的確な観察と記憶の形象化

奥田 史郎

 浅田杏子「蟹」 獲れたて蟹を大釜で茹で、アツアツをもいで素早くかぶりつく。そのもぎ方・かぶりつき方をアップにし、蟹を茹でる問屋場の状景と記憶の共有が作品を支えきった。
 橘上「屋上」 つまらぬ授業は旧校舎屋上に身を揺らす学友を眺めて過ごしていたが、彼が誤って転落死。彼を哀惜する若い作者の感性が独特だ。
 長崎太郎「風呂屋」 敗戦直後の混雑する風呂屋。ぬるく汚いが、客の様子や会話から平和の安堵感が漂う。長崎市街だけに、効果がひとしお強い。
 評論は三作とも、資料に引きずられて作者の独自見解が展開する部分が少なかった。原稿枚数とのバランスを考える計算が足りず、惜しまれた。


三様の作品

渋谷 卓男

 浅田杏子さんの「蟹」は、風土と、その風土の中で生きる人の姿がきめ細やかに描かれ、すぐれた作品となっています。ラストが鮮やかでした。
 橘上さんの「屋上」は、ふわふわとした、地に足が着ききらない年代の空気を描いて秀逸です。さまざまな読みのできる作品ですが、「野宮」さんを自分の分身のようなものとしてとらえると、その野宮さんが死に、ガーゼを燃やすラストがとても印象的なものとして浮かび上がってきます。
 長崎太郎さんの「風呂屋」は、終戦翌日の銭湯を描いた作品で、猥雑な世相を通して、不衛生も戦争のつらさも乗り越えていく庶民の強さを描いています。余韻の深い作品です。


みんな詩友・仲間

鈴木文子

 浅田杏子「蟹」は、最初の大胆な切り口と、働く人々の描写はまさに鮮魚そのもの。終連の会話で過去の重たい記憶を明るさに逆転し、最後を見事に締めた。入選に相応しい作品だ。
 橘上「屋上」は、野宮さんを追いかけていく展開が個性的。深刻な問題なのに貯金が出てきたりして、転換が面白い。最近の応募作にはない一篇だ。溢れる心理描写に今後も期待。
 長崎太郎「風呂屋」は、方言が飛び交う風呂屋の脱衣所、湯船のリアルな描写に顔をしかめたりするが、平和だからこその風景が温かく沁みてくる。
 葛原りょう「万華鏡」、宮本真子「雨電話」、春海光洋「シカイボツ」も力作だった。今後も頑張ってほしい。


ヒューマニティを

高鶴礼子

 浅田杏子「蟹」は丹念な描写の佳品。最後の二行が特に心に響いた。橘上「屋上」。不思議な詩空間には大いに魅せられたが、終行が見過ごせなかった。もちろん親切な読者になれば「臭いよ」の裏に哀や現代性をみる読みも可能であるし、私自身、毒やワルの粋大好き人間であるのだが、それでもこの言葉選びには疑問を感じる。毒や狂で人や社会を斬るならば返す刀で己に向けても斬り込まねばならない。根底がヒューマニティに支えられていない表現行為は不毛である。無機的な個性はおもしろいと思うが、立つ位置の検証を常にと願う。長崎太郎「風呂屋」は記録性のある作品。終戦直後の湯煙の景。喧騒の中に平和が染みる。


詩のある場所

都月 次郎

浅田杏子「蟹」はとくに終連がいい。
 橘さんの「屋上」は、最初読んだときにビリッとくるものがあった。学校という枠からはみ出してしまった野宮さんと、次第に共鳴してゆく作者とが不安定な緊張の中で描かれている。そして「その日の夜/僕は部屋でガーゼを燃やしながら/回転イスでぐるぐる回」ることで野宮さんを体験しようとする。学校は社会に置き換えてもいい。人は誰も枠に収まる部分と、はみ出してしまう部分を抱えて生きている。そのすき間に目を向け、耳を澄ますことで、見えないものが見え、聞こえない音が聞こえてくる。そこに詩がある。選にはもれたが、大垣由香里、鮮一孝、芳川純子、葛原りょうにも注目した。


選りわけ輝きだした詩

南浜 伊作

 すっきりした作品に入選もすっきり決まった。「蟹」は主題がゆれず収斂していく。描写はていねいだし、ドラマの展開もあって魅力的な詩になっている。もちろん食べものと故郷と取りあわせがよかったこともあるだろう。
 「屋上」は、現代の若者の不安な気分がよくとらえられていて共感されるだろう。謎と展開にも違和感はない。特異な資質に才能を感じることができる。今後が大いに期待できる人だ。
 「風呂屋」は面白い。終戦直後の長崎郊外の銭湯の情景をいきいきと、新しい憲法感覚で回想して描写し、市民生活の蘇りがじつに新鮮である。
 評論の一次通過作三篇。よく調べてはいるが主題に迫る必然性が弱い。


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