・」
むろん、「SO キュート・・・」の件だろう。
嫌なことを思い出し、苦笑いのアテナ。
「ホントに変な趣味は持っていないから。今日は安心して泊まっていってね。」
上品に微笑むフジ子に、アテナは戸惑いを隠せない。
余りにも、落差がありすぎた。
そもそも。
何故、あれほど強引に自分を泊めようとしたのか?
「貴女に見せたいモノがあったのよ。」
アテナの疑問にフジ子は、もっともだと頷きながら説明する。
「貴女の事情は、悪いけどあの喫茶店の会話が聞こえていたから、知っているわ。
多分、あなたに有益な情報を提供できると思ったの。」
フジ子の言い分はもっともらしく聞こえるが・・・
「何故、初めて会った、わたしに?」
アテナの言葉に、フジ子はクスリと笑う。
「貴女が、私の好みだから・・・なんてね?」
一瞬、思いっきり「引いた」アテナだったが、フジ子の表情からそれが冗談だと読みとれた。
生真面目な年下の娘をからかった、といったところなのだろう。
「・・・困っている人に手を差し延べるのは、正義の味方のつとめでしょう?」
貴女ならわかるでしょ?
フジ子の瞳は、そう言っていた。
☆
アテナ達が次に通された部屋は、フジ子の書斎らしかった。
6畳ほどの和室で、中央にフルタワーPCが鎮座している。
「・・・これよ。」
モニターが見える場所にアテナと理香を座らせると、フジ子はネット上のとあるサイトを表示して見せた。
「夢幻・・格闘家情報・・・?」
サイトは英語で表示されていたが、タイトル画像だけは何故か漢字だった。
アテナの言葉に、フジ子は無言で頷く。
「・・・会員制のアングラサイトなんだけどね。 もともとは、一部のマニアが始めたものらしいんだけど――」
言いながら、フジ子は手早くキーボードを操作して、検索欄に「Athena Asamiya」と打ち込んだ。
「―――凄いでしょ?」
しばらくの後、画面にはアテナに関する情報が、顔写真と共にズラズラと表示された。
ご丁寧に、身長&体重、スリーサイズまで掲載されている。
そこには、過去、彼女が出場したあらゆる格闘大会のデータが網羅されていた。
驚いたことに、キングオブファイターズに出場、優勝したことまで記載されている。
あの大会は、秘密裏に行われたというのに、だ。
そして、最終行には、in Tokyo,Japan ・・・つまり、日本滞在中と書かれていた。
「――未だ世に出ていない強者を探すなら、もっとも手っ取り早い方法だわ。いい道標になると思うの。」
もちろん、これが全てではないでしょうけど、とも言いながら、フジ子はさらに画面を操作する。
――現在、日本に滞在中(と思われる)の格闘家の一覧が表示された。
「あてどなく世界中を旅するより、よほど効率的だと思うわ。」
言いながら、フジ子は1枚のメモをアテナに渡した。
サイトのアドレスと、ログイン用のID&パスワードだった。
「・・・クラックしたIDだけど。」
そう言ってフジ子はちろっと舌を出す。
感心したのは理香の方だった。
「フジ子さん、凄いっ」
犯罪なんだけどね、と理香の反応にフジ子は苦笑いを浮かべた。
☆
「ふぅ」
寝室用にと、あてがわれた部屋にようやく落ち着き、アテナはほっと一息ついていた。
「今日は、いろいろあったね。」
2つ並んで敷かれた布団に腰掛けて、理香が笑った。
そうね、と相づちをうったアテナを、理香は真面目な表情で見つめた。
「ねぇ、アテナ。 ご両親のことは、覚えている?」
一部の記憶をなくしていることは本人から聞いていたから、理香は確認するようにアテナに問うた。
言いにくそうな理香の言葉に、アテナは微笑んで頷いた。
「・・・明日、会ってくるわ。」
「・・・あたしも行こうか?」
親友の言葉に、アテナは黙って首を振る。
「そんなに気を使ってくれなくても大丈夫よ。 もう、平気だから。」
「・・・そう。」
らしくなく沈む理香に、アテナは微笑みを向ける。
「明日は早いし、寝ようよ?」
いつまでもフジ子の好意に甘える訳にも行くまいと、アテナは明日の朝早くに発つことを決めていた。
アテナの言葉に、理香はコクリと頷く。
「ねぇ、アテナ・・・」
「なに?」
部屋の明かりを消した後、理香は囁くように話しかけた。
「・・・無理は、しないでね。」
親友の言葉に、アテナの顔に笑みが浮かんだ。
「・・・ありがとう。」