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<人間の輝き>を撮りたい |
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私を人物写真に駆り立てる原点は、人間の生き様と、その人物
が取組む世界に対する野次馬的好奇心からです。
人物写真で一番表現したいのは『人間の輝き』です。取り組む
対象がなんであれ、自身の目標に向かってひたむきにチャレン
ジする人たちの姿に、『人間の輝き』を感じるからです。
『人間の輝き』は、言葉にすれば、自由、愛、独自性、勇気、
情熱、責任感、義憤、覚悟、厳しさ、優しさ、誠実さをイメー
ジします。 |
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私は写真家としてふたつの方法で人物写真に取り組んできまし
た。
ひとつは「ポートレート」です。
「ポートレート」は被写体と一対一で正対して撮影します。
基本的には一回の撮影で、何枚撮っても一枚の写真で被写体の
存在感をより強く、より印象的に表現する方法です。
撮影の際には、撮影場所や背景の選定、ポーズ、ライティング
などで様々な演出を試みるので「ポートレート」は写真家の感
性や美意意識、創造力そして被写体に対する個人的想いが色濃
く投影される「芸術的表現」に近いといえます。「ポートレー
ト」の撮影現場では、写真家は常に被写体をリードする気迫と
平常心が必要です。
そうでないと被写体が著名な人ほど気おくれして、よく見かけ
る平凡な記念写真的ポートレートになりがちです。 |
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もうひとつは「ドキュメンタリーポートレート」です。
これは私がネイミングしたものですが、特定の人物を長期間
(1~3年)公私に亘り密着撮影し、複数の写真(例えば写真展
では50枚、写真集では200枚など)で被写体を表現する方
法です。
密着撮影を重ねるごとに被写体に対する認識が深まり、時には
予想外の人間的側面を垣間見ることもあります。
したがって「ドキュメンタリーポートレート」は被写体の
「真実の表現」となります。 |
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この方法では、日頃から被写体との信頼関係を深める努力が不
可欠となります。マスコミが入ることを許されない被写体の公
的或いは私的エリアにカメラを入れられるかどうかは全てこの
信頼関 係の深さにかかっています。
これらふたつの方法は手法が全く違いますが、人物写真家の私
にはそれぞれが取り組みがいのある魅力的な方法です。 |
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このふたつの取り組みで、私が拘っているのは共にインタビュ
ーを行うことです。
「ポートレート」の場合は、被写体から頂いた時間はあまり多
くなく、本来なら全てを撮影に集中したいところですが敢えて
インタビューを行うのは、一枚の「ポートレート」だけでは被
写体が「日々なにを考え、なにに感動し、どう生きようとして
いるのか」までは伝えられません。
人間を取り上げる以上、そこもできるだけ明らかにしたいと思
うからです。 |
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一方、「ドキュメンタリーポートレート」では、長期間の密着
撮影が終了した段階で、被写体の人間像や生き様、取り組む世
界などを中心に複数回、長時間のインタビューをさせてもらい
ます。 |
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ふたつの取り組みで、もうひとつの拘りがあります。
それは撮りたい人物がどんなに有名人であっても、撮影の依頼
は紹介者を介さず、直接私一人で行うことにしています。 |
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特に「ポートレート」の場合、紹介者を介しての撮影となると
紹介、者の立場を考慮して、撮影中は被写体の気分を損ねない
よう気を配りながら撮ることになります。それではどうしても
レンズの切っ先は鈍ってしまい、中途半端な「ポートレート」
になりかねないからです。 |
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私はこれまで『人間の輝き』 を求めて各界で活躍する多彩
な人々を撮影してきましたが、ときには生来の怖いもの見たさ
も相まって、「人間の輝き」とはおよそ無縁と思しき人物たち
にも声を掛け撮影してきました。
被写体がどんなにビッグな或いは心から敬愛する人物であって
も、彼らに気に入ってもらえる写真を撮ろうという意識は一貫
してありません。
私は常に、被写体から感じ取った私なりのイメージの
「ポート
レート」を撮り切るという強い想いで、多くの被写と正対して
きました。
これからも野次馬的好奇心を原点に、人々との心躍る出会いを
求めて撮影を続けていきたいと考えます。
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