第1巻
第2章
「主の物語と主へのバクティ(信仰)の栄光」
スータの祈願(1-4)
(1)ヴィヤーサは語りました:
ウグラシュラヴァス(=ローマハルシャナの息子)は神聖なバラモン達のこの質問を聞いて天にも上るような喜びを感じました。 彼は、彼らの言葉を歓迎して、談話を開始しました。
(2)スータ(=ウグラシュラヴァス)は語りました:
賢者ドゥワイパーヤナ(=ヴェーダ・ヴィヤーサ:文字通りに、島で生まれた人)は、彼の息子(=シュカデーヴァ)がまだ聖糸を授けられないほど幼いときに、隠者の生活を送ろうとして、ただ一人で立ち去るのを見て、息子との別離に動揺して、「ああ 、我が子よ!」と、叫びました。 その時、彼に返答したのは、彼の息子の現存によって満たされた(路傍の)木々でした。 私は、(普遍なる神と共なる人間であり)生けとし生けるものと心を一つにするその賢人(シュカデーヴァ)に心より挨拶いたします。
(3)シュリーマッド・バーガヴァタは神秘的なプラーナです。それはそれ自身が栄光であり、そしてすべてのヴェーダ (Vedas) のまさしくその本質を構成します。 それは無知の暗闇を越えて行こうと努める人々のために霊的な真実を照らす無比なる光です。 賢者の師であるシュカデーヴァがこのプラーナを唱えたのは、道を求める人々への同情からでした。 私はヴィヤーサの息子に庇護を求めます。
(4)聖なる賢者ナーラーヤナとナラ、至高の人 (=シュリー・クリシュナ)、話の女神サラスヴァティー、そして賢者ヴィヤーサに礼をとりて後、人は(心のすべての混乱だけではなく、生死の輪廻を克服をもたらす)シュリーマッド・バーガヴァタを暗唱するべきです。
スータの返答(人間の最高の義務)(5-13)
(5)賢者よ、あなた方の質問は、適切で得がたいものです。というのも、あなた方の求めるシュリー・クリシュナの物語は、心に平安をもたらし、世界の福利に寄与するテーマだからです。
(6)動機を持たず、障害に屈せず、魂が至福の神を悟る、その目的に到達するシュリー・クリシュナ (Sri Krsna) 信仰への献身(バクティ)こそが人類の最も価値ある義務なのです。
(7)バクティ(信仰)を通してバガヴァーン・ヴァースデーヴァ(=シュリー・クリシュナ)との関係が確立すれば、速やかに、冷静さと論理を超えた直接の知識が目覚めます。
(8)様々な義務を滞り無く行ったとしても、シュリー・クリシュナの物語への愛を生み出し損ねるなら、骨折り損になります。
(9-10)ある人々は、ダルマ(徳や義務)がこの世での富みと繁栄、そしてかの世での天国をもたらすのだ、と主張します。富みは欲望を満たす手段であり、その欲望とは感覚的な喜びを求めることです。このような見解は誤っており価値がありません。ダルマの目的は富ではありません。また富の目的は性欲を満たすことでもありません。欲望があるのは、感覚的快楽に耽るためではなく、人生を存続させるために、創造者によって与えられた刺激なのです。そして人生の目的は、繁栄や天国にあるのではなく、真理の探求こそが目的なのです。
(11)真実の知者は知識だけを実在であると宣言します。 その知識は二元性(主客の区別)を認めません。換言すれば、それは不可分なるもの、二無き一者、 そしてブラフマン(絶対)、パラマートマン(至高の神、あるいは 大霊)そしてバガヴァーン(神)のように異なった名前で呼ばれるのです。
(12)信仰に満ちた賢者は、知識と冷静さを伴った献身(バクティ)を通して、自らの心の内において、自身の自己としてその真理を理解するのです。そしてそれは(シュリーマッド・バーガヴァタなどを)聞くことによって獲得されるのです。
(13)それゆえに、おお、最も気高きバラモン達よ。栄光あるシュリー・ハリ(ヴィシュヌ神)が定めた各々のヴァルナ(社会での等級)とアーシュラマ(学生期・家住期・林棲期・遊行期の生涯の各時期)に従うことによって、ふさわしく義務は成就されるのです。
信仰の発展(14-22)
(14)故に、深い帰依の心を持って、常に主の栄光を聞き、歌い、信者の保護者である主を瞑想し礼拝すべきなのです。
(15)主への不断の瞑想という剣で武装した学識ある人々は、それを用いて、カルマの堅い結び目を直ちに断ち切りました。 それならば、主の物語を喜ばないものが誰かいるでしょうか?
(16)聖地巡礼によって、おおバラモンよ、人は気高き魂に仕える機会と特典を得ます。そのような奉仕から、引き続きバガヴァーン・ヴァースデーヴァ(=シュリー・クリシュナ)の物語を聞きたいという強い願い、すなわち、信仰とこのような物語に対する興味が生まれ育ってくるのです。
(17)シュリー・クリシュナは徳が高い人々の私心なき友人です。そして彼の栄光は、それらを聞いたり歌う人々を神聖にします。 彼は彼の物語を聞く人々の心にとどまって、彼らの心の悪い傾向を根絶します。
(18)聖者への不断の奉仕や(シュリーマッド・バーガヴァタのような)聖典の学習によって悪しき傾向が完全に取り除かれるとき、栄光と恩寵に満ちた主への不断の、そして揺らぐことの無い信愛(バクティ)が溢れ出ます。
(19)心は、その時、性欲や貪欲のような激しい情動から解放されます。そしてそれらはラジャスとタマスに根ざしていたのですが、平和と安らぎのサットヴァに確立されてます。
(20)このようにして、人が主への愛のこもった献身(バクティ)を通してすべて世俗的な執着を取り除き、心が喜びで満たされるとき、人はもちろん神と親密になり真実を理解します。
(21)神をまさに自分自身と見なすや否や、ハートの無知の結び目はバラバラになって、全ての疑いは霧散し、残されたカルマは全て精算されます。
(22)それが、知恵ある人々が無上の喜びを持って主ヴァースデーヴァへの献身(バクティ)を実践する理由なのです。そしてそれは魂を浄化します。
ヴァースデーヴァが信仰の対象となる理由(23-34)
(23)サットヴァ (安らぎと悟りの力) 、ラジャス (激情と行動の力) そしてタマス (暗闇と不活発な力) は三種の特質、またはプラクリティ(原初の物質)の形相です。これらは宇宙の維持、創造、そして破壊を負っています。唯一の至高の人格 (Supreme Person) が、それぞれ、ハリ (=ヴィシュヌ神 )、 ブラフマー神、ハラ(=シヴァ神)の名前と結びつけられています。 それでもなおかつ人々の至高の善(解脱)は、その肉体が純粋なサットヴァから成るシュリー・ハリ(ヴィシュヌ神)だけからもたらされます。
(24)例えば、材木と煙と炎は一つのものです。しかし煙が、(不活発で、鈍い)物質である材木より(いっそう活発で)より高等ですが、三種のヴェーダで勧められている多くの供儀に結びつけられている炎は、煙よりも上等であるように、ラジャス (運動活動の原理)がタマス(暗闇あるいは不活発)より優れ、そしてラジャスより高位にサットヴァ(光の原理あるいは知識)があります。それが人が神を実感し救済を得る助けとなります。
(25)いにしえの賢者達が礼拝を捧げたのは、サットヴァが化身となった純粋な救い主バガヴァーン・ヴィシュヌ神だけでした。今でも、同じように彼らの足跡を嗣ぐものは、幸運に与ることができるのです。
(26)解脱を求めている人たちはバガヴァーン・ナーラーヤナ (=ヴィシュヌ神) と彼の部分的化身を崇拝します。それらは、悪魔(バァイラヴァと眷属達)の主(彼は彼らを罵ることはないが恐ろしい形相をしている)以外は、全て穏やかな相貌をなしています。
(27)しかしながら、ラジャス的あるいはタマス的性質を持ち、富、力そして子孫を求めて祖先の霊、悪霊、そして創造神を崇拝するものは、崇拝されるものと似通った性質を持つことになります。
(28)ヴェーダは究極的にバガヴァーン・ヴァースデーヴァを扱います。供犠それ自体はヴァースデーヴァの達成を目指します。様々なヨーガは、結局はヴァースデーヴァへと導きます。そして同じくあらゆる種類の儀式の目的もまた、ヴァースデーヴァ なのです。
(29)すべての智慧の極致はヴァースデーヴァです。すべて厳格な苦行のゴールはヴァースデーヴァなのです。すべての徳目の目的はヴァースデーヴァの認識なのです。そしてすべての人々の運命はヴァースデーヴァへと流れていくのです。
(30)主御自身は、プラクリティ(根本原質)、と(サットヴァなどの)その三種の形態を越えていますが、それでもなお彼自身のマーヤー(幻力)を通して(天地創造の)始めにこの宇宙を展開させたのは彼だったのです。そのマーヤーは、前述した三種のグナから成り立っていて、それは(知覚の面から見れば)実在であり、また(存在論で語るならば)非実在なのです。
(31)これらの三種のグナの結びつきによって、かの力は、すべての形を顕現させます。彼はそれらの内に入りましたが、本質的にはそれらを超越した自己意識なのです。彼はこれらのグナをあたかも所有しているように見えます。
(32)それはまるで炎が、本当には一つであるにもかかわらず、様々な丸太に灯っているときにはたくさんあるように見えます。それと同じように、宇宙の魂である神 もまた、(本質は一つですが)、異なった存在に顕現するときには、多数と見えるのです。
(33)例えば、微細な元素、感覚そして心というように、三種のグナの様々な展開によって彼自身から創造された種々なる肉体に(魂として)入り込みます。感覚の対象がこのような肉体と結びつけられることを主 (Lord)はお喜びになるのです。
(34)繰り返しますが、多様な世界を創造したのは彼です。そして神々や人間そして存在の低い形態のような様々な種に、楽しみのために降下したのです。そして彼のサットヴァ、すなわち善性を通してすべての人間を守るのです。