第1巻
第3章
「主のアヴァターラまたは物質世界への降臨」
原人(プルシャ)としてのアヴァターラ(化身)(1-5)
(1)スータは語ります:
太初において宇宙を創造しようと望み、全能全知なる主は、自身の創造意志によって、マハータットヴァ(宇宙の心)、アハンカーラ(自我)などの16の構成要素(すなわち10の感覚器、5つの要素と心 )からなる宇宙の形態(プルシャ)を仮現しました。
(2)このように自己を顕現し、原初の太洋の上でサマーディ(三昧)に安らいでいる彼(プルシャ)の臍から、この世の創始者で創造者であるブラフマー神が鎮座した蓮華が現われました。
(3)それらの14の世界や領域は、ラジャス (激質) やタマス (翳質)のわずかな染みさえも無い純然たるサットヴァ (純質) 、すなわち善性から成り立っているために純粋で力に満ちている主の宇宙形態(プルシャ)の四肢の中にあります。
(4)ヨガ行者は神聖なる天眼を用いて主のその姿を見ます。その素晴らしさたるや、あたかも幾千もの足と腕そして顔を持ち、何千という頭、耳、目と鼻を持っていて、無数の王冠、ローブとイヤリングとで輝いているようなものです。
物質世界への化身(リーラー・アヴァターラ)(6-25)
(5)主のこの姿(一般的には「ナーラーヤナ」として知られています )は様々なアヴァターラ(神々の化身)の不滅の種子であり、彼らが(目的を達成した後で、)帰る住居なのです。神々、人間、そしてより低い存在は、主の一部であられる(ブラフマー神)の一部である(例えば、マリーチやプラジャーパティー)によってです。
(6)自らの最初の顕現として、クマーラ(シャナカと他の人たち)として4人のバラモンの姿を取り、永遠なる独身主義の厳しい誓約を遵守したのが、まさしくこの主(ナーラーヤナ)でした。
(7)第2のアヴァターラ(化身、顕現)の時には、すべての犠牲の主、は天地創造の仕事を続けるために、海底深く沈みこんだ地球を持ち上げようと、聖なる猪の姿をとりました。
(8)第3の化身が、リシとしての神々しい賢者(=ナーラダ)です。彼はヴァイシュナヴァ派(パンチャラートラ)の教えを説きました。そしてその教えは、我々を束縛するカルマからの解放の道を示します。
(9)第4の化身は、彼がダルマの配偶者(ムールティ)から生まれた時です。彼は賢者ナラとナーラーヤナという対の姿として顕現し、心と感覚の制御を伴った厳しい苦行を行いました。
(10)5番目の化身は、完成者の主にして、賢者アシュリにサーンキャ哲学を教えたカピラとして知られています。その教えは基本的な原則の性質を決定するものであり、長い間に忘却の淵に沈みこんでいたものでした。
(11)6番目の化身はアナスーヤー(アトリ仙の妻)の懇願によって賢者アトリの息子として生まれました。そしてアラルカ王やプラフラーダと他の人たちに真我の知識を与えました。
(12)その後7番目の顕現では、ルチ(創造者の一人)の配偶者、アークーティからヤジュナとして生まれました。彼は、息子であるヤマ神や他の神々の協力を得て、スヴァーヤンブバ・マヌによって統轄されていたインドラ神の役目を、最初のマヌ期の間、負いました。
(13)8番目の化身は、一切に浸透している主はリシャバデーヴァとして、ナービ国王とメール・デーヴィー王女のもとに生まれ、パラマハンサ(道徳律のすべての束縛を超え、為すべき義務も無くなった悟った魂)の生涯とは如何なるものかを身をもって示しました。そしてそれはすべての4つのアーシュラマ、すなわち人生の諸段階に属している人々によって崇拝されます。
(14)9番目の降臨は、予言者の懇願によって生まれました。彼は国王(プリトゥ)の姿をとって、(雌牛のかたちをした)地球に(彼女がこれまで隠し持っていた)すべてを生み出させました。それ故に、主のこの特別の顕現は、世界にとって最も幸多きものとなりました。
(15)第6マヌ期の終りに 、三界のすべての生物が洪水によって海に飲み込まれようとした時に、彼は魚(彼の10番目の顕現)の姿をとり、ボートとなって、未来のヴァイヴァスワタ・マヌ(現在のマヌ期の主)を救い上げ、陸へ戻しました。
(16)彼の11番目の顕現の時には、神々と悪魔が海を激しくかき回し始めたとき、主はカメの姿をとって、背中でマンダラ山を支えました。
(17)彼の12番目の顕現の時には、 ダンヴァンタリとして(ネクターを満たした瓶を携えて海から現れました)。13番目の顕現では、魅惑的な女性の姿を取り、悪鬼達を魅了している間に、神々にネクターを飲ませました。
(18)14番目の顕現では人獅子の姿をとって、ござ作り職人が葦を引き裂くように、鉤爪で最も強大な悪魔の王(ヒラニヤカシプ)の胸を引き裂きました。
(19)彼の15番目の顕現は小人でした。彼はバリ(悪魔王者)を懲らしめるために訪れ、彼の王国を奪うという意図を隠して、3歩分の土地をくれるように頼みました 。
(20)(パラシュラーマ としての)彼の16番目の降下時には、国王らがバラモンに敵対しているのを見て立腹し、クシャトリヤ族を21度にわたってこの世から駆逐しました。
(21)それから(ヴィヤーサとしての)17番目の顕現では、彼は賢者パラーシャラとサティヤヴァティーから生まれ、知性に乏しい人々を見るにつけ、ヴェーダの木を多くの枝に分けました。
(22)それから再び(18番目の降臨で)彼は神々の目的を達成するために、支配者の姿(シュリー・ラーマ)を装って、海などに橋を架けるように、英雄的な偉業を行いました。
(23)19番目と20番目で主はバララーマとシュリー・クリシュナとしてヴリシュニ族に生まれて、この世の苦しみをを和らげました。
(24)カリユガが始まるとき、彼は神々の敵を欺くためにアジャナの息子仏陀としてマガダ国(北ビハール)に生まれるでしょう。
(25)それから再び、カリ期の終りが近づく頃、国王の大部分が盗賊へと成り果てる時に、宇宙の主はヴィシュヌヤシャーという名のバラモンから、主カルキとして再臨することでしょう。
数限りない化身(26-29)
(26)あたかも幾千という小川が決して枯れることがない湖から流れ出るように、サットヴァ(力、智慧など)の宝庫である主の数限りない降臨があります。おおバラモンたちよ!
(27)賢者と予言者、マヌ、神々、マヌの息子達、プラジャーパティー(創造された存在の主)、素晴らしい力を所有している彼ら全ては、シュリー・ハリ(ヴィシュヌ)の輝き(微片)なのです。
(28)シュリー・クリシュナが主御自身であるのに対して、これらすべての化身は、至高の人の部分的顕現か輝きにすぎません。これらすべてのアヴァターラ(神々の化身)や主は、時代から時代へと顕現して、世界がインドラ神の敵によって虐げられたとき、世界を保護します。
(29)主降臨のこの神秘の物語を熟考し、敬虔な心を持って毎朝毎晩それを朗誦する者は誰でも、輪廻の苦難から解放されます。
一なるものと多なるものの神秘(30-39)
(30)主は本質的には霊的であり物質的な姿を持ってはいないのですが、(物質世界での)この粗雑な顕現は、彼のマーヤーから展開した物です。例えばマハット(宇宙の知性原理)などのように。そして主御自身に重ねられたものなのです。
(31)理解力に乏しい人々が青空に雲が存在すると考えたり、空中に埃が存在すると考えたりするのと同様に(埃が地上の砂埃に属するように、雲が、実のところ空中に掛かるけれども)、無知な人々は、見る者である自己の上に、粗雑な感覚によって認識できる宇宙を重ね合わせます。
(32)この物質的な形を超えたものが主の微細なる(そして 未顕現なる)姿なのです。それは未開展のグナ(特有な形をとらなかったグナ )で構成され、それは知覚することも、聞くこともできないものです。この(微細な、あるいはアストラルと呼ばれる)肉体は(魂がそれに入るように思われるか、あるいはそれと同一視されるから)、ジーヴァあるいは魂と命名されます。そして出生と転生を繰り返すのです。
(33)前述のアストラルや物質的な肉体は、無知によって自己の上に重ねられるのです。 この限定的制約が自己知識を通して取り除かれるとき、まさしくその瞬間にブラフマンの認識が生じるのです。
(34)真理を知る者は、主の戯れに満ちたマーヤーが退くとき、人間 (Jiva) がブラフマンと一つになって、自己の栄光の内に確立されることを知っています。
(35)このようなことが為された時には、賢者達は、主の行為とともに降臨をも書き記します。主は全ての心の支配者であり、本当には出生と行為はありません。というのも、彼の降臨と行為はヴェーダの秘伝だからです。
(36)主の遊戯(リーラー)には常に目的があります。ほんの戯れに彼はこの宇宙を作って、保持し、そして再び吸収しますが、決してそれに影響されません。すべての人々の心の中に気づかれずに住し、心と五感の対象を、六感全ての支配者のように楽しむように思われます。しかし彼自身は自己の主人であって、彼はこれらの対象(それらは彼を捉えられません)から遠く離れているのです。
(37)我々はどんなに推理しても、主の御名や姿そして行為を知ることはできません。それらは主の思いと言葉(ヴェーダ)によって啓示されるのです。それは無知な男が、熟達した奇術師のパフォーマンスを理解することができる以上のものではありません。主の意志と言葉によって成就するのです。
(38)手で円盤を振り回す主の能力は無限です。この世界の造物主であるけれども、彼はそれを永遠に超えて留まります。彼は、蓮華の御足への不断の誠実な献身を通してのみ、人々が蓮華の御足のかぐわしい香りを嗅ぐことができることを御存知です。
(39)あなた方は何と恵まれているのでしょう! あなたがこの生涯で、そして(妨害と障害に満ちている)この世界で、全てに浸透している主であるバガヴァーン・ヴァースデーヴァ(シュリー・クリシュナ)に対する専一した愛情を養うことができるからです。それによって人は決して生死の酷い渦巻きに巻き込まれることがなくなるのです。
バーガヴァタの発端(40-45)
(40)神聖な予言者、このプラーナの作者ヴェーダ・ヴィヤーサは、シュリーマッド・バーガヴァタの名によって知られています。それはヴェーダと同等の評価を受けており、そして素晴らしい名声の主の物語を含んでいます。
(41)彼は、真我を認識した魂の中でも真っ先に数えられるべき彼の息子(シュカデーヴァ)に、人類の至高善のために、この神聖にして祝福された素晴らしいプラーナを教授しました。
(42-45)これはすべてのヴェーダとイティハーサ(叙事詩)から抽出されたまさしくその精髄です。そしてシュカは、ガンジス河の岸辺で、優れた賢者達に囲まれながら断食による死を誓って坐している偉大なるパリークシット王にそれを朗唱して聞かせました。シュリー・クリシュナは、敬神、賢明さと全てを伴って彼の(神聖な)住居に向かって出発した今、この太陽のようであるプラーナは、このカリ期において(無知の暗闇によって)目をくらませられた人たちの利益のために示されました。輝かしい賢者シュカデーヴァが 、おおバラモンよ、(ガンジス河の岸辺で)このプラーナを暗唱していた時、私はその場に居合わせて、彼の恩寵によってそれを学びました。 私の最善を尽くして、私がそれを学んだ時のように、今あなたにそれを暗唱致しましょう。